この人と/安積 聖夫
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この6月、米国からの返還30周年を迎えた小笠原諸島へのアクセスは、小笠原海運の定期航路だけだ。変遷を重ねた本航路は、島民の生活基盤の充実の観点から大型化、高速化した。その安全対策は。 |
―父島航路の歴史を聞かせて下さい。
安積 小笠原諸島は、昭和43年6月26日、米国から返還されてから丁度今年6月で返還30周年を迎えました。当時は、本土からの連絡便がなかったため、日本郵船と東海汽船の合弁で小笠原海運が設立されました。
設立後しばらくは営業活動は行われず、東京都営として、東海汽船から椿丸(1,028トン、定員263人)を定期用船して営業が開始されました。昭和47年4月から東京都に代わって当社が椿丸を用船し営業を始めました。昭和48年4月から代替船として、父島丸(2,616トン定員627人)を買船し、約6年間本航路に就航しました。昭和54年4月から新造船おがさわら丸(3,553トン、定員1,041人)を建造し約18年の就航に及びましたが、小笠原島民の生活基盤の充実の観点から就航船の大型化、高速化等の希望が強く、平成9年3月から現在のおがさわら丸(6,679トン、定員1,031人)の就航を見るに至っております。
―父島航路の役割は?
安積 小笠原諸島へのアクセスは本定期航路だけであり、父島、母島住民の生鮮食料品、生活必需物資等の輸送をするとともに近年ホエールウォッチング等観光振興、民生の安定、産業経済の発展に重要な役割を担っております。
―新船おがさわら丸が就航して1年余りが経ちますが。
安積 新船が就航して1年5ヵ月になりますが、国、東京都等関係機関のご協力をいただき、唯一の定期航路としての責任を全うするため、取り組んでいるところです。業績の方は、巷間、新造船の年は良好といわれておりますが、これに倣うことができ、2年目に入り昨年並みになるのではと予想されます。
―父島航路の安全対策についてはどうですか。
安積 1社、1船、1航路であるため代船はなく運休することができませんし、多くのお客さんの命を預かる客船業ですから、特に安全には気を配っているところです。今年は台風の発生数が少なく助かりますが、小笠原航路筋を通過する台風が多く気象、海象には留意しています。また、機関の点検整備には、幸い父島停泊時間も長く念入りに整備ができ、安全運航に努めております。
また、わが国有数の輻輳海域である東京湾を月に5回も出入りする航路ですから、操船に留意するよう徹底させています。
―今後の抱負を。
安積 当社船は、国と東京都によるご援助と運輸施設整備事業団の借入金によって建造した新造船であり、かつ離島航路整備法による補助指定を受けるなどして、会社運営を行っており、島の発展のため島の方々の足となり、必需物資を安全かつ定期的に、安定した輸送をすることがこの航路に与えられた使命と考え、会社、海陸従業員一同協力して運航に当たっております。何とぞ、ご関係の皆様のご指導ご支援とご協力をお願いいたします。
(平成10年8月5日、小笠原海運本社で 聞き手=村上)
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〈プロフィル〉
昭和11年生まれ、兵庫県出身、
昭和37年中央大学法科卒業、
東海汽船株式会社入社、総務部、貨物部、海務部などを経て、
昭和49年6月小笠原海運株式会社へ出向、平成6年4月から現職
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小笠原海運株式会社
運航部長
安積 聖夫 |
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