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高齢者ケア国際シンポジウム
第5回(1994年) 日本の高齢者ケアのビジョン


第1部 発表  望ましい高齢者ケアの現状と将来

デンマーク・ピルケジョルグセンター在宅ケア地域主任
ロ夕・ピー夕一セン
Lotte Petersen



デンマークには、275の地方自治体があり、私が保健局長を務めているネストベッド市(図1)の人口は4万5,000人で、規模的には上位20位に入っている。それぞれの地方自治体の規模はかなり異なっており、大半は人口1万人未満で、6万人以上の人口を抱えているのは9自治体しかない(図2)。
デンマークでは、高齢者層の社会問題と保健問題は公共の責任であり、病院以外でのケアは市町村が担当している。
高齢者のための社会医療活動の目標は、高齢者自身が最善の健康状態とQuality of Life(QOL)を獲得し、それを維持することにある。この目標は、高齢者に適した多岐にわたる社会的な健康促進および活性化計画によって達成できるのである。そしてこれらの活動は、総合的なシステムのなかで、高齢者が抱える問題に応じて選択できるものであることが重要である。
現在および将来において、どのような形の高齢者ケアが最も望ましいかについて述べる前に、デンマークにおけるこれまでの経緯に少し触れたい。
1965年ごろまでの高齢者に対する認識は、ケアを必要としている存在という程度の認識しかなく、1970年代末までは、あまり変わりはなかった。そして高齢者に対するこの姿勢は、高齢者の気力や自信を喪失させ、不安感や孤立へと導いていったのである。しかし、80年代に入ると状況は表1が示すように変化し始めた。つまり、高齢者に対する優先課題が「ケア」から「活性化」、「自助(セルフケア)」というように変化し、高齢者を個人としてとらえるようになり、そしてその結果、高齢者自身の能力や自信へとつながっていったのである。
図3は高齢者ケアの段階を示したものである。ここでは、まず第1段階として高齢者を非常に弱いものとしてとらえ、ヘルパーはすべての介助を行わなければならない。そして第2段階では、部分的な支援に変わり、第3段階では、助言や高齢者ができないことだけを支援するというものである。これにより、専門家が高齢者の弱点ではなく能力を見いだすという方向性を確立し、サービスのレベルを向上させる必要性やスタッフ教育の重要性を示す結果となった。


図1 ネストベッド市

また、高齢者は自信と尊厳をもつようになり、自分の望む形のケアや活動を要求できるようになったのである。
70年代に入ると、安全に暮らせる限り、高齢者の在宅ケアが目標に掲げられた。高齢者の多くは、たとえ病気や障害があったとしても自分の慣れた環境にいることを望んでおり、実際、75%の人が在宅ケアを希望している。また、老人ホームを増設するよりも、在宅ケアを拡張するほうが安上がりであると考えられたのである。
高齢者ケアを、幅のある、柔軟性に富んだ、包括的で一貫したシステムにするためには、在宅ケア制度を拡張し、24時間体制にする必要が生じた。つまり、軽い疾病や障害を抱えた高齢者が、自分で選択した場所で、必要に応じてサービスを受けられるということである。
ネストベッド市では、効率的、包括的で一貫した高齢者ケアの長い伝統を誇りにしている。早い時期からホームヘルプ部門を拡大し、ホームナース部門と緊密な関係を図ったのは、ホームナースこそが、どの老人がどれだけのホームヘルプを受けるかを決めていたからである。その結果、障害者向けの補助具・装具の認可や、住宅の改築設計を担う作業療法士という存在の必要性が明らかになってきたのである。
1979年に作業療法士が初めて採用され、同時に自治体は、正規の連絡協定を通して、一般開業医とナースが患者について頻繁に話し合うことを定めた。また、高齢者に病気や障害があっても、自宅で暮らしたいという願いを実現するために、24時間体制の在宅ケアが1982年に始まり、そしていまや、健康上の問題を抱える高齢者であっても、老人ホームに入らずに、自宅で暮らすことが可能になったわけである。



図2 デンマークの白治体規模


図3 高齢者ケアの段階


表1 高齢者のための開発

制度発足後、24時間体制の在宅ケアが、老人ホームや病院、専門家、高齢者とその家族にどのような影響を与えたかを調べる研究チームが生まれ、その追跡調査の結果、スタッフや専門家は新制度に関して非常に満足していることが明らかとなった。これは、安全面や福祉面、継続性に優れていることによる。
新制度が与えた影響としては、一般入院の減少、入院期間の短縮も挙げられる。また、老人ホームに入る人が減る一方、入所する人たちはより手のかかる人たちとなった。そして、多くの場合、24時間体制の在宅ケアにより老人ホームに入る時期が先に延び、経費面からみると、老人ホームでのケアよりも在宅ケアのほうがコストがかからないという点も挙げられる。
在宅ケア制度から得られた非常に重要な問題として、入退院時の病院との調整サービスが考えられた。そこで、1985年、地方病院は市町村と連絡協定を結ぶことにより、市町村スタッフと病院スタッフが、包括的で一貫した共同システムをつくり、会議や会合、家庭訪問、教育面での協力体制を築いていった。また、この協定には、両者問の情報交換も含まれており、高齢者が退院した際の援助やホームヘルプ、家庭看護、老人ホームの確保を行ううえで大きな力を発揮している。
1986年、自治体はデイセンター、トレーニングセンターを設置した。これらの施設では、高齢者へのトレーニングの実施、デイホームや短期滞在宿泊を行っている。また、センターから近い場所に保健収容施設も設けられ、実際のケアは、センターと近くの老人ホームが担当している。
このセンターの目標は、高齢者に病気や障害があっても、本人が自宅で暮らすことを希望する場合、その可能性を支援、サポートすることにある。また、家族の負担の軽減、老人ホームへの入所の中止や延期という目標もある。これらの対策と同時に、自治体は、地方の環境業務という新しいプロジェクトも展開してきた。これは高齢者向けの余暇活動に関するプロジェクトで、その目標としては、高齢者が仲間に出会い、友達になる機会を設けることにある。われわれはこれは社会的ネットワークの構築とよんでいる。
自治体のこのプロジェクトへの支援としては、必要に応じた人員や場所、輸送手段等の提供、地方紙による広報活動がある。このプロジェクトは、時間の経過とともに有効に機能し、数多くの高齢者がプロジェクトを通じて楽しんでいる。
80年代になると、ホームヘルパーの待遇改善の必要性が明らかになった。高齢者介護の範囲は広がる一方で、しかもホームヘルパーは1人でのみ働くことが多くなったのである。また、ホームヘルパーが直面する多岐にわたる問題を解決するためには、教育期間があまりにも不十分であることが明らかとなったのである。
このホームヘルパーたちの孤立に対応するため、市町村は介護業務の再編成を開始した。まず、ホームヘルパーを12人から14人編成(人数は求められるケアの範囲により異なる)の小グループに分け、1つのグループは域内の70人から90人のケアを担当するという体制をつくった。そしてホームナースがグループの正規のリーダーになるのである。この新しい組織では、ヘルパー同士の助け合い、アドバイスのやりとりも簡単にできるようになり、同時に、仕事がスムーズに運び、時間のロスも抑えられ、通勤時間も短縮されたのである。また、利用者にとっては、自宅でのケアに当てられる時間が増えるというメリットがあり、担当のホームヘルパーの人数が減ったことで、継続性、連続性が増したという効果もある。そして、小グループのため目標や姿勢に順応しやすく、したがってケアの内容がより技術的に変わっていったのである。
しかし、高齢者ケアの開発という点では、ホームヘルパーよりも高度な教育を受けたスタッフの必要性がますます明らかとなったのである。そこで、1991年に社会保障部門スタッフに対する新しい教育制度が実施されるようになった。従来は、ホームヘルパーの教育期間は7週間にすぎなかったのであるが、これを4か月の理論と8か月の実習という新しい教育体制に変更したのである。これは、高齢者が高度な教育を受けたスタッフから、適切な扱いを受けることを目的とした教育改革なのである。
次に、将来の展望について話を進めたい。
市町村においては、高齢者ケアは、これまでさまざまな担当部門で組織化され、各部門は独自のスタッフと予算をもっていた。たとえば、老人ホームの部門、24時間在宅ケアの部門、作業療法士の部門、デイセンターあるいはトレーニングセンターの部門等々である。しかし、こうした縦割り組織による弊害があるため、問題解決のための統合組織をつくる必要性が生じたのである。
それまでは、教育を受けたスタッフの大半は老人ホームだけで働いていたため、在宅の高齢者は老人ホームの高齢者と同様なケアを受けていなかったのである。つまり、高齢者の住む場所によりサービスが異なっていたのである。この問題を解決するため、1993年に市町村は、統合制度という新しい業務の組織化を試み始めた。これにより、高齢者ケアのすべての業務を地理的に区分し、分権化された地域内で介護業務を行えるようになった。これらの地域の中心として、アクティビディセンター、活動センターがあり、各センターは、0T,PT、ホームヘルパー、ホームナース、ナースヘルパー等々の拠点になるのである。
高齢者がどこに住んでいようと、専門家は問題解決にあたる姿勢があり、同時に、活動センターでの業務もこなしている。高齢者ケアに関するほとんどの業務は、この地域の活動センターで解決できるのである。活動センターには、老人ホーム、短期滞在宿泊施設、デイホーム、ナイトホーム、トレーナーによるトレーニング施設、自主トレーニング施設、余暇活動施設、図書室、ソーシャルワーカー、アドバイザー、補聴器、カフェテリアなどが設備されている。また、センターの近くには、軽度の障害をもつ高齢者向けのアパートがあり、地域内には高齢者向けのアパートが多数散在している。
もし、ネストベッド市のこのプロジェクトが成功すれば、すべての市町村で同様の再編成を行う予定である。私はこのプロジェクトの責任者であるが、優れたプロジェクトであるという確信をもっている。なによりも高齢者自身がこの新しい制度をとても気に入っているようである。それは、センター内や自宅という場所にかかわらず、高齢者が同じスタッフと接することで、効率的で一貫性のある介護につながることを示しており、高齢者には、より質の高い連続性と安心感を与えるものである。また、この制度により、高齢者の発言権は増し、市町村は、高齢者委員会を設置した。これは、高齢者の互選によるもので、行政をはじめ、さまざまなリーダーやスタッフに助言を与える機能をもっている。この委員会は半年前に設置されたばかりであるが、すでに非常によく機能している。
区域内に提供されるプライマリーヘルスケアは、定期訪問と急患のいずれにも迅速に対応できる体制になっており、また、予防と医療の代替策を開発し、指示することも可能となった。将来的には、地域内の生活形態に即した方法で、住民の需要と希望に沿ったヘルスケアシステムに発展させていかなければならない。
日本とデンマークの間には、経済的、政治的、文化的相違があり、高齢者ケアのあり方を比較するのは難しい。しかし、私の経験が、今後の日本の高齢者ケアのあり方に役立てば幸いである。





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