食料増産への道 T.B 白米
10 ブロック T
一九五〇年代、アジアの多くの国々、そして日本も飢餓の状態でした。食料の増産は、国家的命題でした。
11 日本の水田
日本では、まず主食である米の増産から始まりました。 新たに開発された多収量品種の稲の作付けが行われます。しかしその稲には大量の灌概用水と化学肥料、農薬が必要でした。
12 日本・稔る稲田
多額の国家予算と助成金により、農地の整備、灌概用水路の整備が行われました。こうして食料の自給率は一九六一年、七六%に達します。この多収量品種による大量の水と農薬、化学肥料による増産は、アジア各国に広がり、次第に飢えを解消していきます。これは「緑の革命」と呼ばれました。
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