日本財団 図書館


高齢者ケア国際シンポジウム
第3回(1992年) ゆとりある生活環境と自立


合同討議


司会 日野原重明 聖路加看護大学学長
紀伊國献三 筑波大学社会医学系教授
ロバートN・バトラー(アメリカ合衆国)マウントサイナイ・メディカルセンター老年病学主任教授
パネリスト 岩国哲人島根県出雲市長
大森彌 東京大学教養学部教授
津島雄二 衆議院議員
外山義 国立医療・病院管理研究所地域医療施設計画研究室長
樋口恵子 東京家政大学教養部教授
前田大作 日本社会事業大学教授
アドバイサリースタッフ 伊東敬文 コペンハーゲン大学主任研究員
訓覇法子 ストックホルム大学主任研究員


[日野原]ただいまから、合同討議を行いたいと思います。合同討議を持ちましたのは、第1部、昨日の基調講演、特別講演、そして午後の発表、そして今日の分科会の個々に出されました諸問題をパネルの方々、そしてまたフロアの方々から取り上げていただいて、できるだけ数多くの方が発言してほしい、そういうことでこのプログラムを考えました。ただパネリストの先生方の中にはただいま初めて皆さんがお会いになる先生方がおられますので、まずご紹介をしたいと思います。
津島雄二先生は衆議院議員で、元厚生大臣。厚生大臣のときにゴールドプランを考えられ、同時に5月12日の看護の日の指定をするなど、非常に貢献をされた方です。先生どうぞよろしく。
次は樋口恵子先生。このパネルに今日は初めてお出掛けになったわけでありますが、東京家政大学の教養部の教授をしておられます。特に女性のために強い発言をしておられますが、このケアの問題については、色々最初にご発表になって後、それを討論の材料として取り上げたいと思います。よろしくお願いいたします。
岩國市長は、第1部分科会のほうはご出席にならなかったので、ここでご紹介させていただきます。出雲市の市長さんです。
それから、国立医療・病院管理研究所の外山地域医療施設計画研究室長。今度初めてご発言を願うことになっております。ご紹介いたします。
このパネルの進行は、最初に今まで発表の機会を持たなかった先生方に、まず発表していただいて後、それぞれのパネリストからの発表。それから皆さんとの間のディスカッションを持ちたいと思いますが、この3人がそれぞれ適当にバトンタッチをしてこの合同討議を効果的に持ちたいと願っております。まず最初に樋口恵子先生に、今日のテーマを踏まえて、日本の老人の持つ問題、自立の問題と、またケアを提供する人は誰かということで特に婦人の問題を踏まえて、どうぞ'ご発言をお願いいたします。
[樋口]皆様今日は。私はこういうパネルディスカッションでトップ・バッターというのは苦手なんですけれど、ご指名を受けまして、ひるむようでは女性の名にかかわると思いますので発言させていただきたいと思います。特にこのケアの問題、自立を拒む問題として、女性問題としての認識といいますか、そういう視点から話せということでございますので、他にも申し上げたいことはたくさんありますけれど、まず女性問題としての自立を阻むケアの問題ということでお話ししたいと思います。そういうご要請がなくても、このことは絶対にお話ししたと思うのでございます。
さて自立というとき、これは高齢者に限らず一般にいわれることは、経済的自立、精神的自立、生活者としての自立、ということがよくいわれます。この場合女性の自立に関しましては、まず経済的自立が、今も、これから将来に向けても、大きなハンディになっているということはまず指摘しておかなければいけないと思います。例を挙げればキリがないのですけれど、少なくとも厚生年金がもらえる女性は女性全体の中では働きつづけることができたという、ある程度恵まれた女性でありますが、にもかかわらず最近の新規裁定の厚生年金のこれは全体の受給額の月額平均が約17万円なんですが、それから今度女性だけをとり出して、女性の平均額をみると約10万円であります。ということは10万円以下の女性も非常に多いということで、厚生省も一生懸命頑張って、例えばケアハウスという軽費老人ホームの延長線上に一定の自立の保てる個室の住宅を少しずつ提供し始めております。そこのホームの責任者である女性がよくいうことでありますけれど、もちろん軽費老人ホームの延長線上にあって高所得の人は逆に入れないんですけれど、しかし自己負担がありますから、あんまり所得がなくても入れない。そうすると家賃を含めて、どうしたって10万円ぐらいの毎月の経費を考えなくてはいけない。
そうすると、女性の申込者をみると、国民年金の最低の人が多くて、10万円の年金を持っている人が申し込みの中にほんとうに少ない。女で10万円以上の年金を、個人の年金を持っている人がいかに少ないかということにビックリして、その後、寮母さんで結婚退職をしようとする人がいると、「あなたせめてケアハウスに入れる年金のもらえるように働きつづけましょう」といっているという話がありますが、これだけで女の人が安定的、継続的就労の機会に恵まれなかったことのツケは、全部老後に回ってくるということがおわかりいただけると思います。
安定的、継続的就労の機会を拒むものは、まず第1に出産・育児でございます。出生率低下に合わせて政府はようやく男性もとれる介護休業制度をつくりました。育児の時期を乗り切った人が今度もう1つ、突き当たる退職の機会が老人介護であります。私の周辺でもどれだけ多くの人が定年を前にして老人介護のために職業を中断し、結果として自分自身の貧しい年金につながっているという人が少なくありません。私は今の年金制度などでは母子家庭80万の家計の状況、一般世帯の40%に満たぬ特に離婚母子家庭の状況など見ますと、これから21世紀に向けて女性の老いというものは、ほんとうに貧困が女性の老後に偏在してくるという警告をまず発しておきたいと思います。経済的自立は、女と男と比べたら女のほうが決定的に貧しい。それは1つは、老後の介護者として勤めをやめて親をみることを期待されるということが非常に大きく、育児休業の次は介護休業という声がほうふつとして挙がっております。
さて2番目に申し上げたいことは生活者の自立ということであります。特に老いてケアを要するということは、生活身辺の自立が妨げられて、それを支えるということでありますから、私はここへくると、これは女性問題ではなくて男性問題だと思っております。
そもそも元気なうちから生活身辺の自立ができてない男がいかに多いことか。そのことの延長線上に老いてますます自立を失っていくわけであります。そして、年をとっても妻にみてもらおうと思っている男がいかに多いことか。つい最近の今年の9月に発表されました総務庁の調査でありますが、表題は「老後の生活と介護に関する調査」という、調査でございますが、60代の男女を調べましたところ、寝たきりなどになったとき、誰に介護してもらいたいかといいますと、男性はなんと70%以上が妻にといっているのであります。そして妻への依存度の高さはほんとうに目を見張るばかりでこざいまして、妻でないまでも家族に介護してもらおうと思っています。
これはマクロ的なこうした調査ばかりではなく、アンケート調査などをしてみても同じでございまして、実は私今、編集中の本がございまして、アメリカの有名なベティ・フリーダンさんの原稿なども、こちらにいらっしゃるバトラー先生や紀伊國先生のお骨折りでお原稿もちょうだいできたんですけれど、その本の中に、葉書アンケートで“あなた80歳、妻に急に先立たれた。そのときあなたどうしますか”という調査の結果を入れました。日本中の県知事さんには、みんな出しました。それから学者とか評論家とか、政府の方とか、この中でもらった心当たりのある方もあると思うのですけど400人ぐらいにアンケート調査を私の名で出しました。大抵の人が怒って返事をくれませんでした。しかしそれでも50人ぐらいの方がご返事をくださいました。市長さんには出していません。県知事さんにみんな出しまして、ただ大変、私、おもしろかったのは、やっぱり今、高齢者の保健福祉計画の策定というものが県、そして市町村に権限が委ねられてきていますから、一番熱心になっているのは知事さんたちなんだなあということがよくわかりました。鈴木東京都知事をはじめ、知事さんからのご回答がわりに多かったのです。ですからまず回答をくださった方には心からお礼を申し上げます。しかし共同編集者の上野千鶴子と顔を見合わせました。
例えばこういうご返事があるのです。「そのようなことは考えないことにいたしております」。あるいは、これもあるかなり高齢者問題にご熱心な、私も顔見知りの県知事さんです。「そういうことにならぬよう、私より後に必ず生き残るよう、妻にかねがね厳命しております」。厳命ということばが出てくるのにも驚きました。ある経済予測の学者でありますが、今度は、「妻は私よりかなり年下でありますし、かつすこぶる丈夫でありますので、そのようなことにはならないと確信いたしております」という回答です。恐らく日本経済の予測を立てるときには、ほんの小さな悲観材料も織り交ぜてシュミレーションを照合するであろうような学者が、妻が年下ということと今丈夫というだけの理由で、絶対妻が死なないと確信していらっしゃるのです。この方の経済予測は私はあまり信用しないことにしようと、思い始めたわけでございます。
けれどこうした男性たちの生活自立能力のなさというのが、これは私は日本の社会のこのただでさえ不足している労働力、介護労働力を随分食いつぶしているのではないかと思います。例えば、老夫婦がなんとか自立しておられて、夫のほうが入院したといたします。ここには、新たな労働力というのはほとんど要りません。妻が荷物をまとめて付き添いになりますから。基本的な食事の世話などは病院がしてくれますから、私の知り合いの母親で、お父様つまり夫が入院している間、カルチャーセンターにやっと通えた、なんて人がいるぐらいです。ところが今度は妻が入院すると、どうでありましょう。夫はただ見舞いに、見にくるわけです。私、英語はよくわかりませんけれど、「夫がみる」と日本語でひと言でいいますけど、おんなじ「みる」でも夫が妻をみるのは“ルックアップ"とか“シー”でありまして、同じみるでも妻が夫をみるときはもう“テイクケア"ということになるわけですね。そして妻が入院しますと、夫はたまに見舞いに見にはきますけれど、お世話はできない。たちまち付き添いさんが1人雇われます。これで労働力1人。そこまでならまだ許されます。こんどは留守の夫のために家政婦が1人。経済的に豊かな家庭の場合ですけど、家政婦が1人雇われます。これで2人、2対0。これ許せますか。私は生活自立のない男の人は、市民の敵だともう怒っております。
かつて明治時代、与謝野鉄幹という大歌人は、このような歌を詠みました。これは、その時代なりの新しさだったのです。女はおろかでよいというときに、才能あって賢くなければいけないと詠んだのですから。同時通訳まことにしにくいと思いますが、与謝野鉄幹は“妻をめとらば才たけて、見目麗わしく情けあり”とうたいました。これからの男の条件は妻が看とれなければいけません。見るんじゃなくて“テイクケア”できなければいけません。“妻を看とらば飯炊けて、見目はともかく力あり”といこうじゃありませんか。これがこれからの新しい男の条件であります。
そして私はもう時間かもしれませんが、もうひと言だけいいたいことは、やっぱり男性と女性の家意識や外部のサポートシステムに対しての、アプローチする能力ということ、これは私は男女の問題として非常に大きなものだということを申しておきたいと思います。精神的自立ということは、私はもしかしたら、いくら自立といったって、老いて様々な身体的な能力だけでも衰退していく高齢期の自立は、単なるただ自立だ自主だと頑張るのではなくて、いかに自立が続けられるように他者の援助を心よく受け入れていくか、利用していくかということ、それがうまくなかったら、私は高齢期の自立というものはできないと思うのです。
その点で女の人は、あまり女の沽券というものがございませんので、困ると、「助けて〜」、「ヘルプミー」と叫べるのです。ところが男の沽券は、男は黙って、というようなものでありまして、男の沽券が外部の労働力を外部の福祉サービスなどを求めようとすることを日本の場合非常に妨げています。ですから看護疲れからの殺人などは、常に女が男を介護しているときではなくて、まずは息子であるか、夫であるかは別として、男が誰かを介護しているときに、そのような無理心中は起こるのです。
それから家の体面、家意識、これが男性のほうに刷り込みがずっと強いということは、これはむしろ同情すべき点だと思うのです。けれどまだまだ男性たちは世帯主として外部の労働力を、特に福祉の世話になるということを恥ずる気持ちがかなり強いのです。そしてなろうことならば、自分はまず妻に頼り、妻でなかったら他の家族に頼り、外部の労働力を頼ろうとはほとんど思っておりません。これは寿命の差もありまして、先ほどご紹介いたしました同じ総務庁の調査によりますと、私はこの調査の中の外部サポート労働力、3点セットと呼んでおりますが、家政婦とホームヘルパーと様々な施設、これは老健施設や老人病院、特別養護老人ホームを筆頭にでありましょうが、自分が寝たきりになったとき、この3つの中から選びたいという人は、同じ60代でも男性は9.9%であるにもかかわらず、女性の側が19.5%と、なんと女性は2割に達しているのでありました。私は新しい時代のこうした血縁ばかりでは支え切れなくなった老齢化社会のケアのあり方を、精神の上で心を開いて受け入れ、新しい時代をつくっていくのは、これをみただけでも断然男性ではなくて女性の側だと確信している次第でございます。
さらに昨年は日本は地方選挙の年でありました。諸外国に比べてお恥ずかしい次第で、日本の地方の女性議員の女性比率はなんとわずか2.3%にすぎません。しかしそれでも大きな進歩なのです。1%台だったのが倍増したのですから。そこで私たち「高齢化社会を良くする女性の会」では、女性議員、新選出の女性地方議員1335人にアンケート調査を送りましたところ、女性議員という、ある意味ではプロフェッショナルなそして女性の中ではキャリアウーマンに近いような方だと思うんです。その方々で過去を含めて老人介護の経験者はなんと50%を超え、近々介護する可能性があるという人を含めると9割を超えました。残念ながら男性議員に関する同じ程度の調査がないので、男性と比べることはできませんけれど、これは女性がどのように介護に近い場にいるか、この近い場にいる女性が都道府県はもちろんのこと国を含めて政策に参画しなかったら、女性議員がもっと増えていかなかったら、私はどんなにこのような政策がみんなでつくられたように見えましても、そこに介護体験をしている、より長い老いをより貧しく生き、そしてほとんどの介護を、職業的にも家族的にも担っている女性が参画しなかったら、ろくな政策はつくれないと申し上げて終わりたいと思います。ありがとうございました。
[紀伊國]ありがとうございました。このケアの提供者としての女性の立場で、深刻な日本の現状を極めてハッキリと申されましたので、外国のスピーカーの方々は日本の大切な実情をすっかりのぞかれたことだと思います。日本シリーズのファーストバッターが最初からホームランを打ったような強烈な響きがあるわけでございますが、これに対してまた特に男性側が強く応えていただきたいと思います。
次はそれでは、やはり分科会にご参加にならなかった外山先生から、時間をできるだけディスカッションにとりたいので、最初の発表はできるだけ短くお願いすることができますでしょうか、それではお願いします。
[外山]皆さん今日は。樋口先生のホームランの後でスクイズでもしようかという感じですが、個人的には我が家は妻も帰宅が遅くなることが多く、責任の多い仕事をしておりますので、私は毎日の朝食と火・木・土の夕食づくりを担当しておりまして、家事は妻とほぼ5分5分で分担しております。そういう男性も増えてきているのではないでしょうか。
ところで本題に入りますが、まず私はグループIの住環境のセッションを聴かせていただきましたので、私の立場から簡単に今日のテーマであります、自立あるいは自立的高齢期の生活の保持を目指すときに、住環境がどういう課題を現在抱えているかということを、簡単に概観してみたいと思います。在宅の場合は住宅改造1つをとってみましても、1人暮らしの高齢者の方と同居しているケースでは、テーマがややちがってきます。ご本人にとっての日常生活の難易度は入浴、それから着替え、排泄といったような難易度の順列が一般的ですが、介助する側の介護の重さからいいますと、入浴の次に排泄がきます。そういう意味で住宅改造をしていくときのポイントがちがってきますし、また介助するしやすさにとってのスペースの問題というのが、同居の場合の1つのテーマになるかと思います。
1人暮らしの場合には、林先生のレポートの中にもございましたが、まず一番最初に、持ち家率が独居の高齢者の中では62.5%と低く、特に借家に住んでいらっしゃる方がかなり多いという事実に基づいて、居住の安定の保証ということが大変大きなテーマとなってくると思います。住宅改造一つとってみましても、賃貸の住宅で、改造できる可能性は非常に薄いのです。ですから公的な賃貸住宅の中でこの辺りをどういう形で今後組み入れていくか、これも1つのテーマだと思います。
全体を見渡しても、一般住宅のストック全体を高齢化対応に向けていくということが、これから大変重要になってくると思うんですがそのときにやはりアメとムチを使いながら、いわゆる融資のときの誘導の形で基準を設定していく、その基準に質を盛り込んでいく、またムチとして条例の中にそれを拾い上げていって、強制力を加えていく、そういうようなことを実際に自治体で始めているところもあります。
それから、1人暮らしの高齢者にとっては、家事援助のサービスが緊急にほしくなったり、あるいは今日グループ?Uで討議されたようなまちづくり、日常的な生活圏の整備、そういったようなものが文化の問題を含めて大変大事になってくると思います。
一方同居の高齢者のことに触れてみますと、従来、地方自治体の高齢者の住宅計画の委員会などに出させていただいておりますと、高齢者住宅の需要予測をするときに、まず寝たきり老人の現在の数を拾い、それから将来の予測をしていく。あと1つは、1人暮らしの高齢者の数を拾うわけです。しかし、実は1人暮らしの高齢者の方は意外とお元気な方が多いですね。むしろ、昼間独居といいますか、同居しておられる方で、昼間、介護者が出かけ、要介護者が一人残される。この方たちの中にかなり重介護の方が多いのですが、同居ということでいわゆる「寝たきり」以外は支援対象から外されてしまい、数字としてはなかなか上がってこない。先ほど申上げましたが、同居の場合の住環境の整備、これは介護のしやすさの問題と、あとは昼間、高齢者の方が1人で、例えば排泄が自分でいざって行けるような、自立生活が可能となるような住環境の整備と、あとはもう1つ、いざ何か起こったときの緊急対応システム、これが大変重要になってくると思います。
次に施設の中の問題をかいつまんで話させていただきたいと思います。現在、国でも議論を進めております長期療養施設のあり方の中で、療養環境の向上が、例えば離床率の向上につながってくる、そういった研究が建築学の領域の論文でも、このごろかなり出てきております。この辺については、昨日報告のあったスウェーデンの70年代から80年代への転換の動きから学べることが多いのではないかと思います。それから樋口先生も少し触れられましたケアハウスなんですけれども、所得階層をタテ軸にとって、ヨコ軸に個人のケアニーズをとりますと、中間所得階層で老健や老人病院に入るほどには弱化の進んでいない層への対応が、全体的に遅れています。そこを埋めてゆく上で期待されているのがケアハウスというわけですが、現在ご存知のように、特養との併設が進められていますが、私は老健施設とケアハウスとの併設がより有効であると思います。それは老健施設を通過施設としてリハビリテーション機能を強化して、在宅に戻していく施設としての役割を強化するためにも、また滞留が起きて老健施設が居住施設化あるいは特養化してしまわないためにも、この組み合わせがなかなか有効なのではないかと思います。
あと林先生も触れられましたが、シルバーハウジングですとか、シニア住宅、公的住宅の敷地の中に福祉施設を連携的に設置していこう、そういう動きがどんどん出てきておりますが、ここら辺の整備の進み具合、また今回外国の報告の中で1つの共通した流れが確認されたと思うんですが、それは小規模な居住施設、あるいはもう1つ、言い替えれば、ショートステイですとか、地域ケアの基地になる、そういう柔軟な運用ができる小規模な居住施設。この辺りが整備されてきませんと、なかなか在宅ケアと施設ケアが地域で編み上げられてゆかず、危険としては二極分解していく恐れがあるのではないかと思います。
最後に地域ケアについて1点だけ述べさせていただきたいと思います。今、末端で地域割り、サービスエリアを設定していくときに、保健医療と福祉サービスの重ね合わせをしていくことが大変重要になってきていると思うです。この重ね合わせ方、地域割りが全く重なり合うことは無理としても、一方が一方を分断させないように重ね合わせること。それからチームの融合、最後は個人のサービスニーズに対するデーターの統合、そういったことがこれからだんだんテーマになってくるのではないかと思います。以上です。
[紀伊國]どうもありがとうございました。それでは津島前厚生大臣は先ほどのご紹介にもありましたように、高齢者保健福祉10カ年戦略という厚生省としては思い切った戦略をつくられたときの厚生大臣でいらっしゃいます。今の問題、今回のテーマ「ゆとりある高齢者の生活環境と自立」ということに関して先生のコメントをお願いいたしましょう。
[津島]まず最初に、尊敬する樋口先生のお話に強い感銘を受けたということを申し上げたいと思います。樋口先生のような頼りがいのある方を奥さんに持っていれば、我々男性は安心だなあと思ったり、それから日本人の寿命が女性が82歳、男性が76歳で、この差はますます広がりつつあるのもわかるなあとご理解いただけるのではないかと思います。
さて、今日のテーマについてのお話でございますが、私としては、ゴールドプランの策定をし打ち出したときに、どういう点に苦労したかという、側面からお話をするのが一番良いかと思います。ゴールドプランについては、昨日、横尾局長、そして今日は水田課長からそれぞれお話を聞かれた方があると思いますが、このプランを打ち出すときに、私共は地域の介護については、いつでもどこでも安心して利用できるような介護サービスを考えようということを申し上げました。
言うのは簡単なんですけれども非常に難しいということがだんだんわかってきました。そのような要請に応えるためには、例えばつくり上げられた計画が十分多様なものでなければならないし、それからそれぞれの地域の実情に合っていなければならない。それから地域の介護と、施設や病院における介護とか看護とうまく結びついていなければならない。こういうことを考えてみますと、非常に難しい議論をしたんですが2つの決断をしました。その1つは、これからの物事の決定をできるだけ住民の方に近いところに下ろしていこう、厚生大臣が決定をするよりも、県知事さんが決定するほうが良いし、県知事さんが決めるよりも市町村長さんが決めるほうが良いということで、思い切って物事の決定を市町村長さんにしていただくことをまず第1に決めました。
それから2番目に、誰がこの計画を中心になって進めていくかということについて、国会では野党の方の中には、どうしても皆さん公務員を中心にお役所でやってくれという意見が非常に強かったことも事実なんです。私共はそれはそれぞれの地域においてこれからの高齢者ケアを担っていける経験のある方、意欲のある方を中心にやっていけばいいわけですから、そういう方が例えばお役所におられればお役所でもよいし、それから社会福祉協議会におられる場合には社会福祉協議会でもよい。場合によっては医師会のドクターたちに、頑張っていただいてもよいし、看護婦さん方にあるいはヘルパーの方々を中心にやっていただいてもよいと、そういう担い手についてはあくまでも地域の実情を一番尊重してやろうとこういう決断をしたわけであります。
そして今、これが始められてから3年になっておるわけでありますが、今、私は恐らく行政側は3つの大きな問題に直面をしていると思います。その第1は今お話をしたように、ゴールドプランを具体的に実施をしていく場合に、あくまでも地域中心でありますから、毎日毎日が1つの創造的な努力をする、クリエーションの努力が必要だということであります。そして具体的なケースについて、何が一番良いであろうかということを誰かに教えられるんではなくて、自分たちの問題として考え一番うまく解決するにはどうしたらよいか、つまり高齢者の方を一番良い条件に置いてあげるにはどうしたらよいかということを発見していくための意識改革を伴うような難しい仕事を毎日やっていられると思います。
それから2番目は、調査なくして良い計画の遂行はないわけですから、徹底的にファクトファインディンクしていただくこと。それぞれの地域に介護の必要性のある方々がどこにどれだけおいでになるか、その方々はどういう状態か、寝たきりなのか、独居なのか、あるいは痴呆性があるのかどうか、そういう調査を今、厚生省の方も各自治団体にお願いをして徹底的に悉皆調査をしていただいていると承っております。
それから3つ目の難しい問題は、ゴールドプランのニーズを支えてくれる人々のトレーニングの問題がございます。先ほど、外国からのパネリストの方のお話に多様な訓練を受けた介護が必要だとおっしゃっている。その通りでございまして、こういうトレーニングの面でも大いに頑張らなければならないと思っております。こういう努力を積み重ねるうちに、一方ではだんだんと残された問題が浮きぼりされてきております。つまりゴールドプランそのものでは十分に応えていない問題でありまして、その1つが今日の課題のハウジングの問題であろうかと思います。つまり高齢者の居住環境をどういうふうにして整備していくかということで、ゴールドプランの中にケアハウスをつくっていくというのがありますけれども、このケアハウスの整備がゴールドプランの中で一番計画より遅れがちであると聞いて非常に残念に思っています。
それからもう1つはですね、まちづくり自体が高齢者や障害者の方にやさしいまちづくりにしていただくというタウンプランニングの問題がありますが、これについては厚生省だけでは対応できない、建設省や他の行政に十分のご協力を得なければならない、残された分野だと思うわけであります。
以上とりあえずイントロダクションとして申し上げましたが、私も個人的に父親、母親の介護で非常に苦労いたしました。今、家内の母親が寝たきりの状態になって、私の政治活動のためには、まあ樋口先生にはしかられるかもしれませんが、無料でいつも奉仕してくれてる家内の応援がないもんですから非常に苦労しているわけであります。それでわかりましたのは、私が国会で一生懸命ゴールドプランのPRをしている、その一方で東京のある地区に母親が住んでいたわけですが、その母親が寝たきりで介護が必要になったときに、いったいどこに相談をしたらよいのか、まったくわからない状態でございました。つまり、やはり行政が目指していることと、現実に市民が置かれている状態との中に、随分大きなギャップがあるということを、まだ感じている今日このごろでございます。以上でございます。ありがとうございました。
[紀伊國]どうもありがとうございました。次に共同司会者であるロバート・バトラー教授。教授は世界的な老年病学者として有名であり、皆さん方ご承知でしょうピュリツァー賞をもらわれた『Why survive、老後はなぜ悲劇なのか、“アメリカ老人たちの生活”』という本を書かれたり、これは若干宣伝でありますが、私と共著で“誰が私の高齢に責任を持つのか”という英語の本も書かれた方ですが、第1回のシンポジウムからずっとこのシンポジウムに参加され、日本のことも熟知しておられるわけです。昨日今日のディスカッションを聞かれていらっしゃいますので、コメントをまずお聞きすることにいたしましょう。
[バトラー]紀伊國先生どうもありがとうございます。今日が3回目の国際シンポジウムです。日野原先生、紀伊國先生と同席をすることができ大変うれしく思います。また笹川財団がこのような形でたくさんのことを学ぶチャンスを与えてくださいましたことをうれしく思い、笹川医学医療研究財団に対し、心から御礼申し上げたいと思います。ここに参りますと、いろいろなことを知るだけではなく、たくさんのことを勉強することができます。研究者、実践家その他の人たちが現実主義に基づいて仕事をしてくださることをうかがいました。ゴールドプランも学ぶことができましたし、これは大変素晴らしい機会を与えることができるものだと思います。また、それだけでなくドイツにおける長期のケアについての昨日講演がありましたが、大変重要なものだと思います。21世紀に向けまして多くの人たちが勉強していかなければならないと思います。昨日のフェルフュールドンク先生のお話からもたくさんのことを学ぶことができました。
さて高齢者について話しますと、高齢者でも生産性の高い素晴らしい活動をしている人たちがいるわけです。素晴らしい活動をしている人をみても、まだいくつかの複雑な病気に悩んでる心理学的、社会的な、そして肉体的な悪い状態に苦しんでる人たちもたくさんいます。慢性的な状況に苦しんでる人たちもいます。そのほとんどが女性であるということも忘れてはいけません。これらの高齢者の問題が素晴らしい人生を送った女性たち、この人たちが日本でも孤独となっている。そして世界でも孤独となっている。樋口先生もおっしゃったように貧しさに悩む人たち、この人たちが我々にとって大きな課題になるのだと思います。これらの虚弱な老人も、次から次に替わっていくわけです。最終的には継続的なケアを行うことができるようにならなければならないと思います。しかも変化する状況にみ合った形でのケアを与えていかなければいけないと思います。
これまで2日間の討議が行われてまいりましたが、もっと強い社会センター、コミュニティセンターをつくることが必要だと思います。なぜならば、経済の規模からも考えてみてください。例えば1,000人の家庭があって、これらの家の状態がどうなっているかわからない。この在宅の人たちに対して多岐多様な専門的な活動をしなければならないわけです。そしてその1,000人を10のセンターに入れたらどうでしょうか。社会化をするわけです。1つに100人の人たちが入っていただきます。そうすれば女性の方のケアを与えている人たちに対しても休息を与えることができます。そして老人にちょっとの間入っていただければいいわけです。そうすれば1,000人の面倒をみるだけの介護者も必要となくなります。そういうわけで小規模なケアセンターをつくったらどうでしょうか。このような形でリハビリ医療も、そしてまたデイケアなども導入できるわけです。
生活の質も忘れないようにしなければなりません。これも地域社会に基盤を置いたものをつくれたらどうかと思います。私はこれをサービスセンターと呼びたいと思います。デイケアサービスということばは嫌いですね。ファミリーサービスセンターという名前をつければよいと思います。このファミリーといいましても、家族の代わり、家族のような扱いをしてくれという意味でファミリーサービスセンターをつくったらどうかと思います。虚弱な方たち、何もできなかったと家庭で責任を持たなかった人たちが、他の人たちと一緒になりますと、生きがいを感じて、まるで死者が生き返るような行動をみせるということがわかります。サービスはこのような形で再編成していくことが必要でありますが、訓練が大変重要であるということを忘れてはいけないと思います。
21世紀に近づくにつれて、私たちは医療学校などでカリキュラムのコアのカリキュラムを持たなければならないと思います。例えば、PTの方、医師、介護者たちが一緒になってコアとなる共通の知識を得て、その後で専門化すればいいわけです。色々なところに学校をつくると全部を病院べースでやらなくてもいいと思うわけです。例えばハイテクとか急性の医療であるとか、また特に国によっては(日本ではありません)、病院の在院日数が非常に短いわけです。そのときに患者のフォローアップをすることができないかもしれません。ですからそのようなときに退院した後の患者像とか家族の情況とをみることができるような形のサービスが必要だと思います。やはりそのような教育機関ができるのではないでしょうか。
この2日間で十分に触れられなかったことがあります。それは新しい知識を得るということ、でも大事なことです。研究をサポートしましょう。そうすれば、男性も女性と同じくらいの長寿を全うすることができるようになります。そうすれば男性も女性の面倒をみることができるようになるでしょう。もし私共が1カ月でも3,200万人の65歳以上の人たちの1ヵ月でもいいから依存性を遅くすることができれば、アメリカではひと月50億ドル節約することができます。1年で600億ドルになるわけですから実際のナーシングホームのコストよりもずっと上回るコストを節約することができます。ほんのちょっとでも依存性を少しでも延ばすことができれば、遺伝性とか、ホルモン性とかの病気の出現を少しでも遅らせることができればいいと思います。
地方の時代ということが主張されました。市町村でコントロールすることが大変重要だともいわれました。個人的に自分を律することが必要であること、自分の人生は自分で面倒をみること、ケアの質や生活の質のお話もありましたが、自分で自分を律するということ、これが一番大事なことではないかと思います。この2日間でそれが一番大事なことではないでしょうか。
[紀伊國]まとめをもうしていただいたような気がしますが、残された時間は皆さん方のセッションですから、皆さん方のご質問、ご意見をひとつできるだけ短くしていただきたいと思うのですが、皆さん方が考えておられる間に、パネリストの方から今までのご意見に対するリアクションをうかがいましょう。岩國先生いかがでしょうか。
[岩國]先ほど色々なパネリストの方のご意見をうかがわせていただきましたが、最初に樋口先生のお話をうかがいました。外山先生もお答えになりましたから、私もまず最初にお答えいたしますけれど、私もご飯を炊くことはできます。飯炊きはですから1人でいるときはちゃんとご飯を炊いて、そしてゆで卵もつくれます。問題は私はそれしかできないということなのです。たしかに、これからの高齢化社会のことを考えるときに、福祉の問題と女性の問題、女性の役割はどうなるのか、地位はどうなるのか、これは大変大きい問題。私もそのことについてはいろんな努力をし、また市政の中で色々なことをやっております。
しかし、先ほど紹介された妻に依存したいという男性が70%もいるという、こういう日本的な現実は、女性に対する長寿効果をもたらしているんじゃないかと思います。頼りない男性が多ければ多いほど、頼りない男性の多い国であればあるほど、その国の女性の平均寿命は延びていると、こういう結果が出ているんじゃないかと思います。それは家庭をみても同じことだと思います。頼りない男性のいるところの奥さんほどシッカリして、健康に気をつけて、そして、その自立心を育てることになる。これは国の政策が効を奏してるんじゃなくて、頼りない男性の存在が日本の女性の長寿効果をもたらしている。厚生省のやっている政策はダメなことばっかりやっておっても、女性の年齢は非常に延びてきた。戦後それはダメな男性が増えてきたという事実と、非常に相関関係を持ってるんじゃないかと私は思っております。
したがいまして先ほど樋口先生がおっしゃいましたように、「妻をめとらば才たけて……」そういうことばをつかわれましたけれども、最近私は出雲市の中でも非常に気になることばを聞いております。県立中央病院という立派な病院がありまして、そこの中央病院の先生がこういうことをおっしゃいました。「市長さん、このごろ私はちょっと心配です。いろんな奥さん方が、入院しているお母さん、おじいさんを見舞いに来られる。よく見ていると学歴の高い女の人ほど思いやりが少ない。学歴の低い奥さんほど思いやりが濃いように思います。小学校しかいかなかった、中学校しかいかなかった、高校でやめた、そういう奥さんほどお父さんお母さんに対する思いやり、自分の義理のお母さんでも、実のお母さんでも。それに反して、女子大へ行った、短大へ行った、そして帰ってきた、そういう奥さんほどなんとなく思いやりが薄いように思います。学歴と思いやりは反比例するんでしょうか」とこういうことなんです。たしかにそういうことを言われますと、「妻をめとらば才たけて、見目うるわしく、情はない」とこういうふうな女性がだんだん増えてきているのかなあと、そして大学へ行くだけじゃなくて大学の先生をしておられる、これは最悪のケースかな……と。大変好き勝手なことを申し上げますけども、まあそういうことになってはいけないと私は思うんです。
したがって、今度出雲市に3年後につくられる女子大は、学歴と思いやりは正比例する、そういう教育をキチッとできるような、そういう医療・福祉短大にしたいと思っております。樋口先生に大変失礼なことを申し上げましたけれども、私は2つだけ申し上げたいと思います。1つは住環境とそしてその女性の役割と地位について……。まず住環境について。私は第I分科会に出ておりませんでしたから、住環境のほうについては何も提言申し上げませんでした。しかし、外国で私は21年、ニューヨーク、ロンドン、パリ、東京、そういう外国の社会に住んできて、日本へ帰ってきました。これから日本も長寿社会になります。ヨーロッパは100年かかって高齢化社会がやってきた。アメリカは40年かかってやってきた。日本は20年。いいですか、ヨーロッパの5倍の早さ、アメリカの2倍の早さで高齢化社会がやってくる。座って考えてるヒマはないんです。歩きながら、走りながら考えなくてはいかん。その中で一番大事なことは動物と一緒に住めるような社会が日本にはないということなのです。どこの国でも、とりわけ犬、そういうペットと仲よく暮らす。これがお年寄りに一番のなぐさめ、お年寄りに一番いいコンパニオンになっているにもかかわらず、日本ではいろんな建物を考えるとき、こうした“日本における高齢者の望まれる住環境とは”こんな立派な本も、ご報告なされておりますし、その他各種の議論もされておりますけれど、私は日本的議論の中で2つだけ欠けているのは、1つは動物の住めるようなまちづくり、家づくりというのは、そういう視点が欠けているように思います。もう1つ欠けてる視点は、建物は安くつくればいい、丈夫ならばいい、便利ならばいい、改築がしやすければいい……、先ほどのその第I分科会の報告を聞いておりましても、安全、便利、改築しやすく……。そういうことばかりでなくて、やはり快適さ、お年寄りにとって快適さはなんだろうか。それは材料も加えて、私が強調したいのは、もっと木づくりということを見直すべきではないかと思います。
日本人が小さいときから育てられた木の感性、そしてほとんどの方は木づくりの家に住んでいる。それは60歳、65歳、70歳になると急に木づくりではないような建物に移されてしまう。それは言ってみれば、60年間米ばっかり食べていたおじいさん、おばあさんに、今日からパンのほうが良いからパンを食べなさいと、それに類したことなんです。食べ物の場合には、食べ物が変われば、これは大変だということを周りの人も本人も気がつきます。建物は意外に気がつかない。それは結果が後からやってくるからなのです。
昨年の5月、松江市では木材学会が開かれてました。そこで色々なおもしろい発表がありました。建物と寿命について、という研究発表。3つの結論が出ておりました。最初の結論。低いところに住む人と高いところに住む人とどちらが長生きできるか。低いところに住む人が長生きする。2番目。木づくりの建物とコンクリートの建物ではどちらが長生きできるか。木づくりの建物のほうが長生きできる。3番目。最後ですけれども、女性と男性とではどちらにその影響が著しいか。女性のほうにその影響がより著しいということなんです。この3つの結論をまとめてみますと、木づくりの1階建ての家に住んでるおばあちゃんが一番長生きするということなんです。8階建てのコンクリートのマンションの一番上に住んでる男が一番早く人生を終わるということなんです。ですから、これから親孝行したい人は、おじいちゃんおばあちゃんを木づくりの1階建ての家に住まわせてあげる、これが本当の親孝行。親不孝したい人がいたらマンションの一番上に両親を住まわせる、これが最大の親不孝なんです。というおもしろい結果が出ていました。これからのそういう長寿社会、高齢化社会の中で行政が公共施設としてつくる高齢者用マンションというのは、そういうような視点が必要ではないかなと思っております。
次に女性の役割と地位について申し上げます。私が市長になりまして2週間後に部課長会議というものが開かれまして、60人の部課長が待っておりまして、私はその部屋に入っていってショックを受けました。オールブラック、男ばっかりだったんです。いいですか、まるでその種の団体のような感じ。出雲市の52%は女性、有権者の53%は女性、女性の方は長生きされますから。選挙に行かれる方の54%は女性です、女性のほうが選挙が好きですから。52%、53%、54%、どこをとっても、女性多数派の市。全国662の市のうち80%はもう女性多数派の市なんです。にもかかわらず、社会が悪いのは、国が悪いのは男のせいだ、そういう文句が多過ぎます。特に女性の方から。私はこれは間違いだといってるんです。多数派が少数派に文句をいう。そんな民主主義がどこにありますか。多数派は文句をいってはならないのです。いいですか、国会をみてください。自民党は多数派ですから、権力を持って仕事をやらされているでしょう。日本が悪いのは共産党のせいだ、そんなことを自民党がいったら、自民党が笑われるだけです。それと同じことが日本で行われているのです。日本が悪いのは男がダメだから、市が悪いのは市長がダメだから、こんなことじゃないんです。悪いのは女性の皆さん、あなた方だと、私は出雲市の中でいつもそういって歩いています。だからたぶん私は今度の選挙はダメでしょう、そんなことをいってますから。しかし正しいことはハッキリいわなければいけないんです。
いいですか、多数派が多数派としての認識を持っていない。ここに日本の社会の一番の悲劇があるのです。この福祉の問題も、多数派であるにもかかわらず、いつまでも少数派時代のコンプレックスや甘えやもたれを持っている。それがダメなことなんです。アレがダメ、コレがダメというんだったら、市長を替える、議会を替える、その力は多数派はあるハズでしょう。多数派は多数派の役割を果たさないで、グチや不平や不満ばかりいっている。これが日本の福祉を大きく前進させない、前進させていないことだと思います。私は市長になってから、市が委嘱する委員会、審議会委員の30%は必ず女性を任命することにしました。出雲市では今ごろそんなことをやっているか、と思われるでしょうが、要するに今までは0%だったんです。そして教育委員、教育長の下に4人の教育委員がいます。全部男性でした。私は2人を女性にして、今は2対2です。そういうふうに少しずつ女性の意見を反映させる。福祉の問題についてはハッキリいって、今、女性が福祉を支えています。それは事実。だからこそ、支えている女性の意見を行政に、役所の管理職の声を通じて反映させるために、私は60人の男ばかりのその管理職の中で3人、2人、そして今年も2人とつぎつぎと毎年管理職をつくっていきました。限りなく52%を日指していきます。
女性の感性、きめの細かい感覚というものを、この福祉のところで生かしていかなかったら、男だけの行政ではダメなんです。男行政をやっているから、さっきから樋口先生がおっしゃるような、色々な問題が出てきているんです。誰の責任か、それは男だけの責任だけじゃあない。それは女性の責任なんです。女性が管理職にもなって自分たちの意見をちゃんと出す。民主主義の国というのは多数派は必ず意見を通せる仕組みができてるんですから、それをやらないでグチ、不平、不満をいう。私はそれは許さない。必ず管理職となって自分のアイデアを実行に移せる。市のお金を使って福祉行政を進める。そういう立場に女性がどんどんなってもらう。そして21世紀になったら私たち男性は少数派ですから、日本がダメなのは女性がダメなんだ、出雲市がダメなのは女性がダメなんだ、気楽に不平、不満、グチをいう。そういう夢のような21世紀を私は迎えたいと思っています(笑い)。
[紀伊國]そうですね。どうもこのパネリストの選び方はちょっとまずかったかもしれませんが、しかし、このプログラムでおわかりのとおり、このシンポジウムの2人のキーのスピーカー、2人とも女性ですからね。それをお忘れなく。樋口先生何かコメントありますか。できるだけ短くしてくださいね。
[樋口]はい。出発点はもうどうなることかと思っていたのですけれど、結論的には全く私も反対ではありません。ただ非常に日本にいらっしゃることが、不在のお時間が長かったせいか、その多数派が政策決定に反映していくための日本の非常に重い、出にくい状況というものについて大変軽く考えていらっしゃるような気がいたしました。もちろんそれはある意味で簡単なことなんです。こういう英邁君主がきて、任命すれば簡単に女性の管理職は増えていくんです。しかし、それを英邁君主に頼んでいなければならない状況というのが、私どもにとっては大変残念なことでありまして、その市長が大したことはなくてもちゃんと女性が出ていくというね、そういう状況を私たちはつくっていかなければならない。ですから大変シコシコとですけれど、この前の参院選でようやく女性が2.3%で2倍になったって喜んでいるんですよ。それでやっぱり私たちは英邁君主に出てもらうのも結構ですから、私岩國さんに決して反対ではありません。といいましたけど、部分的にだいぶありますよ。まずこれはもちろん最終の結論にくるために、そして女性が権利の上に甘んじてる女性を励ますために、おっしゃったのだと思い、私はその点では全く賛成です。女はやっぱり不満をいい、この男性社会を変えていこうというからには、誰か私はね男の人のご理解があって変えてもらおうなんて思っているうちはダメだと思っています。英邁君主に頼ってるうちはダメで、女性自身がその力を持って勝ちとっていくんでなかったら、私はやっぱりどっかにホコロビが出てくると思うんです。
ただ幸いにして国際的にも、女性が参加していく。今度はアメリカはいったいどうなるのかわかりませんけれど、なんか民主党の下院議員の候補者は155人、全定数の3分の1にものぼるといわれています。アメリカは必ずしも議会に女性が多数出ている国ではなく、60何位でしたかね、世界で。日本の110位に比べりゃずっとましですけれど、ヨーロッパに比べれば、だいぶ低い。それが恐らく今度の選挙では変わっていくんじゃないかと、心から期待しています。そういう雰囲気の中で日本も今、女性たち自身がやっぱり変わっていかなければいけない。そういうお励ましのことばとしては大変賛成ですが、ひとつ申し上げたいと思います。
平等ということは、私は何かといったら、平等感覚の基本は立場のちがった人間は、これは国際性などということは私は岩國市長にいうことは釈迦に説法でありますが、こういうことも含めて、これは差別比差別の問題も含めて、置き換えて物事を考えられるかどうかということに私は原点があると思っております。女と男の平等も、ちがいを持った男女というものが、立場を置き換えてみたとき、同じ論理で考えたり、ちがう点はどこがちがうかということ。非常にハッキリした点は、ちがう点をどうサポートするかということが、考えられなければいけないと思います。
今、岩國市長は、高学歴である嫁さんほど思いやりがないとおっしゃいました。大学卒、まして大学の先生においておやとおっしゃいました。私個人がどうであるかということにはコメントいたしますまい。普遍性のある問題として、私はとらえていきます。よく男は論理的、普遍的であり、女は個人的、感情的であるといいますが、それが、皆さんどうぞ逆の場合もあり得るということをよく知ってお帰りください。私は決して個人的なことは申しますまい。ただ申し上げたいことは、学歴と思いやりとの関係について、女性を云々するならば、同じように男の学歴と思いやりについて論評すべきであると思うのです。このような点について、岩國市長はどのようにお思いでありましょうか。学歴の高い男ほど、思いやりがないとか、でもこれはいわれています。高学歴の夫婦ほど親を置いていくと。これはある意味でしょうがないことなんですね。高学歴の技術者たちは、国を離れて、あちこちへ行っています。中にはこうやって、見ちゃあいられないからって、国へ帰ってきてくれる男もあるけど、大抵の男はそうもできずに、まあ市長は1人でいいからね、2人いらないし。ですから国を出っぱなしの高学歴の、これは男女というのはあるのだと思います。なぜ女だけが高学歴だと思いやりがないと攻められるのでしょうか。こういうことを置き換えて考えられることが、私は平等ということの第一歩だと思います。
私はぜひ学歴も高く、思いやりのある男を育てていただきたい。そしてそれを育てるのはもちろん私たち母親の責任でもあり、もちろん父親の責任でもあるということを述べておきたいと思います。
それからもうひと言だけ申し上げます。女が長寿であるのは男がダメであるからだとおっしゃいました。そうではありません。女が長寿であるのはこんなダメな男の介護に一生かかりきってはいけない。せめて老後に少し自由な時間をと思うから、一生懸命長生きができるのであります。ということが1つ、それからもう1つ、これは実は今いったことは、これは冗談のいい返しでございまして、別に論理的根拠があっていってるわけではありません。これから先はかなり論理的に考えて事実をもって考えていかなければならないことで−。妻に頼って妻に介護できない社会だからこその日本型高齢化社会なのです。日本型高齢化社会は、ご承知のとおり非常にスピードが早いということで、もう1つの特徴は平均寿命が長いことで、男女共これ世界一です。女のほうが長いことはたしかだけれど、ということは、夫が倒れるときは妻が仮に平均3歳年下といたしましても、今40歳まで生きた男女の2人に1人以上は85を超えるという、85のとき82の妻は、決して妻1人で夫の介護などできないのです。どうぞこの幻想から男性たちよ覚めてください。
[紀伊國]ありがとうございました。男女問題は1日かかってもつきない話だと思いますが、今回のシンポジウムの狙いは、高齢者の自立がポイントなんです。この点に関して、ご自分もお2人のお子さんを持っておられる、ドイツのフェルフュールドンク家族・高齢者省長官にコメントしていただけますか。
[フェルフュールドンク]まず第1に、今のディスカッションに対して申し上げたいと思います。わが国におきましても、こういうような議論が行われるわけで、樋口先生がおっしゃったことは全くそのとおりです。私を含めまして女性として全く同感であり、そのとおりであったと思いました。
シンポジウムの本論に戻りますと、日本とドイツにおける問題は対比できる、全く同じような状況だと思います。ということは、女性の社会進出は高くなっております。複数世代が同じ家に住むということは少なくなっております。1つの住居に3世代が住むということはほとんどございません。近くに住むことはあるかもしれません。この問題を解決していかなければならない。高齢の両親の世話を提供していかなければいけない。そこで役割を果たすのは自治体です。専門家、プロのサービス提供者が必要になるわけです。しかし施設の中だけでそういうお世話をすることは、非人間的ですし、かつコストが高過ぎるわけです。在宅ケアプラスプロの提供するサービス、そして家の近くでサービスが提供される、この組み合わせで問題解決をしていかなければなりません。わが国においても日本においても同じだと思います。
[紀伊國]それではパネリストのほうから今のフェルフュールドンク長官の発言も含めご発言していただきたい。公的なサービスが基本であるべきである。それを効率よくする。また品質を管理をすることが大事であるということで、それについては市町村の役割が大変大きいということはほぼコンセンサスにいたっていると思うわけですが、そのときの政府の役割について、津島さんどのように、お考えでいらっしゃいますか。
[津島]先ほど私が申し上げましたように、福祉政策を上手に進めていくためには、なんとしても市町村を中心とする地域社会から発想していかなければならないのですけれども、新しい良い発想が出てきたときに、これをいち早く酌み上げて、モデルを他の市町村にも使っていただけるようにする。それからそれがどんどん奨励されるようなシステムをつくるという意味で、国の責任も非常に重いと思っております。ただこれまでのご議論をちょっと振り返ってみまして、ひとつぜひここで申し上げたいことがございます。日本における住環境を考える場合に、非常に大きな制約、すなわち土地問題があるということを、ここでやはり申し上げておかなければならない。この土地問題の解決については、主として国に責任があるということを付け加えたいのであります。
私は厚生大臣をやっておりましたときに、非常ないわゆるバブル経済の最中でございました。で、東京都や大阪府のような大都会に福祉施設や医療施設をつくることがほとんど不可能の状態になってしまった。高い土地の上に営利的でない施設をつくることはほとんど不可能になった。そのときに私は、例えば郵政大臣に郵便局の1階を使わせてもらって、保育所や老人施設をなぜつくってくれないんでしょうかと、申し入れて、そしてこれに協力をしていただき、東京都では都内に1カ所すぐに始まっていることを非常にうれしく思っているわけでありますが、日本のように非常に土地の高いところでは、公共部門が土地を提供をして福祉の増進をはかるということが絶対に必要であろうと思っております。
郵便局の次に税務署に、国税庁にもお願いしましたけれども、まあ考えてみようということで、その次には警察にもお願いをしようなんて思っておるんですけど、そういう国全体でこの土地問題を乗り越えていくことを、ぜひ考えてもらいたいと思っております。それにつけて、もう1つ他のパネリストのご意見もうかがいたいのは、いわゆる老人施設等をつくる場合の国の補助事業に非常に問題があるということであります。つまり厚生省は厚生省で一定の基準で老人福祉施設をつくらせる。文部省は文部省で、コミュニティーハウスをつくらせる。いわゆる公民館ですね。労働省は労働省で勤労者用の施設をつくらせるという、色々な補助制度を打ち出しておりますけれども、いずれもバラバラでありまして市町村がですね、これをひとつ総合した施設をつくろうと恐らく岩國市長さんのところなんかは出雲市にふさわしい施設をつくりたいという気持ちを持っておられると思うんですね。ところがそれがなかなか国の補助事業のハザマに落ちてしまってできないと、これはほんとうに真剣に考えなければならないと思います。
結論を申し上げます。こういうことを頭において8月28日に打ち出しました今度の政府の景気対策では、地方の単独事業をもう精一杯やっていただこう、その単独事業を進めるために、国は地方の起債のお手伝いをしようということを中心に据えたわけであります。この単独事業の中で特に奨励をしたいのは福祉やコミュニティー活動にプラスになる事業ということで、国の補助事業とは別にそれぞれの市町村にふさわしいものをつくって進めていただきたいと、私共は提案をしているのでございます。
[紀伊國]岩國市長さん、将来どのようにして、各市町村の独自の問題点を進めていくのか、次に岩川町長さん、その後にイギリスのデイビッド・トゥームズさんにお聞きしたいと思います。
[岩國]津島前大臣から、そういうご指摘をいただきましたけれども、やはり地域にふさわしい福祉行政をこれからやりたいと思っております。私の出雲市、これは都市型の部分と農村型の部分を抱えてまして、ちょうどこの日本の縮図のようなところです。そういった点で一番勉強になる仕事をさせていただいております。都市部ではやはり施設を望む方が非常に多いんです。これからの70歳75歳になって1人暮らしになるときには、その施設に入りたいという方も非常に多い。しかし一般的にいって、その周辺部、特に農村地帯、農家では、自分の家にずっといたい、自分の庭で、自分の廊下で、そして仏壇も一緒に……。そういう施設に入っていくときに、ご仏壇と先祖と一緒に入っていけないという悩みです。出雲市の場合には施設も充実します。日本船舶振興会のご援助を得て、今度、日本でもモデルとなるような、そういう「もくもく苑」という、木づくりの出雲ドームのそばで、出雲の雲の湧くもくもくと、そして木のドーム。その近くにある素晴らしいところに、素晴らしい施設ができます。これも充実します。
そしてこれも出雲的ないろんな工夫をこらし、もう1つは農村型を。今までは特に農村ではさっき樋口先生がおっしゃったように、家族の思いやりが支えてきた点が非常に多いんです。今でも地方ではそうです。しかしこれはだんだん息子さんが遠くへ住む。あるいはそういった大家族がだんだんなくなってきますから、血のつながりというものが、この日本の福祉の原点を支えておった時代はもう急速に今、なくなりつつあります。それを埋め、それに替えるのは、同じ「チ」であっても、地域の地、同じ地方の地、地縁社会、今までの血族の血に替わって地域の地、これからは家族に代わって行政の出番だと思います。
じゃあ行政がそういう周辺地域で何をやろうとしているか。これは年内には発表できると思いますけれども、東京でも大阪でもできないような、出雲だからこういうことができる、そういうことをやってみたいと思います。それは新しい施設をつくるのではなくて全部木づくり、庭付き、仏壇付き、すべて、全部、そのまま今住んでいらっしゃるところを出雲市が借り上げてしまう。借り上げて、それをある程度改造して、そして一定期間、それは市の施設として、新しい3階建て、4階建て……と、何10億のお金を使うんじゃなくて、あるがままのものを、そして1戸建て、個室どころかもう自分の庭で、自分の家で、そのまま住んで、そして、ですから新しくつくる施設もなく、新しいそういった施設のための職員も採用しない事業費的には非常に安い経営ができるように……。一番の頼りになるのは小さいときから顔なじみの人が必ず1日に何回か、おとずれてくれること、そういう周りの人がそのまま職員になり、職員になったから、次のまた新しい世代にちゃんと面倒をみてもらう、家族に代わって1つの地域というものを、1つの施設化しよう。そういう形によって助けられる、その協同互助の相互、助け合いの精神というものをコミュニティーごとにやっていきたいと思います。
これは東京や大阪などの大都市ではなかなかやりにくいと思います。出雲市の中でも中心部ではやりにくい。しかし、周辺、農村部では、これが幾らでもできるようなところはありますから、少ない事業費でより多くの効果を生める。しかも施設に入ったおばあちゃんはどうして自分がここの庭をキレイにしなけりゃいかんのか、どうしてここを自分が掃除をしなきゃいかんのか、抵抗感があります。自分の家だったら自分の庭です。自分の廊下だから、おばあちゃんやりなさいといわなくたって、どんどんどんどん草取りをやったり、廊下でも1日2回も、3回もふいたり……。これがそのまま健康につながるんです。生きがいにつながるんです。お年寄りのその生きがい、楽しみ、というものを奪い去るようなことでなくて、そのまま持ってもらう、そして市としても負担が非常に少ない形でもって、もっと他のところにお金が使える。そういうふうなことを工夫して、やはり日本の地方だからこそこれはできるんだという皆さんにお手本としていただけるような、そういうそのモデルケースを近く発表したいと思っております。
そういった点からも、厚生省、あるいは県、そういうところから物心両面にわたってのいろんなご指導も、これから地方としてはいただきたいとそのように思っています。
[紀伊國]岩川町長、コメントしてください。
[岩川]それでは私から申し上げさせていただきます。先ほどの第?U分科会でも申し上げたんですが、やはりその我々、行政としてはいかにその現場のニーズを正確にとらえるか、というのが一番大事な部分でして、そのためにはまず現場主義に身を置きながら、行政としては、これを進めたいと思っても我々はその行政のトップにいて、現場っていうのはなかなか把握できないわけです。ですから、どういう問題があるのか、また、その問題の解決というのは、正に現場にあるわけでして、そしてその現場から出るニーズというもの、行政はそれに対するサービス提供の役目を負うわけですから、そのニーズに対して、どうやって柔軟的に機能を持ちながら、そして、役場組織が有機的につながりながら、そういうことに対応するか。そういうのが基本的な行政のスタンスになろうかと思います。
そういう中で、将来の医療というところで、私が具体的に目指したい部分ですが、現在、寝たきり老人の問題が非常に大きくクローズアップされておるわけです。通常は病気になりますと入院してそこで治療をうけるわけです。例えば、骨折をしたとか、まあ秋田が多いんですが、脳卒中で入院すると、その病気そのものは、ある一定時期に治るわけですけれども、ところが病院に入院して横になっていることで、非常に身体的に弱い状態になる。それが寝たきりの状態をつくるわけでして、実は、そこまでが医療の果たす役割なわけです。そこから先、寝ている老人を起こすというときは、実はこれは福祉分野でして。ところが日本においては、その福祉の部分を、従前は医療の部分としてずっとみられてきたと。で、その病気が治った後は、社会的な福祉サービスでもって、これをケアをしていくと、それが重要なことだと思っております。
残念ながら今まで福祉サービスの部分の原資が、要するに資金源としては、直接の国庫補助に頼らざるを得ないと。そして医療交付については、これは健保の基金があるわけですから、非常に簡単に使える部分と、なかなか使えない部分がハッキリしています。その分だけ財源的に弱いというのが、社会福祉の部分のサービスの弱さで、それが寝たきり老人につながっていくと。ですから、やはり福祉と医療と保健を連携させながら、そして財源的にもしっかりした裏付けをもって、そして、高齢者をサポートすると、そういうのが望ましい姿だと思っています。ですから、高齢者の場合は、これはハッキリと高齢者の障害の問題ととらえていったほうが正しいんじゃないかと思っています。
そういう意味では、やはり、これからは訪問看護の問題とか、あるいは、できたら24時間ケア。もちろんヘルパーの問題も大事です。そういうトータルでもって、行政としてはサポートしたい。そのように行政としては考えております。以上です。
[紀伊國]ありがとうございました。デイビッド・トゥームズさん、簡潔にお願いします。
[トゥームズ]私もそうしたいと思っております。今、発言になりましたポイントについてです。ある時点で誰かはベッドにつかなければいけない。病院かもわからないし、養老院、ナーシングホームかもわからないのですが、ベッドは必要です。これまでの我々の議論の重点は、このベッドの前の段階だったと思います。つまりベッドに、つかなくていいようにと、早い段階でベッドに入らないようにする、つまり地域社会でサポートする、なるべく寝たきりにならないようにということが重点だったと思います。
行政とか管理をやってる人が柔軟性をもって、革新的な事業をするという場合には、どういうものが必要でしょうか。日本にもイギリスにもあるものがあります。必要ないもの、これは中央政府における細分化ということです。政府の官庁の縄張り争いとか、いろんな省庁が関与していると。縄張りがある、そして縄張りに固執している、お互いにねたみ合っていると。これさえ打破できれば、いいのです。この狭い線引き、縄張りです。これを打破しなければいけません。もっと純粋に強力で一丸となってやらなければいけないと。ばらばらの政策では矛盾し合った政策では、いけないと思います。
我々がサービスを提供する役割というものがうまくいかないのは、あの縄張りさえなければ、もっとうまくいくんです。もう1つ、日本での問題で、土地利用、どういうビルがつくられるかという問題が指摘されました。ここでイギリスの経験について、考えていただきたいと思います。ここでただ単に公的サービスとして提供するものだけを考えていてはいけないと思います。周りを見回してください。地域社会に公的サービス以外のものがあるかどうかをみてください。自主的なボランタリーな民間部門も使えるのではないでしょうか。例を挙げましょう。公的な資金を使えなくても提供できます。地域社会におきまして、公的なパブリックハウス、例えばパブ、居酒屋さんなど、こういうパブは昼間は使われていないんですね。夜、開くんですね。地主さんは喜んで昼間はわがパブを使ってくれと、高齢者の皆さんは、パブに昼間来てくださいと。ランチを食べてくださいと。そういうようなランチョンクラブをやったらどうでしょう。民間の施設などで昼間使わないところを開放したらいかがでしょうか。こういうふうに新しい物の考え方をしなければいけないんです。公的なリソースが足りないとか、そういうことばかりいっていないで、あるものを活用するという姿勢が必要なのではないでしょうか。
[紀伊國]赤ちょうちんハウスですね。では、津島先生。
[津島]プロフェッサーのお話のように簡明直截にお答えできればよいのですが、日本はあまりにも土地が高いもんですから、ボランティアとして土地を出す人が少ないというか、期待するのが無理だという問題があります。つまり、そこには非常に高い固定資産税がかけられてますから、その固定資産税を払うためにも、コマーシャルユース以外のことにこれを出すのが非常に難しいかということを申し上げたいわけであります。そこで、唯一の解決策として、コミュニティーや政府の持っている公共用地を利用する以外にないのです。
この点で私共として推進している措置についてご説明したいと思います。街の中に遊休土地があった場合に、市町村が、これを10年以内に使うメドをたてられるような場合には起債をして、つまりお金を借りて、手に入れて、将来の福祉施設をつくるために備えていただいても結構だということです。今回の景気対策の中でも重要な柱の1つとして打ち出しているわけです。考え方としては、バブル経済で非常に価格が上がった大都会の土地の価格がず〜っと安定をしてきてる、価格が落ちてきている、よく探せばあるいは公共の施設として買っても、タックスペイヤーから文句をいわれないような物があるかもしれない。それは市町村でひとつ買って福祉や公共のために使ってくださいということを、今、一生懸命奨励をしているわけであります。
それからもう1つは、さっき教授がいわれたように、ボランティアとして使わせるというんでなくて、社会福祉法人という民間の法人をつくって、自分の持っている土地をその法人に使わせて、福祉施設をつくっていくというのは、そのようなことが可能な地方において、すでに盛んに行われています。あるいは、今、あなたのいわれたようなやり方の日本版ではないかというふうに思っております。
[紀伊國]大森先生は地方自治の研究者のお立場から、将来そういうそのコミュニティーセンターはどういう形で、日本で成立し得るのかについて、コメントがありますか。
[大森]難しい質問ですね。日本でも現在、コミュニティーセンターと呼ばれてるものは地域にあるんですけれども、それは今、議論されているコミュニティーセンターではありません。しかし、今までコミュニティーセンターと呼ばれていますのは、基本的にいえば、広い意味でいえば住民の地域活動を、自分たちで企画して、自分たちで活動する場、そういう場はあるんですけど、保健とか、福祉と連動させて、先ほどバトラー先生がおっしゃっているような、形のセンターをこれからつくり得るかどうかということは、これからほんとうに市町村の課題だと思います。私はこう思います。岩國市長さんの話を聞いていましても、日本の市町村というのは、法令に明白に違反しないかぎり何をやってもいいんです。もうイギリスと基本的にちがうんです。日本の地方自治っていうのは、明白に法令に違反しないかぎり、何をやってもいいんです。
したがって、どういう差が出てくるかというと、首長さんを含めて意欲と力があるか、なんですよ。そのときにあらゆる手立てを講じて、つまり現在手持ちの権限とか、リソースを使って、最大限にいいものをつくり得るかどうかは、市町村の意欲と力によるんです。そのときに首長さんが非常に頑張ると、かなりのことはできます。しかし、頑張ってる首長さんがいなくなると元に戻る可能性があるんです。そこでどういう仕組みを、持続的な仕組みをつくり得るかということが、たぶん、これから非常に大切な課題になるんではないかと思っています。
したがって、出雲の場合も、この市長さんが去った後、去るかどうかわかりませんが、去った後どうなるか、はなはだ心配です。元に戻らないような仕組みをどうやって今の市長さんの間につくってしまえるか、少々意欲のない市長さんが次に登場しても、地域も職員もちゃんと仕事ができる体制が築かれることが非常に重要ではないか、日本の地方自治の可能性はそういうところにあるのではないかと私は思っています。
[紀伊國]どうもありがとうございました。
[岩国]大森先生から、そうした出雲市の、私のいないときの私がいなくなった後のことまで、ご心配いただいておりますけど、私は明日の仕事のことをどうしようかと頭が一杯です。たしかに地方自治体というのは、やりようによって、いろんなことがすぐできるんです。出雲市は土曜日も日曜日も市役所を開けることにしました。ショッピングセンターの中で店を開けてます。お年寄りはどうしても市役所へ行かなければいけない。しかし若い者がいないと、月曜日から金曜日までみんな働きにいってますから、おじいちゃんおばあちゃんは、やっぱり土曜日、日曜日、運転して連れていってもらわなければならない。3年前の10月14日から、出雲市役所は土曜日も日曜日も、朝から夕方までず〜っとショッピングセンターの中で市民の皆さんを待ってます。こんなことも、憲法でやってはならないなんてことはひとつも書いていない。やろうと思ったらすぐできる。それがおもしろさなんですね。
もう1つ、津島元大臣にもお世話になりましたこの福祉カード。これも出雲市がやったから、あんなに早くできたと思います。こういう便利なものを厚生省で自治省で農林省で郵政省で、皆さん関係あるから集まってつくってくれませんかとお願いしても、こんなの10年たってもやってくれないと思います。出雲市が、まず、先につくって、そして津島大臣がおられたからつくったものを認めてやる。そういう形で、これから地方のほうが先に走る。末端行政、下請行政、そういう失礼なことをいっていましたけれど、これは末端行政でなくて、これからは福祉に関しては市町村が先端行政なのです。先頭に立って走るんですから、これが先端行政。
ほんとうの行政というのは誰がやっているのか。霞が関の行政、あれは、紙と鉛筆の行政だと私はいっているんです。私の同級生は自治省次官とか、官房長とか局長をやっています。しかし、あれは紙と鉛筆の行政だと。しかし残念ながら、金はあそこにしかないから、我々行きますけど。ほんとうの行政は誰がやっているか。皆さん知っていらっしゃるでしょう。それは市長であり、市町村役場なのです。足で歩いて、汗を流して、そして時には住民と一緒に涙も流す。足と汗と涙の行政、これが本物の行政なんです。それを今まで末端行政、下請行政、孫請行政といいました。これからは、それが福祉に関しては、少なくとも、市町村行政が先端行政だと、津島大臣も、大森先生も、そのことをいっていただいたのだと思います。
だからほんとうに役に立つ行政をさせるかどうか、さっきの私が申し上げたことですけど、市民の皆さんです。出雲市役所の看板を見てください。私が市長になる前からも、やめてからもあの看板は変わらない。出雲市役所−出雲民のに立つと書いてあるんです。そのようにさせなければいけないのです。
[紀伊國]今、岩國市長さんがお示しになったカードは総合福祉カードで、第2のグループでは相当ディスカッションがあったと聞いております。そういう土地の高価なところで、恐らくスウェーデンも土地が高価と思うんですが、スウェーデンのソルベイ・フリイデルさん、コメントしてください。
[フリイデル]多くの方たちが社会で何ができるかという、アイデアをいってくださいました。また、市町村でイニシアチブをとることができる高齢者の人たちが、80歳でも元気にやっていける例もたくさんあるわけです。社会でそういう人たちはたくさんいます。トゥームズさんからも例が出されましたし、パネルの方もそのようにおっしゃいました。
しかし元気な人ばかりとは限らないわけで、虚弱な老人もいます。非常に困難な状態にある人たちのことをお話ししたいのです。そのようなとき良い解決策を集めようとしても、無理なんですね。ですから前もって準備をしておくことが必要だと思います。パネルの方にうかがいたいんですが、連帯が大事だと。お金のかかる施設が必要かもしれません。入っている人たちの数の少ない、高価でも小規模の施設を建てることはどうでしょうか。コストはかかるかもしれない。開発するコストも高いかもしれない。しかし良い質のケアと、良い看護のできる、小さな施設で、わずかな人たちが住むことが大事だと思います。
痴呆症の人たちとその家族。また高齢者で重篤な病気にある人たち。この人たちは、24時間の看護体制を必要としております。また、ケアも必要としております。障害を受けた人たちもたくさんいるわけですね。この人たちも色々なケアが必要となっています。支持が必要です。そういう人たちのことを考えたときに、トゥームズ先生がおっしゃったような協力をする。色々な分野の人たちが一緒になってお金を出して、土地は高いかもしれないが、小さな施設を建てることはどうでしょうか。
[紀伊國]大変難しい、重要問題と思いますね。ますます高齢化が進むにつれて、重度のケアを必要とする方が多くなる。もちろんお金もかかる。果たしてそれだけの資源を我々は持っているのだろうか。そのときに対して、我々がよって立つべき原則とは何なのか。フリイデルさんは、ソリダリティー(連帯)と表現をされました。津島先生。
[津島]今、お話の重度の障害のある方、あるいは高齢によって非常に、その難しい問題を抱えて、インテンシブケアの必要な方、どうしているのかと。これは少なくとも、私の知るかぎりは、日本におきましても、やっぱり最初に手をつけられた分野であろうと。つまり必要性、ニーズにおいては最も高いものでありますから、例えば、重度身体障害者の方の施設は、必要なものはだいたい全国にもうつくられているし、これらの方のケアのためには、必要な公費は投入をされている。それからこれらの方々のために年金制度もございますし、それから高齢のゆえにそうなられた方については、特別養護老人ホームをはじめとして、一応対応する施設はあるというふうに私は思っております。
問題になっておりますのは、むしろ痴呆性、メンタルな問題が出てくる方が非常に多くなっていること。少なくとも、私の知るかぎりでは、全国に60万ぐらいおられるんじゃないかと。これが老齢人口が増えていくと、どんどん増えていく。この方々に応える施設は、やはりかなり不足をしているので、これからつくっていかなければならない。毎年毎年、予算で対応しておるところであります。
それからもう1つは、精神障害者の方々、精神障害者の、しかも重度の方のための施設については、私はもう少し国立の施設をつくらなければならないと思っておりますが、これも我々にとっては1つの課題でございます。
それから3つ目は、これは今、お触れになった点かどうか。例えば、ガンにおかされた末期の方のための、ホスピスのようなもの。これもわが国では非常にやはり不足が指摘されておるわけであります。ですから厚生大臣の経験から申しまして、この3つの分野には、たしかに問題があるけれども、一般的にいえば、やはり重度のケアの必要の方には、かなり早くから手をつけて、その措置がとられているというふうに思っております。
それで、それに必要な予算は今後とも優先的に、これはまかなわなければならない。このように思っているし、またまかなう力は日本の経済は持っているだろうというふうに思っております。
[紀伊國]フリイデルさんは、そういうものについて、ゆとりのある快適な場所が必要ではないか。そこでは、たくさんの人が要るし、今のお話ですと、できるだけ小規模のほうが、心の触れ合いがあるんじゃないか。大変高いものになる、その高さにもかかわらず、我々はそういうことをする決意をしなければならないのか、という面もあったと思いますね。
[大森]今のようなお話だと、全国で地域と自治体の規模が随分ちがいますので、一率には議論できないと思います。で比較的小さい町村で、例えば、そこに町村営の病院があって、そしてその病院のお医者さんが実に保健と福祉に理解があって、むしろ、その町・村営の病院の中に、ヘルスと私共が呼んでいるような機能訓練であるとか、訪問指導とか、あるいは老人ホームに看護の機能を入れる。そして私共がいっているような福祉サービスですね、ホームヘルプであるとか、デイサービスとか、ショートステイのような、それもみんな統合した形で、そこへ持っていって、そしてやり抜くというシステムが、小さい町村では生まれています。これは私はかなり機能してますし、1つの方向だと思ってるんです。
その場合には、実に良くその地域に暮らしている方々が把握されるという、やっぱり医療と保健と福祉が統合されていく道すじが、日本では、どうやってできるか。それは小さいところならできやすいんで、一番問題になるのは、これから大量に高齢者が増えていく大都市なんです。都市で今のようなシステムをどうやってつくり得るかっていうことは、お金の問題でも、システムを動かしていく上でも、非常に大きなチャレンジだと私は思ってますけど、方向としてはやっぱり、それが望ましいと、そういうふうに思っております。
[紀伊國]私の隣のバトラー教授は、アメリカで最初のナショナルインステチュートオブエージングの所長であり、アメリカの医科大学の最初の、高齢者の問題についての講座の主任教授であるわけです。先ほど高齢者の問題についての研究の必要性も触れられましたが今の問題について、予防も含めてコメントしてください。
[バトラー]今の討論だけではなく、岩川さんが寝たきり老人についてもおっしゃったわけです。やはり脳卒中の結果として、寝たきりになるということです。減塩醤油とかの必要性も叫ばれています。日本の老人ですと、敬老の精神ゆえに、活動しないほうがいいと、あまり動かないほうがいいといわれてるようであります。そういう文化的な枠組みゆえに、寝たきり老人をつくってしまうという側面もあると思います。
その面について、社会に対して啓蒙活動、もっと動かなければいけないんだという啓蒙活動が必要と思います。
また脳卒中後の初期治療も必要があるわけです。これについてはアメリカでも研究が進んでいますので、日本でもぜひ進めるべきだと思います。リハビリは、なるべく早く始めるということです。
日本で私が理解していることの1つに、理学療法士などの療法士の数が極端に不足しているとおうかがいしております。ここでも革新の必要性があるんじゃないでしょうか。日本の高齢化には色々問題があるわけですが、寝たきりは深刻な問題がまつわります。
[紀伊國]はい。ご自分のお名前を言って、短くコメントしてください。
[稲庭]秋田県から参りました精神科医で稲庭と申します。先ほどソルベイさんがおっしゃったのは、そのとおりだと思っております。私も重度の痴呆症を担当しておりますけれども、入院が必要なのはごく一部で、ごく一刻なんです。ほんとうに人材を厚くいい内容の環境づくりを、地域でやってくと入院も入所もあまり必要ないと思っております。それをサポートするためにはどうしたらいいかというと、私はやはり本人が望むところで、地域で、自分の住まいの近くで、あるいは自分の住まいで、グループハウジング、北欧のほうでは最近多いんですけども、あれも1つの形だと思うし、既に日野原先生のご援助をいただいて、秋田では地方のグループハウジングは既に始めております。
精神障害者に関しても、同じことがいえて、先ほど津島前大臣がおっしゃっていましたけれども、入院が必要なのはごく一部でごく一刻なんです。精神障害者も地域で暮らすことを望んでいます。それをぜひサポートする予算を組んでいただきたいというのが私ども医療現場の願いです。精神障害者も実はかなり自前でグループホーム、グループでアパートに住んだり、地域でサポートをしております。それに対する予算をもう少し組んでいただきたい。
都会型の話を先ほどからされていますけれども、林玉子先生たちとオランダのアムステルダム市の地方のグループハウジングを見てまいる機会がありました。アムステルダムの駅の裏で、それこそ高層住宅を利用する形で、グループハウジング、デイケアセンター、コミュニティーセンターを展開しております。アムステルダム市が、それこそ既存の高層住宅の一部を市が借り受けて、それを市の痴呆の方たち、グループ訪問をやりたい方たち、組合の方たち、社会福祉法人みたいな方たちに提供して、実際やっていただいているわけです。ぜひ、東京でもあるいは秋田でも、どんな形でも本人たちの望む形はできていけると思うし、ぜひそのあたりを皆さんに応援していただきたいと思います。
[紀伊國]大変重要なご指摘だったと思います。
[クロウ]付言させていただきますと、今朝ほどの分科会でのコメントを繰り返させていただきますと、やはりナーシングケアの高度なものが地域社会において得られるのであれば、こういう慢性的な、あるいは身体障害を持っている方であっても、在宅で、自宅で、住み続けることができるということがわかっています。イギリスにおきましては、ホスピスケアも行っております。在宅で死を迎えることもできる。そのためのコミュニティーケアをイギリスでは行っているわけです。中央政府に申し上げたいことは、看護婦の訓練、教育についてじっくり吟味していただいて、そういうようなコミュニティーイズムを与えるようにしていただきたいと、ぜひとも思うわけです。
[紀伊國]どうもありがとうございました。次に、パネリストの方に、ひと言ずつこのシンポジウムの主題である「ゆとりある生活環境と自立」を日本で進めることに関してのコメントをひと言ずつしていただきましょう。
[外山]今のお話の流れに沿ってひと言、加えさせていただきますと、ソルベイさんが説明しておられました痴呆性老人用のグループ住宅、それはやはりスウェーデンの、例えば老人ホームが、サービス住宅に替っていったいきさつ、それともやはり一連の脈絡がつながっているものです。住宅をべースにしながら、それに医療ケア、あるいはサービスを付加させた様々な形が出てきた、そのうちの1つの組み合わせということだと思います。
施設ケアは、それとは逆に、ハードとしての器とソフトとが一対になってしまっている。ですから入所者のニーズが変わっていくと、施設を転々と移らなければいけないということが結果として出てくると思います。そのあたりに逆に住宅をべースにすることによって、そこにケアとサービスをはりつけていく。それを小さな単位でまとめていく。そのほうが最初は高くつくかもしれないけれども、汎用性があって、トータルでは安くなるだろう。そういう考えも背後にあると思います。
[紀伊國]前田先生。
[前田]本日のテーマの自立ということについてコメントさせていただきたいのですが、その前に申し上げたいことがあります。先ほど津島前厚生大臣が日本の現状について、かなり明るい報告をされましたが、実態はそんなに明るくはありません。特に大都市における問題は非常に深刻です。大都市地域ということになりますと、日本人の半分ぐらいがそういうところに住んでいます。その日本の半分の人が住んでる大都市地域の姿は、今、津島前大臣がいわれたような明るい話ではございません。東京、横浜、大阪、神戸、名古屋などの地域で特別養護老人ホームに、今、入ろうと思いますと、申し込んでからだいたい名目上2年間は待たなければなりません。しかし、2年もたつうちにかなり死亡されますから、そんなに実際は待たなくともすむという、大変嘆き悲しむべき事態が現実であります。
昨日、厚生省の横尾局長が、非常にフランクにおっしゃいましたとおり、日本で高齢者のための施設が、十分に整ってるところは全自治体の1%にすぎません。まあまあというところ、まあまあまでいかないけどなんとか努力してくれているところが10%で、残りの89%はどうにもしようがないと横尾局長もハッキリとおっしゃったわけです。
私が現に知っているある老人ホームは50人の定員なんですけど、1年間に死亡も含めて退所する方が1〜2人ぐらいしかいないのに、100人待っているんですね。ですから申しこんでから入所するまでに、形の上では50年から100年かかります。いうまでもなく実際にはそんなにかかりません。待っている間に亡くなる方がたくさんいますから。しかし現実に、100年というような待機のリストがあるわけです。それが日本の現実であります。
それでは自立についてのコメントに移らせていただきます。本日のこのシンポジウムのテーマは「ゆとりある生活環境と自立」となっております。ゆとりある生活環境については、どなたも目標として立てるのに異論はないと思うのですが、自立ということになりますと、日本の方々の間には、かなりちがった考え方があります。例えば居住形態を考えますと、日本人のかなりの方は、今日でも、老後を子供さんと同居して世話になりたいと思っている方が多いわけです。特に男の方はそうでありまして、男の方で、老後も頑張って自分1人で暮らしていこうと考えてる人はごく少数であります。
そういう現実をみますと、日本人にとって自立は非常に難しいということがわかります。時々国際会議などで自立について討議をすることがありますが、どうも話がすれちがうんですね。外国の方々にとって、自立とは、文字どおり独立して住み、生活するということなのですけど、日本人は自立ということを精神的、哲学的にしか考えないという非常に大きなちがいがあります。
このような自立についての甘さが、日本の寝たきり老人発生率の異常な高さに、影響していると思います。日本の寝たきり老人の比率は、欧米諸国に比べて倍以上は少なくともあるといわれておりますけれども、その中に実はかなりボランティア寝たきり老人というのがあります。私共がみると、日本の寝たきり老人の半分ぐらいは、ボランティア寝たきりであると思います。起きて歩く気になれば歩ける人たちなのでありまして、それがどうしてそういうことになるかと申しますと、日本の老人の多くは子供への依存、甘えということから、だんだん活動しなくなり、また、用事をしなくなってきます。そのためにだんだん身体が弱り、気力もなくなってきます。全部の人がそうなるわけではありませんが、その中の一部の人なんですけど、中にはつい面倒くさいから床の中に入って寝ているという人が出てきます。先ほどトゥームズ先生も指摘されましたけど、あまりにもプリマチュアリーにベッドに入るということが、非常に大きな問題で、そういう点について日本人がキチンと考えませんと、寝たきり老人0作戦も、半分ぐらいしか成功しないだろうと思います。
[紀伊國]ありがとうございました。岩國先生。
[岩國]私は30年間、日本を離れておりました。それは経済の世界、国境のない世界でした。大きなお金が動いてました。出雲市の年間予算は300億円−それをメリルリンチの副社長室で私は3分30秒間、目をつぶっていたら、流れたのが300億でした。今は3分30秒ではなく、それは365日に引き伸さなければならない。限りなく小さなお金です。私は故郷へ帰ってきて、30年間世界中を見てきた、世間全体を見て帰ってきたと思ってました。それは間違いでした。私が見てきた30年間の世界は、大きいものは強い、強いものは勝つ、……裁判もまぬがれる……、まあそんなことは余計なことですけれども……、(笑い)そういう「強者の論理」の世界だけを、私は見ていたんです。
今、市長になってする仕事は、身体の弱い人、経済的に恵まれない人、お年寄りの人、人生の途中でふっと幸せを見失った人、これは「弱者の論理」の世界です。私にとって、今までの30年間は恵まれた順調な世界だったかもしれませんけれど、私は華麗なる転落の人生をして、一番いい勉強をさせていただいていると思います。そういう弱い者の立場で世間を見る、社会を見る、私に一番足りなかったことだと思います。
敬老の日には、私は市内の長生きをされた100歳のおばあちゃん、それ以上のおばあちゃんをずっと回ります。今年も回りました。「百歳」という銘柄のお酒を前もって贈っておきました。そして私は100歳の人を、敬老の日に回りました。そしたらあるおばあちゃん、もうその1本を飲んでおられるんです。いいですか100歳のおばあちゃんが隣の飲み友達と。飲み友達、何歳ですか、82歳です。100歳と82歳で私の贈った「百歳」というお酒をもう私が来る日までに飲んでしまっておられたのです。
これぐらい元気のおばあちゃんもいらっしゃるのです。ですから、これからは高齢者といってもほんとうに多種多様だと思いますね。70歳でほんとうの高齢者みたいな方もいらっしゃるし、100歳で私の贈った酒を飲んでしまうような、おばあちゃんもいらっしゃいます。そして、そういう方に長生きの秘訣は何ですかと聞きました。106歳の井出のおばばと呼ばれているおばあさんに、「どういう薬ですか、どういう健康法ですか」と。「市長さん、健康法、私は何も考えたことはありません。薬、飲んだことがない。私が一番うれしいのは、私が近所を回ると、あのおばば、今日もまた来ただよ、こういう嫌な、にくしみの声をいっぺんも聞かない。おばあちゃん元気かね、おばあちゃんまめだかね。必ずみんなが優しく私を迎えてくれた。それが私にとって一番の養生です。一番の薬でした」と。おばあちゃんは昨年の11月亡くなられました。
私は地域社会の優しさというのは、こういう身近な人にひと声かける、その優しさこそ、こういう人にして差し上げる最大のことじゃないかと思います。お金、建物、それはいつかはできるでしょう。しかし、こういうほんとうの地域の人の、ひと声かけてあげる優しさ……。私も30年間、母親が故郷にいて、私は外国でず〜っと生活していました。母親が時々手紙をくれます。私の同級生、利行くんが今日も車を止めて「お母さん元気かねと声をかけてくれました」。私の母はうれしそうに手紙に書いています。高齢者にとっては、周りの若い人に声をかけてもらう喜び、これが一番なのです。
成人式の日、私はいつもいいます。私は、若い人に、「今日からあなた方は20歳。市長としてあなた方に2つお願いしたいことがある。1つは必ず投票にいくこと。……私の名前を書けとはいいませんけど、……必ず投票にいくこと。2番目に周りの高齢者の人に1日1回必ず、おばあちゃん元気かね、おじいちゃんどうかね、そういって声をかけてあげること。これがあなたたちが将来の高齢化社会に入っていくために必要な条件だよ」と。それをいつもいっています。私は福祉というのは、周りの人に、身近なところの人に優しさを示せるかどうか。私はこの一点にかかっているとそのように思います。
[紀伊國]樋口先生。
[樋口]今の問題についていうならば、あるいはもう前にご意見があったのかもしれませんけれど、いい状況をつくるためには日本の今まできたあり方からみて、完全にもっと人にお金をかける状況というものを、みんなが一致した価値観としてつくっていかなければ、とても無理だと思います。
寝たきりも色々ありまして、今、前田先生がおっしゃいましたボランティア寝たきりなんていうのは、これは私は「寝たフリ」老人といっているんですけれど、ほんとうに寝たフリしてるほうが楽だったり、それから政策的につくられる寝たきりというのもございます。一生懸命リハビリして起きますと、今度は寝たきりだったらもらえた介護手当、福祉手当がもらえなくなったりして、近所から投書がいって、起きるとかえって困っちゃうと。
日本の政策は、寝たきりになったら寝たきりになったまんま、意外と不便なようにできています。老人ホームも100人待っている状況ですから、いったん出たら最後入れないと。私は、これは政策寝たきりと呼んでおります。いろんな寝たきりがあるけれど、私はやっぱり一番大きいのは、寝たきりにさせないためには大変な人手が要るということだと思います。
つい最近のこれはNHKの番組でしたけれど、100ベッド当たりの看護婦さんの数を国際比較しておりました。日本が100ベッド当たり18人であります。あと細かい数字書いてきたんですけど、そのメモがちょっとどこかへいっちゃいましたけど、ざっとですけれど、そう、まだ記憶力が減退してないので−、いえ減退しましたから、ちょっとちがうかもしれませんけど、アメリカとイギリスがたしか40から50だったと思います。そしてスウェーデンが100ベッド当たり66人、つまり日本のこれだけ長寿の国において100ベッド当たり18人というのは、昭和20年代につくられたその基準が、まだ、そのままなんですね。
それから「ゴールドプラン」に私はもう最大の苦言を提したいのは、一生懸命やってらっしゃることは結構なんだけれど、特別養護老人ホームがどんどん重度化して、手のかかる方が増えてきているのに寮母さんの直接介護者の基準をちっとも上げようとしていないことです。看護婦さん、それから寮母さん、ヘルパーさんの増やす数はもう出てますから、いいのです。これだってほんとうは、実現したって足りません。だけどもうほんとうに私は日本はまだまだ物も貧しいと思っております。
その貧しいか、豊かかというとき、今、岩国市長さんもいわれましたけれど、どちらからの視点での高さをみるか。元気で働いて稼げるそういう意味からいうと、日本は非常にバラエティーのある、味ひとつとっても万国の味が味わえる豊かな国でございます。しかし、板子一枚下は地獄といったらいいでしょうか。貧しく稼げなくなって、身体の自由を欠いたときにどういうことになるか。
例えば私の居住しております地域におきましても、車椅子で私が住宅からどれだけの距離に出られるかといったら、これはもう100m出たらもう車が行き交ってガードレールってものがあります。そもそも私、この幅でございますからね、今こうやって元気でいても、荷物1つ持つと通れないガードレールなんですよ。ほんとうに車椅子で絶対に歩けない街に私は住んでいるのです。やはり豊かさの基準というものを一番悪い条件になったとき、どれだけ人間らしく、社会参加をして、人びとと共に生きることができるかということに置きたいと思います。それからちょっと男女の問題で意見がちがうんですけど、岩國さんと、教育の問題が大事だという意味では基本的に同じです。
私は高齢者の問題、その価値観をどう育てていくかということは、基本的にいわゆる老人問題ではないと思います。どんな価値観を子供たちに持ってもらうか、どういう人に育ってほしいのか、その模範を私たちがどう示すか、教育の比重が大きいと思います。思いやりの心で高齢者に声をかける、これは男性にもちゃんとおっしゃっているようですから結構なことだと思っております。人手にお金をかけること、これは税制の問題にも関連してまいります。
私たちは、日本人は終わりよければすべて良し、といってきました。ポックリ死ぬことが良いかどうかは別として、今、私たちは、人生の終わりに恐らく、身体の不如意な、心身の不如意を伴う、不自由を伴う、時期を過ごすんだと思います。私などもほんとうはできれば、こういう事態から逃れたいと思ってます。だけど統計数字をみると、やはり難しいようです。私など長生きして100まで生きて、十幾つか年下の岩國さんと、「百歳」っていう酒を飲んでみたいですから、絶対長生きしてみたいと思うんですけれど、そうすると女性の4人か5人に1人ぐらいはボケますからね。そのくじ引かないって確率は絶対ないんですね。そうなったときにどれだけ人間らしく生きられるかということから、豊かさの見直しをしようじゃありませんか。
その意味で、豊かになるためならば、税金の負担とか、あるいは女性の就労の問題とか、そういうことも見直す必要があります。高齢化社会ってのは、価値観の転換と共に、家族のあり方も、家族などというものは変わってきてますし、それからほんとうに税金の仕組み、そうしたことも完全に私たち、今一度、考え直す必要があって、私は野党もただ減税、減税って言うだけではいけないと思っているんです。もちろんその税金の行方がどこへいくかということを、私たちはタックスペイヤーとしてちゃんとみられるような仕組みをつくらなければなりません。そうなると、やっぱり小さいところに権限を移さなければいけないんじゃないかと思います。
最後にひと言だけ。グループホームがどうこうとお話が出ましたけれど、結局はどういうふうな住み方をするかというと、いろんな方がいわれたように、自分の家でず〜っと住んで、そして、そこにケアがやって来てくれればほんとうは一番いいと思ってます。だけどそれは症状によってはそうもできない人もいらっしゃると思うし、ある程度まとめて面倒をみなければならない状況も生じると思います。そのまとめるときは、できるだけ地域から離れず、できるだけ小規模で、それから、これから先が私は重要なことだと思って提案するんですけれど、お上から措置としてまとめられるのではなくて、自分たちの志でもって、選び合った、血縁から「志縁」へ、「シ」は「志」と書きます、志という字は、自らの意志でもってむすぶと書いていただいても結構です。「結縁」ですね。血縁から自らの志をもって選びとる「結縁」へ、それは、もしかしたら高齢化社会に向けての素晴らしい、新しい家族の1つの姿かもしれないと思っております。ありがとうございました。
[紀伊國]大森先生。
[大森]はい。日本には、ご存じのことですけれど、国民の祝日に関する法律がございまして、11ございますけれども、そのうち9月15日が敬老の日です。この敬老の日ってのは法律でなんて書いてあるかというと、多年にわたって社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日って書いてあるんです。しかし、多年にわたって社会につくさない老人も出始めますし、非行老人も出て来ますし、私からいえば、意地汚いようなお年寄りも、これから多くなります。それから、ご本人たちは事実上普通の人間の意識がなくなることもありますので、俳徊するようになります。しかし私どもは普通の人間なもんですから、この方々を物のように扱えません。現場はたぶん修羅場になる可能性が出始めています。現に出ています。実は私は仏教徒ではございませんけど、仏教には人間の根源的な苦しみに四つあって、生、生まれるということと、病む、病気をし、そして老いて死ぬと……、これが根源的な苦しみで、これは誰でも1人で引き受ける、誰も助けません。これが基本的な自立の問題だと私はみています。そばにいる人たちがちょっと手をさしのべたい、あなたが早くあの世へいくなら、私も間もなくいくから安心して死になさいといってあげる人がそばにいる、それが基本的な人間のつながりだと私は思っています。これが基本的な自立の問題でして、長生きすりゃ恥も多いですし、苦しみも多いんです。そのことを引き受けなきゃあなりませんし、そのゆえに、この苦しみを緩和するような、社会の仕組みをどうやって私共がつくり得るかっていうのが1つ。
もう1つ、私は行政の勉強をしている者ですが、今後の仕組みで一番重要なのは、市町村だと思います。で、今まで、色々財政問題が出てきてますが、これからは地方交付税でみることになります、財政は。地方交付税の交付金というものは、一般財源でありますので、市長さん以下、役所がどういう考え方でこのお金を組むかということが決め手なんです。一般財源というのは、市町村が自由に使っていいんです。逆にいいますと、本席においでの方々は、それぞれ自分の市町村にお帰りになったときに、これから自分のところの首長と役所が、保健や福祉に、どういうふうにお金をさいてくかということをキチッと見続け、それは皆さん方の問題ですので、それが、市町村のこれからと、その地域における、この福祉のシステムを決めていきます。
市町村が第一線にいるっていうことは、実は逆にいうと、非常に大きな責任を負ったという意味でして、その責任を負った、その責任を、市町村がどうやってキチッと果たしていかれるかということが21世紀に向かっていく基本的な、私は課題だと思います。したがって、市町村そのものが、どういう形で自立するかということもまた非常に大切な課題だとそういうふうに思っています。
[紀伊國]ありがとうございました。最後に津島さん。
[津島]最後でありますから、簡潔にいきたいと思いますが、先ほど前田先生から、私が高齢者ケアについて、楽観的というか、明るいピクチュアをかいたとおっしゃったのは、私はもしそうだとすれば、意図するところが正確に伝わってなかったと思うんです。大都会の土地問題などを取り上げましたのは、大都会においては、そういう深刻な問題があって、非常に大きな課題を抱えていると、ゴールドプランのこれからの遂行につきましても容易ならざる障害があるということを申し上げておりますし、また、ゴールドプランを進めていく過程で、随分いろんな問題が出てきているいうことを前提とした上で申し上げたわけであります。
それでこれらの問題を解決していくために、今、総括的に申し上げたいのは、まず、国民の意識改革が必要であって、先ほどから樋口さんもいわれたし、出雲の市長さんもいわれたんですが、結局、福祉、高齢者が生き生きとして生きていただける、いわゆる長寿社会というものが政治全体の最高の目標であるということをすべての人が受け入れてくれるような日本の状況をつくらなければならないと思っております。したがって、行政のすべての力を総合して取り組んでいかなければならない。そのためには、まだたくさんの課題が残っています。私は一生懸命やりたいと思いますので、今日、ご出席の皆様方の、どうか応援をいただきたいと思います。
それで、問題の1つが土地問題だと申し上げましたが、もう1つは人手の不足であります。寝たきりがまあ寝たフリであるとか、あるいは社会的な入院であるとかいうアレが起こってくるのは、やっぱり、いろんな意味で、いろんな社会問題がこれにからんでいるわけです。その1つは、人手不足でございます。もっとも樋口さんのいわれたあの病院の数字については、病院の性格が、日本は、特別のところがありますから、老人病院が多いという点をひとつ勘案してみなければならないと思います。平均1ヵ月入院をするというような病院は、外国にはない訳であります。そういう意味で、一概にその数字だけで判断することはできませんが、明らかに人手が不足で、もう少しケアをちゃんとやってあげれば、寝たきりの状態にならずにすむ方がいっぱいいるということを、私共忘れちゃいけないわけであります。
このゴールドプランを進めてきて、特別養護老人ホームについては、24万床を目標にしてますが、まあだいたい20万床まで、恐らく来年度はくると思いますけれども、どうも問題なのは、この特別養護老人ホーム、老健施設、それぞれが意とされたような目的を達してくれていないようで、老健施設が滞留施設になっちゃって、そこに高齢者、重度の方がいっぱいたまっちゃうという状態であります。特別養護老人ホームも、社会的に特別養護老人ホームに入ったままの方が多いという状況を変えていくには、よほどの努力が必要だと思います。やっぱり基本的には、それぞれの地域における在宅介護が格段に充実していくことが必要ではなかろうかと、その点でどうか皆さん方の応援をいただきたいと思います。
最後に、さっきイギリスのトゥームズさんとプロフェッサー・クロウさん、名前を間違えて申し上げて申し訳なかったのですが、在宅看護の問題についてご質問がございました。この在宅看護、看護婦さんの力を活用するということは、私がやっておったときから議論を進めてまいりまして、昨年、非常に重要な診療報酬の改定をいたしまして、在宅看護については、公費を50%投入をしてやっていただくと……。ですから、現場のお医者さんはもとより看護婦さん方も、積極的に在宅の看護に出ていただきたいという政策の転換をしていることも申し添えておきたいと思います。いずれにしましても地域に密着した在宅看護、それから在宅介護がどれだけゴールドプランの線に沿って着実に進められていくかどうかが、日本の21世紀の社会を決めると、私共も、考えているところであります。どうか皆さん方のご理解とご協力をお願いいたしまして私の最後の挨拶といたします。
[紀伊國]どうもありがとうございました。予定された時間をちょっと越してしまいましたが、最後に日野原先生から、結論的なコメントをしていただきたいと思います。





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