●司会
金子郁容 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授
●パネリスト
訓覇法子 ストックホルム大学社会福祉学部研究員
小武家洋 産業医科大学医学部学生
中村順子 神戸ライフ・ケアー協会理事
長倉利仁 WAC静岡・静岡さわやかサービス事務局長
早坂信弥 老人給食協力会ふきのとう職員
和田恵美子 千葉大学看護学部学生
【司会(金子)】それではパネルディスカッション「各世代からの提言」を始めます。本セッションは、さまざまな立場からご参加いただいておりますが、最初は専門的な観点からではなく、ご自身の体験からお話しいただきたいと思います。また、「各世代からの提言」というテーマではありますが、あまり世代にもこだわらず、自由にお話しいただきたいと思います。
進行としてはまず、それぞれのパネリストから5分程度の自己紹介を兼ねたご発言をいただき、その後、質問等に移ります。
それでは長倉さんからお話しいただきたいと思います。よろしくお願いします。
【長倉】私は、静岡で有償の在宅援助サービス「ワック静岡」という団体の代表を務めています。私の本業は、実はサラリーマンで、38歳になるただのおじさんです。
本日は、ワック静岡という家事援助サービスの話をするのではなく、1人のサラリーマンとして日ごろよく感じていることを話したいと思います。
まず、私がワック静岡という団体をつくりたいと思った理由は、あるとき父親が寝込んだのですが、そのとき、将来わが家でもだれかが介助をしなければならないときがくると気づいたのです。これがそもそもの発端でした。しかしなぜそのように感じたのかといえば、その当時静岡では、家族に要介護者が出たとしても、他人がサポートをするというシステムがまだできていなかったのです。
そこで、ないのならば、つくらなけれぱならないと思ったのです。そのときが私がボランティアに参加するきっかけであり、同時に団体をつくるきっかけでもあったわけです。
いまもそうですが、家族に要介護者がいても、私のような多くのサラリーマンは、なかなか現実的に介護するということができません。これは、介護は女性が、つまりお嫁さんや奥さんたちがやればよいという意識が何となくあると同時に、企業に介護のために休暇を取るというシステムがまだまだできていないのです。企業の一員としては、私のようにボランティアで活動することがあまり望ましいとはいえないという状況が社会の風潮としてあります。このようなことが現実問題として、サラリーマンがなかなかボランティアという世界に参加できない理由だと思っています。
私も、ボランティア活動を行っている人間の1人として、私の活動に企業がもっとサポートしてくれてもよいのではないかと思っています。
高齢社会あるいは高齢者白身に対して、マスコミの報道は、何とか早く対策を講じなければならないといっています。しかし、男性参加が具体的な方策として講じられていかなければ、この問題は基本的に解決していかないだろうと思っています。
そこで、私は将来の高齢社会への期待を込めて、次のように感じています。それは、男性の社会参加を増やしていくためには、企業が自社のイメージ戦略という切り口ではなく、なにもない、ほんとうに無償であるという考え方でボランティア活動に参加することが必要ではないかと思います。これは、企業を支える1人ひとりの自発的な行為ということがその土台になければならないわけですが、そのためにはやはり企業がボランティアの世界に入れるような土壌を地域につくっていくということをいままさに行わなければならないのではないかと強く思っています。
そのためには、意識のあるボランティアの方々が、その地域、地域で、高齢者を支え合うための組織づくりをしていかなければいけないのではないだろうか。そしてそこに企業の方々の組織運営のノウハウや、あるいはボランティアとしての協力が必要ではないか。また、企業のなかでボランティアを行うことが罪悪であるとはいわないが、それに近いニュアンスがあります。それを取り除くための努力、たとえば啓発活動やあるいは評価表彰制度などを考えていかなければ、やはり男性参加は望めないのではないかと思っています。
高齢社会は、だれにとっても未経験の世界であり、社会システムとしても、支え合うということがまだ確立していません。男性が、企業だけにとどまらず、広く地域社会に溶け込むというのが非常にこれから望まれる社会、それがよい社会ではないかと思います。これが私の1つの夢なのですが、その問題の解決策の1つとして、先ほど申し上げましたような企業内努力、あるいは地域の努力等がいまほんとうに必要であると考えています。
【司会】海外から参加されている方々のためにコメントをしたいと思います。
金子郁容
長倉さんは放送局に勤務されており、そして同時にボランティアや地元の非営利団体の協会の活動にも参加されています。このように働きながらボランティアで活動するというのは、わが国ではきわめて珍しいことなのです。
文化的な違いもあることから、誤解を避けるためにコメントさせていただきました。
【和田】いままでのように、立派な先生方のお話ではなく、一学生の話ですから、気楽に聞いていただきたいと思います。
まず最初に、私は短い期間ですが、病院で看護婦として働いていました。そこでほんとうに多くのことを教えてくださった高齢者の患者さんに感謝の気持ちを込めたいと思います。
核家族化の進むなか、すでにいわれているとおり、いまの私たちの世代は高齢者と接する機会がほとんどありません。その類に外れることなく、私も高齢者との同居経験がありませんので、地域で元気に生活している高齢者の姿は知らないに等しいと思います。
専門的な知識のない人の意識が知りたいと思い、先日、私が所属します看護学部の1年生にアンケートを行いました。その結果、やはり感じたことは、この学部にいるということもあり、関心はあるのですが、やはり高齢者のことをあまり知らない。話題となる医療や福祉サービスの不十分さを指摘してはいるのですが、その現状は分からない、というものでした。
ここで、看護婦である私が、患者、ひいては高齢者という立場を理解することになった1人の患者を紹介したいと思います。
Tさんは63歳の男性。慢性呼吸不全のために常時、酸素吸入を余儀なくされており、長年、入退院を繰り返している方でした。実習時に学生として受け持たせてもらった私は、彼を精神的に励ますなにかのきっかけにならないかと、星野富弘さんの詩画集を勧めました。それから2人の間でさし絵入りの交換日記が始まったのですが、実習後も彼は毎日欠かさず書き続け、合計7冊のファイルが出来上がりました。最初は色鉛筆の絵だったのが、最後は水墨画のようになり、高齢者という立場をいま経験し得ない私たちが学はなければいけないことがそこにはたくさん詰まっています。
ここで彼の言葉を紹介したいと思います。
平成4年1月13日、老いるということを考える。私ももうすぐ64歳。時は止まることなく、容赦せず、だれにでも年輪を与え、それを積み重ねていきます。寝たきり、独りぼっち、邪魔者扱いなどの老人、悲しいことです。老いも若きもともに手を取り合って、心温かく生きていきたいものです。
2月9日、車いす妻に押される身となりて 夫なる務め果たせぬつらさ。
4月23日、同室の患者に87歳の老人が2人おられるが、そのうち1人は奥さんが毎日、介護の手助けに朝早く病室にみえて、小言をいいながら、こまめに世話をしておられます姿を見ると、私自身、不治の病で余生短い命、夫婦は老後はこうあるべきがいちばん幸せだなと思います。
長倉利仁
1年以上入院生活をしていると、いろいろな夫婦の悲しい別れをみてまいりました。私も療養所にきて、夫婦が遠く離れ、女房のありがたみがよく分かるこのごろです。
平成5年2月1日、如月。私たちの37回目の結婚記念日です。37年間を思い出してみると、いろいろと苦難の道を歩んできたが、こんな私についてきてくれた女房の心中を考えると、心から感謝したい。自分が病気をして、多くの人と心の交流をもって初めて、ほんとうの幸せとは愛と心をもって人に接することではないかと、このごろやっと分かってきたのです。
2月14日、バレンタインデーに娘から義理チョコとクッキーを贈ってもらう。おそらく娘からのプレゼントはこれが最後かもしれない。よく味わって食べなくては。
私はこの体験を実際の臨床でも生かしてみようと思い、さまざまな年齢層の患者に同じ本を勧めてみました。それぞれその人なりのとても興味深い反応が返ってきたのですが、そこで1つ分かったことがあります。若い人たちが「これからも頑張っていこう」と未来に目を向けるのに対し、高齢者の人は必ずといってよいほど、過去、それまでの自分の人生を振り返るのです。自分の歩んできた道のりを自分なりに整理しようとする。
Tさんも、鉛筆をもつ力がないなか、奥さん、娘さん、息子さん、それぞれ最初で最後のメッセージを残して亡くなられました。自分が年老いたときの社会になにを望むか。医療や福祉サービスの充実と、多くの人が直接的な要件を答えます。しかし、ほんとうにそうでしょうか。みんなが実は最も不安に思っていることは、最後まで人問としての尊厳を保って生き抜けるかということなのではないでしょうか。
直接的な要件は、これを満たすための根本的な条件ではあります。しかし、それだけではないはずです。むしろその不足した部分のひずみがいま、表に出ているといっても過言ではありません。不足しているもの、それは高齢者に対する尊敬の念だと思います。
多くの人が思う、「だれの手も借りずにひっそりとやっていきたい」ということは、結局他人の援助を受けることによって自分というものを失ってしまうくらいならば、少々不自由でも最後まで自分を見失わずに生きていきたいということなのではないでしょうか。高齢者のクオリティ・オブ・ライフをどのように守るか。それがいま私たちに課せられている課題です。
これからの高齢者ケアは、援助する側の質が問われてくるだろうと思います。高齢者がほんとうに気の合う、ケアしてほしい人材を自分で選ぶ。人数をどうする、回数をどうするというような、いまの援助する側の都合だけを考えたものではなく、もっとケアを受ける側の気持ちに目を向ける姿勢が必要なのではないでしょうか。
一方的に行われるケアではなく、真の意味で必要とされるケア、これが理想です。そのために必要なのは教育だと思います。年老いたときに他人の援助を必要なものとして受け入れるという発達課題をこなせるような教育。そして、幼いときから高齢者という立場を知り、助け合うことの意味を知る教育。互いが持ちつ持たれつの関係であることを肌で感じることのできる教育が必要です。
若い世代から高齢者を引き離してはいけません。彼らがいま突然現れた存在ではなく、自分たちと同じ、そしてずっと長い道のりをたどってきたものであることを若者に伝えなければならないと思います。
【司会】ありがとうございました。昨日からの討論で、日本型、北欧型、アメリカ型等、さまざまな福祉の形があり、簡単にいえば、「高負担・高福祉」にするか、「低負担・低福祉」にするかということで、いま日本も税制問題を絡めいろいろな議論が行われています。そのなかでやはりノンプロフィットのNP0の存在は日本でも徐々にクローズアップされるようになりました。
もちろんアメリカではいちばん多いのですが、たとえばニューヨークシティでは、市の職員が40万人いるときに、NP0のペイトスタッフ、有給の職員が30万人いると聞いています。つまり、若い人がキャリアを選ぶときに、NP0をキャリアとして選ぶということも可能であるという、そのようなパスができていると聞いています。
次にお話しいただく早坂さんは、大学を出てからすぐNP0の専従職員を選ばれた方です。お話をいただきたいと思います。
【早坂】私が高齢者と最初にかかわったのは、わが家の曾祖父、曾祖母、そして祖母の3人です。そのときはなにも意識はせず「あ、うちにいるんだな」と思っていました。いま、「老人給食ふきのとう」という団体にかかわり、初めて、高齢者といってもいろいろな人がいる。その人の生きてきた年月がそのまま現れている。
1つは、不用品を集めては家の中をいっぱいにする人。それを、地元の人々は火事が起こるとたいへんだとして非常に反対する。隣り近所から苦情がくることで、福祉事務所が調整して、ゴミを年に1回程度片づけるのですが、そのゴミがトラック2〜3台分ぐらいになる。また1年たつとゴミが集まってくる。
そのときに思ったことは、地域のなかでどのように老いていくのか。そのときに地域の人たちとどのように協調していくのか。どうすればわがままに地域のなかで暮らしていけるのかが非常にたいせつではないかということです。
私には、自分が老いるというイメージがみえません。自分がこれからどのように生きていくかが、まだ分からない年代なのです。自分がどのように老いていくかというよりも、いまみえているのは、どのように死んでいくかという部分が非常にリアルにみえています。
今年の夏は非常に暑く、うちの会で食事を届けていた人が3名ほど亡くなりました。そのときは非常に死が身近に感じられます。たまたま病院に入院して亡くなる。また、配食した次の日に亡くなっていたなど、非常に身近に感じています。
和田恵美子
私は、高齢者になったからどうこういうのではなく、死という手前までどのように自分が生きていけるか、また、高齢者に対してどのように生きるかを自己選択、自己決定する場をつくっていけるかではないかと思います。
食事を届けているなかに、公団の4階に住んでいる人がいます。足が悪いのですが、そこにはエレベーターがない。この人にとって4階までの階段の往復は、1日1回ないし2回が限度です。そうすると、どこかに行きたい、いろいろな人
と会いたいという場がおのずと限定されてくる。そして何となく老いていく。このような老後はだれも望んではいません。いろいろなところに行きたいし、そのような場を地域のなかでどのようにつくっていけるかだと思うのです。
私がこのような活動にかかわったのは、たまたま子供会をやっていたということと、卒業を控えある意味で利益追求型ではない、もう少し緩やかなところで人生が送れないか、との理由からです。いろいろな部分の問題がみえるなかで。いまNP0的な組織である「ふきのとう」にかかわっています。
私は、この「ふきのとう」の活動や高齢者問題というのは、すべてどのように地域で生きていくかという「町づくり」ではないかと思います。そのときにたまたま高齢者や子ども、そして健常者や障害者の問題があっただけではないか。それらを含めて、どのように地域のなかで自己選択、自己決定の場を増やしていけるかという活動ではないかと思っています。
【司会】ありがとうございました。それでは、この4月から大学に入ったばかりという、小武家さんお願いします。
【小武家】私は福岡県の北九州市からきました。まず身近な話題からお話しいたします。
私には2人の祖母がいますが、81歳と75歳になります。祖父は10年以上前に亡くなったので、2人とも長年住み慣れた古い家でそれぞれ1人で暮らしています。近くに住む母が時々様子をみに行きます。私は帰省したときは2人に会いに行きますが、とても喜んでくれます。
父方の祖母は、「歳をとるとひとり暮らしは寂しいものだ」と時々漏らします。いろいろ話を聞いてみると、歳をとるにつれて、身近に世話をしてくれる人がいること、また、できる限り若い人を含むいろいろな世代の家族に囲まれて暮らすことを望んでいるようです。私も兄も姉も遠くの大学に行ってしまい、気持ちとしてはだれか身近にいてほしかったようです。
母は、祖母が頑固で困っているようですが、81歳で短歌をつくり、新聞にもよく投稿しているようですが、あの程度の元気さはあってもよいかなと思います。
父は昨年上京し、東京で単身赴任をしています。祖母は、父から「東京に出てこないか」と誘われたようですが、結局長年住み慣れたところを離れたくないということから、母が郷里に残っています。しかし、養老院には行きたくないと漏らしています。
早坂信弥
母方の祖母は75歳になりますが、毎週、習字と革製品づくりを習っています。その帰り道に私の家に寄り、話をして帰ります。
母は、母方の祖母も、父方の祖母と同様に、頑固になっていやだと愚痴をいいます。周囲の者に好かれながら美しく老けるということはたいへんだと痛感しています。
2人の祖母はそれぞれ個性豊かで、強い性格です。しかし、歳は争えないなど思うことがあります。それは、表面的には強がりをいっても、内面的には父や母、そしてわれわれ孫を頼りに思っているようです。
父方の祖父は私の記憶にはありませんが、母方の祖父は私が中学3年のときに亡くなったのでよく覚えています。70歳を超えるまで現役で働き、脳血栓で倒れて1週間で亡くなりました。家族にもあまり迷惑をかけない、潔い死に方だったと思います。私もできればあのような死に方をしたいと思います。
さて、老人のケアについて意見を述べさせていただきます。
まず、何といっても各市町村は高齢者の実態調査をすべきだと思います。高齢者がどのような状態でいるのか。家族はなにに困り、なにを望んでいるのか。高齢者自身はなにを悩み、なにを望んでいるのかを正確に把握する必要があると思います。そのような実態を把握したうえで必要な対策がなされるべきです。私の郷里でも、残念ながらそういった調査はまだなされていないようです。
高齢者のケアは次の2つの視点からなされるべきだと考えます。まず1つは能動的ケア、もう1つは受動的ケアの2点です。
まず能動的ケアとは、だれでも、できる限り人の世話にはなりたくないというのが心情です。できる限り長く健康で、社会的なつながり、地域とのつながりを保ちながら、仕事とか趣味に生きられるようにすべきです。そのように仕向けることが、あるいはサポートすることが、身近な家族の務めだと思います。
しかし、身近に家族がいないときが問題だと思います。そのために、地域単位で健康面、生活面の相談にのれるアドバイザーを設置すべきだと思います。アドバイザーには市町村の職員としての資格を与えるのがよいと考えます。
家族が中心になって動けないような高齢者の場合には、高齢者の意見をよく聞いて、関係のある医者なり保健所なり職業安定所なり文化センターなりボランティア協会なりのいろいろなネットワークをつくり、高齢者がでさる限り長く自立して生きていける支援システムを確立すべきではないかと思います。
また、地域にはホームドクター制を確立すべきです。地域の一人ひとりの健康状態を正確に把握し、医療面から適切なアドバイスができるホームドクター制は重要な要素と考えます。健康・生活アドバイザーはネットワークの中心になり、高齢者の意見、要望を聞き、ネットワークの関係者のアドバイス等を基に、最終的に高齢者各人に合った健康・生活のメニューを決め、'関係者の支援を仰ぐといったやり方がよいと考えています。
いずれにしろ、高齢者が心身ともに健やかな生活が送れるように支援すべきです。病気にならないための施策にもっと力を入れるべきです。
次に受動的ケアについて。これは、1人で生きて行けず、介護、支援が必要になったときのケアをいいます。このケアを受けるのはできる限り短くすべきです。このケアは、ケアを受ける側も、提供する側も、最もたいへんだと思います。この場合にも、前に述べた健康・生活アドバイザーが中心になるべきです。しかし、この場合の高齢者に対するメニューづくりには、医者の役割、福祉施設の役割がとても大きくなります。
このケースこそが若者の活躍の場が多いと考えます。高齢者支援の中心的役割が担えるのではないでしょうか。高齢者を車いすで町に連れ出したり、入浴させたり、力のいる作業は若者向きです。そのような支援をボランティアに頼る方法がありますが、それは長続きしないのではないでしょうか。それならば、もっと現実的に、若者が支援した時間なり日数は登録制にするなり、チケット制にするなりして、自分が歳をとったときにそれを活用するか、チケットは自分の家族の高齢者のために活用するとか、方法はいくらでもあると思います。若者を中心とした介護によって、高齢者自身が生きるエネルギーを与えられること。また、高齢者の家族への支援にもなるという役づくりは大きいと考えます。
若者のエネルギーというのは、単に肉体的に介護するという意味だけではなく、若者の笑顔やはつらつとした行動をみたり、励まされたりするのは、精神的な支えに大きな役割を果たすのではないでしょうか。いろいろ見聞きする範囲での介護の必要な高齢者の世話は、世話をする家族をむしばんでいるように思えてなりません。もっと社会的な支援が容易に受けられるようにすべきです。老人が見捨てられた状態で社会から葬り去られるということは絶対に避けなければなりません。
また、現代は若者と高齢者が遊離してしまっているように思います。両者の関係はもっと近づけるべきです。人間はだれもが年老いていくので、私を含め、われわれ若者がこれからの高齢者ケアに少しでも力になれればと思っています。
【司会】いま、小武家さんから、チケット制という言葉が出ましたが、英語では一般的にはサービス・クレジット、日本では時間預託制ともいっているものです。それらを含めて、十数年前から神戸で地域ケアを行っている中村さんにお話をうかがいたいと思います。
【中村】神戸からきました中村です。世代からの提言ということですが、私は40代に属しています。ご存じのように、第1次ベビーブームのときに生まれた世代で、この壇上に7人の方々がおられますが、7分の3までがその世代に属しています。さてだれかはご想像にお任せいたしますが、会場の皆さんはいかがでしようか。
どこに行きましても、この40代の団塊というのは非常に多い世代です。私たちは、数が多いがゆえに、時代をリードしてきたという自負心をもっています。これは新しい文化の形成であったともいえるのではないでしょうか。
ニューフアミリーという言葉がありました。これは私たちがちょうど30代のころに、子どもを2人、3人生み、親子という上下の関係ではなく、新しく家族像として、友達のように子どもと日常つき合っていく、横並びの家族像に象徴される言葉であったと思います。
小武家洋
また私たちは嫁として、あるいは娘として、自分の親、両親をみていく。しかし、私たちの子どもには絶対老後は世話になりたくない。あるいは、多分ならないと思うのですが、そのような最後の世代だと思います。
私自身も、家では夫の母と同居しています。また、近所に私の両親がおり、常々見守りに行ったり、励ましに行ったり、いま、3人の親をみながら、また地域では340人のお年寄りの世話をしています。私たちの世代は、30年先、つまり日本の高齢がピークを迎えるときに、社会の荷物になりたくない、ほんとうに自立して生き生きした老後を送りたいと、切実に願う世代であるともいえると思います。
さて、神戸にこられた方は、あの非常に美しい町に魅了されると思いますが、私もその一人で、終生、あの町で暮らしたいと思っています。そして、子どもが2人いますが、いずれ巣立ちます。平均的にいくと、多分夫より私のほうが7年か8年、余分に生きなくてはいけません。その最後の7〜8年、1人で生活をせざるを得ない場面を迎えたときに、どのようにしてあの町で暮らしていけるのだろうか。少し前から、私もその問題を真剣に考えるようになりました。
非常に坂の多い町で、外出は移送手段がないと移動できない町です。そのために、在宅で、ほぼ外出不可能な状況になっても暮らせる町づくりをいまから行おうと思いました。10年、20年、30年、そのようなスパンで自分の生活を見直しながら地域づくりを始めたのがきっかけです。
とりわけ、在宅を構成する要素としてたいせつなのは、生活の支援をするサービスがいかに整うかだと思います。買い物、調理、洗濯、掃除、あるいは外出の介助、薬取り、病院への通院介助、そういった生活のニーズが整備されれば、老人にはつらい検査づけの病院、あるいは終末期にも過度な医療という病院へ行かなくてすみます。
また、老人ホームはどうでしょうか。小武家さんは先ほど養老院といわれたので、私は驚きまして、若い方がいまだにそのような言葉を知っているのかなと。その言葉に象徴されるように、ほんとうに預かってもらうというのでしょうか、預かってやるというのでしょうか、生活、人間の質が保障されないホームです。個室はほとんどありません。他人のいびき、他人の出す排泄物の臭い、全部混ざったなかで食事もしなければいけません。そのようなところでは、私は我慢できないので、老人ホームには行きたくないのです。今日はホームの関係者がたくさんこられていると思いますが、私はほんとうにそう思っています。やはり地域サービスが整えば、行かなくてすむケースが増えると思います。
私たちライフケア協会というのは、12年前、こういった運動が日本で起こり始めたときに、神戸で新しく有償でホームヘルプ事業をやっていこう。そして、お年寄りのニーズにこたえながら、歳をとっても、障害をもっても、暮らしていける町をつくっていこう。そのようなコミュニティーを目指して活動を始めたグループです。
中村順子
現在は、約850名のボランティアが、年間に400人程度のお年寄りをホームヘルプに、あるいは痴呆性老人のデイサービス事業にということでお世話にあたっています。
この制度はたいへん受けました。12年前、なにが有償でボランティアだ、ボランティアは無償でやるべきだということで、ずいぶん批判も仰ぎましたが、いまやこのホームヘルプの事業の主流は有償になってきているのではないかと思います。
これは、利用者からみますと、気がねなくサービスを頼めるシステムだということです。実際、私たちは12年間、同じお宅に訪問し、週3回、決められた曜日、決められた時間に必ず訪問して、サービスを提供しています。
逆に、頼むほうになったらどうでしょうか。12年間、全くただで他人に、雨の日も暑い日も寒い日も決まってきてもらうにもかかわらずなにも支払うことができない。なにを渡したらよいのか、かえって気遣われると思います。だからこそ、利用するほうも適度な謝金を払うことによって、一方的な関係から解放されることになります。利用者からありがたがられているシステムの1つです。
2つ目に、担い手のボランティアのほうからも、私たち、主婦層が非常に多いのですが、夫の給料を持ち出ししないで活動ができるということです。そして、1か月に平均して7〜8回出動して、ボランティアの方が手にされる謝金は、交通費を入れて1万円程度です。それくらいの謝金でも、非常に責任感がわき活動が継続します。担い手のほうも喜んでいるわけです。
3番目に、団体の運営からしても、この有償というのは欠かせない条件の1つです。さまざまなニーズにこたえていくために事務所が必要です。そして多くのメンバーにいろいろな情報を流していく電話も必要です。通信費もかかります。これらをカバーするために財源が必要になってきます。それをいま、利用料の1割あるいは2割のなかから事務所経費、連営費に回しながら連営しているのが団体の現状です。
こういった3つの問題からしても、この有償制が非常にたいせつなのではないかと思います。
ところが、私たちの団体、神戸ライフケア協会は純民間型団体としては、日本でも大きい団体に属しています。いま、純民間型の団体が全国で200余りできていますが、その200をみてきますと、5人、10人、あるいは30人、40人ぐらいでやっている弱小のグループです。みんな団体の運営に非常に困っています。困っているにもかかわらず、地域のニーズはますます増えてきます。個人の意思、善意、あるいは非常に小さなグループの限界を超えようとしているのがいまの高齢者のニーズです。
昨今の負担論議をみてください。昨日、厚生省の新ゴールドプランの説明がありましたが、あのプランが実行されたとしても、家で寝たきりになった場合、週6回のホールヘルプの派遣は望めません。せいぜい3回程度だと思います。
また、家族の介護力もあてにできないような状況が一方にあるわけです。やはり私たちのような、ともに助け合っていくような団体が、地域コミュニティーに共助システムとして必要だとつくづくいま思っているところです。
地域の助け合いシステムというと、すぐに連想するのが、向こう三軒両隣りという非常に古いタイプの近隣づき合いです。ところが都市部では、特に他人にプライバシーのすべてを公開していくということに対しては警戒されます。新しい地域というのは課題別にいろいろなエリアがあってよいと思います。
見守りは近所。しかし、一歩ドアのなかに入っていくサービス、私たちのようなホームヘルプ事業は、隣り町のヘルパーさんがくるとか、課題別に地域エリアも設けながら、公・民がお互いに住み分けていく。そのような共助システムが必要なのではないかと思います。
組織としてそれを運営していくために、たいへんな問題を目の前に抱えています。人・物・金・情報、すべてありません。かろうじてあるのが人かなという程度です。ただし、人につきましても、ほとんどが主婦を中心に構成されていますので、会の運営は不得手です。ぜひとも男性が入ってきてほしい。なおかつ、早坂さんのように、就職の先として私たちの団体を選んでいただけるような、そのような財源の確立も必要です。
物もありません。自宅を解放して、その一室で、電話1本、ファックスで活動しています。ほんとうに多くの団体がこのような実情ではないかと思います。このようなないないづくしのなかで頑張っているのが私たちのグループです。ただし、団塊は頑張ります。団塊の世代は、非常にエネルギッシュです。
どうか、皆さん方のいろいろなお知恵を拝借しながら、私たちを活用していただいて、30年先には生き生きとしたお年寄りが町のなかにあふれているような、そのような地域をつくりたいと願っています。
【司会】いままでの発言をうかがっていますと、全体としては、地域とか町づくりなど、多様な要素がどのように協力するかという話になってきているのではないかという感じがしています。最後に、訓覇さんよろしくお願いします。
【訓覇】参加者の全員がはっきりとした問題意識をもっているにもかかわらず、なぜ日本は変わらないのだろうと考え込んでしまいます。中村さんなどはゴールドプランをつくる人になったほうがいいと思います。日本の行政はもっとこのような人たちの声を聞げば、もっと早く変わっていたのではないかという気がします。私もまた、団塊の世代の1人として出てきました。
私がスウェーデンに行ったのは20代の終わりでした。そして30代をすごし、いま40代の半ばにいるわけです。だから、今日は研究者というよりは、40代を生きる1人の女として話させていただきたいと思います。
日本の現状に対して、私はかなり海外で暮らす生活が長くなりましたから、距離をおくという意味で、日本がいまどのような立場にいるのかを迫られたら、先ほどお話しいただいたことに補助できるのではないかと思います。
40代半ばということは、人生の半分を生きたことになります。若いときには、老いがずっと先のほうにあったわけですが、40代になると、老いの日が確実に、否応なく近づいてくるという気がします。
ただ、老いとは、自分がどのような心境に陥るのか、どのような生活をしたいのかがなかなか想定しにくい。
1つのエピソードですが、スウェーデンは比較的日本の人が、ヨーロッパのロンドンとかフランクフルトなどに比べて少ないのですが、それでも60代を迎えようとする人が出てきました。ある日突然手紙がきて、在住日本人でシニアクラブをつくって、日本人のためだけのサービスハウスをつくり、日本人スタッフで、日本人のホールヘルパーで日本食を食べる。そのような計画でストックホルム市の当局と交渉したいというのです。そのための生活実態調査を行いますという手紙が届いたのです。
私もはたと考え込み、歳をとったときに、日本人に囲まれて、日本食を毎日食べて、そのような生活をしたいだろうか。なにか非常に異様な気がしました。自分で自分の生活を決めたい。いまからシニアクラブに入って、このようにしていっしょにグループとして活動していくのはなにかいやだなと思い、そのアンケート調査を捨てたのです。
問題はあるにしても、このごろ、歳をとるのはいやだとか、こわいとか、あまり思わなくなった。それがスウェーデンにいるためなのか、団塊の世代のためか、それは分からないのですが、先ほど中村さんが話されたように、戦後のベビーブームに生まれて、戦後民主主義、平和の息吹のなかで教育を受け、高度経済の成長政策も経験し、安保闘争も経験した。これらから、団塊の世代は、私の親という先の世代に対しても、後の世代に対しても、もう1つ違った独特のアイデンティティーをもつ世代だと思います。
これはおかしなことに、スウェーデンにもいえることで、スウェーデンではやはり40代というのはまた特別なアイデンティティーをもっています。どのようなことかというと、スウェーデンでは福祉国家の発展とともに生きてきた世代で、40代の人たちが労働市場に出て、それによって保育所をつくり、介護というものを公共のものにしていった。非常にそのようなバイタリティーのあるグループです。いま、その世代が、日本とは少し違い、閣僚、つまり政治の担い手になっています。
そのような意味で、福祉国家をつくり上げてきたという自負心もありますから、スウェーデンにきてほんとうによかったと思うことはたくさんありますが、なかでもよかったなと思うことが2つ。女っていいものだな、捨てたものではないと思ったこと。もう1つは、歳をとるのも悪くないなと思ったこと。この2つというのは、あとでよく考えたのですが、日本ではデメリット、つまりあまりメリットではないのです。
日本では私も何度か、「男だったらよかったのにな」とか「女のくせに」とか、いろいろといわれてきて、お年寄りの姿にも当時はそれほど魅力を感じなかった。孫のお守りでもできればまだ重宝されますが、寝たきりになったり、お金もなければ、それこそ家族からも社会からも、どっちかというと隅のほうに押しやられる。敬老の精神とは全く別で、邪魔者扱いにされているというのが率直な老人像だったわけです。
いま、給食費を600円取るという話が出ていますが、「働かざる者食うべからず」で、スウェーデンというのは、歳をとれば栄養食が1日2食は必要だから、国が助成金を出して安くする。それと比べるとかなりの違いだと思います。
だから、女ということと年寄りというこの2つ、あまり得にならないことが、18年前に行ったときにすでに、実に生き生きとしていた。だれよりも生き生きとしていた。存在がキラキラ輝いているというか。かといって、別に特別の生活をしているわけではなく、普通の生活を普通の人がしている。そのようななかで存在がキラキラ輝いている。
それはなぜなのだろうと私自身が考えていくわけですが、皆さんの発言のなかでもかなり重要なキーワードが出ていましたが、やはり自分の生活を自分で決めることの権利、自己決定の権利、そして他人に依存しないで、経済的にも依存しないで生きることの自立という問題、これが決して特別な人だけに特別なところであるのではなく、いわゆる安心してみんなが普通に暮らせる。そのような生活の安全のなかで息づいているということです。
つまり、簡単な言葉でいえば、たいせつなものを切り捨てないでも生きられる。そこがデメリットの人たちの生活を生き生きとさせていると思ったわけです。
先ほども非常に若い人がぽっくり死にたいというのが願望だといわれましたが、皆さん、ぽっくり死にたいと思う方、ぼける前にぼっくり死にたいと思っておられる方は、どれほどおられますか。
私も最初は、ぼける前にぼっくりと死ねたらいちばんいいと思っていました。ところが、そうはいかないのです。いまは、長生きします。特に女の人は長生きしますから、長生きをすればするほど、痴呆老人になる可能性は増えるわけで、リスクは非常に大きい。だから、ぽっくり祈願では、とてもではないですが、生きられないのです。
ではどうすればよいか。痴呆になったとき、ぼけたときにどのような生活があるのかが次に非常に重要になってくる。スウェーデンの痴呆老人のケアは非常に国際的にも進んでいます。グループ住宅や痴呆老人のケアがきめ細かにされている現場をみると、別にぼけても、このような生活ができるならば心配ないかと思うのです。このような生活があるという1つの安心感というか、ゆとりというものが生まれてくると思います。
生活の安全とは、よく考えると、1人で一生懸命貯金をし、老後のために蓄えていても、なかなか確保できないものです。それは社会そのものが、政治が、そのような努力をしていかないと、美しく安心して老いられる社会というものはできないのではないか。それが日本と北欧、スウェーデン、デンマークの違いではないかと思います。そのような意味で、公共というのは非常に大きな意味をもってきます。
訓覇法子
幸せとは、それは自分が決めればよいことで、社会がどのような生き方が幸せかということを決めるわけではなく、ほんとうに幸せな生活ができるかどうかを支えていく外的な条件は、もっとたいせつなことだと思います。
私自身も、自分の棺桶に足を入れるときに、「ああ、生きいてよかった」と、思って死にたい。だから、自分の生活を決定する権利は、最初で最後の権利であると思います。いままで一生懸命働き、社会にも貢献してきたのであるから、せめて人生の最後ぐらい安心して死にたいわけです。びくびくと不安をもって死んでいくのではなく。これは決してぜいたくな希望だとは思いません。とてもささやかな人問としての権利だと思います。
そのようなことを考えていくと、福祉という言葉は、内面的な幸せという意味と、物質的な豊かさという外的な条件がありますが、この2つがそろったときに初めて福祉というものが存在すると考えられます。
日本の社会で、先ほど申し上げました、女と年寄りというデメリットがメリットになるときに、初めて普通の生活を可能とする。つまり、美しく安心して歳を重ねられると思います。
このように考えていくと、福祉は、困った人や貧乏な人、そして老人や障害者、そのような人たちだけのものではない。つまり、自分が生きている生活の豊かさというものを取り上げていく。それはすべての人の、一部の人だけではない、やはり市民の権利ではないか。
やはり人と人との接点、先ほどいわれました町づくりやコミュニティー、人との触れ合いなど、そのようななかでどのようにすれば楽しく、そして生きがいのある、生き生きとした生活ができるのかという出発点、原点になっていくのではないかと思います。
私自身の経験でしたが、お話にかえさせていただきます。
【司会】ありがとうございました。さて、これからディスカッションに移りますが、まず私のほうからいくつか補足的にうかがいたいと思います。早坂さんと長倉さんは組織の活動もされており、先ほどは団体の紹介をあえてあまりなさらなかったのですが、このような機会でもありますし、外国からの方もおられるので、少しご説明いただきたいと思います。どのような思いでどのような活動をしているのか。なぜその活動に自分が参加したのかを含めてお話しいただきたいと思います。
先ほど訓覇さんから、日本にいると「女のくせに」というデメリットを感じることが多いといわれましたが、この分野では逆に「男のくせに」といわれることも多いのではないかと思います。長倉さんのほうから補足的に説明していただきたいと思います。
【長倉】「ワック静岡」が発足したきっかけは先ほどお話ししたとおりですが、具体的にどのようなことをしているのかといえば、私がいちばん重要視したかった点は、助け合いの社会をつくりたいというのが基本的な夢なのです。助け合いの社会をつくるためには、やはり無償のボランティアだけで頼っていては、組織として考えた場合、システムとして考えた場合には弱いのではないか。つまり、システムを円滑に運用していくためには、やはりそこには参加した方のメリットがなければいけないのではないかと考えました。
そこで思いついたのが有償制であり、あるいは時間預託制であったわけです。時間預託制も有償制も、両方ともわれわれの単体は取り入れており、なにをするのかといえば、具体的にはホームヘルパー何級というライセンスは必要はない。あればあったにこしたことはないが、すべてボランタリーな気持ちで参加していただき、その資格のあるなしにかかわらず、すべて均一の謝金をお支払いする。あるいは、均一の時間預託ができる。たとえばライセンスのある人ならば介護、ライセンスのない人は家事援助、たとえば留守番や調理といった分野で頑張ってもらうというシステムです。
ただ、いま、このような活動を開始してまだ間もないのですが、1つ団体として考えた場合、弱いと思うのは、やはりビジネスマンがいないことから、非常に企画力がないというか、運営力がないというか、ボランティアでやっているのだから、別につぶれてもかまわないのではないだろうかというニュアンスが非常に強いのです。私は会社で5時まで働いて、5時以降をこの活動にあてていることから、簡単につぶれたり、わけが分からなくなってもよいということでは、私自身は納得できないわけです。したがって、ここにどのような形でもよいから、組織で動くという考え方を導入したいという思いがあり、先ほどの「もっと男性参加を」という話につながるわけです。これが現状です。
【司会】次に早坂さんお願いします。
【早坂】「ふきのとう」活動は、会自体では約11,12年になります。最初のきっかけは、1つは地域のなかでたまたま広場があり、そこが冒険遊び場運動という、子どもたちが廃材を使い、2階建ての小屋や火をたいてもよいという、都会型の活動をしていた場所が行政の施設にかわることになったのです。そのときに、新しくできる広場に火を残してもらいたい。また、自由に広場が使えるような場所をつくってもらいたいというところから会が始まり、署名運動を展開したのです。
いまでこそ、車いすのお年寄りを見かけるようになりましたが、10年ほど前には、ほとんどみかけることがありませんでした。実際に署名運動でいろいろな家やアパートにうかがうと、そこにはお年寄りがいる。どうして出てこれないのだろう、この人たちと出会える場をつくればよいのではと考え、会食がスタートしたのです。
その後、毎日型やいろいろなイベント等を行っているうちに、いままで会食にきていた人たちが具合いが悪くなりこられなくなった。それでは配食ができないだろうかと考えたしだいです。
イベントも最初は、南オーストラリアのミールゾン・ホイールズから講師を招き、具体的にどのような食事サービスを日本のなかで展開していけるだろうかと、日豪シンポジウムを企画しました。また全国各地から、会をつくるにはどうすればよいのか、食事のメニューはどうすればよいのか、なにをつくればよいのかなどの質問が寄せられ、その結果、「ふきのとう」の3年ないし5年の活動をまとめた書籍や10年にわたる献立を1冊の本にまとめるなどの活動をしています。いわゆる地域のなかで主婦が集まり、身近な問題をどのように解決していけるかを議論しています。
地域といったときに、1つは行政サービスがありますが、サービスだけではどうしてもすき間的な部分が埋められないのです。もう1つは、行政の制度です。制度は非常に必要であるし、ある意味で公平性が必要な部分だと思うのですが、ただ実際に地域のなかをみたとき、そこからもれる人がいます。それを地域の主婦の視点からどのように提言し、具体化できるかという部分で「ふきのとう」は活動しています。
【司会】ありがとうございました。いままでのディスカッションでは、町づくりのなかでケアをしていこうとか、地域として支えるとか、それを組織的に行うにはどうすればよいかなど、徐々に問題点が浮かび上がってきました。それでは、地域とは何かというのは意外と難しい問題だと思います。
私自身も昨年4月に、東京の中野に小さな非営利組織をつくって運営しています。専業主婦で子育てが終わった人だけが地域ではないはずなのですが、結局のところ、そのような人が圧倒的に多いのです。私なども、「金子さんは地域、地域というが、地域とはなにかを知っているのですか」とお吃りを受けたりもします。地域といっても意外と分かっているようで分かっていないのが現実です。
先ほどの訓覇さんが話されたシニアクラブではありませんが、同じような人が同じようなことをするということにもなりかねないと思います。本日は世代という切り方をしましたが、歳、性別、そしてややもすると地域ケアは民間対行政の対立でとらえられることが多い。もちろん行政の役割はたいせつですが、やはり企業やサラリーマンという軸もまた必要なのではないか。先ほど「女のくせに」「男のくせに」という話がありましたが、そのようなデメリットをいかにしてメリットに転換していくかという話が必要になってくると思います。
中村さん、たとえば、困ったことやうまくいったことなどの具体的なお話をお聞かせください。
【中村】困ったことは、あまりにもたくさんありすぎますので、うまくいった例を少しお話ししたいと思います。
私たちは、ホームヘルプの10年の歴史のなかでいちばん困っている家族をみてきました。それは、歩ける元気な痴呆老人を抱えた家族です。何とか家族の負担軽減のために日中お預かりできるような小さな家を地域に借り、お友達の家に行っているような雰囲気のなかでデイサービスができないものだろうか。いろいろ検討したあげく、2年前に実現いたしました。
たくさんの力を借りています。行政には家賃を出していただく。あるいは、家主さんには普通の家賃の3分の1程度で貸していただく。また看護婦、介護福祉士、栄養士、調理師、運転手、趣味ボランティア、ケアボランティアなど、たくさんの人々の協力がすべてボランティアとして登録してもらえなかったならば連営は困難を窮めていたと思います。
いままでホームヘルプは地域に埋没し、その活動がなかなか目に見えなかった。市民の方に、「ライフケア協会はたくさんの人のところへ行っているといっていますが、どこでなにをしているのですか」との質問を多く受けました。このように、姿やサービスがいままで目に映らなかったのですが、デイサービスという1つの場所を用意し、みんなに見える形でサービスの提供を始めると、また新たな反響を生んだということです。
具体的にライフケア協会のメンバーの顔、あるいは行っているサービスの内容などが、いつでも見学に行けることによって、ほんとうに地域のなかに根づき溶け込んできたのです。
これはどこの地域にでもあることですが、地域には新しい層と、旧来からある民生委員、婦人会、自治会を中心とした旧来型の地縁組織があります。こういった団体と、私たちのような新しい運動がどこで接点を見いだしていくのか。多くの地域で抱えている問題です。私たちがデイサービスを始めたころから、やっと旧来からある団体と私たちがうまくいくようになってきました。それは、サービスが目にみえたこと、あるいは小さな家をもったことによって旧来組織が具体的に支援しやすくなったこと。テレビ、ビデオ、食器、お茶わん、そしてお米にいたるまで提供いただき、いまではずいぶん交流が深まっています。
また、近所の小学校の生徒が、夏休み前にアサガオの植木鉢をいつも10針ほど届けてくれたりといった交流が生まれています。新しい力と旧来からの地銀型の団体がどのようにすれば交流できるのか。これはやはり目に見える形にしていくことだと私は思っています。そのために、また新たな活動の場が必要となりますが、具体的に分かっていただくために活動をオープンにしていくことが重要ではないかと思います。
【司会】訓覇さんは18年間外国におられ、日本の地域も外からみえるし、いまお住まいのところもまた、地域としてある。地域に溶け込む、地域活動というのはどのようにお感じになっていますか。
【訓覇】やはり共通性というか、地域がなぜたいせつかといえば、そこには生活の場がある。つまり、人々の生活のネットワークがあるということだと思います。確かにスウェーデンには、さまざまなボランティアや自発的な運動はありますが、公共では子どもや保育、学校や保健・医療センター、医療、福祉といった、いろいろな世代の人のネットワークがそこにあります。これらのすべてが地域から供給されている。地域供給原則です。だから、職場保育などはありませんし、学校なども歩いてすぐ行けるところですし、老人が自分の家に住み切れなくなったときでも、住み慣れた地域にその場が設けられています。そのような意味で、地域というのはやはり安心して自分が生活している場なのです。
これはデンマークでもそうだと思いますが、人々の生活のネットワークを中心にして学校教育、医療、福祉等の供給を行っていく。
ただし、人々のそのなかでの自発的な活動は、いわゆるアパートなどでは住民の会、また年金者協会、つまりお年寄りの人たちのネットワークづくりの年金者協会の活動も、その地域で地域で支部があります。このように公共活動もインフォーマルな自発的な活動も、地域が中心となって活動しています。それはなぜかといえば、先ほどもいいましたが、ネットワークがそこにあるということなのです。
スウェーデンでは、コミュニティー、地域づくりといったスローガンを掲げて活動しているわけではないのですが、行政がさまざまなことを実践していくなかで、やはり身近な場において教育などを受けていくのがいちぱん人間にとってよいのではないかということが1つずつ確認され、そして地域というものが最も重要であるとの結論に達したわけです。
【司会】日本の各地で活動しているリーダーに聞くと、意外と他の土地から移ってきた人が多いのです。1例を挙げると、瀬戸内海の島でリサイクルをしている会のリーダーは、女性なのですが、最近仕事の関係で移ってきた人で、いまではもともと島にいる人たちといっしょになって活動している。
そのような意味では、訓覇さんはスウェーデンの人からみれば外国人であるわけです。そのことに対して、メリットあるいはデメリットというものが、あるのでしょうか。あまり意識はされていないのでしょうか。
【訓覇】意識しておりません。スウェーデンという国はもともと、北欧がそうだと思いますが、年寄りも子どももすべてがいっしょに暮らせる社会をつくっています。それがいちばん普通だということです。私自身は日本人で、顔色も違いますし、髪の毛も違いますが、それでも地域のなかから疎外されてはいません。確かに政策的なものもあると思います。そして、人々のなかにある地域というものに対してもっているイメージ、そのようなものも多分、だれをなかに入れて、だれを外に出すとか、そのような意識もあるのかもしれませんが、スウェーデンにおいていままで感じたことはありません。
【司会】老人問題の話をすると、意外と若い人が仲間に入れないようなこともありますが、小武家さんいかがでしょうか。たとえば和田さんは先ほどお年寄りと接する機会がないということからお話をうかがいましたが、これからどのように自分たちでそのような機会をつくっていくのかに対して、なにかご意見をいただけますか。
【小武家】私も先ほど高齢者の方と若者が分離してはいけないと提言しましたが、皆さんのお話を聞き、全員がやはり同じ問題意識をもっていると確信しました。
われわれ若者は比較的、「いまが楽しい」という感じで生きており、老後のことはあまり考えないで生活しています。だから、老人というイメージが具体的にどうだということがよく分からない状態でいます。私は今回のシンポジウムに高齢者ケアについて若者から提言してほしいといわれ参加したのですが、私の意見が参考になるかどうかは分かりませんが、若者と老人が分離して生活していけば、高齢者ケアの問題は解決しないと思います。やはり積極的に若者が高齢者のことをよく知ろうという考えをもって生活していくべきではないかと思います。
【長倉】途中で口をはさませてもらいますが、私は生まれも育ちも静岡です。静岡という地区はなかなか温暖でよいところなのですが、幸か不幸かそれがために、積極さがない、乗りが悪いなど、いろいろ批判もされます。しかし、そのようななかで始めてみると、いろいろな反応があります。そのなかで地元の反応はなにかというと、反応がないというのが反応なのです。
どのようなことかといえば、最初は無視されてしまうのです。無視されるのですが、これが実績が積まれてくると無視できなくなり、そして参加してくるというのがパターンになっています。
町内会がコミュニティーの最小のレベルですが、男が町内会で働くのはどのようなときかといえば、それは2つあります。運動会とお葬式です。それはそれでまたいいとは思うのですが、ではほかのときになぜみんなで集まってなにかしようとしないのかといえば、非常に簡単な理由で、面倒くさいのです。かかわると、それに時間を割かれる。時間を割かれると、その人はビジネスマンなので外で働かなければいけない。外で働いているのにもかかわらず、「おまえ、町内会の活動なんかして、会社をどう思ってるんだ」といわれるのではないかとその人は思う。私もその1人です。
そこで先ほどの提言にもどってしまいますが、だからこそ、会社が「別によいではないか、地域コミュニティーで働くことは、会社のイメージアップにならないかもしれないが、重要なことだ」という位置づけをもっと明確に出さなければ、コミュニティーをつくるといっても、あるいは老人と若者が遊離しているからいっしょにしようといっても、できないのではないだろうかというのが私の考え方の基本にあります。
みんなで助け合うという土壌ができているのならば別ですが、いまの状態ではどうかと思っています。
【司会】しかし、長倉さんはいま現実に活動されているわけです。これから活動しようと考えている人やさまざまな障壁にあたっている人にヒントがあれば教えていたださたいのですが。
【長倉】私はそのような意味では変わり者なものですから。変わり者というのはどういうことかというと、先ほどいいましたとおり、なにもやらないことが当たり前というのが何となく地域に根づいているなかで、ある意味で開き直っています。いかに開き直っているのかといえば、「地域のなかで長倉という人間が活動しているぞ」と自分でいうのです。「私は活動しています」というように。そういうふうにして活動していても、別に周りから蔑視されたり、無視されたりすることはないのだな、ということをちょっとでも根づかせていきたい。
したがって、私自身はある意味で広告塔に位置づけたいといつも思っています。それ以外にはよい方法論がないものですから、提言のしようがないのです。
【司会】同僚の意見はどうですか。
【長倉】同僚の意見は、「おまえ、大したもんだ」とか、あるいは「よくやる」とかいうのですが。
しかし、その裏返しにあるのは、「なんだ、変わったやつだな」というのが必ずあります。それはしょうがないと思っています。
司会者の金子さんに聞いていただきたいと思うことがあります。私が関係しています地域では医療とのネットワークがないのですが、往診とか開業医という問題が当然、在宅で生きるという場合に起こってくると思うのですが、いま現在、病院に勤めて開業もしない、もしくは往診もしない医師がいます。地域のなかで休みなしに24時間体制でという問題が必ずこれから出てくると思うのですが。これらの問題に対して若者はどのように考えているのかを聞いていただければと思います。
【司会】素直な気持ちでいいのですが、小武家さん、一言お願いします。
【小武家】私も先ほど述べたように、皆さん、ホームヘルパーの話をされましたが、私はホームドクター制の確立をまず行うべきではないかと思います。先ほど早坂さんも話されましたが、医師というのは精神面のバックアップが大きいと思います。高齢者の状態を常に知っており、さらに密接した関係の医者、いわゆるホームドクターが必要ではないかと思います。
【司会】「べき」というのか、それともあなたが興味があるというのか、どちらですか。
【小武家】自分自身は、興味があるというか、ぜひそういう道が開ければ、その方面も勉強したいと思っています。
【司会】開いていっていただきたいと思います。近いか遠いかは分かりませんが、最初は何もできないかもしれないが、というのから始まるのかもしれません。
和田さんは、看護婦として臨床を経験し、そしてまた大学にもどられたということですが、それはどのような理由でもどられたのですか。また、これからどのようにその専門知識を生かして機会をつくっていこうとするのかを教えてください。
【和田】最初の質問に関してですが、実際、私の世代として具体的になにをしていくのかに対して2ついいたいことがあります。1つは自分の世代としてなにをするか、2番目に看護婦としてなにをするかということです。
まず最初ですが、高齢者の方と機会をもつかどうかは動機づけの問題だと思います。先日、特別養護老人ホームの見学に行き、たまたま高校生がボランティアできていました。そのとき、ほんとうに高齢者の方が生き生きとしており、また高校生も非常に充実感をもって動かれていました。そして、一度こられた人はまた必ず継続してこられるということをうかがい、よく幼稚園のお子さんたちが老人ホームに行って交流をもっということがありますが、それを中学生や高校生という、学校の教育の一環としてこのような場を設けられないかと考えます。動機づけができれば、ほんとうに簡単だと思います。私も高齢者の人から学ぶことが多くあったことから、一度接すると、もっともっと接したくなると思っています。
2つ目に看護婦としては、医療のなかにいると、病院のなかがすべてになってしまい、ほんとうは地域に生活をする場があり、患者さんはそこに帰っていくことが前提にあるはずにもかかわらず、病院の入院生活だけがすべてになり、退院されるときの姿をみて、はっとするのです。いつもパジャマ姿の人が、背広を着たり、カラフルな洋服を着られると、「あ、そうだ、この人は地域に帰っていくのだ」ということを非常に感じるのです。
退院前にある手術を行い、退院指導で、このようなことを気をつけてください、これを守ってくださいと指導し、退院されていくのですが、実際、帰っても守られているのかと思います。保健と医療と福祉の連携といいますが、ほんとうにそれがあるのかどうかがよく分からず、もっと病院の看護婦と地域の保健婦との相談というべきか、連携があり、そしてその人が地域に復帰したとき、継続したケアを行っていけることが、ほんとうに望ましいのではないかと思います。いま、看護婦の免許をもちながら働いていない人が多数おられます。その人たちの知識なり力を借りられるならば、もっと医療との連携はできるのではないかと思います。
先ほど小武家さんが話されていましたホームドクターは、確かに私も難しいと思っています。私もそうですが、一般にかかりつけのお医者さんをもっていないと思います。なにかあったときに行ける病院がなく、ほんとうに重くなってから、「しっかり診てもらおう」とのことで大学病院に行く。治療が終われば、そこでストップすることからなかなかもてないと思います。これからはホームドクターがもてればいいなと思っていますし、看護婦、保健婦としてそのような場所にかかわっていかなければいけないと非常に感じています。
【訓覇】皆さんすごくまじめで、日本の人はこんなにまじめに、全部自分の責任にして地域を変えなければいけないし、男だから、女だからといって、個人に還元するのですが、だれも政治を変えるという提言をされないのですが、その点はどのように考えられていますか。個人の責任もたいせつだとは思いますが。
【司会】先ほどの訓覇さんの話で最も印象的だったのは、日本での団塊の世代は、スウェーデンではいま政治に参加しているということです。わが国とはずいぶん違うと思いました。
【訓覇】私だったら、政治を変えるというと思います。自分ももちろん努力はしますが。行政だけではなく、人間関係も縦割りにされていると非常に感じています。
【中村】政治を変えるというのは非常に難しい。私はあまり信用していないのです。これはほんとうにいけないことですが、いままでの長い歴史のなかで、十分自分たちの願いを実現するために政治家が役に立ってこなかったという事実があります。
しかし、これではいけないのであり、私たち1人ひとりが自覚をもつ必要性を訓覇さんからいま教えていただいたような気がしています。
【司会】日本人はという言い方はおかしいですが、政治はどこか別のところにあると考えてしまいがちです。よく「行政はなにもしてくれない」とか「これをしていただいている」というのは、実はわれわれが委託をしているだけの話なのですが、やはりあきらめてしまっているのか、全然手が届かないと思ってしまうのです。その点で、たとえばこのようなパスがある、このようなやり方がある、あるいはそれほど切り離されたものではないという提言ともいうべきお考えがあれば聞かせていただきたいのですが。
【訓覇】やはり、国や地方自治体が信頼できないという思いはよく分かります。しかし、やはり変えていくためには、選挙に行くことではないでしょうか。選挙に行くことが政治を変革していく唯一の手段だと、これは政治家がいうのではなく、スウェーデンでは国民全員が思っています。
スウェーデンの福祉国家、あるいは障害者政策にしても、つくり上げてきたのは、人々が行政に参加し、政治との接点をつくったことによると思います。それはどのような形で行うかは、さまざまな方法があり、私がいう方法だけが唯一の方法だとは思いませんが、たとえば介護保険や税金の問題が出ていますが、日本の社会がどのように解決していけばよいのかを、地域づくり、ボランティア活動を行うなかで1つの課題として話しをする。
いわゆる政治議論を決して国会の場だけではなく、台所でも職場でも、また酒場でも話題にするということがたいせつだと思います。いつまでも、行政はどこか違う場所にあって、だれかが変えるものではなく、やはりどこかで接点や対話を見いださなければできないのではないか。基本的な言い方ですが、それぞれがどのようなやり方をするのかは、皆さんはおのおの現場をもっているわけですから、そこで行えばよいと思います。
【中村】私たち福祉に携わる人間として、いま、とてもよい状況が生まれてきています。というのは、老人福祉計画、これは各市町村が自分の責任でもって立てた計画ですが、この春に集約され、それを実施していく権限が、ほんとうに身近な私たちの町のなかにおりてきたということです。いままで福祉はほとんど国の施策のなかで行われてきましたが、身近な市町村が行政責任でもって計画を遂行していくわけです。私たちはそれがどの程度進捗しているのか、いないのか、目の当たりにこれから見ることになるわけです。そういった意味では、政治に参加していく、変えていくという非常によいチャンスです。
【司会】長倉さん、いかがですか。政治システムや企業システム、産業システムというのは、ともすると単に悪いと思ったり、先ほども少し皮肉ではないですが、変わり者という位置づけでしか両立できないということは実はおかしなことで、だれもなにもしなければ、もちろんなにも変わらない。本日お集まりの人は、それを1歩始められた人だと思いますが、やはり自分で実行している人から、このようなところはできないから、このような人にこのように行ってもらいたいと指摘してもらいたいのです。すると、医師、看護婦、さらには介護士もいると、話がどんどんと広がっていくと思うのです。
すべてのビジョンは別にして、長倉さんの場合には、ご自身が企業システムのなか、それもかなりがっちりしたシステムのなかで活動されているわけですが、なにかいままでのご経験のなかから、提言やなにか訴えたいことがあればお願いしたいと思います。
【長倉】先ほど変わり者といったのは、これが変わり者ではなく、変わり者ばかりになればよいわけで、それが最終的に変わり者が変わり者ではないという世界になることがすばらしいと思っているのですが、やはりそのための1つとして、先ほど政治という話が出ましたが、確かに無関心であって、私も関心ある1人ではありません。ただ、これからは無関心ではいられなくなるだろうと思っています。
ここで非常に重要だと思うのは、ボランティアの位置づけです。政治を変える、変えないというのは、すぐにここで結論がでるわけではないのですが、少なくともボランティアは、これから1人ひとりがもっと心がけて、自分から自発的に参加するものであるのか、あるいはあくまで国の施策で、トップ・ダウンでくるものなのか。そのあたりの議論がもっともっとなされないとだめだろう。それがなによりも重要であると私は位置づけています。
その次に、やはり企業も儲けるといっても、いままでのような儲け方ではだめだという感じはもっています。それは高齢社会、あるいは社会システムが変革しているなかで、やはり企業としてこれからはもっと個々の部分にアクセスするような企業努力をしていかなければならない時代が間もなくくるだろうと思っています。
そのなかで、たとえば私のような人間、少し気づいた人から動いていく、あるいは企業のなかでそのような意識をもっている人を見つけていくという努力を企業自身もしなければいけないし、気づいた人もそれを周りに広める努力をしなければならない、というのが私の考え方の基本です。それがひいては地域社会をも変えていくだろうし、政治も変えていくだろうと思います。
【司会】私が感じるのは、重要な情報はすべて身近なところにあるということです。しかし、それだけではなにも起こらない。アメリカの経営学者であるピーター・ドラッカーの言葉に「善意だけでは社会は変わらない」という言葉があります。やはり政治システム、経済システムを含めて、世の中の運営の仕方を自分で崩していく、提言していくという働きかけがなければいけないと思います。ボランタリー(有償、無償などがあることからボランティアとはいわない)な動き方、自分でいろいろ引き受けていくといった具合に、先は分からないが、とにかく実行する。そのような動き方をして初めて身近なものとシステムとがつながるのではないかと思います。
それだけに若い人たちに期待が集まるのです。しかし、若い人ほど経験がないにもかかわらず、意外と概念的になってしまいがちです。
これを機会にいま自分が行っている勉強や活動をどのように築いていくかを、少しビビッドに考えていただければと思います。いかがですか。和田さん、小武家さん、いま行っていることをどのようにしてパワーにつなげていきたいと考えておられますか。もしなにかお考えがあれば聞かせていただけますか。
【和田】いまは看護婦にもどろうと思っています。以前は、看護とはこのようなものではないはずなのに、もっとよいものであるはずなのに、自分が毎日看護婦として働いていることが空しいというか、あまりにも患者さんに対する人権を無視したようなことがあり過ぎると思い、改めて大学に入りなおす動機づけになったのですが、しかしいまは、もっと自分に自信をもって、メンタルなケアや、医者の指示に従うだけではなく、もっと自分の考えを実行してもよいという自信がつきましたので、卒業後はなにができるかなという意味では非常にわくわくしています。
【司会】ありがとうございました。最後に一言ずつ感想等をお聞かせいたださたいのですが。訓覇さんお願いします。
【訓覇】決して私は、ボランティア運動が悪いとか、それだけでは足りないとかをいうのではなく、なにがどのような結果を与えていくかということを絶えず考えて運動していく必要がある。いままで、中村さんや長倉さんなどが活動されていることは、非常に意味がある。これは現在の社会でとても意味があるし、ないとすればどのようになったのだろう。
しかし、自発的な行動は重要なのですが、それがいつまでも行政の肩代わりで、行政がおんぶしているというのではなく、自立させていく必要がある。その認識をもっていることが非常にたいせつなことであり、スウェーデンでも、家族の参加、身近な人によるケアの参加を、生活を犠牲にしないでも人々が生き生きとした生活づくりをしていくということで行っています。
ミクロのレベルでみんなが行っている活動はたいせつなのですが、どこかでやはり、それが社会全体でどのような位置づけにあるのか。日本のボランティア運動は非常に複雑だとは思いますが、そのなかでもっている使命というか、それを行っていがなければ現場でつぶれていきます。和田さんは看護婦さんになって出ていくのかもしれませんが、そのようなもののなかに自分を明確においていなければ、自分の幸せはどこかで崩れていくし、現場のなかで押しつぶされる。それを支えるものがそのような認識だと思います。抽象的ですが、私の締めくくりといたします。
【中村】私たちの新しい有償制あるいは預託制度を基軸にしたこのような運動に対しては少なからぬ抵抗があります。しかしいま、高齢社会を迎え、ほんとうに地域で助け合いの組織をつくっていかなければいけない。このようなときにいろいろな動きがあってよいと思います。ぜひとも私たちに、厳しい向かい風ではなく、優しい追い風を皆さま方のご理解で送っていただきたいと思います。ありがとうございました。
【小武家】きょう、実際の現場で働いている方々の意見なり実際の体験なりを聞いてみて、非常に参考になったのですが、これからの社会はやはりわれわれ若者の力次第で何とかなると思え、私を含め、これから若者が、政治を変えるとまではいかないかもしれませんが、少しでも社会の力に役立てればと考えています。ありがとうございました。
【早坂】いま、この世界で果たして50年なり20年なりという年月を生き残ることができるのかと、漠然と考えています。ここ10年から20年のうちに、システムを変えていかなければ生き残るのは難しいのではないか。そのためには、市民や特に若い人たちが変えていかなければいけないだろうし、また若者も、いろいろな世界の人たちと会う場をつくっていかなければいけないと思っています。どうもありがとうございました。
【和田】幾度となく話題に上っています地域アドバイザーについて、もっと看護職が力を発揮できることがあるのではないかと確信しています。このような場で看護婦が福祉の方と話ができるのは非常にうれしい機会だと思っており、この機会がよりいっそう増えることを期待しています。
最後に、いまこれだけの人々が一生懸命活動しているなかで、内申の点が上がるからボランティアをやるという中学生、高校生が多いということを新聞で知り、非常に腹立たしさを覚えています。このような考えをもっている限りいつまでも発展しないのではないか。その考えを1日も早く変えていかなければならないと感じています。ありがとうございました。
【長倉】わが家も長女のみで、将来的には私と妻の2人きりになるわけです。これはどちらかが介護しなければいけないのですが、そのような意味でも「ワック静岡」にお世話になりたいといまから思っています。
その第1歩として「ワック静岡」をつくったわけですが、この組織も含め、非営利団体やボランティアを増やすためにも、私が先ほどいいましたような広告塔としての努力を、地域あるいは企業のなかで、手を変え、品を変え努力していきたいという気持ちでいます。それが私の唯一できることであって、将来的にそれが広まっていき、ボランティアという言葉すらなくなってしまうほどのボランタリーな気持ちが普遍していけばいいなと思っています。どうもありがとうございました。
【司会】ありがとうございました。歳を重ねていくと価値が下がるというのはうそだというのが、少なくとも本日判明しました。それを証拠に、このパネルディスカッションにおいて、発言の力強さは年齢にほぼ比例していたのではないかと思われる節がありました。地域づくりやボランタリーな行為などにおいて、たぶんたいせつなことは、与えるとともに、非常に難しいことですが受け取るということだと思います。また高齢者も、自分が役に立っているとはっきりと自覚できるコーディネーションが重要であると常日ごろから思っていましたが、本日もう1つ、逆に若い人も、若さと元気だけで動くのではなく、高齢者ができることはなにかを受け取るチャネルもまた必要だと思いました。
これでパネルディスカッションを終了いたします。どうもありがとうございました。
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