仙田地区は渋海川流域の山間に点在する農村集落からなっている。この地は有数の豪雪地であり、多いときには深雪5メートルにも達する。この地にあっては雪から逃れることができない。厳しいが自然条件の1つである。現在では、主要道路は機械によって除雪されるから特別な大雪でないかぎり、車で外出するには大きな支障は起こらない。しかし、敷地内に積った雪、屋根に積った雪、屋根から落ちた雪の始末は容易ではない。特にお年寄りの世帯にとっては精神的にも大きな負担である。
この地にも最近、落下式・高床式・耐雪式・融雪式などいわゆる克雪住宅が普及しだしている。克雪住宅は雪にかかる労働の負担を軽減しているが、これですべてが解決するわけではない。
川西町にはスノーボランティア「夢雪隊(むせつたい)」がある。4隊80人余のメンバーで組織され活躍している。特にお年寄りたちが、雪に対してこれからも安心して日々をおくれるように支援しているのである。
この地区の過疎は深刻である。その本質はあとつぎがいないことである。そして20代30代の若者がごくごく少ないことである。昔とくらべれば世帯あたりの子供の数が減っているから、世帯数の減り方にくらべて人口が減るのはあたりまえである。しかし、あとつぎがいなくては家がなくなるし、村が滅びてしまう。過疎にともなってやってくる高齢化少子化は、この地区ではすでに超高齢・超少子化社会に入っている。この課題を解決することは容易ではないが、地区住民、関係する行政機関はお互いに智恵をだし協力し努力してことにあたる以外にない。各方面からのさまざまな支援が必要である。
【資料】
スノーボランティア
夢雪隊 むせつたい
《夢雪隊》の意味する(目指す)もの
1]雪掘りに苦労してきた一人暮らし世帯や、長年その出現を待ち望んでいた福祉関係者にとっての「夢の雪掘り部隊」となる。
2]「夢雪隊」は「無雪隊」につながり、対象世帯の屋根雪を無くしてしまうという活動を続ける。
3]「むせつたい」は「無接待」につながり、接待を受けないボランティアという性格を持つ。
4]これらを総合的に進め、「夢のある雪国の暮らしをみんなでつくる」という究極の目標を目指す。
《夢雪隊》のこれまで
<構想期>
●昭和60年代、高齢者世帯が増加し始めたことに伴い、福祉関係者から屋根の雪掘りをしてくれるボランティア組織への待望論が聞かれるようになる。
→これといった動きもなく、ごく一部の人たちの話題に留まる。
→公共的活動団体に結成の打診等があるも、立ち消えに。
<黎明期>
●平成5年頃から、町内の若者たちの活動が徐々に活発化する。
→イベントや学習会等で、各団体間の連絡がひんぱんに行われる。
→内外の人と人のつながりが大きく、深くなる。
●ボランティアの体験が意識を高める。
→平成7年、阪神大震災でボランティア活動を体験。
→「あったかいごはんを贈る運動」を展開、大きな反響がある。
→ボンティアの担い手として若者が重要であることを認識。
<草創期>
●平成7年、福祉関係者で除雪ボランティア設立に向けて具体的検討にはいる。
→「危険」「保証(ボランティア保険の対象とならない)」「担い手」「経費」「責任」という壁が立ちはだかり、前進しない。
●若い人たちの集団(YAROUKAI、商工会青年部、役場青年部)に検討依頼がある。
→壁は「歩きながら越えよう、壊そう」という考えで検討を進める。
→「心は奉仕で、活動はイベントで」という方向で結成を決定。
●平成7年12月、正式に活動組織を発足
→60人が参加。
→平成8年1月10日、除雪ボランティア設立総会。→マスコミ報道。
→平成8年1月14日「夢雪隊」初出動。
<活動期>
●初年度の対象は3世帯/3隊編成で活動。
●対象世帯は、各地域の民生委員の推薦(申請)に基づく要援護世帯。
→事務局である社会福祉協議会と夢雪隊の役員で検討して決定。
→出動回数は4回(隊)、延べ7世帯分。
●平成8年度は12世帯を対象に3班で活動/平日隊も発足。
→初年度参加者全員に意思確認→54名が参加意志。