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高齢者ケア国際シンポジウム
第5回(1994年) 日本の高齢者ケアのビジョン


第1部 基調講演  高齢者ケアのビジョン

聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長
日野原重明



「高齢者ケア国際シンポジウム」は、今回で第5回目を迎えることになりました。
この間に、外国から56名、国内から102名の合計158名の方々が、シンポジウムの特別講演者、発表者、またはパネリストとしてご参加いたださました。
このシンポジウムの意義は、21世紀を間近に控えて、急速に高齢化する欧米および東アジアの国々が、高齢者ケアの問題にどのように取り組んできたか、現状をどのように改善しようとしているか、そのなかで老人施設や環境、老人ケアにおけるQuality of Life(QOL)についてどのように対処しているかを話し合う場をつくることにあります。また、シンポジウムで得られた内容を、各国での問題解決やゴール達成への戦略の構築に役立たせようというのが、シンポジウム開催の意図なのです。
日本より1世紀ないし半世紀先立って人口高齢化への対策に備えたフランス、スウェーデン、その他の欧米先進国の高齢化対策の歴史的変遷を日本は学んできましたが、わが国の人口高齢化の出現は欧米諸国よりはるかに遅いものの、いったん高齢化が始まってからのスピードは、欧米のどの国よりも急速です(図1)。人口の65歳以上の老齢化が7%から14%に上昇するまでの年数は、フランスでは115年、スウェーデンでは85年、西ドイツ・イギリスでは45年を要したのに対し、日本ではわずか25年しかかかっていません。この調子で65歳以上の老人人口が増え続けると、2025年には、日本人の全人口の25%が高齢者となるわけです。また、日本と同じ運命をたどるであろう中国や韓国などのアジア諸国も欧米文化国が実践してきた高齢者ケアへの対策を学び、目標を設定しなくてはならないのです。
1990年の第1回のシンポジウムでは、WHOの中島事務総長より、高齢者ケアの負担に関連して、健康な高齢者の増加や高齢者の能力低下を防ぐ処置の必要性が強調されました。作家の遠藤周作氏は、高齢者ケアの問題に対して、医師や医療関係者だけではなく、住民が自分の問題として考えて積極的にかかわり、ボランティア運動がもっと推進されなければならないことを強調されました。
また、各国の高齢者ケアの現状と問題点が披瀝されました。過去半世紀の間に北欧諸国では、多額の国家予算で立派な老人施設がつくられ、医療と福祉を公的に支える国家的施策により、施設ケアのレベルは世界をリードするものとなりました。しかし、国家経済の困難が増加するなかで、近年、在宅ケアに主力をおくという政策転換がなされてきた推移が、スウェーデン、デンマークの代表者から報告され、この老人ケア先進国の戦略転換は、日本の将来の対策に強い影響を与えることにもなりました。欧米に少なく日本に多い寝たきり高齢者への対策として、日米の比較研究のデータが日米両国から発表され、立ち遅れた日本の痴呆性高齢者ケアの問題点が日本側から取り上げられました。
高齢者ケアにおける最も重要な問題は、老人症候群として取り上げられる3つの症候、すなわち転倒による骨折、尿失禁および老人性痴呆であります。
1991年、第2回のシンポジウムでは、痴呆性老人の介護と人間の尊厳が主なテーマとして取り上げられました。
基調講演としては、ドイツの老人医学研究者であるレール博士が、ドイツにおける1世代世帯や独り暮らし世帯の増加を挙げ、また介護家族の50%は60歳以上の女性が担い、25%は75歳以上の女性によるという日本と同様の高齢女性による負担の実態を述べられました。そして、老人が何歳まで生き延びるかということだけでなく、どのような生きがいを与えることができるかという、高齢者のQOLの重要性を指摘されました。そのためには優れた保健衛生や予防医学をヘルスケアシステムに十分に取り入れること、さらに学際的協力なしには高齢者の生活にQOLを与えることはできないことを強調されました。また、仏教およびインド哲学者の中村元博士は、インドに始まる仏教に示された老いと死の受容、老いへの尊敬の心について述べられました。
このシンポジウムでは、アメリカのフランクリン博士(前国立老人研究所長)が、健康な血管をもつ老人は高齢でも心機能のよいこと、ナーシングホームでの個人を重視した個別的ケアの重要性を強調されました。また、老人性痴呆をテーマとしたパネルディスカッションでは、老人に対しての尊厳あるケアの必要性が論じられ、ぼけ老人を支えるボランティア・グループの代表からは、患者と家族の側から専門家への数々の提言がなされました。


図1 65歳人口比率14%への到達年数の国際比較

1992年の第3回シンポジウムでは、ドイツの高齢者行政の責任者であるフェルフュールドンク長官により、1996年に全国民の長期介護保険制度が健康保険制度に含まれると述べられました。これは、家族による在宅ケアの犠牲を少なくするうえで考えられたものです。また、ドイツのナーシングホームの基準の低さを指摘し、看護力、介護力不足への国家の対応が迫られている現状を述べられ、退院後の老人の生活援助センターのニーズも強調されました。
そして、イギリス、デンマーク、スウェーデン、アメリカの各出席者から、高齢者の自立と生活環境の現状が述べられ、横尾厚生省老人保健福祉局長により「高齢者保健福祉推進10か年戦略」が報告されました。高齢者の住環境については、林玉子博士の発表に次いで、デンマークの高齢者へのやさしい町づくりなど各国からの現状と将来が発表され、ゆとりのある生活環境と自立についての有意義な討議がなされました。
昨年(1993年)のシンポジウムでは、高齢者のQOLを中心に討議が行われました。上智大学のデーケン教授は、老人の生き方とQOLについて話され、60歳以後の人生は、二度と戻らない決定的な時間であるため、QOLが満たされることの重要性と、死の準備教育が若いときから必要だということを強調されました。また、QOLをよりよくする要素として、医療者にユーモア感覚が必要なことを力説されました。
アメリカのソマスマ教授からは、高齢者のQOLの倫理的考察が述べられ、老いる時期は、あらためて人生の定義を考える時期であるという反省の下に、その環境づくりこそ大切な高齢者対策であるということを指摘されました。
韓国、中国、スウェーデン、デンマークの出席者からは、高齢者ケアプログラムのなかでQOLを高めるためにどのような配慮がなされているがが報告されました。札幌医科大学の熊本教授は高齢者へのQOLは、性の問題なしには考えられないことを強調されました。そして、このシンポジウムの2つの分科会では、高齢者のQOLのために、専門職はどう関与するべきかが、高齢者の孤独と性の問題を中心に討議されました。
QOLについては、戦後の復興する産業社会のなかで、生産の数量が人間の生きる質を低下させてきたことが、1968年のローマ会議において、まず産業界の間で取り上げられました。私は昨年のシンポジウムの結論として、医学界によるこの問題の取り上げが遅れたことを指摘しました。そして、今後、高齢者のQOLを高めるために、以下の5点を提言しました。
?@高齢者が自己を豊かにするには交友が必要である。
?Aなにか新しいことを始める。
?B若い人から断絶しない。
?C日々、自己を高める努力をする。
?D体と心をいつも使い、廃用症候群にならないようにする。
そして、人生の最後のときに有終の美を与え、患者に希望を与えることの必要性を強調しました。

ビジョンとは

本年度のシンポジウムは、「高齢者ケアのビジョン」と題して、高齢者ケアの各国の専門家からの発言だけでなく、一般の若い世代の方も加えて討議するプログラムを組んでいます。
私はビジョンという言葉を次のように理解しています。
将来計画を立て、それを実行するにはその計画が大きければ大きいほどビジョンが必要で、このことの重要性は世界の歴史をひもとくとだれにも理解されます。
ビジョンは広い意味での目標ですが、それは矢を射る的のように示されているものではありません。科学的な分析と計算とでつくられた具体的なデータがなければ、そして、なにが現在の問題か、将来の問題になるのかが明確にされていなければビジョンの威力は発揮できません。そして、この目標を設定する前に、地域や国家、または人類のニーズを感じ取り、将来の具体的行動の原動力となる力を引き出すことが必要なのです。
ビジョン(Vision)は、ラテン語のビジオ(Visio)に由来し、見えることを意味する英語ないしフランス語ですが、これはもはや日本語となり、夜間の夢とは違った、意識ある人の心の中に生じた幻ともいえます。日本語の幻は、きわめて実現性のない、宙に浮いた幻想といったイメージを与えますが、ビジョンは、天と地上との間をつなぐ、いわばヤコブが夢見た天への梯子のようなものです。
「彼は夢をみたる。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」(旧約聖書、創世記28章12節)。
大切なことは理想を現実化するエネルギーがビジョンを掲げる者のなかになければなりません。それは命がけで願望する人間のみに見えるものです。
このビジョンは、宙にかかる先の切れた梯子ではなく、現実に根ざしながら受け手のある天に向かって射出する力のベクトルとして表現されなければなりません。
そこで私は、ビジョンをもっと明白にするために次のようにこの言葉を表現してみました。
Visionとは、将来を見越す力、予見する力、先見(の明)Intelligent Forceであり、これは、優れた想像的洞察力(Force of Productive Imagination)、時には予言的ビジョン(Prophetive Vision)とも表現される場合があります。
このシンポジウムでは、異なる文明、人種の国々の代表者が各自のビジョンを持ち合うのですが、共通のビジョンづくりの場が、今日私たちに与えられていると確信します。このビジョンづくりは、長老の知恵と情熱だけではなく、若い世代の夢をも加える必要があります。高齢者ケアのビジョンとしては、変転する政治経済事情にも簡単に覆ることのない長期的ビジョンを、老いも若きもが集まったこの会場でいっしょに考え出したいのです。
長期にわたって生き残る(Survive)ものは、単なる知識ではなく、人間の知恵と人間への愛によってつくり上げられねばなりません。ビジョンは、土の器である人間が1代で崩れ消えていくようなものでなく、連続性のある朽ちないものでなければなりません。聖書には次の一文があります。
「愛はいつまでも絶えることはない。しかし、予言はすたれ知識はすたれるであろう。(新約聖書、コリント人への第1の手紙、第13章8節)。
これは、老人への愛がビジョンづくりの根源になければ、ビジョンの恒久性は期待されないことを示唆する言葉です。
また、ヒポクラテスは次のようにいっています。
「人間に対する愛があれば、技術に対する愛もある」(『古い医術について』)。
この言葉は、医師だけでなく医療やケアにあたるすべての専門家になくてはならないものです。

高齢者ケアのビジョン

一方、ケアを受けるいのちの所有者も、それぞれの生の意義を自覚し、いのちの長さ(寿命)よりいのちの質に重きをおく人生を追い求めることを考えつつ、ケアを受けるものとケアを提供するものとが共に考えた高齢者ケアとしてビジョンが明確化されてこそ、恒久的なビジョンが存続します。そして、そのビジョンの実現を目指しての力強い行動の積み上げが期待されるのです。
中国の最古の詩集『詩経』(紀元前11世紀から前6世紀)には次のような句があります。
「初めあらざるはなし、よく終わりあることすくなし」。
この『詩経』は、黄河流域の諸国や王宮で歌われた詩歌305首を集めたもので、儒教の5つの経典の1つとされ、すでに孔子のころから知識人の教養の書とされていたそうです。
この「終わり有る」とは、「有終の美」という表現に一致し、これは、「最後までやり通し、立派な成果を上げる」ということが意味されています。
また中世ラテンの諺にも「終わりが作品を光冠で飾る」という言葉があります。シェイクスピアの「終わりよければすべてよし』と題した戯曲は、この諺からその題を取ったといわれています。
私たちの人生の大半が、どんなに悲劇的であっても、その最後に痛みや苦しみがなく、人々の愛に包まれて終わるものであれば、その人の人生は、有終の美をもたらせたといえましょう。
日本は、老人の自殺率ではハンガリーに次いで高い国で、特に老人ホームに多いといわれています(図2)。これは有終の美からはるかに遠い悲劇です。
人生は、長寿であっても、またやむなく夭折(若死に)であっても、人生の最後こそは、最高の質の高い生き方の実現が望まれます。70歳、80歳、90歳代の高齢まで生き延びた人の最後の生き方が豊かな実りあるものとするためには、周囲の人々や社会の善意、慈しみ深い(Compassionate)愛の心、優しい技術の提供が望まれます。
一方、ケアを受ける当人としても、より高いQOLを目指すには、ケアのよき受け手となる準備が必要です。ケアの受け手となるための支度として、60歳、50歳、40歳代、またはもっと若い世代のうちから、エリック・エリクソンのいった「死に向かって成長する(A growth towarddeath)」ような心の準備がなされなければなりません。いわゆる老後はthe endではなく、勇気ある死への挑戦として実現されなければなりません。この最後のときまで燃え続けるエネルギーは、若い時代から獲得されていかなければならないのです。
天才レオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)は、約500年も前に、当時の若い人々に次の言葉を残しています。
「老年の欠乏を補うに足るものを青年時代に獲得しておけ。そして、もし老年は食物として知恵を必要とするということを理解したら、そういう老年に栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。(『レオナルド・ダ・ビンチの手記』)。
専門家もアマチュアもボランティアも、また老いも若きもが共になって、人生の終わりに有終の美と豊かさを与えるための協力が必要で、そのことによって初めて高齢者ケアは全うされるのです。高齢者が残り少ない命に生きがいを感じられるようなケアを与えられれば、それはまさしく高貴なビジョンであり、高齢者を支えるグループにとってはやりがいのあるものとされ、そこにケアを提供する者にも生きがいが生じるのです。

ビジョン実現の戦略(力場分析)

次に、ビジョンを実現させる戦略の要項をお話しします。
私は、1973年、オーストラリアのシドニーで行われた医学教育指導者のためのワークショップ(WHO西太平洋地区主催)に日本の代表者の1人として出席しました。そこで私たちが学んだことは、ゴールに到達する戦略としてのForce Field Analysis(力場分析)です。この論理的、行動科学的戦略があってこそ、ビジョンの実現が可能なのです。図3は、人生の最終コースに有終の美を与えることができる作戦を示しています。
レベルの高い高齢者ケアを目指すといっても、そこには多くの強い抵抗があります。それらをどのようにして克服するかという計画を立てるのに、この「力場分析」の理念が活用されます。図3に示すように、いくつかの問題を解決してゴールを達成するには、解決を促進させる因子と、それに抵抗すると思われる因子のあることを心得て、1つひとつリストアップしてみることがまず大切です。


図2 男性の自殺死亡率(1987年)

その次に、促進因子を分析して、どの有力な促進因子を利用するか、もっと強い援助により促進因子の力を2倍にするにはどうすればよいか、逆に、どのように抵抗因子を弱めさせるか、または抵抗因子を促進因子の陣営にうまく引き込んでしまうといった作戦を立てるべきです。
そして、この促進因子と抵抗因子をそれぞれ分析し、問題解決の作業開始の優先性を順序づける必要があります。早く問題を解決する作戦を立て、行動を開始すべきです。
この促進因子を増強することと、抵抗因子を減弱する、または排除することのいずれを先に行うかは、問題のそれぞれの特色次第で違います。促進因子を優先的にプッシュすることは、かえって反感を抱いて抵抗を強めることになりかねないので、まず抵抗因子を取り去ることを優先にして行い、そのうえで新しい促進因子を求めて後押しすることが作戦として好ましいと考えます。
この促進因子と抵抗因子とをタイミングよく組み合わせて行うことが有効的です。たとえば、医学部の教育内容を刷新するために医学部長は頭を悩ませます。教授会の意向が2つに分かれたとき、それを調整するには、医学部長はまず抵抗派との間によいコミュニケーションをつくることが大切で、話合いのうえで、納得がなされるタイミングを読み取ることも大切です。また、学生と抵抗する教授との間で討議を行わせることや、経済的に有利な条件を与えて相手の頑さを解くムードをつくることも必要かもしれません。
また、問題をいくつにも分析し、解決が困難なことよりもすぐに解決できることを優先して行うことも大切です。
そして、自分1人の知識や能力で解決できるか、他人の協力や理解が必要なのか、大きな国家的または自治体からの経済的支援がなければ問題は解決しないかなどが問われます。また、すぐに不可能だとあきらめるのではなく、なにかほかの手を打つことにより解決策がないか、すぐには解決しない大きな問題は、少しずつでもその解決にあたり、それを積み上げていくといった作戦上の努力が必要です。
抵抗因子の除去または減弱させることについては、解決に他からの力を要するものと、自分または自分をめぐる小さなフィールドでの努力や協力によりなされるものと、また患者や家族の教育や協力によって困難な問題が解決される可能性があります。これらのことを総合的に分析すれば最も優れた、効果的な解決策が考えられます。
また、促進因子と抵抗因子のうちの、どちら側にまず働きかけるかの決断が大切で、これにはまず事態を分析的に、冷静に考えることが重要です。
目指したあるゴールを実現させるには、時間の因子も重要なものとして考えておかなければなりません。短期間にあることを強行すると、いたずらに抵抗を強くすることがあり、常にほかとのコミュニケーションをよくとって解決策を実行すべきなのです。


図3 ビジョンの実現


日本の現状

日本だけでなく、どの国においても高齢者ケアでの最も重要なことは政府や自治体の経済的援助の枠にあります。これは、北欧諸国のような高い税金負担という国民の支持がなくてはできない面が多く、高齢者ケアの施設や住民の条件をよくすることは、この財政問題が最も大きく関係します。同時に、日本では、特別養護老人ホームや老健施設、老人病院設立などの建築費の経済的援助がある程度はありますが、施設で働く要員数、特に看護婦や介護者の定員が北欧や英米の4分の1から2分の1であり、これでは病院や老人施設の質的レベルアップは非常に困難なことは明白です。これは実際のケアのレベル低下にもつながり、早急に解決すべき問題ですが、定員法を改めるという法律改正上の困難が大きく、解決には絶大な世論のバックアップが必要です。これまで医療従事者は、自分たちだけで問題を解決しようとしていたことを反省しなければなりません。
日本では、国民の教育レベルが非常に高く、高校進学率は、96.5%、大学進学率は、43.3%にもなっています。大学の進学率については、女子の数が年々増加しつつあります(平成3年度学校基本調査速報)。将来の日本の老齢化は他国に比べて著しく急速であり、その教育レベルの高さを利用して、知的な意識転換を図るべきですが、そのためには教育内容の変更が必要となってきます。
人間にとっての教育の成果は、どのように観察し、考え、活動するかという実践のなかで具現します。人間は元来思考することが好きな動物で、碁や将棋、マージャンが盛んに行われていますが、必然的にやってくる老齢者の諸問題には、なぜ頭を使おうとしないのか不思議です。この方面に教育の成果がもっと向けられるべきなのです。
1988年以来、厚生省は、10年間での到達目標を掲げたゴールドプランを実行中です。これにより平成11年(1999)までに、在宅ケアを促進するための介護士制やヘルパー制をつくって、その数の増加に努力をしています(表1)。村山内閣になり、これらの高齢者ケアに携わる人材数は一段と増加されつつありますが、北欧や英米に比べるとその数は明らかに少なく、どうしても家族の協力を借りなければならないというのが現実です。
日本はかつては大家族主義で、在宅ケアも可能なことが多かったのですが、近年には出生率が減り、夫婦間の子どもの数は、1.50人(1992年度)となり、家庭の核化、夫婦共働きという欧米型の家庭に急速に変わりつつあります。つまり、在宅ケアには介護者やヘルパーの手が必要なのです。
日本では、65歳以上の高齢者世帯数が年々増加し、現在65歳以上の老人世帯や老人の独り住まいの数は、図4のように増加しつつあります。将来、高齢者だけの世帯数は、現在の3倍近い1,000万世帯になるといわれています。日本の高齢者ケアをレベルアップするためには、家族自体が、質の高い高齢者ケアのできる知識と技能をもつことが必要で、これには生涯教育が強化され、かつボランティアの数が多くなければなりません。


表1 ゴールドプラン(平成7年概算要求)


日本のボランティア運動の現状

なお、日本におけるボランティアの数は、欧米に比べると非常に少なく、これに関する全国的な統計はありませんが、ボランティアのほとんどが50歳代以上の女性で、男性の参与はきわめてまれです。また若者の参与も少なく、ボランティアに関する啓蒙が日本ではもっと行われなければなりません。
さて、介護士やヘルパーの育成が続けられてもボランティアの果たす役割は将来ますます大きくなります。
ボランティアの基本概念は、自分の財力、知識、技能を無償で提供するということであり、これは世界共通の理解といえましょう。しかし、最近日本では、ボランティアの名の下に安アルバイト的な理解で、安い手当のお金が払われているところがあり、また、切符システム(時間預託制度)で、ボランティアが募集されているという現実もみられます。
この切符システムは、民間のボランティア団体や公的指導下にも進められているそうです。これは、献血すれば自分が輸血を必要とするときに無償で受けられる制度と同じものですが、非常に危険で注意を要することです。
日本では、20〜30年後、寝たきりや痴呆症高齢者数が300万を超えると推定され、これに要する在宅福祉サービスを行う介護者の数は1200万人を要するという計算もなされています。アメリカ合衆国のボランティア数は、現在、8000万人に達しており、アメリカとの人口比で計算しますと、日本では約4000万人表1ゴールドプラン(平成7年度概算要求)という数になり、これは人口の3分の1、成人人口の2分の1にも及びます。つまり、外国と同様に無償のボランティアが4000万人得られたとすれば、20年、30年後に必要となる介護者のボランティアの数のなかで十分間に合うということです。



図4高齢者世帯および全世帯指数の推移

私の新しい発想

その意味で、日本人の間に、純粋なボランティアを増やす国民運動が起これば、切符システムのような方法でなくても、日本の高齢者ケアのサポートは、民間人の自覚と努力で可能となります。日本人の間に真のボランティア精神を育成させるキャンペーンが急速に展開することを望んでやみません。
私は過去15年来、ケアの知識と技能を十分に備え、訓練されたボランティア(Trained Volunteer)の教育を、財団法人ライフ・プランニング・センターの活動を通して行い、家庭で血圧が自主的に測れる運動をボランティアの手で広めてきました。また、栄養や運動、健康のセルフチェック、病歴づくりを指導するボランティアを育成し、プロの医療職活動を大きく支援してきました。
このことから、日本では、医療、生活における知的で、高度な技能をもち、思いやりのある(compassionate)多くのボランティアの育成は可能なものであると信じます。
しかし、高齢者ケアには、多くのケアギバーを用意するほか、高齢者本人や家族がケアのための技能を若いころから学習しておき、これを中心にセルフケアを行うことが、今後要請されます。
そして将来の日本の高齢者ケアには、医療職や介護者のほか、患者や家族の知的、技能的参与とそのための国民全体の生涯教育が徹底され、ボランティアがそのなかで重要な役割を演じることが要望されます。

老いの生き方

最後に、高齢者が老衰や疾病などにより、人生の最後のステージに立ったとき素直に家族やボランティア、医療職によるケアを受け、その恵みに感謝し、自立を主張しすぎず、老いを育てるということを、私は高齢者の生き方のビジョンとして提唱したいのです。このことが高齢者自身のQOLを高めることに大きく寄与すると信じるからです。そのことは、ホイヴエルス神父の著書『人生の秋に』に紹介された南ドイツの人の詩「最上のわざ」でも示されています。


この世の最上のわざはなに?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架を担う。
若者が元気いっぱいで神の道を
歩むのをみても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、
親切で柔和であること


高齢のため、自立できず、人手を借りなければならないときに、自立を主張せず、あえて素直にケアの手を感謝して受けることは、神が許された最後のぜいたくだと思うのです。これが高齢者のQOLの1つの印となることを信じます。

死に向かって成長する

アメリカの精神分析学者エリック・エリクソン(1902〜94)は、『老年期』のなかで、「死に向かって成長すること(A growth toward death)」という言葉を取り上げていますが、高齢者はそのような生き方を自ら選択することにより、成長し続けるものだと思います。
QOLを高めることに関しては、高齢者のセクシュアリティも大切に考えるということが、文明国の間では盛んに討議され始めています。これは単なる性行為だけでなく、広い意味でのスキンタッチや精神的愛情の表現を含めたもので、高齢者や老人ホームに生活するもののセクシュアリティは大切に考えるべきことなのです。日本では、約10年前に高齢者のセクシュアリティについての研究が始められたばかりですが、今後、この方面の研究や配慮がいっそうなされるべきものであると考えます。
日本人の寿命は、男76.25歳、女82.51歳(1993年)で世界のトップ水準にありますが、高齢者の幸福はただ命の長さではかなえられません。必要なことは、高齢者の生活に命を与えて生きがいをもたせ、生きることの喜びと意義を感じさせることなのです。アメリカのリハビリテーション医学のパイオニアRuskが美しい言葉で次のように表現しています。

われわれは、人々の命に齢を加えてきたが、いまの齢に命を加えるのもわれわれ医師の責任である。

図5に示すように、現在の老人像(A)は、理想像(C)を目指しづつ、21世紀には新老人像に達し、80歳までは、創造・生産と自立力を保ち、以後の高齢には介護と医療に支えられて85歳で生を終えることを私は期待します。
さて、このようなビジョンを描き、賢いゴールの選択をしたうえで勇気ある行動(Venture)を続け、21世紀には高齢者の幸福が実現されることを祈るものです(表2)。
いくら国家経済が発展しても、老人が不幸な国になってしまってはどうしようもありません。
高齢者ケアのために、多くの人がもっと愛に満ちた大きなビジョンを高齢者のために描いて欲しい。そして、全人類の最も大きな問題としてこれを取り上げ、実践の努力をしてほしいと願います。
旧約聖書(戯言、29章18節)のなかに「幻がなければ民は堕落する」という言葉がありますが、高齢者ケアの実現のためにもっと高いビジョンをわれわれは掲げようではありませんか。
むすび
最後に、高齢者ケアの私の定義と若い人への励ましの言葉を贈り、講演を終わりたいと思います。
高齢者ケアとは、
「老いた住民や患者は、真心のこもったよいケアを受けることにより、人間としての生活の質が格調高く保たれ、生きていることの意義が当人に実感される」ケアをいう。
若い人には、
「老人へのケア提供の経験のなかで、自分が将来老いた日にセルフケアができるように自己を鍛えよう」。


表2 3つのV


図5 成人のライフサイクル





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