3. 病める河
黄河は水量が比較的少なくシルトの多い大河である。1990年には、年間流量の半分近くが消費されたと見積もられている(黄河に戻された分を除く)(8)。1972年から1997年までの26年間のうち20年、それも1991年からは毎年、乾期には黄河から海への流入がなくなっている。この傾向は断流の深刻さを悪化させており、中国人には黄河が「病める河」だと言い出す人々もいる。
1997年には、2月7日を皮切りに年間で断流が11回発生し、総計では222日間となった。6月から9月の雨期でさえも、黄河が海に流れ込んだのはたった14日間だけだった。(9)1997年の断流の深刻さは、開封郊外の河口から703キロメートルにまで及び、極端に少ない雨量と相まって1951年以来の水不足となった。
しかし、上流・下流双方での河川の水資源に対する需要増は、四季を通じての水不足の主な原因となっている。黄河から85の県、市や地方自治体の800万ヘクタールに上る土地を灌漑するために総計4,000立方メートル/秒の水を引くという、122のプロジェクトがある。これらには、華北平原での生産の高い綿・タバコ畑と水田にも含まれる。さらに、山東半島の乾いた土地にある青島など、水不足に悩む都市も、下流域から引かれる水に頼るようになっている。
表3に、黄河から引かれる水の歴史を示す。1980年代までは、環境的な要因、特にシルトを海に流すために、河に十分な量の水が残されないのではないかとの懸念があった。10年後には、上流の河区で水を引くと、下流での使用可能水量にも影響を及ぼし始めた。国家評議会は黄河の水を使用する10の省と天津市に対し、拘束力のない水使用の割当を発表したが、これは比率ではなく絶対量で割り当てられたものであった。この制度では、旱魃の際には上流の使用者の方が有利となった。