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「オトラル(中央アジア、シルダリア川下流部にあるシルクロードの要衝の町)のスーフィ・ダルザワ門を通って、市内に入るキャランバンの列は長く続いていた。ラクダどもは何ヶ月もの間、水のない暑熱の砂漠を歩いた後、やっとひんやりしたキャラバン・サライで休めることを喜ぶかのように、いななき始めた。ロバや馬もこれにあわせて声を張り上げた。これらの動物の首につけた鈴の音も心なしか一段と高く響いた。このほか、職人達の工房やバザールの人混みから聞こえる騒音もこれに加わって、全体がまるでシンフォニーのようであった。オトラルの住民は、中国にいるチンギス・ハンからの使者とキャラバンが来たことを告げられた。未知のはるかな国々から来るキャラバンは、住民達に胸を締め付けるような好奇心を呼び起こした。バザールの野次馬達は、キャラバンに近づいて、長い列が終わるまで見送っていた。これら物見高い群衆はキャラバンを幾重にも取り囲み、運んできた品物の種類や値段を他人よりも早く知りたがっている商人達の邪魔になるほどであった。普通、中国など東方からローマやルーシ(ロンア)へ向かうこのキャラバンは、オトラルで数日間休んだ。ここで商人達は旅に必要な品物を買うために、自分達の商品の一部を売ったのである。薬用人参や鹿の角を買う人、狐などの毛皮を買う人、絹を買う人など、土地の商人達の関心は様々であった。またキャラバンサライには、評判のよくない人や何か悪事をたくらむ人も少なくなかった。中には遠い国の商人達からなにか目のさめるようなニュースを聞こうとして、あたりをぶらぶらしているひともあった。」

 

ここで今回視察できたトルコ内の4つのキャラバン・サライについて触れたい。

1] アライ・ハン

13世紀頃(セルジュク・トルコ時代)に造られた。修復もされず、荒れたままになっているため、外形はとどめているが壁の傷みが激しい。道路に面している正面ゲートにはセルジューク・トルコのライオンの紋章がレリーフで残されている。

2] テペシデリク・ハン

アライ・ハンより15kmの距離にある。こちらは、視察できた4つの隊商宿の中でも規模は一番小さくこじんまりとしていた。臨時に使われたサライであったか。現存していないが、建物の裏手にはサライに隣接して使われていた市場の外壁の礎石がのこされていた。

3] アズカル・ハン

ネブセヒールとアクサライの中央よりややアクサライよりにアズカル・ハンがある。緑多いアクサライはセルジュク・トルコ時代重要な都市であった。13世紀(1231〜1239年)に建てられたアズカル・ハンは修復がなされ、現在は博物館になっている。入り口にセルジュク彫刻が施され、アーチに囲まれた回廊がある。裏側にモスクがあり、中庭の回りに、台所、事務所、宿泊部屋があった。ハンの城壁の外側にある民家の庭には牛フンを固めてドーナツ形にし、人間の背丈以上の高さまで積み上げて天日で干してあるのが見られ、夏の暑い日差しのなかで強い臭気を漂わせていたるガイドの説明ではトルコ語でTEZEK=テゼク、燃料にするのだという。

4] スルタン・ハン

アクサライの町からコンヤ側へ42kmの所にあるスルタンハンと言う町にある。セルジュク朝スルタン・ケイクバット1世の命で、建築家メフメット・ビンハブラン・エル・デミシュキが1228年に建てたものである。中庭に礼拝堂を持ち、南側に別棟を持つアナトリアのセルジュク朝時代のキャラバンサライのなかで最も大きいものである。敷地の広さは4,990m2。修復がなされ、ドームを持ったどっしりとした作りは城を彷彿とさせる。

 

 

 

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