日本財団 図書館


高齢者ケア国際シンポジウム
第5回(1994年) 日本の高齢者ケアのビジョン


第1部 発表  痴呆症患者のケアとその家族への支援

スウェーデン・ローゼンルンド病院主任心理療法士
ジェーン・キャッシュ
Jane Cars



心の傷、心の病が病気として認められたのは、今世紀になってからのことである。
医療の目的は、健康の回復にあるが、治癒できない疾病には背を向ける医師が多かった。しかしこのような状況にも変化が生まれ、今日では、治癒できない疾病に苦しむ人の救済や支援も医療に含まれることが認められるようになった。
しかし今なお、さまざまな疾病には優先度があり、そのような格づけをする考え方が、治療や設備、人間にも影響を及ぼしている。治癒可能な疾病の優先度が高く、また主に若者がかかる疾病も同様である。疾病の優先度を決めるもう1つの要因は、治療が先端技術や高価な機器を必要とするかどうかの点である。高齢者を襲う痴呆症のような慢性病は、先端技術をもってしても治癒することはできず、症状を緩和することすら不可能であり、したがってその優先度はきわめて低い。
スウェーデンの痴呆症のケアは、日本の場合と同様、以下の3点において女性問題でもある。
?@女性は通常、自分よりも年上の配偶者に比べて寿命が長い。夫に先立たれた高齢の女性は、妻に先立たれた男性よりもはるかに多い。
?A高齢で世話が必要になった男性は妻が世話をする。夫を亡くした妻の面倒は、多くの場合、子ども、特に娘や嫁が担う。
?B近くに家族がいない高齢者は、社会が世話をすることになる。サービスを提供する看護婦や准看護婦などは、女性である。
このように痴呆症は主に女性の問題であることが、優先度が低い理由であるかもしれない。しかし、疾病に格づけをする考え方は、変えなければならないことであり、また変え得ることである。痴呆症に対する姿勢にはすでに一定の変化が見られ、社会が痴呆症に目を向けて、病気として認めるようになった。痴呆症を嘲笑したり、笑いものにすることは、もはや許されない。しかしながら、あらゆる真の苦しみの治療が同等の扱いを受けられるようになるまでには、行うべきことが多々ある。
医療従事者の責務が、身心両面での人々の援助にあることは、今日明らかであるが、精神的な助けを必要とする人たちは、単に病気をもっている人たちに限らない。病人の家族も、長期にわたり多大なストレスを受けている。これからは、ケアの概念を拡大し、そうした人々にも援助の手を差し伸べ、心労を軽滅し、楽しい人生を送れるようにするべきである。
高齢者に対する責任感はさまざまであり、経済力とはなんら関係はないようである。高齢者を尊敬し、面倒をみている貧しい国、あるいは貧しい人々がいる一方で、働き盛りの世代が、疲れ切った高齢者のニーズに無関心で豊かな社会も少なくない。

増加する退職者層

スウェーデンは、退職者人口が最も多い国(65歳以上、18%)であり、働く女性の数も世界一である(85%)。世界的に高齢者人口は増大の一途をたどっており、なかでも日本の増加率は世界一である。また日本では、働く女性の数も増加しており、自宅で女性が高齢者の世話をするのが習慣であった日本の家庭事情にも変化が生じるものと思われる。
スウェーデン社会における高齢者ケアはどの程度まで進歩しているのだろうか。あるいはどの程度不十分なのだろうか?
福祉国家の側面の1つは、公的部門が高齢者ケアの責任を負うべきであるという点である。公的部門は、高齢者ケアの法的責任とともにそれに必要な手段も与えられている。家族は引き続き私的ケアの責任を果たしているが、今日では公共部門が、在宅ケアも含めた施設ケアを担当している。

スウェーデンでは、家族の役割は少なくなったか?

スウェーデンでは、1991年の政府法案において、「社会が中心となって高齢者に対する責任を果たすべきである」と明言された。すなわち、高齢者、病人、障害者が必要なケアや支援を受けられるように、社会が責任をもっということである。しかし、すべての機関が公共でなければならないということではなく、民間機関が、政府が設定した品質基準を満たしていれば、公共部門は民間の機関からサービスを買う方法を選択することもできる。
家族によるケアは引き続き望ましいことであり、多くの場合必要である。だからこそ、痴呆症の看護をする家族に対しても、自治体が支援を送ることが必要なのである。また、スウェーデンでは、健康な人も病気に苦しんでいる人も含め、独り暮らしの高齢者が増加しているが、研究結果によれば、「離れていても親密」な関係を家族と保っている。
90年代になりスウェーデンでは公的支出削減が必要であることが明らかになった。財政赤字が増大するにつれ、施設ケアも、公的な在宅ケアも削減された。社会は引き続き高齢者ケアヘの責任を負っているが、以前ほど広範囲で早期の支援を送ることができなくなっている。

痴呆症;共通の問題

私たちは、いずれ痴呆症の問題と直面するときがくる。身内や友人、あるいは自分自身が痴呆症になるかもしれない。痴呆症で間違った車線を運転する人を見かけることがあるかもしれない。私たちは、年をとっても質の高い生活を送りたいと願っている。だからこそ、痴呆症に悩む人の看護が重要なのである。彼らを助ける義務が私たちにはある。
高齢者に起こり得る問題のなかで、おそらく痴呆症が家族にとって最も厄介な問題であろう。痴呆症の家族を自宅で介護することは、多くの場合きわめて大きな負担であり、一方、痴呆症の患者を施設に入れてしまうことは、大変なうしろめたさを覚えるものである。

負担の経験と家族支援モデル

痴呆症が患者自身と家族全体にどのような影響を与えるかについて考えてみたい。介護に当たり家族がどのような負担を負うか、どのような要素が重要であるかを分析するにあたり、まず最初に痴呆症の症状を説明し、家族支援モデルを1つひとつ検討してみよう(図1)。

痴呆症の症状

痴呆症の初期の症状はゆっくりと広がり進行する。記憶力は必ず傷害され、最近の記憶がますます薄くなる。たとえば、ストーブを消すのを忘れたり、1時間に10回も会社にいる息子に電話をしたばかりなのにまた電話をするなどである。やがては、もっと広範な記憶の欠如が起こり、家族は記憶が共有できなくなることでその心痛は大きい。
また、痴呆症では、時間の見当識がなくなる。つまり現在に生き、将来への見通しがない。昼夜の認識も変わり、季節も錯綜する。そして痴呆症の人はますます依存性を高める。
いわゆる空間の見当識も影響を受ける。初期の症状においては、初めての場所で道に迷ったりする。症状が進むと、たとえば、冷蔵庫に石けんを、たんすに魚を入れたり、あるいはリネンの間に新聞が挟んであったりする。やがては、自宅のトイレの場所すらわからなくなる。
思考力や判断力も侵される。友人や家族との会話も難しくなり、最終的には孤独と沈黙に陥る。また、洋服を着ること、ナイフ、フォーク、箸を使うこと、寝る支度をすることなどの日常生活にも支障をきたしてくる。


図1 家族支援モデル

率先して行う意志も失われる。痴呆症の人にとって、世界はばらばらになり、精神的重圧の大きい状況のなかで、患者は大混乱をきたすであろう。
情緒面も影響を受ける。初期には、うつの症状が現れたり、いらいらしたり、じっと座っていられないなどの症状がみられる。以前のように心のふれあいができなくなり、身内の人にとってはますます隔たりが深まるように思えてくる。分別もなくなり、不適切なことや当惑させるようなことをいったりする。「以前あれほどによくわかっていると思っていたこの人は、本当はだれなのだろう?」と家族は思いわずらうようになる。

家族関係の質

痴呆症の患者をもつ家族は、さまざまな大きな変化に耐えなければならない。たえず喪に服しているようなものだという人もいる。痴呆症の夫をもつ妻に、「終わりのない葬儀のようなもの」といった人がいる。
さまざまな障害に対する介護者の対応は、主に痴呆症の症状にもよるが、もう1つの要素は、痴呆になる以前の家族関係の質である。痴呆症患者に対する肯定的あるいは否定的な感情により思いやりも変わり得る。過去において未解決の問題が数多くある家庭では、一般に精神的な負担はより大きい。

家族の対応

知らない症状に対して間違った対応をしてしまうのは無理もないことである。痴呆症の介護は、きわめてストレスの高いものであり、最終的には、昼夜休みなく介護に当たらなければならない。
痴呆症患者をもつ家庭の家族関係は緊張が増す。家族は常に付き添っていなければならず、不安や攻撃性が出てくることもある。家庭内での肉体的、精神的な虐待や暴力も、珍しいことではない。虐待にまで至る介護者は、ほとんどの場合社会的に孤立し、疲れ切っている。多くの痴呆症患者は睡眠障害をもっており、家族は夜中に数回起こされる。そのため家族は、耐え難い負担や孤独、社会的な息抜きの必要性、自身の健康悪化を訴えている。社会的に逸脱した行動を認めたくないために、自分の虐待的な行為について語ろうとしない介護者もいる。
最終的に、家族はもはやこれ以上対応できなくなってしまう。援助を依頼する決心をするが、それでもなお、何とかして介護し続けようと努力する。家族に痴呆症の人が出ると、最終的に家族全体が危機に追い込まれる例も珍しくない。

なにがなし得るか?

問題は、痴呆症患者ならびにその家族に対し、負担を軽減するためにどのようにして公的支援を設計し、ひな型をつくるかである。関係者に適時適切な支援を送ることを目的としなければならない。
痴呆症患者は、できるだけ早い時期に検査を受けるべきである。痴呆症の診断が下りたら、患者と家族の両方に、どのような援助を受けることができるかについて情報を提供すべきである。したがって、診断は、治療計画の第一歩である。
スウェーデンの高齢者ケアは、さまざまな援助を提供して、痴呆症の人ができるだけ長く自宅にいられることを目指している。痴呆症患者および家族にとってすべてが適切に機能している間は、この援助が与えられるべきであるが、可能な限りということではない。私は、適切に機能しなくなってからも長く在宅看護を続けた例を余りに多く知っている。

社会的支援

負担を負う家庭に対する社会的支援はきわめて重要である。家族の友人も痴呆症に当惑するため、家族の社会的な接触は少なくなると思われるが、家族が痴呆症患者の行動を恥と思い、他人の目から病人を守ろうとすると、なおさらこの傾向は強くなる。
しかしこのような対応は、痴呆症患者や家族にとっての状況を改善しない。友人や隣人との社会的な接触が必要でなくなることは決してない。反対に、以前よりもその必要性は増すであろう。だからこそ、親類や友人に対して、痴呆症について知らせ、彼らとの接触、彼らの関心や援助などが家族にとって以前にもまして大切であることを理解してもらうべきなのである。

社会の支援

スウェーデンでは最近、身体あるいは精神障害者に対し、在宅介護者を公的資金で雇う権利が与えられた。個別介護者は自治体が雇用する形式をとるが、活動できる年齢の親族を選ぶこともできる。個別介護者は、35歳から64歳の女性が大半である。患者はその介護者なしには自宅で生活できないことを理解すべきであり、患者白身が介護者を選ぶことができる。
費用がかなりかかるにしても、痴呆症患者を施設に収容するよりもはるかに安い。しかし、このようなサービスの主な目的は、患者の福利を守ることである。65歳以上の引退後の人が妻や夫を自宅で介護する場合も、少なくとも自治体から何らかの経済的報酬を受けることができる。この報酬は一般に、家族のなかの介護者に対して支払いができるように、ケアを受ける人に支払われる仕組みになっている。
スウェーデンではこの10年余り、痴呆症患者のために特別に設計されたデイケアセンターが発達し、センターは患者と家族の双方に重要な支援を提供している。患者は通常週2〜3日センターを訪れる。必要に応じ頻繁に訪れる患者もいる。センターでは、ほかの患者と会ったり、食事を共にして刺激となる時間を過ごす。一方介護に当たる家族は、その間休息したり、自分自身のことをすることができる。
在宅でできるかぎりの支援を受けてきた痴呆症患者が、それ以上自宅での介護が不可能になった場合は、集団住宅に受け入れられる態勢になっており、その施設の数も増加している。各住宅では、痴呆症患者が約8名同居でき、部屋は浴室つきの個室で、居間と台所が共同である。また痴呆症患者専用の看護ホームもある。現在の収容数は約20名であるが、よりパーソナルな介護ができるように収容人数の削減を目指している。

スウェーデン痴呆症協会

スウェーデン痴呆症協会は、痴呆症患者とその家族のスポークスマンとしてますます重要な役割を果たしている。現在では、スウェーデン全国に約90のローカルクラブをもっており、協会とローカルクラブは、痴呆症患者を抱える家族に情報や支援を提供する一方、圧力団体としても活躍している。

家族の能力を高める

家族のストレスを軽減するための方法を開発するには、家族の視点で痴呆症について考えることが不可欠である。
まず、知識をもつことが重要である。知識があれば、安心感も高まり、生活をより上手に管理できる。家族が痴呆症となり、その診断が下されても、身内がそれがどういう意味なのかを知らない場合が多い。知ることが重要である。それも早ければ早いほどよい。またこれについては、デイケアセンターの職員が果たす任務がとりわけ重要である。彼らは家族が必要とする知識を、個人的に、また何家族かを集めて、提供することができる。
病気に関する知識があれば、介護者の問題解決技術も向上し、痴呆症の症状に有効に対応できる。同じ経験をもつ痴呆症患者を抱える家族の集まりに出て、同じような境遇にいることを知ることも有益なことである。出席者は非公式なネットワークをつくり、このような境遇にいるのは自分だけではないのだという事実に安堵することも多い。
痴呆症患者を抱える家族の会合に出席することで、家庭内で日々起きるさまざまな状況を話し合うことができる。このようなディスカッショングループとの経験から、高齢の妻や夫にとって、記憶障害や日常生活に支障をきたすことなど、痴呆症に伴う症状が必ずしも最大の重荷ではないことがわかった。実際には、痴呆症になった家族との関係が変わってしまうことが、最もつらく、対処が難しい問題であることが多い。2人でいても1人でいるように感じることがなによりもつらいということである。高齢の妻や夫は、この「精神的な孤独」とともに、自分の活動範囲での「物理的な孤独」がまったくないことを訴えている。決して1人になることができないという。
家族がしばしば訴えるもう1つの問題は、痴呆症の人は自分の感情をコントロールできなくなるということである。いらいらしたり、攻撃的になったり、フラストレーションに対して忍耐力がきわめて弱くなる。この原因はさまざまであるが、痴呆症の人は、自分の身の回りで起きていることを理解できないことが原因の1つである。しかし、家族は、この状況をいかにして避けたらよいかを学ばなければならない。議論するのではなく、気を紛らわさせ、楽しませることが重要であろう。

理解を増す

最後に、痴呆症とはどのようなことか、それが人々に与える影響や、それが及ぼす悪影響を抑えるためにどのようなことがなし得るのかについて、社会の理解を得ることがきわめて重要であることを強調したい。痴呆症は、患者自身も家族にとっても、恥ずべき、あるいは隠すべきことではない。痴呆症の問題がすべての人に理解されるように共に努力しなければならない。その努力により、苦悩をなくし、家族や社会全体の問題を解決し、資源をさらに拡充することができるのである。それが唯一の道である。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION