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 「来てくれてありがとう」というのが遺言だったのでしょうか。終末にある人の「来てくれてありがとう」というのはたいへん深い言葉ではないかと思っております。

●Cさん―ワクワクすることをもっとやりたい
 もうひとつ,私と同年輩の男性の患者さん,Cさんの話をいたします。私も絵を描くのが好きなのですが,Cさんも大学の美術部に属していたらしくて,そこで奥さんと知り合ったと言っていましたから,絵の好きな家族だったと思います。そして病室にも自分の描いた絵が飾ってありました。Cさんもやはり苦しい闘病を経て召されていきました。
 亡くなられて何ヵ月かたちまして,奥様から遺作展をやるというはがきがきました。私は初日に訪ねて行きました。Cさんの人柄が現れたバランスのいい,色彩もタッチも素晴らしい絵がたくさん並んでいて,私もたいへん幸せな思いになりまし々会場の壁に奥さんが毛筆で書いた挨拶状が張ってありましたが,そこに彼の遺言とも思われる文言が書いてありました。それを読みながら,私はたいへん切なくて,何かこれは私に言われたのではないかと思ってしまいました。
 臨死体験をした人がベッドの上の自分のからだを天井から見ているといったような報告がありますが,私と同時代を生きてきた人が亡くなっていくのを見ますと,何か自分を外から見ているような気持ちがするときがあります。絵が好きだということも私に似ていますし,忙しく働きづめで日々を過ごしてきたというのも同じだったのです。そういう人が,終わりに奥さんへの感謝の言葉として,たいへんよい人生だった,君と出会えてうれしかった,と。そういうことを言った後で,「もし許されてもう少し時間があるとしたら,絵をたくさん描いて,ワクワクすることをもっとやってみたい」と書いてありました。それはまさに私にとって,「おまえは絵を描いてるかい? ワクワクするようなことあるかい?」という問いかけとして深く私の中に入ってくる言葉でした。

 

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