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高齢者ケア国際シンポジウム
第5回(1994年) 日本の高齢者ケアのビジョン


第3部 発表  シンガポールの高齢化;規模、政策、問題

シンガポール大学教授
アミナ・ティアブジ
Amina Tyabji



1.はじめに

現代の先進国では、いずれも人口の高齢化が進んでいる。新興工業国シンガポールも、1990年には人口270万(注1)に達し、高齢化社会の仲間入りをする日も遠くない。このような国民の年齢構成の変化は、個人の経済力や福祉に多大な影響を及ぼすものと考えられ、高齢化が「人口の時限爆弾」といわれるのもそのためである。高齢化はほぼ不可逆的であるため、その影響を緩和するためのさまざまな政策がとられている。
シンガポールの高齢化に関して、1980年代初頭から政府はすでに懸念を持ち始めており、1982年(注2)には高齢化問題の研究のための閣僚委員会が設置された。
これは、従来の区分による社会福祉の構想よりもより広範囲な経済的基盤に立ち、人口高齢化の社会経済的意味合いを理解しようという、政府の初の試みであった。委員会は、高齢者による経済と社会への貢献の可能性と、高齢者を社会経済の発展のなかに組み込んでいくことの重要性を強く訴えている。計画の充実を図るため、1983年に高齢者の全国調査(注3)が実施された。いくつかの省庁、公的機関、大学などが研究に参加し、委員会の勧告の実施に携わった。
人口動態の変化のなかで高齢化は避けることのできないものであり、出産率の低下に懸念を覚えた政府は、閣僚間委員会を設立してシンガポールの人口政策の総括的な検討を行うこととなった。その結果打ち出されたのが、現在の選択的人口増加政策である。
これらに加えて1988年6月、高齢者諮問番議会(注4)が別の閣僚組織として設立され、シンガポールの高齢化の現状を検討することとなった。同委員会の勧告の実施を監視するため、1989年には家族および高齢者に関する国立諮問審議会が設立された。この審議会は、高齢者のための政策とプログラムの立案およびとりまとめを任務するものである。こうした展開により、シンガポールの高齢化に関する国家政策はやっと形をなすこととなった。
シンガポールの政策決定における以下の3つの局面は注目に値する。
?@政策論議のうえで高齢化の問題を重視する。
?A委員会のメンバーには、政府と民間の両方を含める。
?B委員会の存在を広く知らしめることにより、国民全体の認識を高め、一般からの意見を奨励する。
一般生活の面では、高齢者が尊厳をもって生きるための資源の充足が主要な問題となる。寿命が伸びている現在、十分な資源確保は、個人と社会の両面からの関心事である。高齢者を扶養すべきは個人か、社会か、政府か。責任分担の考え方は国により異なり、かつての中央計画経済国の著しい変貌や、西欧の一部の成熟経済諸国の変化をみても明らかなように、固定したものではない。
少なくとも東アジア諸国においては、高齢者扶養の基盤は家族であると考えられており、シンガポールも例外ではない。
高齢化に関する現在の政策論議の根底にあるのは、人口の年齢構造の変化である。したがって、まず最初にシンガポールの人口統計の動向について検討する。それによって、年齢構成の変化のもつ意味合いを考察するにあたっての背景と事情を明らかにする。高齢化を考えるうえで2つの最大の関心事は、経済的保障と健康である。以下、それぞれについて考察、検討し、全体をまとめることとする。

2.人口の統計学的動向

1960年代と70年代のシンガポールにおける人口計画の主眼は、出生率を下げ、人口増加率をゼロにすることであった。人口抑制政策として、社会的および経済的な奨励制度が設けられ、中絶と自由意志による不妊処置が合法化された。
こうして1世代で出生率は、人口補充レベルをはるかに下回るまで低下した。
シンガポールの人口転換が急速に達成されたことは、単に人口政策のみによるものではない。そこには急速な経済成長、女性の高学歴化、工業化の成功による女性の労働参加率の上昇、都市環境、乳幼児の死亡率の低下と公衆衛生水準の向上などがそれぞれにかかわっている。出生率の急激な低下は、人口の急速な高齢化につながり、さらに寿命の延びという要素が加わる。
表1は、シンガポールの高齢者人口の実際および予測データである。1990年には居住者人口の9.1%が60歳以上であった(注5)。2030年にはそれはほぼ3倍になると思われる。従来高齢者とされている75歳以上の人口は、1990年から2030年の間に3倍以上に増加するであろう。これを踏まえれば、取るべき政策は自ずと明らかになる。高年高齢者は、若年高齢者よりもより集中的な支援・援助を必要とするのが通常であり、社会も政治も、その局面に立って問題にあたらねばならない。
こうした人口動態に関連する問題がさらに2つある。第1は1980年には24歳であった平均年齢が、2030年には41歳になると見なされることである。これが生産性に悪影響を及ぼすかどうか、及ぼすとしたらどの程度になるのかは、明らかではない。それは、技術、教育や当然向上すべきものではあるが高齢者の健康状態などの変化と、労働力の再配備に関する国家経済の能力次第である。
第2の問題として挙げられるのは、1980年には0.11%であった高齢者依存率が、2030年には0.46%と、4倍以上の急上昇をみせるであろうということである。言い換えれば、1980年には労働年齢の9人で1人の高齢者を支えていたのに対して、50年後の2030年には2人で支えねばならないということである。
1987年には人口の高齢化を緩和するための選択的人口増加政策が発表された。
出生率を徐々に補充レベルにまで引き上げることで、年齢層の分布を均等化して人口構成の安定を図ろうという期待の下に取られた政策であった。これが成功すれば、高齢者の比率は26.0%を下回って、20%前後に落ち着くと考えられる。この比率をさらに下げるには、補充レベルを上回るところまで出生率を上げねばならない。しかし、小家族を好む傾向と、未婚率の上昇(表1参照)から考えると、その可能性は薄い。したがって、退職年齢が高くなっても、次世紀のシンガポールは、高齢者比率20〜25%、平均年齢38〜40歳という、成熟人口を抱えることになるであろう。
シンガポールの現状を国際的な展望のなかで考察すると興味深い。表2と表3は、高齢化の速度を表したものである。発展途上国のなかでシンガポールは、高齢者人口の増加率は第2位に位置し、高齢化の速さに関しては日本を上回っている。いずれにせよ急速な変化に対応しようとするならば、シンガポールは先進諸国の高齢化に関する経験から教訓を学びとるべきだろう。

3.財政的保証

高齢者に関し、個人、集団の両方のレベルで最も重要な問題として、健康の問題に加えて財政的保証問題がある。ヘルスケアも含めて、ケアが受けられるかどうかは、それを賄うだけの経済力によるからである。別の観点からみれば、それによって社会的な援助体制への依存度が決まってくるということになる。


表1 シンガポールの人口の統計的動向(1980〜2030年)

個人の労働収入の貯蓄や税収を基盤とした高齢者用の財源は、金銭的なものと非金銭的なものの両方を含む。雇用は、経済力を確保することになり、高齢になっても引き続き労働能力があれば、経済的独立の大きな助けとなる。これは必ずしも、家族をもたない者にとって必要性がより高いというわけではない。家族構成が変化している現在、だれもが、より長期間働き続ける必要性が高まっているといえる。これが現在、あるいは将来においても可能であるかどうかは、高齢者雇用の需要次第である。したがってまず、シンガポールにおける現在および今後の社会経済的特性を選択的に検討することから始めるのがよいと考える。続いて、社会保障との取組みを検討したい。
表4は、1993年の年齢別労働市場参加率を示したものである。全般的に、年齢とともに参加率は低下する。女性の場合は特に急速に低下している。55歳であった退職年齢が60歳に引き上げられたのはつい最近のことである。1993年に40歳であった男性の退職は67〜70歳となる可能性が非常に強く、したがって経済的自立度がより高まることになる。女性の割合も高まるではあろうが、従来、高齢者の世話は女性がするものと考えられているため、全体的としての割合は低いところにとどまるであろう。
図1は1980年から1990年の間の高齢労働者の労働市場参加率を比較したものである。60歳以上の参加率がわずかに低下してはいるが、50歳から59歳までの参加率が上昇していることは好ましい現象である。
定年制が法制化したのは最近のことである。55歳定年以降の高齢者雇用を奨励するため、1988年7月行で法定の雇用費が軽減された。これは、雇用者および被雇用者による社会保障費の負担減という形をとった。それと同時に、高齢労働者が働き続けることの奨励策として、さらに所得税減税の措置が認められた。
単に雇用されれば財政的に保証されるということではなく、その収入次第である。表5のデータを検討してみよう。労働者総数(1の欄)に照らしてみると、60歳以上の労働者は圧倒的に低賃金の仕事に集中しているのがわかる。このグループの多くが、パートタイム労働者である可能性は高い。将来の高齢者の状況は改善されると考えられる(3および6の欄)。
ここに表れている格差の多くは、学歴の差からきている。1980年以来いくらか改善されているとはいえ、40〜49歳の年齢層に比べると50歳以上の人々の学歴が非常に低いことは明らかである。


表2 各国の高齢者人口増加率(1985〜2025年)


表3 シンガポール、フランス、日本の高齢化の速度

さらに60歳以上のほとんどは、第2次世界大戦後の教育の機会拡大の恩恵にあずかっていない。若い女性の学歴は若い男性にほぼ追いついてきたが、若い女性と高齢の女性との学歴の差は、男性の場合よりもさらに大きく開いている。こうした推移をみると、現状に変化がなければ、将来は、より学歴の高い高齢者が、より大きな財源を有することになるはずである。
現在の高齢者の失業率はごく低いものであるが、以下の2つの点について考えなければならない。
?@技術的に高度化していく経済社会のなかで、どのようにして雇用を維持し続けるか。
?A賃金水準をどう高めるか。
高齢労働者を、その技術レベルに適した仕事に配備し、トレーニングを行うことが、有用な措置として提案される。しかし同時に、それまでの教育のレベルが非常に低いことと関連した問題が発生する。この年齢層が低賃金の仕事に集中している理由もおのずと明らかである。現在の高齢労働者層は、将来の高齢者層とは対照的に、個人貯蓄が少ないため、家族、地域社会、および国家の援助をより多く必要とすることになる。


表4 シンガポールの年齢別・性別労働市場参加率(1993年)


表5 シンガポールの年齢層別月間賃金(1992年)


図1 年齢別高齢者労働市場参加率

次にシンガポールの社会保障体制について述べる。最も包括的なレベルでは、死亡、退職、失業、病気、障害などで所得が途絶えたり減少した場合にも収入が維持されるような制度となっている。シンガポールにおける社会保障の主軸は、1955年から始まった、退職に備えた強制的貯蓄制度の中央準備基金(Central Provident Fund:CPF)である。これは全面的に貯蓄を基盤としているため、大半の先進諸国でみられるような源泉徴収方式的なシステムほどの保障はない。また、これは政府予算に組み込まれてはいない。
雇用者および被雇用者の負担額は、法定で年齢によって異なり、55歳以上は負担率が低くなる。貯蓄には利子がつき、元利ともに非課税である。貯蓄を利用して、認可された金融および非金融(所有物)資産を購入することもできる。
さらに負担額の6%はメディセーブ口座に組み入れられ、入院や認可された外来診療の基金となる。したがってこの制度では、医療を含めた自らの社会保障の責任は、個人および家族に帰するものである。個人の貯蓄残高は、就業経験、賃金レベル、負担率および利子によって異なる。この基金を適切に管理して、少なくとも現実的な価値の維持が図られねばならない。寿命が延びている現在、その重要性は特に高い。
制度の性格上、対象となるのは雇用労働者(1992年以降は自営業者も含む)のみである。1992年のCPF加入者の実数は労働者総数の68%であり、したがって全体の1/3弱が未加入ということになる。またシンガポールには失業保険がない。
実際に備蓄されているCPF基金について年齢層別に検討してみよう。
表6によれば、現在すでに高齢者層に入る人々のCPF基金に関する条件は、40〜54歳のグループと比較するとかなり悪いことがわかる。将来高齢者となる人々は、賃金が高いうえに、より高い負担率の恩恵を受け、雇用状態もより完全雇用に近くなっている。高年齢層の場合は、過去においても現在でも賃金レベルが比較的低いため、CPF以外の貯蓄を十分にもっているとは考えがたい。
高年齢の女性は、高年齢の男性に比べて賃金も低く、また職歴も短いことが多いため、さらに条件が悪くなる。
このように貯蓄高が低いため、1987年に、最低金額補充制度が導入された。この制度は個人が、両親、配偶者、あるいは自分自身のために、現金貯蓄やCPF貯蓄からの移行によって、最低限の金額を年金用に積み立てるというものである。これによって基金内部および年齢層間の移行が可能となるのである。
またこの制度は、退職後の収入を政府に依存するのではなく、個人および家族の責任の下で確保しておくという、政府の意向を強化する役割も果たしている。


表6 シンガポールの就業高齢者のCFP貯蓄残高(1992年)

承認を受ければ、CPF貯蓄を利用して不動産を含めた資産を購入することができる。年齢別の内訳のデータはないが、1990年の持ち家率は87.5%であった。このようにCPF貯蓄は、特に公共住宅に居住する者に対する持ち家率100%達成という政府の目標のためにも利用されていることになる。住宅資金を高齢者ケアやその他の費用として使うことが可能になるため、持ち家率をみれば、全般的な高齢者の財政的保障の程度が推し量れる。高齢者問題委員会は1984年に、生残利息を基盤とした年金制度を提案した。その後1993年には再度その可能性が検討されたが、現在はまだ調査段階にとどまっている。今後数年の間に成果がみられることになるであろう。
このように、個人の責任負担に重点をおいた強制的貯蓄制度が、シンガポールの社会保障制度の中心となっている。貯蓄は、金銭によるものと、そうでない資産によって蓄積される(注6)。どれだけの運用益が得られるかは、資産の運用の仕方に大きくかかわっている。

4.健康

高齢化とともに、保健・医療サービスの必要性が増大するのは当然の成り行きである。高齢者の健康状態は、本人だけの問題ではなく社会的な影響の面でも重要な問題である。政府の保健政策およびプログラムが、プライマリーヘルスケアに重点をおいているのは、長期的な観点からみればその方が安くあがり、一般にも前向きの姿勢を生み出すことになるからである。現在、プライマリーヘルスケアの25%、および病院治療の80%が政府負担となっている。高齢者、若年者双方に対する基本的な保健教育が非常に重視されているのも、シンガポールにおける疾病と死亡の主因がライフスタイルからきていることが多いためである。高齢になっても健康を保でれば、家族や地域社会の一員として存続することがより容易となり、好ましい状況をつくり出す。ヘルスケアの費用は民間の責任とみなされ、政府は、それらの有効性と配分を考慮したうえで、さまざまな規模の助成金を提供している。
健康状態の判断は、臨床的評価および自己査定による。特定グループのサンプル調査および高齢者の全国調査は、このいずれか、あるいは両方によって行われている(「高齢者諮問委員会報告1989年」Choo, 1990;Kua, 1994)。これによると全般的には、大半(90〜94%)が外来患者で、健康状態も良好という、見通しのよい結果がでている。現在の若い人々はさらに健康志向が強いため、この人々が将来高齢者となった場合にも同様の健康状態を享受していることと考えられる。
しかし年齢とともに、健康上の問題は増えてくるものである。高齢者は人口の10%に満たないが、国立診療所の外来患者の20%、および国立病院の入院患者の18%が高齢者である(保健省、1992年)。さらに高年高齢者の入院率は、国民全体平均の3.3から4倍、入院期間も2倍以上となっている(保健省、1991年)。次世紀には医療サービスの需要が増加するのは避けられない。医療技術の進歩や生活水準の向上とともに、医療費も高騰すると考えられ、情報の不均衡や不適切な選択など、供給者側に原因のある需要増大も考えられる。入退院を繰り返したり、非外来患者となることの多い高年高齢者の人口の増加がより急速になれば、保健医療サービスにかかる負担はさらに増大し、状況の悪化を招くことになるであろう。
このように全体としては、ヘルスケアの財源は個人的な責任であるというのが公式の見解である。このことは、強制的貯蓄制度の一部であるメディセイブ制度にも反映されている。この制度では35歳以下の人の強制貯蓄の6%がメディセイブ口座に充当され、口座所有者や肉親の入院および承認された外来治療の費用にあてられる。この率は、35歳から44歳では7%、45歳以上は8%となる。55歳で強制的貯蓄を引き出す際にも、メディセイブ口座に1万シンガポールドルを残さなければならない。
シンガポールでは、メディセイブ制度が開始されてからの期間が短いため、平均貯蓄残高はまだ低く、その使い方もコントロールされていない。さらに、高齢のシンガポール国民は、メディセイブをもたなかったり、もっていても極度の少額にとどまっており、自営業者がこの制度に組み入れられたのは、1992年からにすぎない。いずれにせよメディセイブは、長期の入院を必要とする重病に十分に対処できるだけのものではない。1990年に、重病のための国家保険制度であるメディシールドが急拠導入されたのも、主としてそのためである。
全額前払い式の医療保険制度の下では、過度な要求がなされる傾向があるが、この制度はそれを避けるために、控除免責歩合制と相互支払い方式を採用している。現在のところ加入率は90%近くになっている。それでも、この制度でカバーできるのは、人口の半数強にすぎない。
民間の医療保険制度も十分に発達しているとはいえない。メディシールドの年齢制限は65歳から70歳に引き上げられたが、これは医療の必要性が増す年齢層であること、誤った選択と高額費用が発生する可能性が非常に強いことにより、失策につながるのではないかと懸念されている。同時に、この制度によって、最高齢者層は民間の保険制度に加入できなくなることになり、この格差を埋める必要がある。以下に述べるメディファンド制度がその役割を果たす可能性をもつものである。
余剰予算を基金として1993年に設置されたメディファンドは、言い換えれば税金を財源としたものである。基本資金2億シンガポールドルで発足したもので、一定額になるまで毎年1億シンガポールドルが追加されていくことになっている。国立病院のCおよびB2病棟の全額または部分的な費用が、基本資金からの収入のみで賄われる。対象となるのは次の3種類の人々である。
?@医療費支払い免除の登録をした困窮・貧困者。
?A十分なメディセイブ貯蓄ができるほど長期間働いておらず、また、高額の医療費請求をされている若い人々。
?Bメディセイブ貯蓄のない、あるいは十分でない高齢者。
安全弁的役割のこの制度は、発足したばかりであり、その他のシンガポールの福祉プログラムと同様、その運営も厳しいものとなるであろう。
メディファンドのほかにも、政府による保健サービスには、プライマリーケアと治療的ケアの双方で、有効性と分配への配慮にしたがって、さまざまな段階の助成金が出ている。1990年代初頭には、国内総生産の1%に満たなかったこうした助成金も、人口の高齢化に伴って増大することになるであろう。プライマリーサービスの場合、高齢者には非高齢者の半額が請求される。福祉措置を受けている者は無料である。
入院に関する助成金は、クラスB2については発生コストの40%、クラスCは25%を補助、クラスAおよびB1は全額補助となっている。助成金のランクづけは、不必要な消費を抑えるという意図を基本としている。クラスCの設備の費用を貯えない者は、メディファンド適用を申請することができる。このように助成プログラムは、財源の乏しい人々に対する特別援助の手段として設置されたものである。
しかし人口の高齢化によって、保健サービスのなかで、このほかにもいくつかの変更の必要性が生じている。たとえば、健診施設、健康人、病人、虚弱な高齢者などに対する包括的な老人医療的サービスの充実・卒中などの長期にわたる慢性の退行性疾病の患者が、急性病治療のための病院で高額治療費を支払わなくてもすむようにするための地域病院。非常に体の弱った人のためのケア施設、家庭看護(1976年からは、シンガポール家庭看護財団がサービスを提供している)。その他のデイケアや一時的ケア施設の拡充などが挙げられる。このように老人病院サービスの拡大と平行して、費用の少ない非病院の代替サービスが同様の重要性をもってくるのである。
高齢者へのサービスに関してシンガポールで特に問題になるのが、人手不足問題である。次世紀にはさらにそれが悪化し、労働需要は供給を上回ることになるだろう。また労働市場の逼迫が激しくなり、望ましいサービスのレベルを達成することは難しくなると思われる。特に現在は、看護婦、療法士、その他医療分野の補助的労働力の不足が深刻である。したがって、単に訓練施設の拡大だけでなく、報酬などでも魅力ある条件が必要となる。高齢者のためのその他の支援サービスとしては、かなりのボランティアの助力も求められるが、現在はまだ少ないレベルにとどまっている。こうした人々を育成し、その役割を高めていくことが現在の急務といえる。

5.家族と社会の支援

シンガポール政府および社会は、少なくとも現在は、高齢者は施設よりも家族や地域社会のなかにいるのがよいと確信している。シンガポールの国民は、それぞれの宗教や親族の結び付きを基盤としており、中国系(78%)、マレー系(14%)、インド系(7%)の3つの民族グループが主となっている。したがって、人口の高齢化に関する社会的通念も、家族中心のものになっている。
急速な社会経済的変化によって、このような価値観が崩壊することが考えられるため、政府は、学校での倫理教育、経済的インセンティブ、住宅、その他の政策を通じて、家族の団結と支援を奨励する努力を続けている。
高齢者の生活に関しての調査によると、かなりの高齢者が家族と同居していることがわかった(「高齢者諮問委員会に関する1989年度報告」Blake, 1992:Kua, 1994)。表7にあるように1990年の国勢調査でもそれが裏付けられている。ここでは、既婚または未婚の子どものいる(両親や祖父母もいればそれを含めて)夫婦をfamily nucleus(家族の核)と定義しているが、これは社会学の分野ではstem familyと呼ばれている。これら3種類の民族グループの子供たちは成人後も、結婚するまでは両親との同居を続けるというパターンが一般的である。
公共住宅政策では、2世代、3世代が近距離で生活することを奨励すると同時に、若い独身者が公共住宅を借りたり購入するのを困難にする措置がとられている。人口のほぼ90%が公共住宅に住んでいるため、この政策はスムーズに実施されている。また、働く既婚女性に関する最近の調査では、親族の近くに住むことを好む傾向がみられる。調査に応じた人々は、両親あるいは配偶者の両親の近くに住むことを望んでおり、それによって家族の価値が高まり、さらには食費、交通費、子どもの世話などにかかる費用の節約にもつながるとしている(Straits Times, Singapore, 7July 1994)。
家族との同居によって、高齢者は経済的な支援も受けることができる。これは働く成人の82%が毎月両親に金銭を与えているという最近の調査結果でも裏付けられている(Strait Times, Singapore, 23 July 1994)。また、高齢者にとってはCPF貯蓄が重要な財源ではない。女性にとってはさらにその重要性は低い。全般的に、高齢の病人は家族、特に娘が世話をしているのが通常である。
しかし、今後も、この伝統的な家族支援の形態が続くかどうかは疑問である。
まず、人口分布やその他の変化によってケアを提供できる人の数が減少するであろう。そして家族規模の縮小、独身者の増加、女性の高齢者の増加、高年高齢者の増加、女性の労働参加率の増加などにより、ケアの提供者に対する需要が増大するものと考えられる。また、世間一般に、若い世代の姿勢と価値観が変化していることが指摘される。これは個人主義的で競争的な人間を生み出し、グループや地域社会の利益を軽視する結果となっている。


表7 シンガポールの民間住宅に住む家族核(1990年)

これらの点から考えても、ケアの提供者に対しては、地域社会や社会全体からのより多くの支援が必要であろう。こうした支援を提供するにあたっては、シンガポールという多民族、多宗教の社会においては、国家レベルよりも、地域社会的な構造のなかで行うほうがより適切である。しかし外部的な支援制度が発展することによって、家族的支援態勢がかえって弱体化するというジレンマがある。
したがって、家族の絆をより強くし、グループ精神をしっかりと教えることが、いっそうの重要性を増してくる。立法措置がその答えとなりうるだろうか。
一般の意見はかなり分かれるところであるが、両親の扶養を立法化しようという法案が、民間議員からシンガポール議会に提出されており、立法化される可能性が非常に強い。
しかし、高齢化問題は家族だけで処理できることではない。家庭看護サービスを除けば、地域社会を基盤とする介護サービス、ホームヘルプサービス、デイケアなどの支援プログラムはまだ十分な形態を整えるに至っていない。政府は、これらのサービスは非政府組織によるものとし、政府としては一定限度の補助をするにとどめるという姿勢をとっている。
政府の福祉政策に簡単に触れておきたい。
シンガポールでの福祉サービスは、政府援助制度(Public Assistance Scheme:PAS)を通じて実施されている。援助の対象は、高齢の貧困者、完全就業不能者、慢性病患者、および浮浪者である。つまり、働けない人に限った援助ということが大筋の原則であり、援助額は、福祉症候群を助長させないだけの少額にとどめられる。
政府は主として貧困者を対象とした老人ホームを運営している。入居の基準は厳しいが、これを少し緩和して、家族が世話をすることの難しい慢性病の病人も含める必要があると思われる。
今後の高齢者への社会的サービスの需要が増大することは確実で、高齢者は、政治的にも重要な存在となってくる。政府がこれにどう対処するかは、興味深いところである。

6.結論

シンガポールにおける現在および将来の高齢者の状況を、人口統計、経済、および社会的な面から考察してきたが、今後の人口分布や社会経済的変化によって、家族からの支援の低下が進むであろう。しかし、全般的にみて将来の高齢者は、よりいっそうの財政的保障と、よりよい健康状態を享受できるであろう。つまり、さまざまな面で弱者である高年高齢者の数が急速に増加することを考え併せて、地域社会や社会全体からのより大きな支援が求められるということになる。
東洋的概念のなかで、現在は家族と同居している高齢者が圧倒的に多い。これにはシンガポールの住宅政策もかなりの貢献をしている。現在のような家族や親族の結び付きは、物理的にも精神的にも、高齢者の幸せな生活のために不可欠な役割を果たしている。西欧先進諸国でも、その重要性が認識されるようになってきた。高齢者への満足のいく支援と並んで、地域社会に十分に組み込んでいくことが、同様の重要性をもつ。高齢者をいかにして生き生きとした存在にするかは、近い将来に向けての重要な課題である。
また、高齢者ケアは、国家の責任というよりも、個人および家族の課題と考えられる。その手段として、シンガポールでは強制的貯蓄制度を基金のよりどころとしている。西欧の税収を基盤とした保障制度とは異なり、シンガポールの制度は、政府予算の流出先にはなっておらず、税収配分における歪みを防いでいる。こうした制度の性格自体が、高い雇用率と低いインフレ率を達成しようという、より慎重なマクロ経済的政策の必要性を政府に認識させることになっているのではなかろうか。
しかし、この制度は雇用者によって支えられているため、普遍的に適用することはできない。さらにインフレと寿命の延びを考えると、強制的貯蓄制度がどこまで適切かという疑問が発生する。1つの解決策としては、受給資格のための資産調査に基づいた移転支出措置をとることが考えられる。代替案として、何らかの限度つきの保険を導入するのも一案である。あるいはメディファンドに似たシステムをつくり、臨時の出費に備えるのもよいであろう。
現在のところ、高齢者に関する政府の直接関与は、限定されているといえるだろう。しかし、その数が多いことと、政策が介入しているという含みだけを考えても、さまざまなサービスに対するこのグループからの需要は増大していくであろう。一方では、この現象は、提供されるサービスの内容を変化させるだけのものかもしれない。しかしもう一方では、人口統計的および社会経済的な変化によって、直接的な役割を果たすことが要求されることも考えられる。
高齢化は社会と政治にとって難しい問題である。内部的および外部的な支援システムを支えるためには、賢明な政策やプログラムをミックスするだけでは足りない。近隣の協力や互助の態勢をつくって官民の橋渡しとし、実施の過程のなかで集団の伝統を教えていくというような、非公式な民間の態勢を育み強化していくことが必要である。
注訳
注1.居住者とは、シンガポール国民で永久居住者を指す。労働許可や専門職としての許可で居住する者は除外する。1990年のシンガポールの総人口は300万人であった。
2.委員会は「高齢化の問題に関する報告書」(保健省、1984年)を作成した。
3.社会省(Min1stry of Social Affairs)「老齢者全国調査報告書」1983年。
4.「高齢者諮問委員会報告書」(地域開発省、1989年)
5.ここで用いられている足切りのポイントは60歳。シンガポールの退職年齢および国連のアクション・プランと合致。
6.資産をもたない者、あるいは担保を入れることを望まない者は、55歳で貯蓄を引き出す場合、最低限度の一定金額を口座に残さねばならない。最低額は、年金の資金となる。
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