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高齢者ケア国際シンポジウム
第3回(1992年) ゆとりある生活環境と自立


第2部 特別講演  ドイツの高齢者政策

ドイツ連邦共和国家族・高齢者省長官
ロスヴイッタ・フェルフュールドンク
Roswitha Verhulsdonk



高齢者の自立を可能な限り助けるには、彼らが住むに最適な環境をつくることが不可欠な条件である。「ゆとりある環境・・依存から自立へ」を主題とする今回のシンポジウムは、高齢者政策の基本問題である。高齢者ができるだけ自立するよう努力するのは、高齢者自身の意欲と経験があってこそ果たせるものであることが、これまでの経緯が示している。私はドイツ家族高齢者省を代表してこの重要な会議に参加できたことをとても嬉しく思い、ご招待に感謝したい。

ドイツの高齢者政策
高齢者が自信に満ちて独立した形の暮らしを実現するためにドイツの高齢者政策がどのような努力をしているかを説明したい。基本的には、全人口に対する高齢者人口の割合が着実に高くなっているため、ドイツの高齢者政策はこれからますます重要になるだろう。この展開は1970年代以来出生率が低下している一方で、寿命が延びたことが原因である。男女ともますます長生きしており、将来は、高齢者政策の適用範囲は人口の3分の1にも及ぶこととなる。
高齢者政策がいかに重要になってきたかは、西ドイツ連邦下院の最近の選挙後に特に高齢者問題に対処するため、私が代表している新しい省が発足した事実が物語る。一般の人たちも高齢者に対する既存の概念を変える必要があることに気がつき始めている。そのうちに、能力の欠如や独立できなくなることは決して高齢者を特徴づけるものではないと考えられるようになるだろう。高齢者は問題をかかえる人の集まりでもなければ同種の集団でもない。集団としては、他とは異なるアプローチが必要である。例えば一方に依然として健康で、生産的で、生活を楽しんでいるいわゆる「行動派」がいるかと思えば、特定の領域で助力を必要とする人がおり、さらに援助や長期のナーシングケアが必要な高齢者もいる。
高齢者のタイプはそのニーズと同じほど多様である。ドイツにおける高齢者のための政策基準はこれら多様なすべてのニーズに応えることを目的にしている。
私はまず、援助やケアあるいは長期のナーシングケアを必要とする人々について述べたい。現在ドイツ連邦共和国には、広範な非常に高度の長期ナーシングケアを必要としている人が約1,100万人いる。このリスクに対する高齢者の保障をいかに改善するかについてはここ15年ばかりドイツで論争があった。長期ナーシングケアのリスクに対処することが、ドイツが今もって直面している主な社会政策課題の一つである。
この分野で、最近ドイツは将来に向けての基本的な方策を多く打ち出した。例えば、多少の例外を除いて、全国民が、強制的に加入する長期介護保険が1996年1月1日までに導入される。年金、健康保険、失業および災害保険の基金のほかに、長期介護保険がドイツの社会保障制度の第5番目の頃目となる。組織としては、健康保険制度に含まれる予定である。
その他の社会保険制度の場合と同様、長期介護保険の保険料の拠出率は1.7%で半額を従業員が負担し、あとの半分は雇用者側が負担する。この保険の財源は通常の配分法による。言い換えれば、現在長期ケアが必要な人たちのための給付金は、現に収人を得ている被雇用者や年金生活者の拠出金によってまかなわれる。この策の利点の1つは、国民全体が対象であるということ、つまり現在長期ケアが必要である人、ケアが必要になる年齢に近づきつつある人たち全部が含まれているということである。家族保険の形をとっているので、妻や子供も保険料を払わずにカバーされることも大切である。
残念なことだが、長期介護保険の財源の問題のみがいつも一般の議論の的になってきた。病人やその身内の環境を効果的に改善することを目指す長期介護保険には、しっかりした財政基盤がなくてはならない。高齢者層が生涯かけて築き上げた功績に敬意を払うにつけ、長期ケアの問題を財政的に可能な解決をするだけでなく、その過程で、当事者が尊厳を持ちつづけることができるよう十分留意して、自立した生活ができるように我々が全力を尽くす必要があると考える。
もう1つの重要な点は、長期介護保険の給付の種類である。統一国家は、在宅ケアと施設ケアに関してケアの必要の程度に応じて手当を支給する等級別の給付システムを考慮した決断を下した。在宅ケアの場合、等級別看護手当または同等の現物給付が受けられ、施設ケアの場合は、法定の限度額まで看護費用が支払われる。
長期介護保険が導入されれば、ケアが必要な人たちの住環境が大幅に改善されるだけでなく、看護手当やその他の援助によって介護者の負担を大幅に軽減することができよう。これまでと変わらず、長期ケアが必要な人たちは在宅看護を受けており、看護役は大ていが、妻、娘、嫁である。このように世話に携わる人たちの仕事の負担が重すぎることがよくある。夫のために犠牲になって介護に尽くしたきた老妻が、その後に自分自身が長期ケアを必要とするようになってしまう場合が多い。
世話をするために仕事をなげうってしまった人たちは一層気の毒である。収入がなくなったばかりでなく、将来の年金も犠牲にしてしまうことになる。このような不利益を少なくするために、収人を得られない介護者は年金と傷害保険制度にカバーされ、長期介護保険が導入されれば社会保障が受けられるようになるだろう。この方法がとられれば、こころよく在宅看護をする人も増えることだろう。
長期ケアの必要な人たちのための機能回復方法を広げれば、介護者の負担を軽減する一助ともなる。審議に付された長期介護保険に関する法案には、明確な社会復帰の要素、つまり高齢者の自立を保つ、あるいは回復するという目標を掲げるべきだと私は考える。機能回復訓練や器具の給付によって、長期ケアの必要性を初期の段階で少なくするか、なくすことを保証しなければならない。「リハビリテーションは看護に優先する」という原則は、最優先頃目として法律に定められなければならない。
ドイツは、積極的なナーシングケアや、リハビリテーションの手助けを提供するにあたって、家族を教育するために、デイ・ナーシングホーム、ショートステイ、退院後の面倒をみるセンターなど、通院の援助を行うネットワークの展開が必要だ。高齢者人口がさらに増加するこれから先、熟練した協力者の数を増やすことで在宅介護の支援を最重要に考えなければならない。
長期介護保険はナーシングホームに入所せざるを得ない人たちに安心感を与えねばならないし、また与えることになる。話を進める前に、このことに関して少々基本的なコメントをしたい。我々の努力が高齢者の最大限の自立を達成するためにどれほど徹底して、うまくいっていることが立証されたとしても、すべての高齢者の自立を全面的に達成することはできないだろう。高齢者の男女は身体的、精神的な状態がかなり異なるため、ナーシングホームでのケアが必要となることが常である。長期ケアの必要な人々の住環境を改善することも目標であることはいうまでもない。とはいえ、長期ケアの必要が全くなくなる程度まで、完全な環境にすることはできないだろう。
ドイツでは将来面倒をみてもらう家族を持たない単身者が増えるように思われる。ナーシングホーム入居者のための施設ケアに必要な費用は、長期介護保険の枠内で支払われるわけで、これは明らかな改善といえよう。これまでの形態は、長期介護が必要な人がナーシングホームの介護費用を自費で払えない場合、社会援助機関が支援してきた。現在、旧西ドイツのナーシングホームの全入居者の70%は社会援助を受けている。新統合ドイツではその数は100%にのぼる。したがって、長期ケアの最後の手段のはずであった社会援助は、長期ケアが必要な人々にとって標準的な恩典となった。長期介護保険の範囲内で施設の看護費用が支払われることになれば、ナーシングホームで社会援助を受ける人の割合は、現在の90%から15%−20%は減少すると期待される。
これによって長期ケアを必要とする人たちの経済的な自立と独立をある程度取り戻すことにもなるだろう。というのは、社会援助を受けている人も長期ケアを受けている人も自分の経済状態をさらけ出し、生活費の援助を身内に頼まねばならないのは、当然気分の良いものではないからである。
ナーシングホームにおける専門介護者の現状は、今もって行き届かない状態である。ドイツでは最近、施設ケアでの介護者不足が深刻である。この事情は過度の労働とシフトによる勤務という労働条件の悪さだけでなく、老人病棟の看護職員に支払われる低賃金と密接な関係がある。
看護という職業は、美しく、意義のある仕事で、今でも、喜んで社会参加をする若者が多数いる。しかし、不当に低い社会的地位や、看護の仕事を魅力のあるものにする要素が少ないため、専門的な活動の形で他人にサービスを提供したがらない。
ドイツでは、看護の仕事の魅力を取り戻すために大いに改善の余地がある。訓練の向上に加えて、より高い、継続的な訓練をもっと魅力あるものにしなくてはいけない。相応な収入を得る可能性、昇進の機会を増やすべきだ。夜勤や週末出勤といったこの職業につきものの重圧は周知の通りだが、長い間には家族や個人の生活を乱すほどのひどさは解消できるだろう。
専門としての老人看護は他の看護職と同じレベルのものとして一般に認識されるべきである。ドイツ全土で一様な職業像がつくられさえすれば可能だろう。この信念に基づいて、老人看護に携わる職業についての法案をつくり、すでに連邦の担当省庁での論議を経て、議会に提出する準備ができている。とはいえ、これは看護職の抱える危機を乗り越えるための一つの方法にすぎない。この危機を切り抜けるには、多くの施設の協力が必要だろう。
ドイツ連邦共和国において長期ケアを必要としている高齢者の現状を改善するために必要とされる対策事情の将来像をお話しした。ドイツ統合の結果により、新生ドイツは看護面で最大の課題に直面している。
ドイツの分割を乗り越え、国家統一をなし遂げたことは、ドイツ戦後史の中の最も重要で最も喜ばしい出来事だったことは確かだ。東西ドイツが共に発展するにつれて、旧連邦と新連邦の生活状態の格差は特に高齢者に響く。こうした認識に基づき、我々は昨年新ドイツ連邦の高齢者の立場をよくするための高齢者政策に必要な基盤をつくった。40年に及ぶ独裁制国家の後に、これらの男性も女性も今では早急に支援を得る権利があると私は確信している。彼らにはその生活程度をかつての連邦共和国のそれと同じくなるのを待っている時間はない。
改善に向けて努力する中で、通院サービスが重要で中でも退院後の生活を援助するセンターを拡大する資金源に特に重点をおいた。1991年までに、ボランティア福祉団体が運営する700カ所以上の退院後援助センターが新連邦国ですでに活動していた。現在その数は約900カ所である。ナーシングホーム外での老人と一般の看護の専門面を担当し、いわゆる基本的なケアを提供している家族や近隣の人たちを支援している。
1990年には、家族高齢者省が、老人や障害のある患者のための入院施設の緊急事態をなくするために緊急救助計画を発足させた。しかし、緊急救助を行ったとしても入院部門には刷新のニーズがなくなるわけではない。
老人ホーム、障害者のためのナーシングホームや施設の現状は、統一ドイツにおける高齢者と障害者のためのほぼ1,500カ所の施設を擁する建物をみればわかるように、依然として難しい問題がある。旧ドイツ連邦の建築最低必要条件を規定した条例にある基準に照らした場合、
−ホームの40%は即時取り壊しの対象となる
−30%は緊急に修理を要する状態にある
−20%は近日中に修理を要する状態にある
−旧ドイツの必要条件の最低基準を維持しているのは10%にすぎない。
建築上の欠陥、部屋の定員オーバー、衛生状態が悪い場合もある。障害者のための施設ケアは老人ケア施設と同じく、破滅状態に瀕している。かつてのドイツ民主共和国(東ドイツ)の社会では、障害のある人たちは高齢者と同じく最も恵まれないグループにあった。その理由は、社会主義国では人の価値をその人の仕事の業績に基づいて評価するからである。
障害者のための施設不足が著しいために、60歳以下の障害のある16,000人をこす成人と、重度の障害を持つ子供や若者1,500人が現在統一ドイツの老人ナーシングホームに住んでいるが、ここでは適切な支援や世話がほとんど受けられないでいる。この領域での生活状態を近い将来に標準化するためには、既存のニーズに見合う高齢者や障害者用の施設に関する改革計画が必要であり、国と地方自治体が共同で財政を賄わねばならない。改革のための費用は160億ドイツマルクと見積もられる。ドイツ統一の結果、どれほど膨大な量の新しい仕事が持ち上がっているかがこれではっきりおわかりいただけると思う。
旧、新ドイツ連邦において高齢者政策の中の「長期ケアのニーズのリスクに対する保障」にかかわる問題が非常に注目されていることがおわかりいただけよう。現時点ではこれら方策についての立法権限が全部私の所属する省にある訳ではない。ドイツでは、高齢者政策は厚生、労働、社会あるいは運輸、都市開発などの多くの連邦政府機関が関わった、横のつながりを持つ仕事である。しかし家族・高齢者省は高齢者のための政策の分野での広範囲な研究課題を担当している。
急激な伸びをみせる老年社会の需要に相応した対策を目標とする政策には、しっかりした学問的基盤が必要である。研究と政策は将来の開発を確認し、できるだけ事前に政治活動に組み入れなければならない。したがって研究結果は高齢者のための具体的な政策基準につながるべきである。
我々の研究プロジェクトが取り扱っているのは、高齢者の経済状態、生活の状態、犯罪に対する姿勢と恐怖のみならず、「自立した生活の支援」、「高齢者支援のニーズならびに高齢者のための長期ケアの需要」、「家族によるケアの可能性と限界」に関してである。家族高齢者省が主唱しているプロジェクトは高齢者の外出や、高齢者家庭における技術の有効利用といった非常に特殊な問題も扱っている。
ドイツにおける高齢者に関する研究が、何十年間もの基礎研究の蓄積を顧みることができるのは遠いことではないだろう。老人学や老人病の研究に力をいれている大学がますます増えている。政治家だけでなく、加齢や高齢者政策の研究者たちが、将来国際的対話の重要性を証明してくれることは間違いないだろう。人口構造の急速な変化はドイツ連邦共和国に限ったことではなく、他のヨーロッパ諸国でも同様である。
私の所属している省が関係しており、自立している老人、長期ケアを必要とする老人のどちらにも影響のある政策、すなわち「老後の生き方」について少し触れたいと思う。これは将来ヨーロッパ全土で一層注目しなければならないもう1つの問題である。
この目的は、男女を問わずこれら高齢者の様々な要望やニーズを正しく評価することにある。老後の生き方にはっきりときまった形があるわけではない。とはいえ、今日の高齢者の大半はできるだけ自宅にとどまりたいというのが一般に受け入れられた原則である。これは彼らが近隣や家族とのこれまでどおりの交渉をいくらかでも保ちたいと願っているからで、当然のことなのである。私にとっても、私の所属する省が推進してきた高齢者政策にとっても、「老後の生き方」とは可能性を明らかにし、これを試み、絶えず学問的評価を行い、全体的な条件の枠組みをつくりその結果、こう生きたいという高齢者の個々の希望が満たされることを意味する。
各人にとって寿命が延びたことの意味は、欲しいと思って手に入れた年月、充実した生活、高齢者だけの孤立集団の中で過ごすことのない年月でなければならない。今日、旧ドイツ連邦では、男性の平均寿命はほぼ72歳、女性は78.5歳である。新統一ドイツの平均寿命は男性70歳、女性75.5歳である。
連邦政府の高齢者政策の当面の目標は、国と地方自治体の協力を得て、可能な範囲でなじみのある環境で老後の生活や住居を自分で決めるための条件を生み出すことである。これにはまず、高齢者の要求に見合う設備のアパートが必要であり、そのアパートの出入りにはできるだけ障害物がないこと、都市計画や公共の交通機関計画も高齢者のニーズに合うものでなければならない。さらに、地方自治体は移動サービスから給食宅配あるいは看護サービス、リハビリテーション専門家の派遣に至るまで、高齢者の居住場所の近くで段階的なサービスを幅広く提供できるよう保証しなければならない。
このような配慮をすることで、新しい選択肢のある生活がこの数年に生み出されることとなった。今度は社会計画と都市計画の調和が問題である。
「支援を受けている生活」、「サービスハウス」、「多年代同居住居」などの概念やモデルが特に一般の議論や実験の的になることが多い。この問題について、国際間では経験の交換も行われている。例えば、「年齢別の生活様式の利用の分析」に加え、長期ケアや援助の程度の異なるニーズがある場合に、ナーシングケアが保証された自立した暮らしをどのように成り立たすことができるかを調べることを家族・高齢者省は、プロジェクトに委任した。
高齢者政策とは、男女ともに尊厳をもって年をとることができるようにすることだと考える。そして社会から孤立するのではなく、社会に融和し参加することが尊厳ある生活の必須条件であるとの結論に達したのである。
高齢者の社会参加を促すことも高齢者政策の分野でドイツ家族高齢者省が実行したもう一つの重要な方策である。

高齢者のための連邦行動計画
今年(1992)、はじめて我々は連邦青年計画にならって、高齢者のための連邦行動計画を念入りにつくり上げた。これは高齢者政策や高齢者のための社会文化サービスの一層の発展を促すために公的支援をし、高齢者のための斬新な方策を指示する手段である。
高齢者のための連邦行動計画では、公的支援の提供について次のような点を強調しているが、実際には各々政府の高齢者政策の要点からなっている。
1.高齢者の自立と社会参加を促進すること
2.長期ケアや援助を必要としている高齢者の自立を支援すること
3.統一ドイツの生活状況の格差をなくすこと
4.高齢者のための国際政策を開発すること
高齢者のための連邦行動計画のこうした主目標の達成は、基本法に定められた連邦機構に配分された権限の枠内で行わなければならない。
高齢者のための連邦行動計画は、ドイツの国家と地方自治体の政策の一例として前述の高齢者政策の主要目標を実行するパイロット計画、専門家セミナー、学術研究、コンタクト手段を後援するための枠組からなる。成功するか否かは国や地方政府が成果を進んで採用するかどうかにかかっている。したがって、高齢者のための連邦行動計画に折り込まれた方策は、国や地方自治体において、パイロット計画として試したアイデアをできるだけ広範囲に実行する、あるいは科学的に記録された情報を幅広く利用できるよう触発させるはずのものである。
先にも述べたが、高齢者のための連邦行動計画の主な目標は、同時に高齢者政策の分野における連邦政府の4大目標でもある。その2つについてはすでに詳しく述べた、即ち
−長期ケアや助けを必要としている人たちの支援、および
−統一ドイツにおける生活条件の格差をなくす、ことである。

高齢者の自立と社会参加の奨励
高齢者政策の領域の連邦政府ののこる2つの問題をそれに付随する高齢者のための連邦行動計画の強調点について述べたいと思う。高齢者の自立と社会参加の奨励から始める。
ドイツ連邦共和国の高齢者の大半は、現在は外部からの援助に依存していない。健康な高齢者たちは、人生の4分の1、あるものは3分の1を残して引退している。そのため、自分が退職したり子供たちが独立して家を出て行ったとき非常な窮地に陥る。人生の中核をなしていたものを失ったような断絶感を味わう場合もある。
この場合の政策目標は、人生を受け入れる年のとり方をすすめることである。高齢者が新たな人生展望を自分で決定できるよう支援しなければならない。これらの男性や女性が生涯を通して得た知識や経験を高齢になっても同じように利用できる機会を与えなければならない。ここには膨大な潜在的可能性が、ある程度陽の目を見ずに残されている。我々の社会は、この潜在力を利用しないではすまされない。
高齢者のための連邦行動計画にある「高齢者オフィス」(シニア・シチズン・オフィス)の考え方は、こうした「若く、行動的な高齢者」に適応するものである。これは単に高齢者のためのではなく、高齢者とともにという政策の中心的思想を考慮することを意図している。「高齢者オフィス」は名誉のために活躍したいと願っている高齢者にポストを探すことを考えている。その人たちが活躍できる場、そして高齢者自身の考え方に対処できる領域を示す。ここでの目標はすでに活動している高齢者を支援するだけでなく、できるならば、これまで外部との接触を求めていなかった人たちにも関わることである。
高齢者オフィスの主な仕事は次の分野である。
1.退職後の専門的分野での活動とソーシャルサービスのボランティア活動
2.自助活動と自助グループ
3.近隣や付き合いのネットワークに高齢者を受け入れる
高齢者オフイスの紹介で名誉職や、退職後の専門活動に係わることができたり、自助活動や自助グループヘの仲間入りがうまくできた高齢者は誰もが、自分の人生を生きていく上でかなり自立することができ、それが生きがいともなった。高齢者オフィスで行う支援は、高齢者が消極的に年をとっていくことを阻止するのに役だった。老年期に関する研究によると、高齢者が近隣やその他の世間とのコンタクトを持つと、元気が増すということがわかっている。これは身体的、精神的な退化を治す最善の治療法でもあるようだ。
我々の政策は助成の原則に左右されるため、独立した自立団体や専門家協会に加えて、地方自治体、福祉団体、高齢者団体が高齢者オフィスを運営することもある。高齢者オフィスの考えは高齢者のための総合的なサービスを提供したり、既存のソーシャルサービスやレクリエーションサービスを連係させる市町村レベルの努力を補う意味で優れている。しかし、高齢者オフィスが中央省庁によって組織された行政単位になることは望ましくないと断言したい。そうなると、前述のような仕事を正当に扱えないからである。
市や小さな町や農村地帯で高齢者オフィスが実施しなければならない仕事は、種類が多いのは当然である。これまでにも比較的範囲の広いサービスを提供してきた市部では、その人に合った活動へ参加させることが問題となる。一方中小都市では、高齢者自身が計画し組織する活動のための枠組みを準備し、強化する手伝いをする必要がある。しかし、農村地帯でも、高齢者のための社会文化サービスの新しい機構を確立、拡張しなければならない。都会にくらべ、田舎では孤立感や寂しさを乗り越えることは一層難しい。特に田舎では、影響を受けやすいので高齢者オフィスがそれに新しい弾みをつけることができた。
連邦政府の発案に対する統一ドイツの反響を見ていると、高齢者オフィスは今後の高齢者政策の領域で中心的なプロジェクトの1つになるだろうということを私は今日断言できると思う。

ヨーロッパと各国の高齢者政策
最後に、連邦行動計画が力を入れているもう1つの点についてご注目いただきたい。それはヨーロッパと各国の高齢者政策である。ECの総人口に占める高齢者の割合は益々高まっている。現在EC諸国の60歳以上の国民の数は、6,000万人を超え、人口のほぼ5分の1を占める。日本でもよく似た現象が見られる。発展途上国では先進国よりも早いペースで高齢者数が増加している。
総人口に占める高齢者人口の割合が高まると、国というコミュニティーの社会的つながりについての課題が多々生じる。大きな課題の1つは、世界中の、先進国でも開発途上国でもいかにして世代間の結束を保ち、これを高めるかである。
我々は若い人たちのためだけでなく、高齢者のためにも未来を創造しなければならない。高齢者が社会づくりに参加できるような機会促進がうまくできれば、若い人たちにとっても得るものがあるのだということを理解してもらうべきである。新しい形の参加を認識しなければならない。その過程では、高齢者の社会参加に国境があってはならない。高齢者が経験から得た知識には、その人たちが自分の目で見た地域、国内、国際的な歴史上の出来事も刻まれている。したがって、高齢者の経験には歴史的な広がりがある。世界の将来は、我々がどのようにして高齢者の歴史的経験を利用するかにもかかっている。古代の人々はこの可能性を評価する術を既に知っていたのである。
ドイツでは、国民は国境を越えて新しい東欧諸国に向かって目をやるとき、自分たちの昔の姿を見ていることに気がついている。これら中央ヨーロッパや東南ヨーロッパ諸国に関して鉄のカーテンの崩壊以来、高齢者に開かれた機会を利用しなくてはならないし、また利用したいと思っている。もっとお互いを知り、相互理解を深め、偏見をなくし、自分自身のときにはかたくなな姿勢を振り返るのに良い機会である。そしてこれまでの政治体制の下では我々にはこのような機会は与えられなかった。我々の社会の高齢者たちは東の隣人たちとの理解を改善する上に大いに貢献することができる。彼らには重圧に満ちた過去の記憶が非常に鮮明に残っているので、我々が二度と同じことを繰り返すことのないように仕向けてくれる。
しかし、高齢者のための国際政策には、もっと多くのことが危機に瀕していることがある。異なる人種の人たちをまとめる効果と並行して、高齢者のための国際政策は、二国間および多国間レベルで知識や経験の交流を図ることを目的とする。先進国は、高齢者政策の分野において必要とされ、要望があるところにはどこでも助けとなるように、自分たちの知識を展開させる義務がある。
東欧諸国で全体主義体制が崩壊したことによって、高齢者の間での方向づけという深刻な問題が持ち上がった。全体主義国家による管理がl日にして消失した地域ではすべて、方向を見失ったという感覚が根強いものになっている。さらに、東欧における高齢者の物質的、社会的生活条件は急速に悪化している。政府と経済体制が崩壊したことにより、当然のことながら、就業して生計をたてられるだけの収人を得る可能性がなくなった人たちへの悪影響は特に大きい。
したがって、新しい東欧における政治、社会の意思決定者が、高齢者のための支援に役立つ機構をよく学ぶことが肝要である。東欧における我々の仕事は、経済的に有用な知識を伝達するだけのものにすることはできない。高齢者政策の「管理ノウハウ」は新生東欧諸国において社会平和を維持するための基本的な前提条件である。ドイツ連邦家族高齢者省は今後この仕事に専念し、東欧諸国において高齢者のための援助と社会文化サービスの分野でコンサルタントとして役立つために予算をとっておくつもりである。
自立とは建設的な言葉である。残念ながら、我々が高齢者を話題にするとき、建設的な言葉を用いるとは限らない。発展の見込みがないこと、社会での高齢者の数が不釣り合いなほど多いこと、高齢者が社会政策上経費のかかる要因であることのみについて話す人々は、寿命の延びとは我々の先輩たちの一人一人がかち取った年月であることを見逃している。
寿命の延びそれ自体は見通しが明るい。過去何十年間の社会政策や保健の領域での多様な向上の成果といえる。だからこの会議でも前向きの言葉で話し、寿命が長くなったおかげで今日、男性女性が得ることのできる機会や可能性を正しく評価するような言葉を選ぼうではないか。





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