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この種の飛天がはたして本来的な飛天であるかは検討を要する。曖昧な足の表現、そしてコウモリ型の羽の存在がこれらに対する図像解釈を難しくしているからである。

まず脚について言及すれば、これらの飛天は迦陵頻伽のように脚をつくり出していない。衣の表現からみて、おそらく脚があるという想定は許されるであろう。

つぎに有翼の飛天という存在が仏教図像の中できわめて少ない。中央アジアなどでは、ミーラン第三号寺址回廊腰壁に描かれた有翼天使二四本(壁画断片の一部はニューデリー博物館が所蔵・三世紀)やクチャ・スバシ出土舎利容器の蓋部に描かれた有翼童子図(大谷探検隊将来品・六世紀ごろ)、キジル石窟第三八窟主室窟頂右側のスタソーマ王本生図壁画などがある。しかし、これら中央アジアの作例にみえる羽はいずれも鳥型であり、コウモリ型は例がない。しかもこれらの作例と間元寺の作例の間には時代・地域の上でいずれも大きな懸隔があり、両者を直結させて考えるのは妥当でない。

そこで筆者は一つの可能性として、中国の伝統的モチーフの関与を指摘したい。中国では古来コウモリを「福」の象徴とみなしてきた。蝙幅の「幅」と「福」の発音が同じだからである。コウモリが仏教美術に登場することはきわめて僅少だが、中国の吉祥図案にはことのほか多く表現されてきており、その伝統は今日まで受け継がれている。

現在多くの日本人はコウモリを不吉なものとイメージすることであろう。それはコウモリが吸血コウモリやドラキュラを日本人に連想させるからである。しかしそのイメージが日本人に定着したのはごく最近のことで、欧米文化の影響によるところが大きい。近代以前の日本人は中国文化の影響を強く受けていた関係から、やはりコウモリを吉祥の象徴とみなしていたのである。

コウモリのような羽を有する飛天の表現は飛天に対する一般認識からなり逸脱しており、飛天としては希有な作例に位置づけられている。しかし、仮にこの飛天がコウモリの羽を有しているとしても、それは中国人にとって歓迎する

 

 

 

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