日本財団 図書館


高齢者ケア国際シンポジウム
第4回(1993年) 高齢者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)


分科会 I 討論  高齢者の孤立・孤独・性とQOL


司会
長谷川和夫 聖マリアンナ医科大学学長
パネリスト
蒋蘊芬 中国・上海市性教育協会副会長
モーナ・W・グスタフソン スウェーデン・高齢者ケアコンサルタント
大西智城 阿波老人ホーム「白寿・仙寿園」施設長
熊本悦明 札幌医科大学泌尿器科教授
時田智恵子 高齢者総合福祉施設「潤生園」ケアセンター副所長
宮内博一 総合老人ホーム「一燈園」理事長
吉武輝子 作家

【司会(長谷川)】それではパネルディスカッションに入ります。
最初に、まだ講演等でお話をいただいていない先生方に高齢者の性に関してのご自身の体験、アイディアなどをお聞かせいただくことから始めたいと思います。
それでは蒋先生からお話しをうかがいたいと思います。蒋先生は、中国上海市母子病院院長を経て、現在上海市性教育協会副会長の要職に就かれています。中国での人口問題計画、家族計画の分野では責任ある職に就いておられ、性教育に関する著書も数多く発表されています。
また、上海のラジオ放送で、性の悩みについてのカウンセリングを担当されています。その経験を基にお話しいただけるものと思っています。
【蒋】私の研究テーマは、上海市がどのように高齢者の性の健康教育を行っているかということです。
上海性教育協会(1986年6月設立)は、青少年ならびに結婚適齢期の青年に対する性教育に重点をおいていますが、高齢者の性の健康教育もその活動範囲で、高齢者の性問題についての座談会を通して、高齢者は果たして性生活が必要であるか、またいかに対処すればよいかを討論しています。
上海は、中国では最も早く高齢化の進んだ都市で、60歳以上の高齢者はすでに上海市全人口の13.4%にも達しています。配偶者のいる高齢者の割合は約68.5%であり、これは高齢者の平均寿命が比較的長いということと、高齢者の婚姻関係が相対的に安定しているということなどを表しています。
私たちはこの数年来、高齢者の性の健康についていろいろな活動を行っています。
第1は、高齢者の性の問題について専門家を交えての討論および高齢者問題についての論文発表などです。
第2は、メディアを通しての、高齢者の性の保健に関する知識のPRです。具体的には、1992年10月からスタートした「ないしょ話」という性の科学知識の普及を目的としたラジオの深夜放送(23時10分から15分間)です。これは、高齢者の性の生理、心理、並びに倫理についての紹介、性問題や疾病治療、また心の悩みなどについて、専門家および学者を交えた討論形式のカウンセリングです。
放送を始めてから、すでに約1,800通の手紙をいただいていますが、相談の約15%が60歳以上の人たちで、なかには80歳以上の高齢者の方からの相談もあります。
第3は、性機能の治療や検査です。私の診療所では、受診者の23%が50歳以上です。また、女性の相談者は7%と少なく、約93%が男性で、主としてインポテンス、早漏、性欲減退などが相談の内容です。
第4としては、高齢者に対する基本的な性知識の普及です。具体的には、老人大学などの講座で性の悩みの相談を受けたときに、医療や保健などの仕組みについて話をし、普及に努めています。
高齢者の性教育には、まず古い概念を捨てさせなければなりません。「歳をとれば性機能が衰退することから、性生活は必要ない」「性は子どもを産むためだけのもの」などという考えです。高齢者が性欲をもつことは自然の現象であり、いわゆるタブーではないのです。
以前に行った高齢者の性欲調査(951例)では、61〜70歳の人の60%以上が、また71〜80歳の約30%が欲求をもっているという結果がでました。つまり、高齢者の健康・性教育を行う場合には、この結果を踏まえたうえで接するように心がけています。
高齢者が性生活を送ることは、正常なことです。私は、高齢者の婚姻をおおいに支持しています。たとえば、配偶者が亡くなった場合、残された人をどのように孤独から救うか。これは、これからの高齢化社会を考えるうえで重要な問題です。
高齢者の性教育については、社会の注目を浴びるまでには至っていません。今後、多くの関心を集めるような性教育活動を行っていきたいと思っています。
また、高齢者の性の問題については、系統的な調査をする必要があります。その調査結果を基に、高齢者の性教育、医療、保健について、さまざまな観点から検討する必要があります。あらゆる人と共同でこのテーマを研究し、高齢者の生活の質を高めたいと思っています。
どうもありがとうございました。
【司会】日本には「ぼけ老人の介護」に関するテレフォンサービスはありますが、「ないしょ話」と同類のラジオ番組は、まだありません。
それでは次に、吉武輝子先生お願いします。吉武先生は、ノンフィクション作家として活躍しておられ、『すてきに女の老い』『女五十代の生き方』という著書があります。女性の立場からのお話をうかがえるものと思います。
【吉武】私は長い間、テレビの身上相談番組のレギュラー回答者を引き受けていました関係で、いまでも年間150人程度の人がいろいろな問題をもってこられます。そのなかでこの4〜5年来、60代後半から80代の女性の性に関する悩みが非常に増えてきているのです。
その内容は、男性とは正反対で、自分の配偶者がいくつになっても直接的な性行為ができるということを非常に誇りにしており、そして自分を求めるのだが、できればもうやめたいというものです。
つまり、それまでの夫と妻の関係、ことに性を仲立ちにした関係が日本では極めて貧しかったために、女性は60代半ばをすぎれば、そうした関係を自分の生活のなかから排除していきたいという気持ちが強いのではないでしょうか。
さきほど蒋先生が、高齢者の性教育が必要であると話されましたが、私は高齢者の性教育以前に、もっと若い人たちに、夫妻、男女間の性行為は、コミュニケーションの手段であって、性欲を満たすだけのものではないことを教えるべきだと思います。つまり、女性が性行為を拒否した場合、男性は決して強制しないという平らかな関係を、若いときから培っていかないと、70年、80年と夫婦の生活が積み重ねられたとき、孤独からの解放という、コミュニケーションの手段としての性行為が、よい意味で開花されないと思います。
日本の女性は、老いるということと女であるということの二重差別を、歳を重ねるに従ってどんどん深められ、やがて阻害感が深まることで、存在としての孤独感がよりいっそう膨らんでいくことを、63歳になった私はいま、身にしみて感じ始めています。
つまり、80になるということは、男も女も同じ条件ではあるが、女性は「女にあらざる存在」として位置付けられてしまう。それは80でなくとも、50、60でも同じであり、「50、60のばばあは嫌だ」と80の歳を重ねた男性からいわれてしまうほど、早いうちから女でなくさせられてしまう状況が、女の人を孤独感のなかに陥れてしまうのではないかと思います。
私は先ごろ、アメリカのいろいろな老人施設を訪問したのですが、どこのナーシングケアセンターに行っても、個室があり、日本との基本的な違いを感じました。
また、車いすに乗っている女の人でも、きれいにまゆを引き、口紅をつけ、そしてマニキュアを塗り、赤やピンクの衣装で、華やかにドレスアップしている。おしゃれとは自己表現の手段であり、表現する自己をもつ人間として、全員が毅然として車いすに座っているのです。
さらに驚いたことは、まゆ毛だけを引くボランティア、口紅だけをつけるボランティア、あるいはマニキュアだけを塗るボランティア、きれいにドレスを着せるボランティアと、それぞれのおしゃれを担当するボランティアがいるとのことです。「歳を重ねて生きることがどこが悪いのか、私は立派な女ですよ」という、その自己を表現した思いのなかで、胸を張って歩いているのです。
ところが、日本の老人ホームでは、ほんとうに老いを頭からかぶって出てきたのかと思うほど、全員が頭を刈られ、そして同じような寝間着を着せられ、さらに名前ではなく、「おばあちゃん、おばあちゃま」などとよんでいる。これはれっきとした人権の侵害であり、人間の尊厳の侵害ではないかと思います。
そして、女性の善し悪しを若さと美しさでしか測らないという現実があるがために、日本の女性は、この高齢社会のなかで猫背文化になってしまっているのです。
私は、この人生80年時代といわれる高齢社会は、男も女も努力して培ったもので勝負する時代だと思っています。容貌で勝負できるときよりも、表情で勝負するときが長くなったことから、男女とも、なにを考え、どのように生きたかという年輪史で人を測るという新しい共通の物差しをつくっていかない限り、男性が孤独で、肉体的にコミュニケートをつくっていきたいと思っても、数多くの恨みつらみがある限り、男性の孤独を優しく理解する、受け入れることができなくなってしまうと思います。
よって、男性は女性観を大きく変えていくことと、施設のなかの人たちのセクシュアリティーをたいせつにしていくというよい意識と施設をつくらなければ、性が非常にたいせつなコミュニケーションの手段として位置付けられることはないことを、長年の女の恨みを込めて、ひと言申し上げました。
【司会】ありがとうございました。このようなご意見が出ることを期待していました。後ほど宮内先生にもなにかコメントをいただきたいと思います。
それでは次のスピーカーは大西先生にお願いします。
【大西】日本は古くから儒教や仏教などの教えが連綿と続いています。特に、仏教では「汝邪淫するなかれ」「不邪淫戒」という、禁欲の教えが道徳規範となっていたわけです。
これまでは、お年寄りの男女交際、特に性については、どちらかというと嫌悪感をもってみられ、高齢者にとって性の問題は無縁なものと考えられていました。
施設内でのことですが、75歳の男性がオナニーをしている現場を寮母に見つかったところ、あからさまにみせて、「おい、寮母さん、手伝ってくれ」といったそうです。また、同じ入所者のBさんは、年金が入るたびに歓楽街へお酒を飲みに出ていくのですが、次の日、私のところへやってきて、「園長さん、ソープランドヘ行ってきたらすかっとしたわ」というのです。このように施設内では戸惑うような問題がたくさんあります。
痴呆老人の介護については、マニュアルがつくられていますが、性の問題については示されていません。しかも高齢者の性の問題については、外部の人と広く論議することもなく、あくまでも施設のなかだけの問題として対応してきたように思います。
また、寝たきりに近いお年寄りについては、性に関する問題は関係がないと思っていましたが、朝、寮母さんが見回りに行きますと、体の不自由な男性入所者が、隣室の女性入所者のベッドの上にはい上がっていたことが何度もありました。痴呆または寝たきりに近い状態にあっても、性欲はあるのです。
昨年、養護老人ホームを改築し、全室個室化を図ったのですが、2人部屋、4人部屋のころは、同室者同士が話し合い、またいろいろと牽制し合っていた異性間交友が、個室化によって前よりも頻繁に行われるようになってきたのです。特に、男性のほうが寂しがり、他の仲間の部屋を訪れるケースが目立ちます。
そのなかで、3組の夫婦が誕生しました。これは正式な結婚ではありませんが、家族の了解を得たうえで、施設内でいちおう同居を認める形にしました。その夫婦から話を聞くと、性交渉をもつというのではないが、お互いに支え合って夫婦のように生活していると、昔は粗暴だった人が、おとなしくなったというのです。そして事実、相手の女性だけではなく、他の入所者に対しても非常に優しくなってくる。そのような人間的な、心豊かな生活が送られているという発見もあります。
しかし、個室になったことで孤独感を増した人もおり、これがよかったのか、悪かったのかについては、もう少し時間をかけて考えてみたいと思います。
この機会に、少し宗教的な話をさせていただきます。
原始仏教は、禁欲を行い、無菌室のようななかで自分が悟りを開こうとしたわけですが、日本のいまの仏教は大乗仏教で、在家仏教です。出家した僧侶も、そうでない一般の方々も、まるごと救おう。欲も得も悪も本能も含めて救おうとするのがいまの日本の仏教なのです。
大乗仏教は「空」を説きます。皆さんもよくご存じの「般若心経」のなかに出てくる「般若」とは、「空」を知る知恵といいます。それを中国の僧侶は、自然知、自然の知恵と訳したのです。人間の欲も、自然のままの姿、あるがままの姿として認めようとするのです。欲望を否定することによって、人間のもつ生命力を削り落とすよりも、逆に欲望をもつ生命力を利用した生きるエネルギー、そこに人生がより充実すると考えたのです。
仏教の最もたいせつな教義は非暴力です。つまり、生命を慈しむことです。そして性を人間の生命体の根源ととらえるならば、性そのものを生かす哲学が生まれてくることも理にかなったことです。
生命力を利用して生きるためのエネルギーに変えることは、さきほどの、老人ホームを個室化することによって、お年寄りが夫婦にも似た生活をするようになり、より充実した生活が送れたということと同じことです。
また、「色即是空」という言葉があります。学者の方々はいろいろな難しい解釈をされますが、これを私なりに解釈すれば、この「色即是空」の「色」も、色事の色と理解してよいと考えます。悟りの境地に立つときの欲望といえども、それは浄化された清浄なるものといわれるのです。「色即是空」、つまり恋愛も「空」、真理として解放されるのであり、それによって、また人間は初めて救われるのではないでしょうか。
私は、あるがままの知恵、あるがままの性を認め、人生を充実させることがたいせつだと考えます。しかし、あるがままに生きることを認めたとすれば、次に老人ホームの施設のなかの秩序をどのように維持すればよいかが問題になります。
施設の秩序を維持し、一方では人間一人ひとりの生き方をどのように保障していくかという考え方が重要だと思います。老人ホームは、介護することが施設の主眼とされていました。しかし、これからは老人が人間としての生き方をいかに充実させていくか。私たちはその老人の人生をどのように支えていけるのかという問題があります。私たちは、これらに対してさらに研究を重ねなければならないと考えています。
【司会】たいへん明快なお話をしていただきました。続いて、時田先生よろしくお願いします。
【時田】私たちがお世話をしているのは、重度の寝たきりの人や重度の痴呆老人であるため、いままで話されたようなドラスティックな問題が出てくるということはありませんが、ごくまれに在宅ケアのなかでそのような話がある程度です。
本日は、在宅で痴呆老人の世話をしているご夫婦がどのような生活を送っているのかを1人の俳徊の激しい77歳の痴呆女性を80歳のご主人がケアをしている例を取り上げ、支援センターや在宅ケアの量と質を高めることで、老人ホームに入ることなく、その夫婦が肌を触れ合い、1部屋に生活ができるという家族とクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life:QOL)について話したいと思います。
彼女は長男夫婦と同居していますが、本当に足が丈夫で、80歳の夫が自転車に乗って後ろから追いかけても間に合わないほどです。そして最初は、週に1回、ケアセンターにきていましたが、それではご主人がたいへんであるとのことから、いまは月・水・金の週3日間、通所を利用しています。
その通所時の姿形が、靴も運動靴ではなく、きちんと革靴を履かれ、洋服もハンドバッグも季節に合わせて着こなしている。そして、下着も非常にきれいで、ご長男夫婦のお嫁さんのご苦労もさぞやと思うような状態です。しかしこのすばらしい姿が通所時だけではなく、外で見かけたときも同様で、ご主人としっかり手をつなぎ、うれしそうに歩かれているのです。長谷川先生の簡易知能評価スケールで測ると、ゼロ以下なのです。しかしそれでも、「だんなさまのことを愛していますか?」と聞くと「それは夫婦だから」と話されるのです。
かりに、その人をホームに入れたとした場合、彼女のQOLを高めることはできなかったのではないか、また、ご主人がその人によって生きがいを感じていたとすれば、その人を看取っていくという家族のQOLも高めることができなかったのではないかと思うのです。
しかし、ここ最近は、ご主人が80歳と高齢で少々疲れがひどくなってきたために、土・日・月のショートステイを利用するようになりました。そして、息子夫婦が出かける場合は、すぐに宿泊させるような対応をしています。リズム的にそのようなシステムを使えば、ホームのなかでも自宅でも落ち着いています。
それはご夫婦の肌のぬくもりなどが彼女にとって、非常によいケアとなっているためではないかと思っています。いままでの日本の介護システムは、家族に寄りかかっていました。夜はもちろんのこと、なにかのときには家族も側にいます。にこにこ笑いながら「おはようございます」と、介護するお年寄りに向かっていえるような家族のあり方を、われわれの支援センターや在宅福祉サービスが、さらに医療サービスが行われなければ、これからの在宅福祉は困難になるのではないかと思われます。
介護する家族を支えるということは、ヨーロッパ型の緻密なフォーマル・ケアと、東洋的である日本型の福祉をドッキングさせることが、生きることに対する希望や、畳の上で死にたいという究極の高齢者のQOLを高めるのではないかと思っています。
【司会】ありがとうございました。それではここで、自分が言い足りなかったこと、あるいはいままでのお話に対する反論、コメント等があれば、お話ください。
【熊本】医師の立場から少しコメントさせていただきたいのですが、上海の蒋先生が高齢者の性教育を非常に積極的に実施されているお話しを聞き、実は昨日私も、性教育中高年科をつくる必要があると提案したばかりなのです。それがすでに上海で行われていることを知り、非常な驚きと感動を覚えました。
実際に、性的な関係をもつということは、単に普通の生活のなかにおけるQOLだけではなく、たとえば、脳卒中で倒れた人のあとのリカバリーに、夫婦生活をもてる人ともてない人のリカバリーの速度が完全に違うのです。そのような意味でも性的な、体温を温め合う関係というのは非常に重要ではないかと思います。
しかし、先ほどの吉武先生のお話と関連しますが、女性は更年期による性機能の低下があり、直接的な行為にはあまり積極的になれないのです。
その点に関して最近欧米では、生殖年齢に関係なくHRT(ホルモン・リプレースメント・セラピー)というホルモン投与が盛んになり、たとえば、骨組鬆症の予防および女体の活性維持に対して効果があるとされる避妊用のピルを生殖後(70歳ぐらいまで)も使用している。
かといって、それでは日本もさっそく導入すればよいのかといえば、まだ副作用等の問題もあり、このような更年期後の女性に対するホルモン療法については、今後議論する必要があります。
少し余談になりますが、吉武先生が、日本では歳をとっている人があまりきれいな格好をしないという話がありましたが、これは高齢者だけではなく、若い人でもあるのではないかと思います。
アメリカでは、ご主人が帰ってきたら飛びついて迎える。日本は逆で、ご主人が帰ってくるときは普通の格好をしていて、いないときにドレスアップしている。いわゆる家庭のなかでドレスアップするという習慣がないことが、歳をとってからはっきり出てくるのではないかと思うのです。これは若いときから習慣付けていなければ無理なのではないでしょうか。
そしてもう1つ、先ほどいいました高齢者のHRTが今後注目されてくると思いますが、女性が活性化されれば、男性の性機能もかなり高齢者になっても維持されると思いますので、男女両面からそのような問題に対する関心をもつ必要があると思います。
【吉武】いま、ご注文がありましたが、私はやはり、ドレスアップに関しては、相手の夫なり男性なりが、どのように受け止めてくれるか、それによって女性側の心構えも変わってくると思います。
これから歳を重ねて生きていくと、孤独が深まっていきます。そのなかで人間関係が広がっていくことは非常にたいせつであるが、その核になるものは、あくまで夫婦の関わりなのです。そして、他人はあまりほめてくれなくなりますから、2人でほめ合っていこうではないか。お互いにうぬぼれ鏡になっていこうということを最近夫に話しました。私はあなたが新しいネクタイを買ってきたときは、心のなかでは少し趣味が悪いなと思っても、ほんとうに言葉を尽くしてほめる。だから、私のこともほめてほしい。ほめられて人間というのはきれいになっていくと思います。
ところが、以前夫の帰宅を迎えたとき、「いやあ、輝子、いい洋服着てるねえ。すごく似合うよ。いつ買ったの?」といったので、私はぶすっとした。それは10年前から着ている洋服なのです。これではドレスアップのしがいがない。
だから、歳をとってから夫婦が互いによい関係をつくっていくためにも、全員が、相棒である連れ合いに、言葉をけちらないで、できる限り言葉を尽くしていかなければ、男と女のよい人間関係はつくれないのではないかと思います。
【熊本】先生のおっしゃるとおりだと思います。それは男の側も頑張らなければいけない。アメリカに留学中のことですが、家族全員で外出したときに、私は日本式に前を歩いて、家内が後ろから歩いてきた。ほかの友達はみんな腕を組んで歩いている。「どうしたのだ、けんかでもしたのか」「みんなが腕を組んでるのに、君たちだけ腕を組まないのはおかしいから、腕を組め」といわれて、腕を組もうとしたら、火花が散ったのです。乾燥していたのでしょう。あまり珍しいことをするから火花が散ったと、いまだに話題になります。われわれも大いに反省しなければいけないと感じています。
【ダスタフソン】お話のとおりだと思います。しかし、やはり女性も男性をたたえる必要があると思います。男女がお互いをたたえあうと、いっそう内部が輝いてくるという気がします。
これまでに性についていろいろな話が出てきましたが、たとえばいっしょにお茶を飲むということも性ではないでしょうか。性=ベッドということではなく、お互いに思いやる愛情、それが性にとってたいへん重要な点ではないでしょうか。とかくそれを忘れがちであるという気がします。
【蒋】性欲の減退は女性に多いのですが、しかし、女性はそのような話をしたがりません。たとえば、女性は更年期障害や子どものこと、家事などで悩み、そして夜には疲れ果て、要求がなくなってきます。そのようなことから、更年期の女性に性の要求が出るような薬や、閉経になった際の心あるいは胸の痛みを解消するような薬を与えています。
また、高齢者の再婚の離婚率が高い理由に、やはり性の問題があります。そのために専門の診療所「ないしょ話の診療所」という名前の診療所を開所しました。そのようなときにどのようにすればよいか、性生活だけではなく、性愛についても話をしています。
今後更年期の女性に対しての性教育・保健教育は、高齢者の性教育とともに生活の質を高めるための非常に重要な要因になると思います。
【司会】たいへんすばらしいコメントをいただきました。それでは宮内先生、いかがでしよう。
【宮内】吉武先生が先ほど話された、いい女になるための条件は、いいセックス、女性としての正当なセクシャリティの評価がなければいけないと思います。そして、いい思い出がたくさんある人ほどいい老夫婦になるのです。そういうことのプロセスがカットされて、高齢者としての性だけをとらえると、お互いに思いどおりにならないということになるわけです。
一夫一婦制度という社会的に認知された制度のもとで、死ぬまで恋をすることが、セックスという行為よりも、むしろたいせつだと思っています。
【司会】老年期のセクシュアリティーを考えた場合、若いころからの長い歴史の過程を踏まえなければいけないということをパネラー全員が話されています。これは、単に性行為にとどまらず、サイコセクシュアルとでもいうべき、精神的な性生活、つまり、いっしょにお茶を飲むといったより広い意味でのセクシュアリティーの認識が、老年期には非常に重要であり、またセックスに限らず、生活を営むうえでのパートナーとしての重要性の認識がいままでなおざりにされていたのではないでしょうか。
さて、それではここで「高齢者の性に関する調査研究」を科学的な目でまとめられた国立精神神経センターの丸山先生がおみえですので、その内容等を簡単にご説明願えればと思いますが。丸山先生、お願いできますでしょうか。
【丸山】われわれの研究班は、1993年6月に笹川医学医療研究財団の研究助成金をいただき、高齢者の性に関する調査研究を行いました。研究者は、私のほか、佐藤、坂田、保崎、大塚の5人です。その概要をご報告させていただきます。
対象は、千葉県に在宅の高齢者388名と、秋田、千葉、徳島、大分、4県にわたる52施設に入所中の高齢者334名です。
比較を容易にするために、施設にいる男性高齢者、施設にいる女性高齢者、在宅の男性高齢者、配偶者のいる在宅の女性高齢者、配偶者のいない在宅の女性高齢者の5つに分類しました。
そしてそれを、67歳を境にして、若年群と高齢群の2グループに分けました。
若いころと比較した性的欲求の程度では、「全く同じ」「少し減少」が、約4割で、「非常に減少」「ほとんどない」が6割という結果になりました。これは熊本先生および蒋先生のデータとほぼ似ていると思われます。6割の人が性的にダウンしたということよりも、4割の人が性機能を維持していると受け取ったほうがよいと思われるデータです。
性に関する悩みの有無については、在宅の男性が突出して多く、それに比べて残りの3つのグループ、特に女性が低いという結果となりました。在宅の男性でかつ高齢群に性に関する悩みが多いという事実は、なにが原因であるかは、さらに細かい分析が必要です。
女性の各群を比較すると、居住差よりか配偶者の有無の関係が大きく影響しているように見受けられました。
「性的欲求と解消方法を望む比率」では、「性に関する悩みの有無」と非常にパターンがよく似ており、在宅の男性が突出しており、女性群のほうがそれに対して低く、また在宅の女性においては、高齢群と若年群との間に差がみられた。さらに男性においては、居住方法、すなわち施設、在宅というところで差が出てくるところも興味のある部分でした。
自慰行為以外の性的欲求の解消方法の有無では、このパターンは「性的欲求の解消を望む比率」と全く同じようなパターンを示しており、自慰行為で満足できないかどうかは不明なのですが、性的欲求の解消を望んでいる人は何らかの解消方法を行っていると推定されます。その方法は、散歩であったり、運動、スポーツ、趣味、読書、おしゃべり、食べ歩きというようなものが挙がり、ポルノ映画を観る等も若干はあるが、数としては多く出ていませんでした。
左のぺージです。自慰行為の有無というところの調査ですが、白く抜けているところ、要するにオナニーをするというグループが若年の男性において20%ぐらいあります。高年の男性は少し低いというデータであります。
次のページ、配偶者とのキスの有無というところですが、在宅の若年の男性において50%、高年の在宅男性で30%程度となりました。女性は少なくなっているが、無回答の割合が非常に多いことから、これをどのように解釈するかで問題になると思います。
性行為の有無についての調査は、ほぼキスの有無と同じようなパターンを示していますが、割合が各10%ぐらい、「する」というところが広がっているのが特徴かと思います。このずれはなにを意味するのかで、大いに論議をよぶところですが、1つの仮説として、高齢者の性というのは、性行為中心であって、キスなどの触れ合いというところはメインではなくて、従であるということがいえるかもしれません。
次に、「施設老人に見られる性に関する問題行動」を調査しましたが、この結果から、在宅における高齢者の性と施設にいる高齢者の性というのは、同質な部分と異質な部分があり、それらを弁別しながら対応していく必要性を感じました。
【司会】たいへん要領よくご報告いただき、ありがとうございます。
それでは、再び討論にもどります。ダスタフソン先生、これまでの討論を通してなにかご意見をいただけますか。
【ダスタフソン】私は昨日、高齢者の性について話をしましたが、1つ付け加えたいことがあります。スウェーデンでは非常にオープンに性とセクシュアリティーについて話をしています。ただ、高齢者、そして障害をもった人のセクシュアリティーとなると、その場合にはそれほどオープンではないということなのです。つまり問題は、あたかも存在しないような態度をとる傾向がある、あるいはほぼタブーにしているということをいいたいのです。
だから、若者の性について話す場合と高齢者の場合とを比較しなければいけません。つまり、若者の場合には当たり前ですが、高齢者の場合は、それほど果敢にそのニーズを直視していないということです。
【司会】スピーカーの方にもひと言ずつお話をうかがいたいと思いますが、吉武先生、お願いします。
【吉武】先ほど熊本先生が、女性の性欲を高めていくことが非常に必要だということから、ホルモン療法の話をされましたが、ただ、私は性というものは、老いに個人差があるように、性に対する感覚あるいは欲望には非常に個人差があるものではないか。このように高齢者の性について語られることは、非常によい時代になってきたと思います。しかし、今度は、高齢者の性はかくあるべきであるという、パターン化をされてしまったとき、そのパターンのなかに無理やり自分を押し込まないと、自分が他人と比べ劣っているのではないだろうかとか、いろいろなことでかえって苦しむことが出てくるのではないかという気がするのです。
私なりの性とは、先ほどもダスタフソン先生が話されたように、私は直接的な性行為のみを性と考えているのではなく、やはり人間が生き続けている限り、男も女も性をもった存在であり続けるという、そのことをお互いにどのようにして認め合って生きていくかということ。
もう1つは、孤独が本シンポジウムのテーマの1つにもなっているわけですが、私は人間というのは男も女も、たくさん生きるということは、どうしてもよき人の死別を繰り返しながら生きていくわけです。人生長くなればなるほど、自分の両親から始まって、先輩あるいは同僚なりのいろいろな人の死を見送り、なおかつ生き続ける。しかし、どれほどすてきな友達がいても、すてきな家族がいても、存在としての孤独感が年を重ねていけば深まっていくという宿命からは免れることはできないと思うのです。
だから、私はそのような存在としての孤独感は、自分がしっかりと引き受けて生きていくという、1つの自助の精神と、そのような歳を重ねていくにつれて、存在としての孤独感が深まっていくのが人間であるという人間観を全員がしっかりととらえ、そして疎外感や孤立感をいかに取り除いてお互いに生き合っていくか、男と女、女同士あるいは男同士のいい関係をどのようにつくっていくか。この2本の柱がとても必要ではないかと思うのです。
そしてもう1つ、エロスを感じるのは異性同士ばかりではないと思います。たとえば、女同士、男同士でも、胸が震えるようなエロスを感じることがある。そのようなエロスを感じながら生きていくときに、あまり相手を異性でなければいけないというように限定することなく、幅広い1つの人間関係のつくり方、エロスの求め方というものも、真剣になってとっていく必要があるのではないかとしみじみ思いながら聞いていました。
新しいパターン化だけは絶対につくってはいけない。これは原則にしていただきたいと思います。
【司会】たいへん重要なコメントだったと思います。蒋先生、いかがでしょうか。
【蒋】解決すべき問題は、まず古い観念を捨てるということです。そして、社会がこの問題をより認識すべきだと思います。なかでも、配偶者を失った後の高齢者の再婚問題は、家族、社会が考えるべきことだと思います。
配偶者を失って孤独感が増している高齢者に再婚を勧め、楽しい晩年を送れるよう配慮すべきだと思います。
また高齢者の性を、単なる性生活としてとらえるのではなく、より広い意味の愛として考えるべきだと思います。それが高齢者の体力、能力、文化程度とうまくハーモナイズさせられるのではないでしょうか。
【時田】私どもの特養ホームでのことですが、ご主人が寝たきりで、ご自身は杖をついて、私たちの介助がなければ歩けない人がいました。しかしご主人が亡くなられた後、たいへんきれいになられ、そしていつの間にか杖も必要がなくなった。そうなれば、重介護の特養ではなかなか彼女のQOLを満たせなくなったために、いくつかの軽費の老人ホームを問い合わせて、その人は移られたのです。そして、その老人ホームで年下の男性と親しくなられた。さらに軽費老人ホームでも2人のQOLは満たされず、今度は、2人で暮らせる市営住宅へ移られたのです。
しかししばらくして、その男性が特養ホームに入られた。そのときそのご婦人は、「もし私が寝たきりになったら、またあなたのところへ行くからよろしくね」と話をされたのです。
これは、ホームに入ったらそれですべてが終わるのではなく、そのようにいろいろ施設をチョイスできるということが、QOLを高めることにもつながるのではないでしょうか。
この人のように「もし寝たきりになったら頼むわね」といえることが、とてもすばらしいと私は思いました。
【大西】私は欲の話をさせていただきましたが、欲と慈悲とが結びついて愛が生まれると思うのです。本来人間は、私は同性よりも異性を愛することがたいせつだと思います。異性を愛することによって、恋することによって、本来の人生が取り戻せるのではないかと思うのです。そして、おしゃれになり、魅力的になることによって社会的な行為が生まれてくるような気がいたします。
【宮内】私は、ロマンの残党とでもいいますか、性、性ということではなく、かつて慶応の教授に木々高太郎、林髞先生がいたのですが、その中では「結婚2回論」というのがございましたし、2回できれば非常に理想的な姿で、彼はそれを実践して死んだわけです。
サミュエル・ウルマンの詩に「青春」というものがあります。このなかで「青春とは」、自分の人生のなかでほんとうに心の躍る思いがしたときが青春であるといっています。歳に対するしわはあっても、心にしわがない。そのようなロマン主義のなかにおける1つの断面がセクシュアリティーであって、それが究極の目的ではないと思います。セックスとは、この人といっしょにいれば私は楽しい、この人といっしょにいれば心が躍るというなかのひとコマであってよいと思うのです。
人間とは、人生のなかで幻想がなければ生きられないのです。その幻想がロマンであり、恋だと思うのです。そのような青春を感じるような高齢者であってもらいたいと思います。
【司会】最後に熊本先生、お願いします。
【熊本】性の話をすると、それぞれ考え方が違います。学会におけるある質問のなかで、性の話をしたとき、女性の方が、性を強調することは、なにか私にとっては脅迫的に感じる。人生には、性だけではなく、いろいろなことがあるのではないかというコメントをいただきました。実際、いろいろなお考えの方がいることは間違いないと思います。
ただ、私は医師として、性をもっとよくしようとする人のために、何らかの医学的な対応をしていかなければならないのではないかと思っています。
また、高齢者を増やしてきた医師の責任として、高齢者の性への希望に対して対応できるような医学的な研究も、また治療学的な処置も必要であると考えています。
【司会】ありがとうございました。いろいろな立場からスピーカーの方がお話しいただき、できればフロアからもご意見をいただきたいところですが、残念ながら時間がまいりました。これで、第1分科会を終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。


長谷川 和夫





吉武輝子


演壇風景


大西智城


時田智恵子


会場風景


熊本悦明


モーナ・W・グスタフソン


宮内博一





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