(2) アンカラ
アナトリア高原の西寄りにあるトルコ共和国の首都。初代大統領ケマル・アタチュルクが1923年の共和国誕生と同時に首都に定めた。以来アンカラは都市計画のもとに急速に開発が進められ、トルコ近代都市のモデルとならた。現在の人口350万人。1997年12月には地下鉄(アンカライ)も開通している。
アンカラの歴史は古く、新石器時代から人が住み続け、ローマ時代にはアンキラと呼ばれて繁栄していた。アンキラと言う名前はアンキュラ(谷底)という言葉に由来しており、昔から地下水が豊富だった。オスマン朝の時代にはアンゴラと呼ばれ、1402年にはこの近くでチムール軍とオスマン軍が戦っている。
1] アナトリア文明博物館
アンカラ城の南側に位置し、オスマン時代の二つの建物(マフムートパシヤ・ベデステンとクルスフンル・ハンを改造したものである。展示されているものは全て、アナトリアからの出土品である。ヒッタイト時代の遺物を中心に、旧石器時代、青銅器時代、アッシリア植民地時代、フリギア王国時代、ギリシャ・ローマ時代の遺物となっている。
2] ヒッタイト時代の展示
鉄を発明したことで有名なヒッタイト人は、コーカサス山脈の北方より渡来したインドヨーロッパ語系の民族で紀元前1700年頃までにアッシリア商人を追いだし最初の統一国家であるヒッタイト古王国を樹立した。ボアズキョイ(ハットゥシャシュ)を首都とした。
そして紀元前1285年頃には東はメソポタミア、南はシリアまで及ぶ大きな地域を支配していた。彼らが勢力を伸ばした理由の一つには、優れた騎馬戦術を持っていたことが上げられる。
当時の冶金術を示すものはボアズキョイから出土した女神の座像をかたどった金のネックレスである。もう一つはドブレクから出土した青銅の小さな神像である。ヒッタイト古王国では青銅の神像は守護神として祭られていた。
ボアズキョイで出土した粘土板文書の一つにカデシュ(現在のシリア共和国ホムスの南西40km程)の条約に関するものがある。ヒッタイトとエジプトのカデシュの戦いの後に調印されたもので、アナトリア史上最初の文書条約として有名である。
3] カラカラ浴場跡
この浴場は3世紀にカラカラ帝が造ったローマ式大浴場。1939年に偶然発見された。広さおよそ20万m2。広大な敷地に事前運動施設、更衣室、蒸し風呂、温水、冷水室などの部屋が広がる。入浴時には、奴隷がふれて回り、男女時間を分けて入浴したと言われる。
4] アタチュルク廟
トルコ共和国の建国の父ケマル・アタチュルクをまつるために、1944年〜53年にかけて造られた霊廟。この丘は全アンカラを見渡せる位置にある。門衛の詰め所を過ぎるとライオン像が並ぶライオンロードと呼ばれる大理石の参道が続き、霊廟の前の広場に出る。建物にはアタチュルクの演説の一部が刻み込まれ、天丼のモザイクが美しく描かれている。
建物の奥が博物館になっており、アタチュルクの等身大の蝋人形や生前使用した形見の品々が展示されている。共和国2代目大統領イノニュの墓もある。