オペラが日比谷で行われ、すぐにだめになった。浅草で見世物の中に飲み込まれて田谷力三がやって、その流れのなかでエノケンが出てきた。ようするに浅草のいかがわしさと大胆さと精神性がごちゃ混ぜになっていた。今の浅草は、八時になれば殆ど電気が消えて寂しい町になって、本当の場末になってしまった。昼間は観光、夜は場末、昼だけが浅草の命になちゃっている。浅草の過渡期の混乱をちゃんと引きうけた面白さがあるのじゃあないですか。
木下……MAVOというと、ヨーロッパの最先端の芸術をそのまま日本に持ち込んだ、というのが美術史での普通の評価です。それを実現する場所が浅草だったというのが、私にはとても興味深いし、楽しい。こういう面白がり方は、五年前に『美術としての見世物』を書いた時の関心に繋がっているんです。当時、美術館の学芸員として、「今、俺たちがやっていることは、実は見世物ではないか」とふっと感じることがありました。普通は「いや、美術館はヨーロッパから採り入れた社会教育施設なのだから、見世物とは違う」と考えて安心し、「だから早く先進ヨーロッパの美術館に追いつこう」と自ら駆り立てるのです。山口さんが先程おっしゃった「そんなことをやっていたら見世物にすぎない」という言い方は戒めの言葉なのです。いまだによく耳にするので、見世物という言葉が現代社会の中でどう使われているかを少しずつ書きとっています。つまり『見世物用例集』を作っているのです。するといい意味ではほとんど使われなくて、大体が見下げたような馬鹿にした言い方の中に都合よく使われている。マイナスのレッテルなんですね。
山口……見世物は日本語と日本語以外の言葉が一番対応していない訳語の一つです。Spectacle Spectacularと英語にするとなんとなくかっこいいように思う人が多いんだけど、漢字にしたがらない。
木下……昭和の初めに見世物に対する学問的な関心がたかまってくるのですが、その後戦後はどうなのでしょうか。
山口……昭和二十年と二十一年に北海道で私は見ている。お祭りの時に来て小屋を建てて、死んだお母さんが夜な夜な乳飲み子に乳を与えるために仏壇からでてくる幽霊の話でした。しかしお祭りの恐い小屋とね見世物という一般的な言葉と結びつかなかった。見世物の実体をなす仮設性の面白さ、実際に我々一人一人が感じないで、むしろお化けの話とか、ホラー的なお化けの漫画を受け継いだのではないか。一回途切れたような気がします。水木しげるをはじめとするホラー漫画の世界にそれは蘇っていますが。仮設性の面白さをなんとなく感じ始めたのは、赤テントと黒テントの芝居がやり始めた時でしたね。
木下……日本で現実に続いている見世物小屋にはあまり視野に入ってこなかったのではないですか。
山口……河原のはかなさ仮設性、あの世とこの世の中間、見世物という言葉は注意深く使われなかった、避けられていた。
木下……文化人類学ではテクニカルタームとして見世物は論じられるけど、今も日本のどこかで行われている見世物は視野にはいっていなかった。民俗学でも研究の対象にされなかった。
山口……柳田国男が嫌いだったのでしょう。むしろ化け物が大好きだった岡本太郎がそうした化け物びいきを河鍋暁斎あたりから引き継いでいた。太郎自身が化け物の大入道という感じだったと思うのですがね。
木下……いかがわしさが日本の伝統を感じさせないというところから、はずされてきたというのは分かります。