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鬼八伝承をめぐって土蜘蛛と山姥 荒木博之

 

今から二十数年前の晩秋の頃である。私は高千穂町の居酒屋の一室で下野八幡宮司、興梠(コオロギ)弥寿彦氏、俳人の田尻恒氏を中心とする数人の方がたと盃を汲みかわしていた。「鬼八を愛する会」のメンバーたちだった。

私が高千穂地方に伝承されている「鬼八伝説」の取材にやってきたことを知って集って下さったのだった。

伝説では鬼八は神武天皇の皇弟、御毛沼(みけぬの)命に反抗する逆賊とされるが、地元、高千穂では、逆賊どころか、土地の人びとからあふれる好意をもって遇されている。そして興梠さんの次のような発言が私に衝激を与えた。

鬼八という男は女房を寝取られたり、矢取りでこき使われたり、間抜けで、あわれで、…そこが何とも言えない魅力なんですなあ、もっとも興梠という私は鬼八の子孫なんですよ、鬼八は土蜘蛛でここの土着民でした。

私の受けた衝激は痛烈なものだったが、その話に入る前に鬼八伝説の概要について述べておく。高千穂に伝わる話はこうである。

 

◎異族討伐説話◎

 

むかしむかし、鬼八は山野を自在に馳け回って狩りをする異族の首魁だった。足が早く「走健(はしりたける)」とも呼ばれた。鬼八には阿佐羅姫という妻がいた。またの名を「鵜の目姫」といった。鈴を張ったように目の大きなとび切りの美人だった。その阿佐羅姫に御毛沼命が横恋慕をした。命は手勢をひきいて鬼八を攻めその身体をズタズタに切り離した。しかし鬼八の身体は切られてもすぐ元通りになるので首・胴・手足をばらばらにして埋めた。それでも鬼八の霊は時々目を醒して唸り、早霜を降らすので「猪掛(ししか)け祭り」を行って鬼八の霊を慰めるようになった。

この鬼八の話は阿蘇にも伝承されていて、阿蘇の鬼八は健磐竜命(たけいわたつみこと)の矢取りの仕事をする従者だった。阿蘇神宮の祭神でもある健磐竜は神武の皇孫とされている。

ある日、健磐竜が往生岳から的石と呼ばれる大岩に向って百本の矢を射た。そのたびに矢を取りに行く役の鬼八はくたびれ果てて、百本目の矢は足の指に挟んで返した。激怒した命は鬼八の首をはねたが、首はすぐ元通りになった。そこで命は鬼八の身体をバラバラにして別々に埋めた。それでも首だけは天に舞い上った。その怨で早霜が降るようになった。そこで霜宮を建て鬼八の霊を祀り毎年八月十九日から六十日間、火焚き殿に御神体を移し、火焚き乙女が温め続けるようになった。

この高千穂と阿蘇に多少違った形で伝承されている鬼八伝説は、大和朝廷、あるいはプレ大和朝廷による異族征服の歴史を象徴的に語っている説話であることは明らかだ。

ところで、大和朝廷による異族討伐説話にこの鬼八伝説に極めて似ている話がある。それは吉備の吉備津神社を中心に伝承されている「吉備津彦と温羅(うら)」という伝説だ。その要点は次のようなものだ。

一、 温羅は身長四メートル、赤毛の角のようなこぶのある異形の鬼である(温羅を百済の王子とする類話もある)

一、 四道将軍の吉備津彦が退治することになり、吉備の中山に陣をとる。矢を放つが双方の矢が途中で喰い合い勝負がつかない。

 

 

 

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