ああ,こういうところでいつも自分は働いているのか,自分の日常と非日常とは何だろうか,そんなことをつくづく考えさせられる毎日です。
しかし,私たちがボランティアとして,あるいは見舞いに患者さんのところに行くときに,相手は一体どんな非日常と日常を折り合わせて暮らしているのだろうかと思ってしまいます。そういうものに対するイマジネーションや想像力がないと,とんでもない善意の押し売りをしているのではないかと思います。ですから,常に私たちの毎日の生活の中での日常,非日常は何だろうかを考え続けていくような訓練が必要ではないかと思います。
例を挙げますと,患者さんは窓の外を眺めるのが好きです。外の世界,自分の家,職場のことを思っています。そういうときに,どんな思いが去来しているのだろうか。そんな大したことは思ってないかもしれません。ラーメン屋に行ってラーメン食べたいとか,出勤している人が歩いているのを見て「あんなふうに歩きたいなあ」とか,いろいろ具体的なことを考えているかもしれません。あるいは「お墓をどうやって建てようか」「お葬式はどうやってやろうか」,そういうことを考えている人もいます。
しかし,その心根には,いまでは非常に距離のある存在,つまり自分のいままで何気なくしてきた毎日の生活に対して非常に愛しい共感を感じているのは確かなのです。
日常のいとおしさに共感する
患者さんというのは,自分の家での晩ごはんとか,仕事場のデスクなどをその病院の窓から非常にいとしく思っている,共感をしている私たちと同じ人間同士なのです。
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