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高齢者ケア国際シンポジウム
第4回(1993年) 高齢者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)


まとめ  まとめ・閉会の辞

財団法人 笹川医学医療研究財団理事長
日野原重明



このように満堂のご出席者を得て、このシンポジウムが成果を得て終わろうとしていることに対して、主催者側として心から感謝いたします。
本シンポジウムを、いまさら私が総括してまとめる必要はないと思います。最後のパネルディスカッションと、そしてまた参会者の発言によって、このテーマの内容が非常に充実して理解されたのではないかと思います。
クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life:QOL)という言葉を、なぜ英語のまま使い、日本語を使わないのかと皆さんは不思議に感じられると思います。私の理解では、日本語訳を使用する場合、少し注を要します。略語がはやっているため、日本語で言うよりも、QOLといったほうが簡単だということでこの表現が普及されています。そういう便宜主義からこのような言葉が使われたと思います。
このQOLには2つの意味があり、1つは生命のクオリティ、質というものを基本的に考えたもので、価値、バリューシステムからみたQOLです。もう1つは、日常生活のレベルをできる限り普通にする、ただの人間として、人格がほんとうに尊重された人間らしい生活に高齢者を置きたいという意味の生活の質です。この2つがQOLのなかには含まれているのではないかと思います。
そして、医療や福祉のなかにこのQOLという言葉が出たのは非常に遅すぎた観があります。この言葉が最初に出たのは、1968年にローマで、ローマクラブという、世界の賢人が集まって、第2次世界大戦以後、多くの国々がGNPの増大を国の目標としてきて、その結果、資源やエネルギーが大量に消費されて、経済は成長したが、国民生活におけるゆとりや快適性は犠牲にされ、自然環境が破壊されるに至った。この破滅的な文明はこれを抑制しなければいけないのではないかという反省が強くローマクラブでされました。その後、これに続いたディスカッションや会議が多く開かれたわけです。
医学のなかにこれが導入されたのは、1972〜1973年のころです。しかし、ほんとうにこのQOLが討議されたのは、ここ10年足らずのことであり、この文明世界における質の問題が、医療および福祉の世界で論じられ始めたのでは少し遅すぎたという感じをもっています。
老化の問題を今回はあまり問題として取り上げませんでしたが、老化の専門家である今堀和友先生が非常にすばらしいことをいわれています。少し引用し、皆さんのご参考にしたいと思います。
「人間の老化と動物の老化、これは非常に違う。老化の問題が人々の注目を集めるようになったのは、人の寿命が著しく延びたことによる。野生の動物は、生殖に必要な期間が終われば死亡してしまうのである。北海道のサケなどは、卵を産むと死んでしまう。生殖期間は当然著明な心身の衰えはないはずである。これは生殖だけであり、心身の衰えはない。すなわち、野生動物には老化問題はないわけです。それに反して人類は、生殖期間を終わっても、なお延々と寿命を保っている。人の老化はまさにこの期間に起こるのである。」
人間は、生殖期間をすぎてから、女性は更年期をすぎてから、更年期までたどった人生をちょうど倍にした人生があとに残っているわけです。デーケン先生はこれを第3の人生といわれた。この第3の人生のクオリティを高くするためには、当事者がどのように生きるかがまずいちばんたいせつな問題であると同時に、その高齢者の環境をつくるのはだれなのかが問われます。社会なのか、国家なのかを考えながら、当人が自覚することが最もたいせつなのです。
そのような意味で、最初のデーケン先生の非常に愉快な、また印象的なお話がありましたが、その後、基本的なエシック、倫理の問題、道徳の問題からの根本的なQOLが紹介され、そして各論に入ったわけです。
私たちはこのようなシンポジウムを今日まで4回開催しましたが、今度は、性の問題をかなりはっきり取り上げようとしたことに1つの特徴がありますが、これは一面であり、私たちの命の質、生活の質とは、いろいろなことが一体になって初めて存在するのであって、一方的な、一面的なものではありません。
ケアを受ける人も、ケアを提供する人も、また行政側も、さらにデータを分かち合い、私たちは将来のあり方を考えなくてはなりません。
今回は、いままでのシンポジウムになく、中国、韓国という東洋の国の代表の方々がこられ、また先進的な高齢者対策を実施されている北欧や英米の専門家にその経験を聞くことになりました。日本より、50年前にもうすでによい老人施設をつくり、ケアに対して高い税金をとった国々がいま、老人を家庭に帰そうという運動をしているときに、日本ではこれから施設をつくろうという計画が進んでいるわけです。
この計画はすばらしいものですが、私たちは両面作戦を行っています。特別養護老人ホームが、去年まで私が住んでいる東京の中央区には1つもなかった。そのような状態でありながら、大急ぎで施設をつくり、そしてやはり在宅ケアもたいせつにしようという非常に難しいことをいっしょに行っているのです。だからこそ、マラソンランナーのトップを行く人のいろいろな経験をあとの人は学ぶことができ、前者が経験されて悩まれたことを、私たちは早く知ることができるのです。そのためにこのようなシンポジウムというのは非常に意味があり、先生方の発言がすばらしく私たちの心に残っているわけです。
どうかこのQOLに関する討議をわれわれが持ち帰り、自分の場ではいったいなにができるかということをめいめいが考えたいと思います。どこでも同じようなことをするのではなく、むしろ個別的に、私の施設では、私が訪問する家庭ではこうだという個別性を、人間の知恵をもって発揮し、将来またそのデータを持ち寄ることができればよいのではないかと思います。
そのような意味で、私たちはQOLを何回も繰り返して問題にしましたが、言葉の繰り返しではなく、事実をくみとりながら問題解決をするかということが、銘々に課せられた重要な問題なのです。
私は、多くの方の発言を聞きながら、5つの言葉を感じました。?@高齢者が内的に自分を豊かにするのには、友との交わりがたいせつである。子どもがなくても、友との交わりがあればよい。?Aなにか新しいことを始める。?B若い人から断絶しないこと。?C今日の1日、1日に自己を高めるように努力する。そして、?D体と心をいつも使い、廃用症候群にならないように注意する。このような生き方をもって施設で生活している人に勧めます。
最後に一言、たいせつなことを申し上げたいと思います。
日本では、1962年、30年前までは自宅で71%が死に、病院では18%しか死ななかった。30年後の1992年には、20%が自宅で死に、73%が病院で死ぬ。東京では84%が病院で死ぬ。伊丹十三氏がつくった映画「大病人」のような病院で死んでいく患者の現状を考えると、福祉のことだけでは人生の最後が非常に悲しい。
「終わりよければすべてよし」というシェイクスピアのドラマの言葉のように、高齢者の最後に有終の美を提供することができれば、それは私たち医療や福祉に関連のある者としては最高の喜びではないかと思います。





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