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高齢者ケア国際シンポジウム
第4回(1993年) 高齢者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)


分科会 II 討論
高齢者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)と専門職のかかわり


司会
中島紀恵子 東日本学園大学看護福祉学部教授・学部長
パネリスト
キャサリン・モレンシイ アメリカ・ベス・イスラエル病院高齢者ケア看護部長
金龍成 韓国・慶州「ナザレ園」理事長
リス・ワグナー デンマーク・コペンハーゲン大学社会医学研究所主任研究員
小篠綾子 ファッション・デザイナー
冷水豊 東京都老人総合研究所社会福祉部門研究部長
フィリップ・グロード 特別養護老人ホーム「旭ケ岡の家」施設長
村松静子 日本在宅看護システム株式会社代表取締役社長
矢島嶺 長野県武石村診療所所長


【司会(中島)】この分科会の討論では、「高齢者のクオリティー・オブ・ライフ(QOL)と専門職のかかわり」について、皆さんの実践あるは研究を通してのワンポイント・メッセージをお話しくださるようお願いいたします。
最初にご発言いただくキャサリン・モレンシイ先生には教育、研究に裏打ちされたQOL(Quality of Life)と、看護職の役割についてお話しいただけると思います。
【モレンシイ】高齢者ケアに関して、介護というのが非常に重要な役割を果たしています。ナースというのは24時間の看護のなかで、高齢者の活動、暮らしの状況を観察しているわけですが、高齢者の自立をできる限り促進するという形で介護にあたらなければなりません。同時にアメリカではQOLの向上を第一に位置付けています。
特に考えなくてはならないのは、まず高齢者の健康を保つこと。栄養状態を保つこと。失禁を予防すること。動けなくならないようにすること。できる限り頭を使うような活動をすること。そして、できる限り睡眠を取る習慣をつけるようにすることです。
もう1つは、拘束からの解放です。これは身体的な、そして投薬といった拘束から解放されるということです。つまり、いす、ベッドに縛りつけて転倒を防ぐというような拘束の仕方は高齢者のQOLの低下につながるのです。また、過剰投薬が、化学的な薬剤による拘束となるわけですが、これもまたマイナスの面をもっていす。
それから、社会との触れ合いをたいせつにすることも重要です。具体的にはナースが行っているデイケアヘの参加、ボランティア・グループとの触れ合いなどです。
また、家族や親戚などのサポートグループとの関わりも重要視されます。そして、看護婦が家族に対して、どのように痴呆症に対処していくことができるのかを教えるということもたいせつです。たとえば、俳徊、夜眠れない痴呆高齢者がいる場合には、家族に対して、どのようにそれに対処すればよいかを教育する必要があります。これは家庭にかぎらずすべての介護者に対しても同じような教育をします。ナースとしての看護活動の最終目的は、スタッフや病院を中心に考えるのではなく、患者中心に考えるということだと思います。
【司会】それでは続きまして、韓国の金先生にお願いいたします。金先生には、ナザレ園のことよりも、韓国全体のQOLの問題に関して広くお話しをいただきたいと思います。
【金】人間には食欲、性欲、名誉欲の3つの本能があります。先進国家においては、社会保障制度が整っているので、衣食の問題は解決していますが、性の問題はまだ課題として残されています。
高齢者には高齢者の要求があります。まず経済的な要求。その次は心身の健康に対する要求。愛、安全という心理的な要求。次に社会的要求、文化的要求、政治的要求などがあります。そして、一番重要なものとして、霊というものに関する要求があります。人の魂、存在に対する意味、未来、死というものに対しての苦悩。高齢者を預かる際の問題としては、この死という問題をどうするかということが一番の課題です。死の問題に対しては、未来への希望をもたせることが重要です。これには、仏教でもキリスト教でも、ほかの宗教でも構いませんが、高齢者に希望を与えるためには、宗教が一番必要だと思っています。
【司会】続きまして、小篠綾子先生にお話しをお願いします。小篠先生は、デザイナーのコシノヒロコ、ジュンコ、ミチコさんのお母様でご自身も有名なデザイナーです。現在、アヤコブランドという、高齢者のファッション・デザインを手がけ、高齢者の衣服はどうあるべきか、どのように美しく装うことがQOLにつながるのかということを、訴えていらっしゃいます。
【小篠】私は80歳を迎えましたが、まだまだ現役として頑張っていきたい、そして美しいものを皆さんに着ていただきたいという願いがあります。やはり美しいものを着、おいしいものを食べ、健康でありたいということが一番で、そのあとに来るものが、いわゆるケアであると私は思うのです。生活には衣食住ということがかかわってきます。いまでは「衣」ではなく「医」が先に立っておりますが、私はまだ「衣」が先に立つと思うのです。やはり感度、いわゆるセンスというものは、毎日それを身につけながら磨いていき、そして最後には、いくら年老いても、着るものはきれいな着物を着、きれいにお化粧して、毎日を過ごしていく。このことが生き生きとした人生にもつながることになり、また目の輝きも違ってくると思うのです。
老いてきますと、おしりが大きくなり、胸が小さくなって、体の肉がだんだん下がってきます。私は、そういう変型な形の洋服、高齢者にとって着やすく、軽い、肩の凝らない洋服をつくっているところです。
【司会】私たちは人間の尊厳ということを口にしますが、これは毎日のセンスにコミットする。それは衣が中心にあり、そのことで、お化粧があり、部屋を片付けたりという生活が始まるということですが、施設ケアでの一番の問題もこのあたりにあるのではないかと思います。
それでは続いて、冷水豊先生には社会福祉の臨床としてQOLをどのように考え、実践すればいいのかということについてお話しいただけると思います。
【冷水】ご存じのように、痴呆性老人の問題行動や症状は夜間に激しくなります。ところが、老人ホームの夜間の職員体制は不十分ですので、時にはパニックに陥ることもあります。数年前に、私たちの研究所で行った老人ホームの全国調査では、この夜間をどういう職員が勤めるかということが老人の問題行動と大きくかかわってくるという調査結果を得ました。
どういうことかといいますと、仕事がてきぱきとできて、能率よく事が運べる寮母さんや介護をする人が夜勤をした場合には、痴呆性老人はむしろ落ちつきがなくなり、問題行動を起こしやすくなる。逆に、どちらかというと、てきぱきと仕事ができなくて、痴呆性老人のぺースに合わせて仕事をするような寮母さんが夜勤をした場合のほうが、問題行動や症状が激しくはなく、ゆっくりと眠ることが多いという結果でした。
これはなにを意味しているのでしょうか。もちろん高齢者ケアに携わるには、老化や高齢者問題、高齢者の疾患について、十分な知識や介護技術をもっていなければなりません。しかし、その大前提として、個々の高齢者が生きているその生き方、あるいはそのペースといったものに自分を合わせて、その人に共感できることが、なによりもたいせつだということを示しているように思えるのです。
つまり、QOLという観点から、介護に携わる人たちが一番大事にしなければならないことは、そういった共感や共生をたいせつなものとしてとらえることではないかと思います。
個々の高齢者の悲しみや喜び、あるいはその人の生き方に最大限の配慮をはらって介護をする。そういう認識に立つことがたいせつなのではないでしょうか。
また、施設内の教育プログラム、資格制度のなかにもこの考えを取り入れていくことがこれからのQOLを考える場合にますます必要になってくると思います。
【司会】次はフィリップ・グロード先生です。グロード先生は、行政に対する緩和規制、専門家の干渉に対する緩和規制を強く訴えていらっしゃいます。
【グロード】私は16年前から障害高齢者と一緒に昼も夜も遊びながら生活しています。
私が申し上げたいことは、障害高齢者についてのアプローチの仕方です。つまり、病気、欠陥といった面からアプローチするのではなく、障害高齢者の個々の正常なところからアプローチすべきだということです。医療、入浴、栄養といったことは、障害高齢者の生活の30%にすぎないのです。残りの忘れられがちな70%に、文化的な活動、つき合い、おしゃれなどがあり、むしろそこにメインがあるのではないかと思うのです。
次に家族の役割についてですが、家族というのは専門性や客観性も少ないので、家族には精神的あるいは経済的な負担を求めることはナンセンスだと思います。これは行政とも深くかかわってくることですが、どうも行政は、本音と建前が違っていて、ああしろ、こうしろ、ああしてはいけない、こうしてはいけないと、逆に行政に邪魔されていることが多い気がします。行政が自分の縄張りについてこだわっているせいか、施設や、訪問看護、訪問介護など、行政側の青写真と現場とは合わなくなっている現状があります。
最後に、老後の意味合いについて考える必要があります。私は、泣きながら100歳まで生きるよりも、笑いながら90歳で人生を終えるほうがましだと思うのです。だから、激しい"延命治療は絶対やめるべきだと思います。苦痛を抑えることも医学の1つの使命であり、あと20分で命を終えようとしている患者に、強心剤を打つことで、3時間、4時間と命を延ばすことは、けしからんことだと思うのです。
最後の最後まで人間は笑顔でいられると思うのです。やはりデス・エデュケーションは高齢者と密接な関係があると思います。お年寄りは、愛され、尊敬され、そしてあの世に、夢でもいいから、希望をもって旅立てること。これも老後のケアではないかと思います。
【司会】それでは、最後になりましたが、村松静子先生にお話しをお願いします。松村先生には、訪問看護に期待するものといったことをお話しいただきたいと思います。
【村松】最近、日本でもさまざまな在宅ケアシステムができてきています。そのなかで私が非常に気になっていますのが、死に近付けば近付くほど、サービスが足りなすぎるということなのです。やはりこの死ということは、高齢者のQOLを考えたときに、決して避けられない部分だと思うのです。
死というものの周辺には、死へ向かう人と、支える人の、精神的、肉体的なエネルギーがみなぎっていて、それまでの家族関係あるいは人間関係が総結集される場だと私は思います。
病院のICUに勤務していたときのことですが、高齢者の患者がいろいろなチューブをつけて、必死に窓に向かって指を指していました。それは、家へ帰りたいということでした。生と死をさまよう人が、やはり温かい家を思い出す。それはほんとうに小さな家の小さな家族がもしれない。しかし、やはり家庭を思い出すのです。
死にかかわる多くの場面や言葉に接した自分の経験から思うことは、それらを真剣を受けとめて、真の看護を提供できるように、活動の輪を広げる必要があるのではないかと思います。
やり過ぎない。また、思い込み、馴れ、押しつけは避ける。そして、死の直前まで、笑いをもって余裕のある生活をすごせること。これが私たちナースに求められている非常にたいせつなことだという気がします。
最後に、チューブ付けはやめてほしいと思います。必要以上にチューブはつけないでほしい。また、行政には形だけではない、継続したシステムづくりをぜひ考えていただきたいと思います。
【司会】それではこれからディスカッションに入ります。QOLの向上と専門職としての役割に関して、より具体的な問題を討論していきたいと思います。
【ワグナー】私たちの仕事と地域社会がどのような形で共存していけるかということをまず考えてみる必要があると思います。私は今後のあり方として、施設、ナーシングホームなどから、サービスを受けられやすくした在宅でのケアシステムに移行していくほうが、高齢者にとっても、家族にとっても、またスタッフにとってもよいと思うのです。
しかし、このケアシステムを構築するには市当局との協力が重要になってきます。これは決して簡単なことではなく、いくつかの問題があります。この問題を解決するために、デンマークでは多くの専門家を同時に集めて話し合う場をつくっています。ドクター、ナース、セラピスト、助手、調理場の人間、洗濯をする人、といった人間全員がかかわって話し合いをしていかなければならないと考えています。また、ホームヘルパーなどの、施設の外で活動している人たちも巻き込んで話し合いをしていかなければ、問題は解決できないと思います。
こうした専門家たちを1つのグループとして動かすことは非常に時間がかかることではありますが、ここで、デンマークの実践例をお話しましょう。
まず、それまでの養護施設を閉鎖して、高齢者をスタッフの一員として、地域社会のなかで活動してもらうということにするわけですが、まず毎朝、ディスカッションの場をもって、今日はなにをするかを話し合います。そのあと、各役割を、これはホームヘルパーの人が行うべきなのか、ナースが行うべきなのか、またはほかの専門家が行うべき仕事なのかというそれぞれの分担を決めます。そして、その日1日がどうであったかの反省会をもち、さらに夜のシフトの人間に向けて情報を整理しておくわけです。
ここで重要なのは、専門家同士の壁をなくしていくということです。これは、もちろん難しいことなのですが、それ以上に、それを家族に対して説得し、協力を促すということは、もっと時間がかかります。また、政治家に話を通すということは、そのこと以上に難しいことであるわけです。
【司会】モレンシイ先生にお聞きしたいのですが、さまぎまな壁の向こうにQOLがあるわけですが、そのQOLを支える、プライマリーナーシングの意義と、プライマリーナーシングの計画プログラムのことを少しお話しください。
【モレンシイ】プライマリーナーシングというのは、1人のナースが、担当した患者のすべての介護を行うというものです。
チーム・ナーシングというのは、このナースは投薬だけ、着がえだけ、というように介護を分担するのですが、プライマリーナースは、1人の患者のすべての介護を1人のナースが行います。また、担当のプライマリーナースが帰宅した後の代わりのナースにアソシエートナースと呼ばれる人たちがいます。
プライマリーナースは、担当の患者のことをよく知るようになります。すると、退院するときにも、たとえば退院の計画についてもナースがかかわることができ、その後の受け皿として、地域社会でどのようなニーズがあるのかも、ナースがよく理解できるわけです。
つまり、その次の段階として地域、そして在宅ケアのプログラムに、このプライマリーナースのコンセプトを入れ込んでいこうと考えているわけです。プライマリーナースがたとえば患者の家を訪問する。すると、同じ患者と毎回会うことができるわけです。このホームケアでは同じナースが同じ患者と毎回会うということで、非常に密接な人間関係ができてくるのです。
また、ナースとしてはプライドをもつことができ、また患者の側も、私の担当ナースなのだと愛着をもって接するようになるのです。
このシステムづくりにはかなりの時間と教育が必要です。また、患者の家族に対する説得、説明も必要になってくるわけです。しかし、コストの面でとらえると、プライマリーナースの制度は、患者に対する理解が深いわけですから、非常に効率よく介護運営ができるようになるのです。
アメリカではプライマリーナースを病棟によって行っている病院と、行っていない病院があります。また、在宅ケアのプログラムでは行っているが、病院では行っていないというところもあります。しかし、今後システムをより機能させていくためには、病院全体でトータルなコミットメントが必要です。
プライマリーナースの病院では、退院した患者が再入院する場合に、以前と同じナースのいるところに入院することになります。再入院するときには、患者の気持ちは落ち込んでいますが、なじみの顔のナースがいるというだけで安らぐことができるため、この点でもメリットは大きいと思います。
プライマリーナーシングを通して、私たちはプライドをもつことができ、このシステムを誇りに思っています。
【司会】松村先生はプライマリーナーシングを地域に広げようと訪問看護を通して実践されていますが、少し付け加えてお話しください。
【村松】私のところでもプライマリーナーシングを行っているのですが、看護教育がもう少し進まなければ非常に難しいと感じています。アメリカから入ってきたプライマリーナーシングは、1人のナースが最後まで責任を負っていくシステムです。それは、計画を立てて、その計画に沿って、周囲の者も全員進んでいける形態ということなのですが、看護計画を立案するというところでまずひっかかるわけです。計画はあくまでも療養者が中心であり、療養者、家族が主役でなければならないはずなのですが、その計画がなかなか思うように立たない。
また、もう1つの問題として、ほかのナースヘどのようにその計画を伝えるかということ。いかに継続性のある計画づくりにするかというところでまたひっかかってしまうというのが、正直なところです。
今後は、地域の在宅看護に携わる助産婦、保健婦、看護婦は、在宅ケアとは一体何であるかも含め、さらに勉強していくような場を構築していかなければならないと思います。
【司会】このことに関して、矢島先生、なにか付け加えることがありますか。
【矢島】村松先生が話されたように、本格的な在宅ケアとはなにかという検討が、日本の場合は中途半端になっている気がします。現実は、家庭で女性中心の介護労働が行われていて、それを時々訪問介護することを在宅ケアと呼ぶのが一般的ですが、それは亜流にすぎません。介護する人がいなくても社会で援助、介護していくことが在宅ケアの基本なのです。
つまり、ヘルパーをいまの100倍か150倍に増やす。訪問看護婦をいまの50倍に増やす。そして地域には2〜3人の医師がいる。そういう体制をつくっていくことがたいせつなのです。しかし現実には政府のやる気は見えず、民間施設などの善意と献身にすっかりおんぶしている状態です。政府の福祉政策が充実しないかぎり真の在宅ケアの構築は難しいと思います。
【司会】このことは、共感教育、共生教育のたいせつさとつながると思うのですが、冷水先生いかがでしょうか。
【冷水】もちろん基本的にはつながっていることだと思います。日本の医療や基本的な介護の現状は、かなりよくなってきてはいますが、老人ホームなどは、お年寄りの1人ひとりのニーズに合わせた介護というものが、まだ行われていません。具体的に、入浴という行為を取り上げてみます。
入浴には、いろいろな効用や、目的があります。しかし、いま、日本の老人ホームなどで行われている入浴は、単に体を洗うこと、衛生的にきれいにするということにすぎないのです。職員や施設の管理者のなかには実際にそう思っている人がいるというような気がします。
羽田澄子さんがつくられた『痴呆性老人の世界』という映画のなかに入浴の場面が出てきますが、少ない職員で、短い時間内に多くの入所者の入浴を行うために、痴呆老人が十分理解できないまま、とにかく服を脱がされて、洗われてと、パニックのような場面が出てきます。ところが、そのホームで入浴時間を2倍にしたところ、お年寄りの対応が非常に変わった。あまりこわがらないで、入浴を楽しむようになった。そのような変化を映画は映し出していました。
ですから、入浴というのは、体をきれいにするということはもちろん重要ですが、日本の高齢者の場合には、お湯につかってゆっくりと「赤トンボ」でも歌いたくなるような雰囲気がたいせつなのだと思うのです。
先ほどから行政に批判が集中していますが、1つつけ加えますと、国の特別養護老人ホームの介護基準に、入浴は週に2回以上ということが決まっています。これを守らないと、監査のときに叱られるので、ホーム側でも何とか2回入浴させようと、きゅうきゅうとしている事実があるのです。
しかし、はたしてそれを高齢者は望んでいるのでしょうか。1回でもゆっくり入れることのほうを望んでいるのではないか。もしそうであれば、基準にしばられるだけで、高齢者のQOLにはつながっていないのではないかと思うのです。だから基本的な介護の面でも、行政の基準等も含めて、考え直していく必要があるのではないかと思います。
【司会】金先生、韓国のケアの専門家として、お考えをお聞かせください。
【金】まず、寝たきりになる前の高齢者をどのように扱うかという問題があります。ソウルの老人ホームでは、スポーツや旅行などレクリエーションを通して、高齢者の健康づくりを、まず行っています。高齢者問題は、寝たきり後だけをとらえるのではなく、寝たきりにならないようにすることがたいせつなのではないでしょうか。
また、ケースワーカーが主に高齢者の結婚相談をしています。高齢者の男女交際のプログラムを組んだり、結婚に関しては、家族の意思をケースワーカーが直接聞いて回ったりしています。また、高齢者同志がお友達をつくる方法を一生懸命に行っています。
つまり、ぼけたり、寝たきりになる前の高齢者への支援がたいせつで、希望をもたせることや好きなものを探してやることが重要な問題ではないかと思います。
【司会】韓国の場合、75歳以上の人口があまり多くなく、60代の人々への予防対策の時間がまだ充分にあるということだと思います。つなぎのケアという意味で、いいプログラムができていくだろうと期待しています。
ところで、小篠先生、生きがいや自己尊厳というものをどのようにして自分自身でつくっていくのかということを、デザイナーとしてのかかわりを通してお話し下さい。
【小篠】私は、自分でいうのはおかしいのですが、皆さんが不思議に思うくらい非常にパワーがございます。心の中のものは人には見せられませんから、そのパワーを色や形、デザインで表すのです。それが生きがいにもなり、また新たなパワーが生まれてくるのです。たくさんの人が私に、「あの歳になるまで頑張れるかしら。私たちはだめだろうね」といわれるので、「いや、だめではないですよ。私のようにしてくれたら絶対頑張れます」と答えるのですが、やはり明るいものを着て、心の触れ合い、出会いを求めることがたいせつだと思います。
また、出会いというものは、ファッションにもつながることだと考えています。だから、家の中に引っ込む専業主婦は、老人病につながるような気がしますので、1人でも健康であってほしいと、皆さんに私のパワーを通して挑発しているところです。
私はパーティーがあれば出かけて、世間の空気も吸い、どのように皆さんがお暮らしになっているかをかいま見ることにしています。これは、肉体的、精神的に年寄りになってしまったときのための1つの準備運動だと私は思っています。
【司会】小篠先生にお尋ねしますが、特別養護老人ホームなどでの、ユニフォームについてどのようにお考えですか。
【小篠】ユニフォームには非常に大きな役割があります。「ユニフォームがいいからあの会社に入ろう。などと人のイメージを刺激することを考えても、老人ホームや病院の着る物はもっと明るく、色彩感覚のあふれたユニフォームをつくってもらいたい。入院患者さんが、あの着物を着ながら、元気になっていったというようなイメージをもつように、色彩だけではなく、スタイル、着心地を含めて、病院の着物は改善していただきたいと思います。
【司会】ワグナー先生、QOLの教育プログラムと、この衣服との関連で少しお話しいただけますか。
【ワグナー】1980年代の初め、ナーシングホームの環境について教育、研修を行ったときに、まず最初にディスカッションしたのが、スタッフはユニフォームを着るべきかということについてでした。
スタッフのなかには、手を汚す仕事が多いからユニフォームを着るべきだという意見もありましたが、それでは、高齢者が汚いということになるという問題になり、結局、自分たちの洋服を、合理的な範囲で選んで着るほうがいいということになりました。
その後、今度はナーシングホームの入居者の洋服について話し合ったのです。当時、入居者全員が似たような髪形をしていました。実はナーシングホーム側でお金を支給して、同じ美容院から人にきてもらい、髪の毛を切っていただいていたので、同じようなヘア・スタイルになっていたのです。また、全入居者が同じようなたいへん重い靴を履いていたのです。これはなぜかといいますと、スタッフ側で転倒を防ぐために、重めの靴を履かせたほうがいいということで合意していたのですが、その重めの靴が見かけがとても悪かったわけです。
そこで、私たちは入居者に「好きな靴や洋服を、みなさん自身が選んで買うほうがいいですか」と聞いたら、入居者の大半が「もちろんです。以前からそう思っていましたが、ここに入居するためにお金を支払っている。私たちの意見を聞かずに、ナーシングホーム側ですべてを支給してしまっているので、その機会がありませんでした」と答えたのです。このようなことがあって、私たちは、スタッフ側の考え方を一新しなければならないことがよくわかったのです。
こんな理由から、その後、ナーシングホーム側は全入居者に対して、支払われた年金を払い戻し、入居者自身が洋服、靴、見だしなみなどについてお金を払えるようにしたわけです。
また、ベッドシーツなどについても、入居者が自分の好きなものを選べるようにしました。そうしますと、色彩があふれるようになり、みんなが違う色、違うデザインのベッドカバーを使うようになったために、各部屋の個性というものが出てきました。それからは、壁に掛ける絵や家具なども自分の家から持ち込むようになって、いまではナーシングホームの個室は、入居者それぞれの個性あふれた部屋になっています。
このシステムの変化に当たっては、やはり教育が重要であったと思います。ナーシングホームの環境については、明日からでもすぐに変えることができますが、まずできるところから始めて、それと並行して、時間をかけて教育をしていくことが重要だと思います。
ただ、教育をするに当たって、お金がかかるという問題があります。また、コミュニティーのスタッフを教育するのは時間がかかりますし、新しいシステムを導入するには、常にコストがつきまといます。しかし、いったんそれを克服すれば、ホームケアシステムがそれだけフレキシブルになり、多様なサービスが提供できるようになります。8年、10年という長い目で見れば、コストも下がってきて、それなりの大きな成果が出てくると思います。
【司会】グロード先生は、これまで独立独歩で、ご自分の施設を家としてとらえて運営されてきたようですが、そのノウハウを、QOLの立場から、お話しください。
【グロード】私は、日本の高齢者福祉は、リフォーム時代に入ったと思うのです。元来、日本は家制度が強くて、お年寄りはお嫁さんが面倒をみるべきものだという考え方が一般的で、高齢者問題は家の中に吸収されていたわけです。たまたま不幸があって、身寄りをなくした高齢者を救うために、戦後、養護老人ホームというものができたのです。
30年ほど前に老人福祉法が成立して、そのとき、行政が一方的に老人ホームの認可基準を決めたのですが、この基準がいつの間にか1つのパターンになってしまい、現在もほとんどかわっていません。
日本は戦後、すばらしい経済成長を遂げましたが、それと同時に高齢化現象も急速に現れてきました。しかし、それを支える社会の受け皿、精神的な受け皿ができていないと思います。特に日本の在宅福祉はまだまだ未熟で、いま、ようやくリフォームする時代に入ったわけです。
いまの日本は高学歴で技術の進んだ社会ですが、障害高齢者の扱いについては非常にお粗末です。医療機器や医療技術は世界的なレベルにありますが、障害者のお年寄りの扱いになりますと、恥ずかしいぐらいにおくれているわけです。だから、そのようなことを反省する時代になったと思うのです。
私は、これまで世界の数多くの施設を訪ねましたが、最近、スイスのローザンヌで、ようやく理想に近い施設を見つけました。その施設は、45床ぐらいの小さなナーシングホームで、介護をする側も、介護を受ける側も、決まったユニフォームはなく、みなさん私服ですごしていました。
その施設では、新しい入居者が入ってきますと、玄関で寮母が花束贈呈をして、握手をして迎えます。そして、部屋はもちろん個室です。日本では、いまだに厚生省が相部屋をベースに特別養護老人ホームを建設していますが、ホームの建設にあたっては、やはり将来の活動を充分に考慮すべきです。
入所者はその後、チャーミングな寮母と2人っきりで話しをします。「ここでは、あなたが中心なのです。どうぞ、ご希望をなんでもおっしゃってください」と、たとえ痴呆老人であっても、ゆっくり時間をかけて話しをするわけです。
この施設では、このようにまず入所者本人の意思を尊重するわけです。そして、入院することになった場合には、医療、栄養、経済、趣味といったことについて、入所者自身にかかわる総合カルテをつくります。これによって、その入所者に携わるすべての人たちが、患者の全般を理解できるようになるのです。
そして、この総合カルテを基に、家族、医師、介護支援センターとも密接なコンタクトがとれるようになります。高齢者介護には、このような総合的なアプローチがとても重要なことだと思います。
また、この施設では、入所者が家に戻ってからも、24時間体制で、常に連絡をとりあうなど、理想的なシステムづくりを行っていました。日本でも、緊急通報システムというものがありますが、これは消防署経由で、事が起きてから動き始めるためにあまり効果がないのです。このように、日本はいままでのパターンをいろいろ考え直さなければならない時期にきたと私は思います。小篠先生のような、お元気なお年寄りと社会とのかかわりについては、日本の場合、外国と比べてすばらしいと思う面もあるのですが、半身不随、痴呆といった障害高齢者の扱いについては、日本は、社会的にも施設的にもまだまだ不十分だと思います。
【司会】日本はいま、福祉のリフォームの時代だというのは、とてもおもしろい言葉だと思います。また、今日ご来場いただいた人たちは、このリフォームに意識付けられた人たちの集まりだと思います。
それでは最後に、「高齢者のQOLと専門職のかかわり」というテーマで、ひとことずつお願いいたします。
【村松】在宅ケアとはどんなものなのか、どうあるべきかということを考えながら、各専門職は、それぞれ黒子の役割を果たさなければいけないと思います。また、家族の生き方というものを常に尊重しつつ、他職種、関連職種との連携をたいせつにして、助け合いながら、活動していく必要があります。さらに加えるならば、幼児に対して、看護、介護の心を伝えていきたいと思っています。
【グロード】お年寄りはかわいいのです。お年寄りにはロマンがあります。お年寄りの癖や欠点を受け止めて、尊敬しながら、愛しながら、またユーモアをもって、お年寄りと接していかなければいけないと思います。医療と福祉の仕事の目的は、お年寄りのほんとうの笑顔を花のように咲かせることだと私は思います。
【モレンシイ】養護施設やナーシングケアの活動というのは、自立を維持することのために行うべきだと思います。これまでは、病気になってからケアするということだったのですが、高齢者1人ひとりのもてる力に焦点を当てて、これができないからケアするということではなく、自立維持のための介護という発想をもつことが必要だと思います。
【冷水】QOLについては、まだ突っ込んだ検討がされていないと思います。私は、長い人生を生きてきた高齢者1人ひとりの願いをかなえ、専門職の人たちが、優しく、また鋭い目で見守ることがQOLにつながっていくのではないかと思います。言葉をかえていえば、お年寄りの自己実現です。長い過去と短い未来、そして死が待っているという、お年寄り自身の連続線上での自己実現。そのことに専門職がどれだけ関与し、援助できるかということではないかと思います。
それは、言葉をかえていえば、お年寄りがもっている自己実現ではないかと思います。この自己実現は、お年寄りの場合は、やはり若い人あるいは現役の世代とは違って、長い過去と短い未来、寿命が延びたとはいっても、短い未来、そして死が待っている。その連続線上で自己実現をする。そのような長い1つの人生の流れ、つながりのなかで、自己実現を見いだしていく。そのことに専門職がいかに関与し、援助できるかということではないかと思います。
【ワグナー】デンマークでは、子どもから高齢者にいたるまで、個人として尊重されるべきだと考えられています。また、医療の分野では、予防保健が重要視されています。一般に、北欧のケアシステムはうまく機能していると思われがちですが、もう50年も施設型のケアを行っていることを考えても、私は、これが高齢者に対する唯一のケア方法ではないと思います。
いま、日本は転換期にあるということですが、この過渡期を乗り越え、フレキシブルな在宅ケアのシステムにつなげていければ、日本の保健医療ケアシステム全体にとってプラスになり、ますます発展していくと思います。
【矢島】医学の本質は、障害や人間の死について避けて通らないことです。
クオリティとは福祉そのものであり、それと医療がほぼ同格である必要はないと思っています。クオリティを高める、つまり福祉活動、福祉の水準を上げていくということは、結果として、ぼけや寝たきり老人をむしろ救うことになると思います。つまり、ぼけや寝たさり老人を少なくするのは、医療よりもむしろ福祉のほうではないか。福祉のほうを重視するほうが効率的だと私は思います。
人間、90歳ともなればほぼ全員がぼけてきます。それを、ぼけないようにといっても、デーケン先生がいわれたとおり、自分の力ではどうにもならないならば、明日の雨と同じだと考えるのが福祉の本質ではないかと思います。
保健婦さんにひと言いいたいのは、同じ方向で仕事をしているため、少なくとも進んだ医師と価値観を同じようにして、むしろ寝たきりになるなとか、ぼけるなというのではなく、ぼけになってもいいよ、寝たきりになってもいいよ、私たちがついているからと、いえる価値観を是非もってもらいたい。
それを妨げているのが日本の老健法です。その規則によって、さまざまなことをさせられ、外に出られなくなり、ほんとうに保健婦は気の毒だと思っています。もう少し外へいっしょに出て、お年寄りのためになろうではないですか。
次に栄養士さんにいいたい。もっと高齢者にはおいしいものを食べさせてやりたい。しょっぱくないものばかりを食べさせていると、ほんとうに食欲がなくなり、やせてしまいます。どのようなものを食べてもよいような栄養指導をしてもらいたい。
そして看護婦さんにいいたい。障害をもっているとはいっても大人の人間を相手にしているのであるから、人権を認め幼児語を使わないでもらいたいと思います。
さらに介護士さんは、身分が明確ではなく、また賃金も低く、それでいて愛情に満ちた、たいへんな仕事をされています。なにもいうことなく、ただ「介護士さん頑張れ」とだけいいたいと思います。
【小篠】私は、まだ80歳です。これからの老後は色と闘いながら、高齢者ケアを色といっしょに進めていきたいと思います。
実は私は去年の3月にヘルペスになりました。そのときに思ったのですが、人間は、痛い、痛いと思っていたらだめだ。一病息災と、この1年半、笑いというものを一生懸命に勉強いたしました。
私は高齢者は笑いとユーモアを忘れてはいけないということを自分自身で、実行していきたいというのがこれからの夢でございます。
【金】社会事業家としてのプライド、社会事業家の使命、それは、人間愛です。愛で尽くさなければなにもできません。ありがとうございました。
【司会】ありがとうございました。締めくくりに最もふさわしいお言葉をいただいたような気がいたします。
小篠さんのような80歳のお年寄りに私たちは出会って、寝たきりとか、ぼけの多くの場合は80歳をすぎた人なのですが、本来、このような生き方や顔ができる人たちなのですが、施設に入る前、入った後、このような顔をつくってあげられないという悲しさをいつもかみしめています。
ありがとうございました。


演壇風景


中島紀恵子


キャサリン・モレンシイ


金 龍成


小篠綾子


冷水 豊


フィリップ・グロード


村松静子


リス・ワグナー


矢島 嶺





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