日本財団 図書館


財団法人日本ナショナルトラストからのメッセージ

ターゲットにされやすい日本人…松浦和英

 

ある旅行雑誌に“旅の安全・海外編”を連載し始めてから十年が過ぎた。なにしろ、当財団の山岡通太郎理事長が国際観光振興会の理事だったころ、海外事務所との間に情報のレールを敷いてもらって以来続いているのだから、移り気な雑誌界にあっては奇跡的な長命企画といえるだろう。外務省が情報サービスをスタートさせたのは、ずっと後の話だ。

毎回、トラブルの具体的ケースをいくつか取り上げ、読者に同じ轍を踏まないよう注意を呼びかける仕組み。バブルや海外旅行ブームもあって、旅行者はウナギ上りに増えていたため、ネタには全く困らなかった。振興会も今のようなインバウンド態勢というより、アウトバウンドに力を入れていたので、旅行者の現地動向には敏感だった。

この十年を思い返してみると、初めは他愛ない事件が多かった。他愛ないといえば語弊があるかもしれないけど、スリ、置引、盗みなどがほとんどで、被害者の生命にかかわる事件はそう多くなかったという意味だ。ツアー客が団体で有名観光地をゾロゾロと歩く図式では、“怖い”事件も起きにくかったということだろう。米国や東南アジアの夜の歓楽街で、アバンチュールを求める男性相手にピストル強盗や睡眠薬強盗が時折起こる程度だった。

でも、様相は数年もたたないうちに素早く、確実に変わった。殺伐で、陰湿な事件が目立つようになった。スリ、置引などは日常茶飯事のケースとなって、ニュース価値はなくなった。これは世界的な貧困層増大、麻薬禍、犯罪者の凶悪化などが要因だが、同時に海外各地でサツビラを切ってのさばる“金持ち日本人”のイメージが固定したためでもある。FIT(個人旅行)が増えたのも狙われる一因だ。

今、危倶されるのは日本人だけをターゲットにする犯罪集団が世界中にはびこっていることだ。お人好しでガードが甘く、しかもお金持ちとくれば、狙わないほうがおかしい。プロに目をつけられれば逃れるのは難しい。

<(財)日本ナショナルトラスト評議員>

編集後記 昨年の秋、吉田東伍記念博物館が開館するというので、安田町に駆けつけた。一階は東伍の生涯、仕事関係、遺品などが展示してあったが、二階では、『安田を襲った山津波-洪水あって治水あり』の企画展が開催されていた。入り口には東伍の治水に対する思想がパネルにして掲げてあった。

「元未水の領分であったところを、遠慮なしに侵略するから、水のほうでもつい反抗してあふれ、水害を大ならしむるということは当たり前で、 つまり言えば、人間のほうから水の領分を侵略するから、水も時々わが旧領を取り返そうということになるのであろうと思います。」私は、すぐに佐藤真監督の映国『阿賀に生きる』のワンシーンとオーバーラップさせていた。暴れ川として知られる阿東野川が暴風雨の中、増水を心配する村人が堤防にたたずむ。阿賀野川をダシ風が通り抜け村人たちは煽られる。

私はこの映像に、風水の水脈をつきぬけていく龍蛇の姿を見たのであった。東伍が治水ということを考える前に、すでに川や水や風は生き物で、決して殺すことができない、殺してはいけないものだということを知っていたのだろう。

東伍のこの言葉は一九一〇年(明治43)に発表された日本歴史地理学会講演「江戸の治水と洪水」からのものである。博物館の渡辺史生さんは、東伍が治水と洪水に興味を持ち続けたのは、阿賀野川の教訓からで、農民にはとても大事なことだからでしょうと語ってくれた。

本特集号でもこのことに触れたかったが、紙面の都合で想いがかなえられなかった。東伍の引用をもう少し招介し、治水の項は次の機会に譲ることにしたい。「…水と共に生活して、水と共にたたかうということが、人間本来の性質です。」

東伍の終篶の地は、利根川の河口近くの銚子市ぞあった。風土を愛し、風土を生き物として取り組んできた東伍は、今日の大都市のように人間が風土から隔離され、いのちを感じなくなっていく姿をすでに予感していたのだろう。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION