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「良識」ある中流市民が求めていたのは、いつも「最後の見世物」の姿であったことを、多田さんはずっとずっと前から知っていたことだろう。

今年正月の大阪・住吉大社の興行では、多田さんは例年通り、大晦日の夜十一時から新年明けた朝の五時まで、マイクを握っていた。正月興行が終われば、春の花見の時期まで、しばしのシーズンオフである。多田さんは休みを待っていたかのように体調を崩し、三月に入院、手術を受けたが、もう手遅れだった。医者の薦めで一時退院、自宅療養は二カ月近くも続いたが、再入院して一週間余りであっけなく逝ってしまった。

死のひと月ほど前、通院加療中の多田さんは、電話口で次の商売のことを話していた。「ここんとこ、余りええことなかったからな。来年の商売は、ちょっとは良くなるやろ」。

多田さんは、見世物興行を止めるつもりはなかったのだ。

 

◎天幕の闇照らす「伝統」の灯消えゆく◎

 

チープな娯楽(スリル)にすぎないはずの見世物を語るのは、存外に難かしい。小屋に張り出された絵看板をアートとして評じてみても、呼び込みの口上を話法として論じてみても、見世物芸人の芸の質を問うてみても、虚空に天幕がハタめく風の音さえ聞こえてはこない。

見世物を語ることができるのは、おぞましくも懐しい、見世物小屋のアノ独特の雰囲気の中だけである。遊食とりどりの露店がひしめく一角に突如現われる事件現場のような人だかり、ほの暗い裸電球に照らし出されて珍奇異形の者が動めく絵看板、見てはいけないものを見ろと説く音量過剰の招き声、吸血女が噛みちぎるニワトリの真赤な血、女ターザンが吹き上げる炎の一瞬の熱風、蛇女が肌につたわす大蛇の生臭さ、隣り合う酔客の下卑た笑い、フリークス芸人のどこかイノセントな眼差し……もし、見世物に「伝統」という言葉を用いるなら、仮設の小屋に出現するアノLIVE空間そのものが「伝統」であったといえるだろう。わずか数日で消えてしまうLIVE空間だが、その舞台は「四肢切断のビッグ・ママ」たる中村久子女史や「エレファントマン」のジョン・メリックが身を晒した古今東西の見世物小屋の時空と確かにつながっていた。文明のテクノロジーがいかに進歩しても、人の因果はただ巡るだけなのだと見世物の「伝統」は物語っているようである。

多田さんは半世紀の間、見世物小屋の番人として生きてきた。多田さんは、数百数十年間に亘って受け継がれてきた見世物小屋の時空間="現場"をこそ愛していたに違いない。

残る二軒のマキツギの太夫さんも還暦をとうに過ぎており、舞台を退く日は近い。 ニッポンから、もうすぐ見世物小屋は消え去ってしまうだろう。人の世の果つるまで祭りは続く。しかし、私たちは、万人が抱える因果の安息の"場"を失うのだ。

〈珍奇世界社代表・仮設出版人〉

◎写真撮影はカルロス山崎、図版は全て「オール見世物」より

 

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祭り前夜の見世物小屋

 

 

 

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