はじめに 「中国北方の地方都市の典型を見たければ平遥に行ってごらんなさい。城壁から宗教施設、住宅にいたるまで、明清時代のまちなみがそっくり残っているから。」風水を中心に中国建築理論を勉強していた留学当時、天津大学の王先生にすすめられ、平遥にはじめて調査のために向かったのは一九九五年の七月だった。天津から夜行列車に一〇時間ゆられて、朝方に山西省の省都太原に到着する。駅前から、オンボロのバスに乗り換え、南に向かって約七〇キロメートル、かなたまで広がる小麦畑やヒマワリ畑の中を二時間も走り続けると、灰色の城壁がみえてくる[(1)]。まちの手前でバスを降り、城門にむかうと、高さおよそ一○メートルの城壁に圧倒される。城内に一歩ふみこめば、まるで明清時代のまちへ迷い込んだような錯覚をおこす。古い門構えの住宅や店舗がたち並ぶストリートがつづくまちを歩けば、なるほど唐顯慶二年(一六五七)に建立された清虚観をはじめとした宗教施設も比較的よく保存され、住宅建築も清末以前のものが多い。とくに素晴らしいのは、建築が群として残っていることだ[(2)]。
そこで、とくに関心のあった住宅建築を中心に実測調査を始めると、意外なことに、先祖代々おなじ住宅に住まっている家族が比較的多い。北京のような人口の流動のはげしい大都市では考えられないことである。また、年中行事や婚礼、葬式といった儀礼も伝統的な部分を多く残している[(3)(4)(5)]。さらに、迷信を徹底的に排除した文化大革命によって淘汰されたと思っていた祖先や神々に対する祭りごとや風水へのこだわりも存在し、それらは住宅の中にシンボリックな装置として配置されている[(6)(7)]。