山から神楽宿へと走り下る山守
椎葉から流れ下ってきた耳川は、日向市で太平洋に注ぐ。耳川と大平洋とが接する辺りが美々津で、ここは神武東征の船出の地とされている。霧島山地から宮崎平野一体に濃密に分布する神武天皇伝説はここが北限である。
それはさておき、耳川にそって北上すること一時間、諸塚村に着く。さらに一時間、川沿いの道を溯れば椎葉村の中心地・上椎葉に着く。すなわち諸塚村は、椎葉と日向の中間辺りに位置する山の村である。
近年まで焼き畑農耕を伝え、いまなお林業と狩猟を中心とした生活形態を残す村は、広大な山岳に抱かれて、小さな集落が点在する。照葉樹の森が広がる山々は、そのほとんどが急な斜面で構成されているため、耕地は少なく農作業の折、つねに畑の土を掻き上げ続ける作業を繰り返さないと農地としての機能を果たさなくなるのだという。だが、厳しい自然条件の中で暮らす人々は、あくまでも逞しく、明るく、素朴で荘厳な神楽を伝承している。