自分の心まで苦しくなる。自分の子供が手術でも受けるような事態になると,お母さんの心は狭心症にかかったかのように痛んでくるのですが,そのように愛する者の哀しい病状を見ると,自分の心までも同じようにうずく。みなさんも一度か二度はこういう経験をしたことがあると患います。相手のことが痛いほどよくわかるということ,言葉でわかるのでなしに,頭で気の毒だと思うのではなしに,本当に心で感じるということです。
現在でもアフリカのある国々では,毎日何万人という子供が食べるものがなくて死んでいるという現実があります。テレビで餓死する子供を見ると,「気の毒だなあ」とは思いますけれども,ただ単に同情するというだけではなしに,憐れんであげるのではなしに,もっと自分の心が痛むということです。キリスト教では,人間が罪を犯したり,間違いをしたりすると,神様も痛みを感じておられるといいますが,そういう深い人間関係が存在するときに,初めて私たちに癒しの心が生まれ,そばにいるということだけで痛む人,悩む人の心が支えられる。こういう心の癒し手が死の近い方々がおられるホスピスには必要になってくるのです。このような共感的な関係が自分と病む人との根底にあれば,癒しというわざが自然にそこで行われてくるのです。
癒しの意味するもの
“癒し”についてはさまざまの人がいろいろなことを書いています。女性研究者でのジーン・アクターパークは「癒しとは全体性を目指す生涯のためにある」といっています(『癒しの女性史』春秋社刊)。
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