1.寿命の延び:成功における失敗
世界保健機構(WHO)の1984年のデータによれば、全世界の60歳以上の人口は3億7600万人を超えるとされている。この数は、2000年には5億9000万人、2020年には9億7600万人にまで増加すると予測される。1980年から2000年までの60歳以上の人口増加のほぼ4分の3が、発展途上国で発生するとしている人口統計予測もある(WHO Technological Report Series、No.706, 1984)。
世界全体の平均寿命は1960〜65年には51.5歳であったが、1985〜90年には61.5歳にまで延びた。わずか25年間で、10年延びたということになる。日本では、男性の平均寿命76歳、女性は82歳と、世界一の長寿を誇っている。過去100年間で、男女を合わせた平均寿命は37年延びた。
このように全体的に寿命が延びていることは確実であり、かつてないほどに長寿の人が増えてきている。これは人類が達成した素晴らしい実績であり、人間の真のサクセスストーリーである。
では、寿命の延びはなにをもたらしたのだろうか。町の中や公園を見渡してみると、あてもなく1人でうろうろしている年寄りが目につく。病院のベッドの大半は、高齢者で占められている。人生の終盤に向けて、多くの人は痴呆症を恐れている。私たちはいま、寿命が延びたことの意義が達成されているのかどうか、疑問をもつようになった。より長く生きることは、祝福なのか、苦しみなのかという戸惑いがある。
日本の辻一郎博士の研究報告によれば、1970年から1990年の問に65歳であった人は、寿命が3.6年延びたとのことである。この3.6年のうち、活動的に過ごせる時間が2.7年、延びた寿命の25%に当たる0.9年は病気などで活動できない期間となっている。さらにこの報告では、延びた寿命のうち、75歳では30%、85歳では40%の期間を、障害をもって生きているとのことである。
平均寿命の延びに従い、活動できる年数も増加している。しかし、活動できる年数の延びは、寿命の延びの速さには追いついていない。つまり、寿命の延びに伴って、病気などで活動できない期間も長くなっているということになる。
そこで人々は「われわれは人生の質を犠牲にして長生きするのだろうか」と自問することになるのである。
このように、延びた寿命の全体的な質という重要な問題が生まれている。この疑問に対する答えが見いだせない限り、寿命の延びは人間の「成功における失敗」の物語で終わることになる。
失敗の理由を挙げれば数多くのことが出てくるが、中島博士が「高齢者ケアの新しい夜明け(New Horizons in Elderly Care)」と題したスピーチのなかで挙げた2つの理由をここでは述べることにする。
まず博士は、先進経済諸国のなかで、人口の高齢化に備えて事前に計画を立てていた国はまったくないことを指摘している。それに対しては以下の4つの理由が挙げられている。
?@発展の規模を評価していなかった。
?A政治的意志の不足。
?B重要な時期に、戦争やその後の復興などのことにとらわれすぎていた。
?C参考にすべき過去の経験がなかった。
中島博士が挙げる2番目の失敗の理由は、不適切かつ不十分なヘルスケアの制度である。先進諸国におけるヘルスケアサービスの多くは高額であり、高齢者のさまざまなニーズに対応したものではないことを博士は指摘している。
2.高齢者の問題
一般的に、高齢者問題は主として以下の4つが考えられる。
?@貧困
?A疾病
?B社会的役割の喪失
?C家族や社会からの孤立
これらの問題は相互に関連をもち、多くの高齢者が複数の問題を抱えている。
言い換えれば高齢者は、これら4つの生物学的および非生物学的な疾病に苦しんでいるということになる。
(1)生物学的問題
罹病と死亡率の動向についての統計結果によると、先進諸国では、65歳から74歳までの死因の少なくとも50%は、循環器系の病気によるものであり、65歳から74歳の男女の死因のうち、4分の1が癌である。また、痴呆症は年齢とともに急激に増加し、ある研究によれば、65歳から74歳の年齢層の5%、85歳以上の25%が、痴呆症を呈しているとされている。
過去30年間には、これらの病気の持続期間は平均4年であったものが12年と長期化している。痴呆症は、先進諸国の保健および社会サービスにとって大きな問題になっており、近い将来には、発展途上国もこの難しい問題と直面することになるであろう。
1970年代までは、韓国の高齢者の死因で最も多かったのが伝染性の病気である。その後は、長期的な慢性の退行性疾患と、循環器系の病気に移行し、先進国と同様の状況となった。また、関節炎、高血圧、循環器疾患、慢性の閉塞性肺疾患、糖尿病など、高齢者は多くの健康上の問題を抱えるようになった。したがって、高齢者のヘルスケアの態勢は、現在のように医療中心で特定の問題を扱うという形態よりも、包括的で心身を対象としたホリスティックなものであるのが望ましい。
高齢者のヘルスケアは費用がかかる。1987年にアメリカで行われた調査によると、65歳から69歳の1人当たりの保健関連費用は3,700ドル、85歳以上では3倍の9,200ドルになると報告されている。高年高齢者の数が急速に増加している現在、高齢者の健康上の主な問題の予防と治療がさらに進展しない限り、ヘルスケアのコストも急速に膨らむ一方である。
韓国でも、これと同様の状況がみられる。65歳以上の人々は、ほかの年齢層よりもヘルスケアサービスを利用する率が高く、それ以下の年齢の人々よりも入院期間も長くなっている。韓国のヘルスケア経費全体のなかで、65歳以上の人々のヘルスケア費用の占める率は、2000年には10.4%、2010年には13.5%、2020年には16.9%になると予想される。何らかの手を打つことが急務であるのは明らかである。
高齢者人口の増加と慢性的な健康上の問題の増加によって、保健関連経費が増大するのは避けられない。現在の医療体制には、ヘルスケアのコストを軽減する能力はない。したがって、何らかの手段を講じない限り、個人、社会、および政府の財政負担は、大きくなる一方である。
(2)非生物学的疾病:貧困、社会的役割の喪失、孤独
高齢者の多くは、貧困、社会的役割の喪失、孤独などといった非生物学的な疾病に苦しんでいる。これらの問題のなかには、肉体的な病気を原因とするものもあるが、多くは老齢と老齢者に対する社会的認識が原因となっている。高齢者に対する一般の認識としては、以下のような点が考えられる。
?@考えたり動いたりするのが遅い。
?A若いときほどしっかり頭が働かない。
?Bあまり創造的でない。
?C精神的、肉体的に衰えている。
?D友人、配偶者、仕事、地位、力、収入などを失っても、それらを補充することができない。
?Eいくつもの複雑な病気を抱えている。
?F社会や家族や自分自身に対する重荷となっている。
つまり、年をとるということは、劣化することだとみられている。社会的な認識がこのように否定的であることは、高齢者にとってもつらいことであり、ひいては高齢者自身がこうした否定的な認識を自ら取り込んで、社会的な地位を低めてしまう結果となる。そして、高齢者は社会的な役割を失い、貧困と孤独にさいなまれることになる。国民のすべてが、命ある限り質の高い人生を享受できることを望むのであれば、高齢化に対する社会の姿勢を改善し、高齢者への思い込みを変えねばならない。
WHOのWPRO地域ディレクターであるハン・サン・テー博士は、大半の社会では、高齢者の安寧は、その自立の能力の度合いで判断できると述べている。
自立しているためには、健康状態がよいことが必要であり、自分は健康だという認識がなくてはならない。
非生物学的要素のなかで、高齢者の健康に影響を及ぼす最も重要なことは、高齢者本人の経済状況である。これは、家族の結び付きや支援がしっかりしている国においても当てはまることである。
韓国では、60歳以上の年齢層の労働市場参加率は最も低く、労働している人も、その大半が農業や技術を必要としない産業分野にいる。国家公務員、職業軍人、教育者などわずかな例外を除げば、引退後に何らかの年金を受けている高齢者は、韓国にはほとんどいないといってよい・現在の韓国の高齢者層は、この3、40年の韓国の社会的、政治的、経済的不安定のために、老後に備えた蓄えをすることができなかった。したがって高齢者のほとんどが経済的には低い地位にある。
伝統的に韓国の社会では、家族が最も重要な社会保障の形態である。しかし家族の構成も変化してきている。核家族が急増し、多世代の大家族が減少している。したがって、高齢者のための保障やケアに関して家族を頼りにすることができなくなってきている。
韓国の世帯当たりの家族数は、1970年には平均6.3人であったが、1990年には3.8人となった。夫婦と子ども1人か2人という家庭が多くなってきている。
同時に、女性の労働市場参加率が急速に上昇し、1980年のデータでは、若い女性の46.5%が労働市場に参加している。そのため、体の弱った高齢者の世話をする家族のいる家庭は非常に少なくなってきた。最新の韓国のデータによれば、高齢者の22.9%が独り暮らしである。老人は家族の重荷になっているのであろうか。家族や社会において役割をもたない高齢者たちは、孤立し、孤独感を感じている。この問題にわれわれは焦点を当てなければならない。
3.高齢者のニーズにこたえる看護
高齢になってからしっかりしたクオリティー・オブ・ライフ(Quality of Life:QOL)を確保するためには、どうしたらよいだろうか。これは、保健の分野で働くすべての専門家に投げかけられている最大の課題である。この問いかけへの答えとしては、ヘルスウェルネスに重点をおいた新しい看護モデルが開発されている。
高齢者の健康上の問題は、高齢になる以前に発生していることが多く、ライフスタイルと密接な関連があるため、新しいモデルは、高齢者だけでなく全人口を対象としている。また高齢者の約15%が何らかの健康上の問題を有しており、新しいモデルが最優先課題としているのは、健康上の問題をもつ高齢者の割合を減少させることである。しかし、残り85%の高齢者の健康維持と増進も、新しいモデルの重要な目的となっている。
高齢者の健康問題は、若い人々の問題とは異なり、肉体的、心理的、社会的な問題が絡み合っているため本質的に複雑であり、慢性的で不治のものであることが多い。高齢者にとって必要なのは、苦痛や障害を最小限度に抑え、自立して活動的な生活を送れるようにすることである。病気治療という短期的ケアよりも、長期的な包括的ケアが必要である。
つまり、病院という枠のなかで急性疾患の治療を対象とした現行の医療モデルでは、高齢者の健康上の問題は処理しきれないのである。病気治療だけでなく、健康維持、健康増進、リハビリテーションなどのケアが、高齢者全員に提供できるような、総合的ヘルスケアモデルに焦点を当てた看護やヘルスウェルネス体制が望まれる。この新しい体制のなかでヘルスケアに従事する者は、高齢者人口の増加に伴うニーズの多様化に備えて、高齢者の健康問題を熟知し、ケースマネジメントの概念を適用できなければならない。
また、QOLを向上させるためには、予防的サービスが効果的であり、これにより疾病の発症率を低下させ、また高齢者の病気の期間短縮に役立つのである。そして将来は、病院や老人ホームなどの施設から離れたケア体制をもつべきである。高齢者の健康問題は、スペシャリスト数人によるのではなく、老人ケアの専門家が取り扱うようにすべきである。病院は、高度な医療技術を必要とする短期的な問題の場合にのみ利用されるべきである。
先進諸国における老人ホームの問題を繰り返してはならない。そこで生じたさまざまな問題を見直し、老人ホームでのケアの基準を確立し、ホーム入所の高齢者のQOLが保たれるようにしなければならない。また、障害をもつ高齢者のためのリハビリテーションプログラムをさらに開発していくべきである。
高齢者ケアにおいて、地域社会を基盤とした家庭でのヘルスケアが必須であると私は確信している。家庭でしかるべき看護ケアを受けられれば、高齢者は住み慣れた環境での生活を続けることができ、最大限のQOLの達成が可能となる。また地域社会べースの家庭内ヘルスケアは、ヘルスケアの費用を削減できるという意味でも有意義である。そして、家庭訪問によるヘルスケアの提供により、高齢者の孤独感や社会からの孤立感を軽減することもできるのである。
ヘルスケアサービスへのアクセスが普及している国では、費用のかからないサービスが手近でない場合、病院で高額なケアを受けることが一般的なようである。高齢者用の擁護住宅、家庭訪問制度、その他定期的な地域的支援サービスが十分でないために、施設に入れざるをえない状態を引き起こしている。
健康を保っている85%の高齢者については、予防医療を含めたプライマリーヘルスケアを提供する必要がある。これは必ずしも医師が行う必要のないものであり、韓国では、地域保健婦がプライマリーヘルスケアを実施している。この人材は、将来的にも活用されていくであろう。
アメリカ保健福祉省は「健康な国民2000年」のなかで、健康維持および障害や生命を脅かす病気などを防ぐために、65歳以上の人には定期的なヘルスケアのサービスが必要であると述べている。この臨床的な予防サービスには、高血圧のコントロール、癌の検診、肺炎やインフルエンザの予防注射、健康的な生活のためのカウンセリング、関節炎や骨組霧症などの慢性症状との取り組み方に関するセラピーなどが含まれている。
また、病気や活動不能な期間を短縮するためには、高齢者に対するプライマリーヘルスケアを、政府レベルで提供できるようにする必要もある。高齢化する人口に対してプライマリーヘルスケアを提供することは、高齢者の依存度と、施設によるケアを軽減することにつながり、健康管理プログラムにおけるプライマリーヘルスケアは最も効果的なサービスと思われる。また、プライマリーヘルスケアは、単に保健施設だけでなく、地域社会での健康人のためのウェルネスセンターでも提供が可能である。
先進国においてさえ、健康を損なった高齢者のケアの80%以上は、家庭に依存しているのである。このことからも、コミュニティベースでの実践看護婦は、さまざまな情報源ともなり、高齢者や家族に、よりよいプライマリーヘルスケアを提供でさることになるのである。
1993年のWHO、WPROの地域セミナーでは、その参加国すべてが、高齢者に対するケアの提供者の主体は家族であると報告している。つまり、政府が主体となって、高齢者のためのケアを提供している国はみられなかった。高齢者の家族に対しては、ケアの必要な高齢者のためのデイケアや一時的ケアなどの支援サービスを提供しなければならない。そうすれば、家族は、高齢の両親の世話をしながらも経済的活動を継続することができる。また、こうしたケアが提供されれば、家族としての安定した正常な生活を維持する助けとなるのである。
4.結論
上手に年齢を重ねるためには、日ごろから健康なライフスタイルを実践することが必要である。高齢者のヘルスケアは、60歳、65歳という年齢になってから始まるものではなく、また、その慢性病は、高齢になってから始まるのでもない。したがって、現在の医療ケアのシステムを改革し、ヘルスケアのシステムとして機能するようにしなければならない。
また、ヘルスケアを職業とする最大のグループである看護婦・看護士は、高齢者を擁護する立場に立ち、公の政策を展開させるよう機能すべきである。そして、人々が健康的なライフスタイルを維持するように指導し、年をとることや、高齢者に対する誤解を正していかなければならない。さらに、看護者の基本的な任務は、高齢者が、自らの能力を認識し、自立できる力を奨励することである。
看護活動を通じて高齢者のためにできることは多々ある。看護ウェルネスモデルを利用して、高齢者の健康の維持と増進を図り、苦痛と障害を予防したり最小限に抑えるなどの包括的なヘルスケアサービスの提供が可能である。このようなサービスプログラムに重点をおいた看護モデルは、高齢者の社会からの孤立や孤独感の軽減にも役立つものである。
もし、現在の医療志向のヘルスケア体制を改革し、看護者を増やし、健康と福祉に重点をおいた包括的なヘルスケアシステムを開発する意図が政府にあるならば、高齢者ケアの将来は明るく希望のあるものになるであろう。
高齢者ケアは、看護者という職業にとっても大きな課題である。この課題にしっかりとこたえるために、自らを啓発し続け、看護に関する研究にも参加し、前途多難ではあるが、高齢者のヘルスケア分野の主要な力として成長、発展していかなければならない。
われわれは、単なる生存ではなく、活発な老後を享受しなければならないのである。老後の、あるいは老化のプロセスというものが、苦痛に満ちたものであるか否かというのは、各人の老化現象の考え方、いかに老化や加齢を管理するかということに大きくかかわっている。私は、高齢者ケアの将来というのは、苦痛ではなく、希望に満ちたものであると確信している。
最後に、以前、カナダのシャーリー・スティンソン博士が引用された「希望」という詩を朗読したい。
苦痛はいろいろな形を取り得るが、希望は変遷を可能にする。
不可能と思えることや、未来にとって希望は必要不可欠である。
苦痛は妥協を呼び、希望は発展を呼ぶ。
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