フィールド
Item of WORLD・GAMES
*このコーナーでは、ワールドゲームズの種目を順次紹介しています。
水上スキー
世界レベルに追いつくには、水面確保が第一の課題
水上スキーは、今世紀に入りモーターボートの出現とともに誕生したスポーツです。
1915〜1920年頃、欧米で始まった「アクアプレン」(モーターボートで幅80cm、長さ2mの板をロープで曳き、その板に人間が乗って遊ぶ)が水上スキーの原点であり、1922年ミシシッピー河口のへピン湖で、18歳の青年が松の木で作った2枚の板に乗り、40馬力の船(時速約22km/h)で湖上の滑走に成功したのが起源であると言われています。
1938年スイスで、翌年にはアメリカで水上スキー連盟が結成されました。1949年に第1回世界水上スキー選手権大会が南フランスのジュアン・レ・パンで開催され、第4回大会以降は西暦奇数年に開催されています。また、1955年にはWorld Water Ski Federation (W.W.S.F.:世界水上スキー連盟)が発足し、世界を1]南北アメリカ、2]ヨーロッパ・アフリカ、3]アジア・オーストラリアの3グループに分けて運営するようになりました。現在はInternational Water Ski Federation(I.W.S.F.)と名称を変え、1994年には74カ国が加盟しています。
日本には、1947年、当時進駐していたアメリカ人将校によって持ち込まれ、1949年小森宮正憲氏が手作りの板で滑ったのを最初に、その後隅田川、浜離宮沖、芦ノ湖へと広がりました。
1955年7月15日に日本水上スキー連盟が設立され、第1回全日本水上スキー選手権大会を開催、翌年には大学対抗の全日本学生水上スキー選手権大会が始まりました。その後、各種競技会、熱海〜初島間の長距離水上スキー大会等も開かれ、プレジャーボートの増加と共に愛好者も増えていきました。また、1958年にI.W.S.F.に加盟し、1992年8月には、日本で初の第3グループ国際大会「1992アジア・オーストラリア地区水上スキー選手権大会」を開催しました。
競技種目は、水面上の6個のブイを何回続けて回ったかを競う「スラローム」、アクロバテイックな演技の得点を競う「トリック」、水面上のジャンプ台を利用して跳んだ飛距離を競う「ジャンプ」の3種目があります。
水上スキー人口は、世界で1,200万人、日本国内では30万人と言われています。日本水上スキー連盟は設立以来毎年加盟団体を増やし、1998年5月現在で20都府県連盟と全日本学生モーターボート・水上スキー連盟の計21団体が加盟しており、各連盟傘下に137クラブ、学生連盟傘下に14大学が所属しています。競技人口は約1,000名、選手登録数は686名です。欧米諸国に比べ、水上スキーの出来る水面が少なく、技術レベルの遅れは否めず、現在全国各地での水面確保が第一の課題となっています。
野球が今も日本のメインスポーツであり続けているのは、全国にある少年野球チームで、子供たちに無償で野球を教えてくださっている多くの方々のおかげです。私もそこで育てられ、プロの世界で野球をやらせてもらった人間として、今度は私が教える番だと思っています。今年で4回目を迎えますが、毎年11月には「ドリームカップ」という少年野球大会を開いてきました。登録メンバー全員を試合に出すこと、それが原則の大会です。というのも、試合に出ることで野球のおもしろさがわかるし、何より楽しく野球をやることを大前提にしているからです。
プロ野球の現場から離れて8年、現在はスポーツジャーナリストの立場から野球を眺めています。スポーツを科学的に捉える研究は進んできていますが、何のためにこのトレーニングが必要なのか、という科学的根拠の明示や、コンデイショニングのプログラムなど、まだまだ十分にスポーツの現場に伝わっていません。研究の成果がうまくフィードバックされていないのです。ジャーナリストという立場を生かすのなら、この科学の現場とスポーツの現場を橋渡しする、いわゆる中継ぎの部分が私の役割だと考えています。必要なトレーニングを効果的に行うことが出来るよう、マスコミを通して説得力を持って現場につないでいきたいと思っています。野球に限らずスポーツの良さは、子どもたちが、スポーツを通じて自分の夢や目標を持つことができることです。間違った練習や指導で傷ついたり、身体を壊したりして、子供たちの夢や目標を摘むようなことがあってはなりません。遠回りさせたり、あきらめさせたりしないためにも、研究成果がただちにフィードバックできる環境づくりが急務だと思っています。
横浜中央看護専門学校で、「現代スポーツ人間論」を講義しています。看護婦さんとスポーツ、直接関係なさそうですが、まず自分が元気であることがまわりを楽しくさせることだと思うのです。健康であること、楽しく生活すること、それがスポーツの基本だと教えています。
チャレンジデー'98結果報告
列島がスポーツで沸いた!
全国で40万人が参加!
◆'98DATA
〔実施日〕平成10年5月27日(水)
〔実施自治体〕35自治体(6市27町2村)
〔総人口〕626,573人
〔総参加者数〕395,558人
〔平均参加率〕63.1%
全国35自治体で実施されたチャレンジデー'98。まちの“威信と名誉”をかけ、各地で様々なスポーツイベイトが繰り広げられました。参加総数は約40万人。参加率の成績が良くて大喜びの自治体もあれば、負けてがっかりの自治体など、いろいろありますが、大切なのは勝敗の結果ではなく、みんなが一日楽しくスポーツができたかどうか、今年の目標やテーマが達成できたかどうかです。
チャレンジデーをきっかけに、明るいまちづくりに向けて年々ステップアップしていただきたい――それがSSFの目的であり願いです。各地での積み重ねが、日本をもっと元気にし、スポーツ・フォア・オールの実現に結びつくのです。今年のチャレンジデーを支えてくださった多くの関係者に感謝するとともに、最終結果をご報告します。
秋田大会2001年8月16日〜26日
WG豆知識
ワールドゲームズ
調整委員会
調整委員会は、国際ワールドゲームズ協会(IWGA)と財団法人秋田ワールドゲームズ2001組織委員会との意見調整を行なうために設けられたIWGAの規則に定められた委員会である。委員会のメンバーはIWGAから5名、組織委員会から8名となっており、議長はIWGAの事務局長が務めることになっている。
第1回の調整委員会は、昨年12月14日に開催され、事業の経過や今後のスケジュール等について協議を行った。また、4月24日には第2回の調整委員会が行われ、財政面や公式競技、施設等の具体的な内容の意見調整が行われた。次回は、10月にモナコ公国モンテカルロ市で開催される国際ワールドゲームズ協会年次総会の機会に開催されることが予定されている。
驢馬の目
子供の項を信州で過ごした。まだスポーツも普及しておらずチャンバラごっこや雪合戦をよくやった。前者は棒切れでの切り合いで、後者は雪玉をぶつけ合うものと、高さ数メートルの雪塔を2つ築き、その上に立てた相手の赤または白の旗を奪い合うものだった。'70年代から'80年代に、スポーツチャンバラと雪合戦が、新しいスポーツとしてルール化された。
いわゆるニュースポーツは、外国から入ってきたもの、従来から国内にあって改良されたもの、我が国で新しく開発されたものなどで、その歴史は30〜40年のものと、100年以上紀元前にまで及ぶものとおよそ半々かと思う。我が国でも生涯スポーツの振興が指摘されるようになり、いくつもの新しいスポーツが開発され、ゲートボールのように多数の競技人口を有し、国際大会も盛んなスポーツもでできた。国際的に通用するルールで、やっても見ても楽しく、興奮を呼び、そして何百年も生き残り、世界に拡がる可能性のあるスポーツが、我が国からも誕生することか期待される。