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グループホームの住まいに関する調査研究報告書


    グループホームの住まいに関する調査研究 3 横浜国立大学 大原一興 横浜市内における知的障害者グループホームのケーススタディー調査 −報告書− 1998年1月 横浜国立大学工学部


      グループホームハーモニー

1-概要

住所 横浜市港北区大豆戸町1538 HARU宗久壱番館205

電話/FAX 045-435-2740

開設年月日 1994年7月

運営の主体 グループホームハーモニー運営委員会

支援、後援団体 なし

定員 5名

入居者数 男性3名 女性2名

建物形態 鉄筋コンクリート6階建集合住宅 2階3LDK2世帯分

2−開設まで〜現在に至る経緯

開設経緯 社会福祉法人の施設の作業所に通所する人の母親の中から、親が元気なうちに今生活している地域に近い場所に将来の生活の場が欲しい、という話が出て、グループホームがよいのではということになった
そこで施設の職員と一緒に勉強会を始め、メンバーもだんだんと増やしていった
運営面が心配であったが、家族中心で作っていたことや、他のグループホームを訪問し話を聞いたりして、A型ホームにすることを決定する
場所を変えての宿泊を重ね、入居者を決定し仲間意識を作っていった
また職員はその施設の職員の1人にお願いし、引き受けてもらうことになる
一緒にやっていく以上、母親同士の相性も大切な条件だった
1992年 勉強会を始める
1993年7月 話し合いを続け、1年後に開所することに決定する
1994年4月 住居契約
生活用品などの準備を始める
1994年7月 開所
開設まで約2年かかった

住居探しの状況 始めはいろいろと探していったが、だんだんと住居を探す条件が絞り込めてきて、入居者5人の足の便が良い所ということで、『菊名』に決めて探した
1994年2月 住居決定
住居を契約の際必用な契約金、3ヶ月間の家賃、職員の給与のことを考え4月に契約することにする
1994年4月 契約
自閉症という障害の特有さを考え、準備期間に3ヶ月設けた
1994年7月 開所

地域との関わり ほとんどない
開所したときも近所への挨拶はなし
非常に入れ替わりの激しい集合住宅なので

住居改造点 ベランダの仕切りをはずしたのみ
室内で行き来ができれば良かったが、壁内の配線の都合上無理だった

3-生活

生活日課 食事は全員で一緒に食べる
夏 18:30〜
冬 19:00〜
お互いのコミュニケーションをとることが難しい障害なので、食事時間をばらばらにしたかったが、結局一緒になってしまった
また季節感を出すためや、入居者が一定の時間に固執しないように、季節により時間を変えている

土日 閉所
土曜日の午前中には全員帰省
入居者が休日に外出しようとしたとき、入居者が1人で外出するのは難しいが、職員1名では対応が無理である
祝日は家庭や仕事の都合により開所

行事 家族と一緒の行事が多い
外出時はボランティア(有給)を頼むので、家族負担で行うこともある
・旅行
・職員の歓迎会
・飲み会 など
祝日に散歩をしたり、外食したりもする

4-職員

職員数 常勤 1名(男性)

勤務時間 16:30ごろ〜翌9:00ごろ
週に2〜3回宿直

職務内容 家事(掃除、炊事、洗濯)
またその周辺でトラブルが起きないように配慮すること
入浴順番の調節など
それぞれの入居者の生活の接点が無いように生活を組む

ボランティア アルバイト
・アルバイト 3名
職員の宿直外の日に宿直(学生)
・パート 4名
・午前中1〜1.5時間に掃除
・夕食作り
・不定期アルバイト
外出する際に頼む

職場等との折衝 実際に作業所は、グループホームではなく入居者の親と直接連絡を取る
グループホームとして入居者の生活を組むことは難しい

家庭との関わり 家族が運営者なので発言権は大きく、家族のほうからいろいろな意見が出る
運営の事務も家族が行う

5-入居者

主な収入 年金+仕送り(4名)
年金+給料(1名)

生活していく上での問題点
・入居者は本人同士の相性を考えて決めたのではなく、親の仲が良かったからグループホームを一緒に作ったので、本当は相性の良くないと思われる人もいる
・家事は入居者が手伝うことはなく、基本的に職員がすべて行うので、生活の上での自立ということには偏りができてしまう
自閉症なので、入居者間でのトラブルが起きないように、それぞれの生活の接点が無いような生活を組んでいるので、仕方が無い

グループホーム生活による変化
・自閉症の特徴である“物へのこだわり”が少ないほうが生活がよくなるということを、受け入れやすくなった
またこだわりを譲るのが上手くなり、やわらかくなった
・言葉でのやり取りができるようになった
・電話をかけられるようになった
・自己主張ができるようになった
よい面でもあるが、嫌と言うこともできるようになり、以前は嫌々していたことをしなくなった

6-建築形態

構造、形態 鉄筋コンクリート6階建集合住宅 2階3LDK2世帯分
(ベランダで行き来する)

規模 延床面積 115.7?u

建築年数 4年(1993年10月完成)

権利関係 賃貸借権

家賃 月31,4000円

建物概要
・居室 5室
・職員室
・台所、食堂
・居間
・浴室 2ヶ所(水光熱費節約のため現在は1ヶ所のみ利用)
・洗面所 2ヶ所
・トイレ 2ヶ所
各部屋エアコン付

共有空間
・食堂
食事時間外に、みんなで集まって団らんしたりすることはない
1名のお喋り好きの入居者中心に使われている
・居間
以前は時々気分転換のためにここで食事をすることもあったが、現在はあまり使われていない
現在は洗濯物干し場となっている

居室 家具は各自で持ち込み

便利な点
・グループホーム内で何か騒動が起こっても、新幹線の騒音で近所には分からない
新幹線の高架の真横に位置するが、近所に迷惑をかけることもあるだろうということで、わざわざこの環境を選んだ
・トイレ、浴室が2ヶ所
現在、浴室は水光熱費の都合で1ヶ所のみ使用
・冷暖房効果が比較的よい
・立地条件がよい
3駅へ徒歩15分以内
スーパーマーケットもいくつかある
・入居者の通勤、通所にも便利な場所にある
電車で通うことが、いい気分転換になる
・管理会社が外回りの清掃をしてくれる

不便な点
・室内の音が他へもれる
職員が入居者と個別に話しがあるときも他へ聞こえてしまう
・新幹線の高架のため日当たりが悪い
洗濯物が乾かない
・新幹線の音の影響が部屋によって違う
・台所が狭い
6,7人分の食事を作るために作られていない
幅広の冷蔵庫が置き場に入らず別の所に置いたので、使い勝手が悪い

グループホームでの生活を始めた娘

原田南海子 横浜市自閉症児・者親の会

「私はグループホーム『ハーモニー』で生活しています。他に四人と職員の人がいます。朝お弁当を作ってもらって、会社に行きます。電気部品の組立をやっています。5時頃『ハーモニー』に帰ります。六時頃に帰ってくる人もいます。私は着替えて英会話のテープを聞きます。会話が出来るようになりたいので毎日聞いています。他の人はテレビを見たり、新聞を読んだりします。
食事の支度は職員の人がやってくれます。買い忘れや足りなくなった物を買いに行ったり、どうしても作りたくなった時に自分で作ります。シーフードカレーを作った時、皆は『おいしい』と言っててくれました。
お風呂に入る時に洗濯機のスイッチを入れます。寝るまでの間、テレビを見たり、 ニュースのことを話したりします。自分の部屋にいる人もいます。十時頃に自分の部屋に行きます。分からない事がある時は職員の人に聞いたりします。きちんと教えてくれます。
金曜か土曜に家に帰ります」 (原田未来)

●この日を待ち望んでいたはずなのに

一年前の父の日、娘は自室の荷物とともにグループホームに移りました。はげしい雨の中、友人のお父さんが「おじさんは小さな引越便屋です」と快く運んでくださったのです。ベッド、洋服、本、そしてお気に入りのぬいぐるみなど、ほとんどの物と一緒に。マンションでの一人暮らしを夢見る彼女にとって、夢への第一歩です。
その夜、家の中は静まりかえって、空気までもが動きを止めてしまったように感じました。今さらながら彼女の存在が大きかったことを知らされたのです。一人っ子でもあり、なんとか将来自分の力で生活ができるようにしてゆくことが親の役目と考え、準備をしてこの日を待ち望んでいたはずなのに。なぜか、この日はもっと先のことではなかったかというような錯覚さえしたのです。彼女との距離がまた少し開いたように思いました。
グループホームでの生活が始まったある日、夜遅く、電話がありました。「お母さん……」どうも状態が悪いようですが、いつものことと、彼女の話を聞きながら返事をしていました。しばらく話したあと、「ごめんね。こんな時間に電話して、もうしないからね」と言って切ったのです。彼女も寂しかったのだと感じたのと同時に、他人への思いやりの心をもっていてくれたことを知ることができました。
会社からの帰り道に自宅にちょっと寄り道、30分くらいすると「では行きますので」と、グループホームに帰って行く彼女に、「今日は雨も降っているし、このまま家にいれば」と言うと、「いいの、帰ります」と冷たく言われてしまいました。これまでの経験を土台に、戸惑いながらも彼女は毎日を過ごしているのでしょう。

●スタートしてみたら

「何ができるようになったらグループホームで生活ができるのですか?」これは母親がまず気になることのようです。しかし、この問いに対しての答はないと思うのです。
グループホームは生活の場ですから、そのために必要なことは限りなくて、「○○ができるようになったら」というようなものではなく、援助してくださる人がいれば誰でも生活できる場にすればよいのではないでしょうか。
「うちの子は重度だから、とてもグループホームなんて」と考えていたら、そこまでです。どのような援助があれは可能なのか。しばらくは親の力も必要でしょう。でも将来のことを考える時、おのずとその答は出ると思います。

《親子関係の変化》
彼らはほとんど混乱もなく、グループホームでの生活を始めました。混乱を最小限にと考えて準備を進めてきたものの、やはり不安でした。でもスタートしてみると、拍子抜けするほど何事もなかったのです。
職員には「月曜日にまた会いましょうね」と言い、母親には「金曜日にまた会いましょうね」と言い、グループホームと自宅を住み分けている彼らです。
両親との関係も、お互いに離れている時間と距離が今までよりも気持ちの変化に現われて、以前より良くなったように感じられます。それぞれに存在を認め合って、新しい親子関係ができてゆくのかもしれません。

《身のまわりのこと》
親と離れて生活することへの心配(特に母親)は、身のまわりのことがきちんとできるだろうかということです。朝起きることから始まって、歯みがき、髭そり、髪型はどうか、衣服についてだらしのない着方はしていないか、時期に合った服を着て出ただろうかと、それは限りがないのです。食事も嫌いな物が出た時はどうしているだろう、自分の好物も食べさせてもらっているかしら、と。
言葉の少ない人であればうまく職員に意思が伝えられるだろうか、親と離れて精神的な自立は大丈夫なのか、など。
週末に「ただいま!」と帰ったた顔を見て、「あぁ元気でやっていたんだ」と安心するのです。職員の方に対しての不安ではなく、親とはこういうもののようです。

《他人と暮らすこと》
男女が一緒に暮らすことには、特に心配もしませんでした。これが自然かなと考え、異性への興味が現われた時に対応すればよいことであって、彼らには「女性の部屋を覗いちゃいけないよ」くらいでいいのかもしれないと思いました。職員に聞けば、「パジャマでウロウロするのは女性、男性はきちんと着替えて出てきます」ということでした。
彼らは仲間として意識しながらもお互い干渉せずに生活しています。仲間同士の団欒の形はないけれど、お互いにしっかり気になる存在なのです。
職員との関係も一、二カ月はお互いに探り合い、どこまで甘えが通じるだろうか、自分に対する反応を観察し、グループホームの中での位置を確かめているようでした。
親を必要としなくなる日がくることを願いながらも、その日がまだ先であってほしい気もします。
*
最近の、母たちの会話。
「この頃一週間が早いのよね。アッという間よ」
一年前には、「金曜日には必ず帰してほしい」と涙目になっていた人は誰でしたかしら。私たちもそろそろ自分のことを考える時期ですものね。

母親たちのグループホームづくり

原田南海子

五人の母たちがグループホームづくりに取り組んだ三年間、貴重な経験ができたことを嬉しく思っています。
母たちが「A型グループホーム」○を選んだのは、子どもたちの生活を、自分たちも実際に関わりながらつくりあげていけること、おしきせのものでなく手づくりで、しかも、つくっていく過程を楽しめるということがあったからです。

●まずは勉強会から

母親同士の会話にも「親が元気なうちに、今生活している地域に近い所に将来の生活の場が欲しいけれど、グループホームというのはどうなのかしら」という話が出てくるようになりました。そこで、ますはグループホームについての勉強会を始めました。20歳を過ぎて将来を考えるにはちょうど良い時期だったと思います。それまでにも既にグループホームを運営されている方のお話を開く機会もありましたが、その時はまだ子どもが高校を卒業して間もない時であり、親としてはしばらくは親元で生活させたいと考えていたのでした。
横浜やまびこの里の職員との勉強会を手始めに、メンバーも一人ずつ増やしていきました。 一緒にやっていく以上、本人同士の相性はもちろんですが、母親同士の相性も大切な条件だったと思います。他人まかせではなく、何事も自分たちで相談してやっていこうと考え、行動できる人たちでした。うまい具合にというか、それぞれにつながりがあり、男性3名と女性2名のグループができたのです。彼らの年齢は20歳前後。

●職員と入居者が決まった

既存のグループホームを訪問し、運営についての話を聞かせていただいて、なんとなく不安になりかけた時、「大丈夫できるわよ、期待しているから」と励まされたのはとても嬉しいことでした。
そしてグループホームでの生活で何よりも大切な職員については、どうやって探すのか、どういう基準で選んだらいいのか、あまり考えもまとまっていませんでした。ただ私たちの話の中で「グループホームの職員って、菅野さんがぴったりだよね」と言っていた、その彼が「受けてもいい」と言っていると聞いた時、世の中捨てたもんじゃないな、これでスタートできる、と思いました。
場所を変えての宿泊を数回、親も参加して楽しんだものです。宿泊を続けるうちに仲間意識も出てきたように思います。
自分の方から言う人たちではないので、お互いに拒否しなければ良しとして、この五人のメンバーを決めました。

●父親たちは「何それ」

横浜市在宅障害者援護協会(在援協)の小嶋さんにいろいろ関わっていただきながら話し合いを続け、再度親の意思確認をして、一年後の1994年7月1日、スタートを決めました。
準備を進める中、母親だけでなく父親を巻き込むことも大切と、父親と職員の顔合わせを兼ねての食事会を開きました。東やまた工房の施設長・関水さんにも入っていただき、グループホームについて話していただきました。でも父親たちにとっては「何それ」ということだったようです。日頃の夫婦の会話が一方的になっていることがわかる気がします。

●住居探し

入居者と職員が決まれば、次は住居探しです。知り合いの不動産会社を手始めに、紹介していただいた会社に足を運び、条件を伝えました。情報が入れば少しでも早くと思い、関水さんを運転手にあちこち走ったものでした。この頃は不動産のチラシを見るとつい部屋数を数える癖がついてしまっていて「1・2・3・4つじゃだめだ。6つなきゃ」と。
部屋探しを通じて何人もの人とお会いしました。「障害者が住む」ということは必ず伝えなければならず、もっと冷たい反応があるかなと思っていましたが、とても温かい対応をしてくださって、力になっていただいた方もあります。
これとは別に、金銭的な面で問題はありました。在援協からの助成金は7月からしかいただけないのです。私たちの考えでは、自閉症という障害の特有さを考えて4・5・6月の3力月の準備期間を設けることを考えていたのです。前年の11月から積み立てもしていましたが、住居が見つかった時に必要なのは契約金・3ケ月間の家賃・職員の給与です。
住居を探す条件について、はじめはしぼり込めていなかったものの、いくつかの物件(ここまでくると目も肥えてきました)を見る内に、5人それぞれの足の便の良い場所(もちろん母親たちが行くにも便利な所)を第一条件として、菊名に決めました。

●マンションを契約

菊名駅前の不動産会社に飛び込みで入り、条件などを話したところ、駅から徒歩10分のマンションを紹介されました。念のために家主さんに連絡をとっていただいたところ、その場で承諾が得られ、さっそく見に行きました。これが現在の住居です。
3DKを二つ背中合わせに借り、ベランダの仕切りを外せば行き来もできます。母親たちが気にする本人たちの声や音は、すぐ横を走る新幹線が消してくれます。新築で、部屋は六部屋、お風呂とトイレは二つずつ。ここに決めました。
でも4月からしか家賃は払えないので、すぐには契約ができないのです。仕方なく、「二月からは無理なので、とても残念なのですが……」と断りに行ったところ、家主さんから「4月からで結構です。契約は今していただきます」との返事。本当に嬉しかったです。契約金は積立金からと各自で出し合いました。
実現に向けてまた一歩近づけました。グループホームの名称も「ハーモニー」と決め、不協和音が出ることも少し心配しながら仕上げにかかりました。

●程良い関係を保って

職員もしばらくは住み込みになるので、4月初めに引っ越していただき、生活用品の準備を始めました。いろいろな方に声をかけて、いただけるものがないかお聞きして集め、不足しているもの、最初から新しく購入したいもののリストを作りました。これはとても楽しい作業でした。なにしろ母親が5人ですから。
5月には女性職員も決まり、各自のプログラムをもとに宿泊も始まり、組み合わせや日数を変えながら、7月のスタートの日を迎えました。
*
この3年間とても長かったようにも思えます。5人で経験してきたことは、大変といえばそうかもしれませんが、それ以上に楽しいことでした。楽しい仲間にめぐり会えて良かったと思います。これからが本当の大変さが出てくるのかもしれません。
スタートする日を決めた会議のメモに「親の関わりをなくしたくないことを前提にして」とあります。自分の子どもの生活が目に見えるところで、親も関わりながら、程良い関係が保てたら、それが一番望んでいたことかもしれません。

(注)A型グループホーム
横浜では横浜市在宅障害者援護協会(在援協)が助成・支援するグループホームをA型、社会福祉法人などが設立・運営するグループホームをB型と呼んできた。A型グループホームはバックアップ施設を持たず、運営委員会(任意団体)が運営を行なっている。このため少数の障害者や親が集まってでも開設することができる。市からの運営費・家賃などの補助金額は同額となっている。

5人集まったらグループホーム

菅野正裕
グルーブホーム・ ハーモニー

ムカシ派の障害児の母親はいつになっても「今と将来」が心配です。心配しすぎて、入所施設という極上チケットを手に入れることが、ただ一つの安心手形のように思いがちです。ところが、イマドキ派の障害児の母親はそうは考えません。「いろいろあるけど、なんとかなっちゃうのよね」ちよっと目の前が開けてきました。
アメリカや北欧ではグループホームというのがハヤリだ。専門家も、コレガ究極ノ地域生活デアル、と言っている。また外国のアタラシモノかぶれが、と疑いつつもだんだん真剣になります。二年くらい、ほとんど自分たちだけで話し合ってたどりついた結論は、できることをする、何から始めたらいいかを考える、という現実的な選択でした。
まず5人が住める家を探せと、不動産屋さんをまわろう。決断即実行というのもイマドキの母親らしいところ。自分たちが動かないと何も始まらない、という人生訓が身に染みついている人たちです。「子どもも私たちも若いうちが勝負よ」

●つくる段階に時間をかけすぎない

緻密な計画を立て、地域の根回しは十分に行ない……とにかく準備と、そのための話し合いに時間をたくさん使ってつくっていくのが今までの福祉のやり方です。ところが、グループホームはそういうつくり方はしませんでした。時間のかかりそうなことは「できるだけ先送り」です。心配し始めたらキリがない、原則を決めたらあとは最短コースを走るのみ。時間をかけているうちに、一緒に住むメンバーの生活状況が大きく変わることもあるのです。
自分が動いた分の果実を、自分の子どもが、自分の目の前で、受け取ること、これが目標です。とにかくスタートさせて、補助金のいただける段階に、できるだけ早くもっていく。のんびりしていると、手持ちの資金(出した人は当然メンバーの五人だけです)も、予約した不動産も、つかまえた職員も、すべて一からやり直しになってしまいます。

●ハイできあがり、ここからが大事

施設でも作業所でも親たちがつくったものは、できあがった段階で母親パワーがダウンします。専門家や職員、あるいは少数の親に運営のほとんどがゆだねられがちです。イチ母親としては、いつまでもはかかわっていられない(時間をとられたくない)、みんなでゴチャゴチャ言ってたらまとまらない(運営者も職員も口出しにイイ顔をしない)……大体こんなところでしょうか。
でも、それで満足はできないし、母親として思い描いていたような「生活」を子どもがおくっていける保証が得られるようには思えない。それまで家族と暮らした生活のエッセンスが、次の暮らしにどのように溶け込み、活かされていくかが、グループホームでの居心地の良さを決定します。そこには時間の限られた面接や、形式的な調査紙から推し量れないものがあります。ですから、グループホームはスタートしてから相当の長い間、家族が直接的に運営面からかかわって、生活から読み取れることをその都度、本人や職員と話し合っていくことが大切です。本格的な話し合いは、むしろスタートしてから始まるのです。

●ワガママすなわちケアレベル

グループホームは家庭的といっても、今の補助金システムでは、少なくても4人、多ければ7人の共同生活です。これに、必要な数のスタッフが「一軒の家」に入ります。自由な生活が売り物のグループホームですが、こうなると普通の家庭と同じサイズゆえにかえって、ワガママにも限度が引かれます。集合住宅だと周囲への配慮も大切です。
そこのところで、ともするとワガママに映るようなことを「個人の希望・夢」としてどこまで実現していくかが、その場のケアレベルの一つのバロメーターになると思っています。
しかし、実際の生活は複雑です。例えば健康面で医師からストップがかかっているようなことについて、それに反して本人の要求が強かったりするような場合です。医療的なケアと本人の要求のどちらを提供するか。中間的なサービスを模索することも含めて、家族の意向が重要な判断基準となる場面ですし、まさに高いケアレベルが要求されます。

●グループホームは誰のもの

横浜市内には現在百軒ほどのグループホームがあり、そのうち約3分の1がバックアップ施設を持たない運営委員会による自主運営です。職員の人件費と家賃の補助は横浜市からありますが、十分な金額ではありません。入居する障害者やその家族がかなりの金額を負担することで成り立っていることを考えると、やはり将来は心配です。当面の目標は24時間、365日の複数ケア態勢ということになり、実現にもう少しというグループホームも出てきています。
そこにいたって障害者と家族がひとつの安心にたどりつくのでしょうが、 一方で公的な補助や個人の負担が大きくなると「誰めためのもの」という基本的なことが見えにくくなってきます。特に自閉症の方たちは本人の積極的な意思表示によって入居しているのではないことが多いので、これから十分な議論が必要です。






























































































































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