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高齢者ケア国際シンポジウム
第5回(1994年) 日本の高齢者ケアのビジョン


まとめ

財団法人笹川医学医療研究財団理事長
日野原重明



昨日から今日までの2日間にわたった本シンポジウムは、私たちが5年間を通して考えた最後のシンポジウムとなりました。
昨日、私は基調講演の冒頭に、第1回から第5回までを通したコメントを述べましたが、いままた皆さまがこの5回を顧み、そしてもう一度ビジョンという原点に立ち返って考えられるために、少しの時間を使わせていただきます。
1990年に開催した第1回シンポジウムのテーマは「不安のない高齢化社会をめざして」でした。この題をつけた理由としては、日本は他の国と比べ寝たきり老人が非常に多く存在したこと、寝たきりになることで人に迷惑をかけて死にたくないという高齢者が非常に多かったこと、さらに、痴呆に対する研究の遅れ、老人医療・福祉施設の不足、痴呆性老人をもつ家族への社会的・地域的配慮の欠如等から、ぽっくり病で死にたいと望む人が多いという事実から、このテーマを掲げたわけです。
そして第2回には、「痴呆性老人の介護と人間の尊厳」をテーマとして、倒れて骨折したり、失禁したり、そしてさらに痴呆になるという老人症候群のなかで、特に立ち後れた痴呆老人の介護の実際について、そのなかでの人間の尊厳とはなにかというテーマを扱いました。
第3回目のシンポジウム「ゆとりある生活環境と自立」では、高齢者の生活環境、また、物理的・自然的な環境以外に高齢者の内的な環境をどのように整えるべきか。その内外の環境を整えながら、高齢者が生きる内的な環境のなかで最もたいせつな自立についての考え、そして自分が生きていることの意義を考えることがいかにたいせつであるかを強調しました。
第4回目のシンポジウム「高齢者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)」では、最近非常に流行し、いまだこのような場で話されたことがなかった「クオリティ・オブ・ライフ」という、この生きることの質についてのテーマが取り上げられました。高齢者のクオリティ・オブ・ライフを生活、セクシャリティー、そして孤独の問題をも含めて考えたのです。
そして第5回は、いま一度原点にもどり、ケアのビジョンを考えました。
5回にわたるシンポジウムには、外国から56名、日本からは102名の合計158名の方々が参加していただきました。これは文字どおり世界中の専門家がどのように努力してきたかを、単なる自国のモデルではなく、福祉先進国であるがゆえに行ってきたモデル・チェンジを教えていただいたわけです。
自動車のモデル・チェンジは、使う側の要望が強力であるがために行われますが、高齢者はそのようなことをなかなか訴えません。つまり、なぜ高齢者のケアがおろそかになったかといえば、それは黙して語らずであったためです。そして、最もたいせつなことは、死者は語らずです。私たちはこの語らない死者に対して、私たちの医学や看護、あるいは生活科学が、いままでは反省しなかったことを問題にしているのです。
高齢者のケアには、高齢者の生き方のケアと同時に、死に方のケアが含まれています。私たちはリンゴのようなもので、それが熟して地に落ち、そしてなかから種がこぼれ、その種が次のジェネレーションをつくる。そのように、私たちは生まれたときから死という種、すなわち死の遺伝子をもって生まれ、そして、最後は死ではなく、遺伝子を残すのです。これは輪廻の思想のようなものです。
死者は語らずではなく、死者は語っているのですが、私たちには聞こえないのです。私たちは盲目なのです。このように私たちの考え方をまず変えることが重要です。そして、この根本的な思想が世界各国共通のビジョンとして存在すべきだと私は考えます。
私たちのビジョンは、苦労をして生きてきた高齢者、死んでいく高齢者をどのように愛するか、いかに自分以上に愛するかということです。
そして、あなたがいま看護するように、またケアするように、いつかあなたがケアされる日が必ずきますよと若い人に申したいのです。自分が反対の立場になったときに受けたいと思うケアを、学生のときから習慣的に行う訓練をすべきです。
愛するということ、他の人を愛することは、そのまま自分をたいせつにするということに還元されます。この愛なくしては高齢者ケアはなく、ただ絵に描いた餅であるといえましょう。その餅に豊かなカロリー、エネルギーを投与するためには、どうしても愛を取り込まなければならないのです。
ヒポクラテスは「人への愛のあるところ、医学、看護への愛がある。技術への愛がある」といっています。愛は普遍的なものであり、そして愛は、だれを愛するかという非常に個別的なものです。その愛を私たちはどのように提供するか、その技術をわれわれはお互いに共有しなければならないのです。
私はこのシンポジウムで、教えられたことが多々あります。それは、私たちのビジョンは、歳をとった人間をひとまとめにし、能力のない者、考える力のない者、あるいは痴呆老人であるとみるのではなく、もっと個別的に高齢者をみて、そして接しなければならないということです。
その個別性が非常にたいせつであると同時に、どのようにすれば生存の質を向上させ、健康的な平均余命を延ばすかという科学的な研究、すなわち健康な高齢者をつくるための予防医学をいまから始めなければならないのです。
私たちはいま、島根県吉田村で1つの実験をしつつあります。その村は、65歳以上の高齢者がすでに25%(平成6.11)を越えていますが、そこにボランティア運動を起こそうとしています。65歳以上の老人が25%もいても滅入らず、ほんとうに生き生きとした老人のふるさとを私たちはそこで実験的に築き上げようとしています。
今回の講演で、韓国のキム先生が看護の抜本的な改革が必要だといわれました。つまり、健康な高齢者の健康維持および増進、すなわち予防が看護であるといわれました。これは、看護・医学・介護が一体化するような状況をいい、いままでの医者と看護婦、そして介護士の役割を変えなければならないということです。私たちはここで勇気をもった役割転換をする必要があります。
そして先ほど、アメリカではターミナルケアにおいて癌で亡くなる人は、ナースが訪問して死の判定をし、ドクターには電話で知らせるということがもうすでに認められているとの報告がありました。必ず死ぬということが分かっているならば、また科学的に医者との共同作業においてターミナルケアが認められているならば、ナースが死を宣言あるいは死後の措置をしてもよいのではないでしょうか。あとで医師が行き、診断書を書いてもよいと思います。
私は3つのVとして、1つはビジョンのV,1つはベンチャーのV、そしてその勇気ある行動によってビクトリーのVが勝ちとられます。法律は破らなければ改められません。そして法律を破ったときに、それを支持する対象があれば執行猶予になるわけです。私はそのような意味において、ビジョンをもつ人はやはり命がけでビジョンを目指しながら、新しい物の考え方でこれを実行すると同時に、その意味するところをよくPRし、ただただ行政にいうのでなく、世論にまず訴え、そして世論が支持するような教育的な働きが医師にもナースにも、その他の医療従事者にも必要であると考えます。もっと私たちは、病む患者だけではなく、いつ病むかもしれない一般の人々のための健康教育を行わなければなりません。
私たちのビジョンは、高齢者のビジョンに狭く集結するのではなく、バックグラウンドには健康な人がいることを考えて、もっと視野を広くしなければならないと思います。
最後に私は、昨日の講演で「よいケアとは」ということを私なりに表現しました。もう一度繰り返させていただきます。老いた住民や患者は、ハンディキャップのある、または病的条件下にありながらも、真心のこもったケアを受けることにより、人間としての生活の質が格調高く保たれ、生きていることの意義が当人に実感されます。そのようなケアをよいケアといいます。ケアの評価は、ケアを与える者ではなく、ケアを受けた者の評価でなければならないのです。
ここで、若い人にいいたいことは、若い人は高齢者へのケアの提供の経験のなかで、あるいは小学生からのボランティアとなって老人をお見舞いする経験のなかで、自分が将来老いた日に、自分が自分をもっとセルフケアできるように、老いるまでに自分を形成し、そして心身ともに自己を鍛える。私のいうビジョンとはその根底に教育と努力が強くあるのです。近代国家、近代社会とは、高い教育によって支持されている国をいいます。
日本は近代国家となり収入が増え、そしてぜいたくにはなりましたが、それと同時に高齢者に対する尊敬の念が失われてきました。貧しい時代には高齢者への尊敬がありました。貧しい国や時代ほど、親や老人への尊敬の念がありますが、富んでくると老人への尊敬がなくなるという、この矛盾を私たちは重大な問題として考えなければなりません。
しかし、東アジアでは家族というものの位置づけがいまなおあります。家族というのは、いままでは女性に頼っていましたが、そうではない家族、また家族に負けない友人の支えも期待されます。そしてそれがボランティアの気持ちでなされ、一方、苦難をも共にする家族と、それを支える公的な援助がなければならないと思います。
わが国には高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略というビジョンがあります。しかしこれは10年で変わってしまいますが、愛することは変わらないビジョンです。私たちは、各国の先進国から知識を学ぶのではなく、知恵を学ぶ。老人の知恵を学び、そしてその知恵のもとに、私たちは変わらないゴールを目指す。そしてその方法論として、科学を取り入れながら、それぞれの地域社会や国の現状に応じて、科学をどのように適用するかを学ばなければなりません。
皆さまがこの国のビジョン、あるいは行政のビジョン、あるいは皆さまの事業、あるいは施設のビジョンを立てながら、その経験を分かち合う集いをもっていただきたい。そしてそれは、医師だけの会やナースだけの会ではなく、このケアに参与する者が平等に、そして患者や家族までが参与するような集いが将来栄えていくことを希望して、私の最後のあいさっとさせていただきます。皆さまのご参会を心いっぱいの感謝の言葉をもって御礼申し上げます。ありがとうございました。





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