(4) カッパドキア
カッパドキアは、ヒッタイト語で美しい馬たちの国を意味する。この地域の土地は3、4世紀に東のエルジェス山、南のメレンディス山、ハサン山の噴火による溶岩からできた。溶岩、火山灰、小石や泥が混ざって、柔らかい岩の地層を形成した。これが長年の風化浸食により円錐形や円柱形の胴体のてっぺんが、平らであったりとんがっていたりの奇岩を誕生させた。
カッパドキアはアナトリア地方の中でも最も早く人間が住み始めた地域である。メレンディズ川流域の洞窟で発見された雄牛や人間の壁画は旧石器時代末期のものである。ヒッタイト以降、アスル、リディア、メッド、ハカメニシュ(ペルシャ系)人たちが次々と住み着き、アレクサンダー大王の東征時代やロニマ帝国の統治下、そして1072年にセルジュク朝の、1339年にはオスマン朝の支配下に入った。
カッパドキア地方はヒッタイト時代から交易ルート上の要の町として栄え、4世紀前後からはキリスト教の修道士達が凝灰岩に洞窟を掘って住み始めた。彼らは外敵から身を守りつち、信仰を守り、洞窟内の天丼や壁に見事なフレスコ画を残した。標高1,000m余りの高原の、更に奥深い岩山でのひたむきな信仰生活を垣間見ることができる。
1] カイマクル(地下都市)
ここでの社会組織形成は1世紀に始まった。キリスト教が興った時代であり、信者達は迫害、弾圧を受けていた。これらから逃れ、ひっそりと宗教生活を営むのに相応しい場所がカッパドキアであった。4〜5世紀、東ローマ帝国動乱の時期後カッパドキアも危機に面し、キリスト教徒達はより遠くのカイセリに移り住む者が出てきた。7世紀に入り、アラブ・イスラム勢力がカイセリのキリスト教徒を悩ませた為、彼らはギョレメ地方に逃れ、岩山や岩窟に隠れ住むようになった。そして、突然の攻撃にも耐えられる地下都市を発達させていった。
カイマクル地下都市はネブセヒールから20km程行ったカイマクルという所にある。1964 年、観光用に博物館として改造されたもので、地下8階40mの深さまで調査が進んでいるが、公開は4階までになっている。各階の収容人数は200人程で15世帯からなる8階建てである。内部には葡萄圧縮器や貯蔵倉等がある。これは当時の人々がワイン生産において優れた技術を持っていたことを示すものである。通気口が各階に通じ、礼拝所、厨房、食料庫、井戸などがあり、共同生活が行われていた。必要に応じ都市の全ての入り口を、巨大な石で塞ぐことができた。この地方の地下都市ではもう一つデリンクュのものが知られており、そこには4万人、カイマクルには2万人が暮らしていたと言われる。世界の7不思議の一つに数えられている。
2] ウチヒサール城
「とがった岩」と言う意味を持つ巨大な一枚岩の城塞を中心としている。城は、かつて岩山を住居として使った人々によってトンネル状に掘られた。定住の中心は岩の内部にあり、危険が迫ると隠れるようになっている。城の頂上からギョレメの眺めがすばらしい。この地方の岩の表面には多くの穴があいているが、これは鳩の巣で、昔から住民は鳩の糞を集めてブドウ畑の肥料に利用していた。
3] ギョレメ野外博物館
ギョレメの谷には30以上の岩窟教会がある。それぞれの教会には壁画や洞窟の特徴を示すトルコ語の名前がつけられていて、保存状態の良い、いくつかの教会内のフレスコ画を見ることができる。この博物館の主だった展示には以下のものがある。