高齢者ケア国際シンポジウム
第2回(1991年) 痴呆性老人の介護と人間の尊厳


まとめ・閉会の辞

財団法人笹川医学医療研究財団理事長
日野原重明



これをもって2日間にわたる高齢者ケアの国際シンポジウムを閉会させていただきます。
6か国から12名の専門家を私たちは迎え、同数以上の専門家が日本側から加わった本シンポジウムを無事に滞りなく終えることができました。
いちばん喜ばしいことは、私たち、日本船舶振興会、笹川医学医療研究財団、そして読売新聞社の3つの主催者が多くの団体の後援を受けてこの会がもたれたことでした。このように会期が終了するこの日この時まで空席がないほど満たされている会はまれです。
特に、医師、看護婦、ソーシャルワーカー、心理学者、PT、OT、さらに介護をする家族の人、ボランティアに携わっている人々など、人間の命を支えている人々が、専門・専門外の区別なく、平等に世界中の共通の問題について討議をするというような会議は本当にまれではないかと思います。
本会議のテーマは、いま、治療の基本的な解決法のない痴呆性老人の生涯の最期を私たちがどのようにケアすべきか。どのようにすればそのなかに、失われているようにみえる人間の尊厳を発見することができるかという最も難しい問題をテーマとして討議を進めてきました。私たち人間は生命を与えられ、そしてその生命はいつかは消え去るものです。しかし、痴呆症にかかった人では、その生命が消え去る直前がその人の人生においていちばん不幸のどん底であります。たくさんの使い古された自動車の最期が、郊外の空き地にポンコツとして積み重ねられ放置される運命にあるのと同様に、人間が人生の最後にはあのような状態で捨てられるのではないかという感じがするのです。
さまざまな国の医療関係、介護関係のシステムは非常に異なるが、しかし、共同の問題をもっているということを私たちは知りました。そのような意味において、私たちがここに集まって討議できたことは非常に有意義であったと思います。そして、私たちが知らない知識や技術、また作戦やサポートを分かち合う機会と信じています。
フライ先生がこの席で先ほど、日本人は世界一長生きするのですが、その質はどうなのかという非常に厳しい問いかけをなされました。質が高くてやや短く生きるのと、質が悪くて長く生きるのと、そのどちらを選ぶかの選択が問われています。私は、いちばん基本的なことは「クオリティ・オブ・ライフ」を高く保ち、許される限り生きることだと信じています。
そして、このことについては専門家だけではなく、すべての人間がこの解決に参与しなければなりません。レーア先生が、
「老いとは個人的なプロセスであり、その人、その人によってまったく異なっている。だから一様な方程式はない。私たちは老いて痴呆になっていく人に対してどのような支えをするのか。人は痴呆症になったとしても、どこかに人間としてのすばらしいものが残されており、すべてのものが痴呆になるのではない。そのようなことを考えるとき、ことに専門家には、感性が重要となり、いくら知識や技術があったとしても、老いて痴呆になっていく人の心を、私たちの友のように愛するという、いとおしみの(コンパッショネイトな)心なくして、この解決はない。形や施設ではなく、その内容が重要なのである」
と話されました。
日本の特別養護老人ホームは、プライバシーがなく、たくさんの人と一緒に住んでいるような施設が多い。しかし、それでは施設を建て替えなければなにもできないか。もしもそうならば、人間は知恵のある存在であるとはいえない。物がなければ、ないなりの方法を考えるのがナレッジでなく、ウィズダムである。私たちはそのような意味において、今回は単なるナレッジの交換ではなく、ウィズダムを分かち合う機会を与えられたのではないかと思います。
来年のこの時期にまた私たちは本シンポジウムを計画しようとしています。次回には、この痴呆患者の環境をどのようにすればよいか。その人々の外的な環境と同時に、その人の内的な環境を考えるテーマを考えています。外的環境は、衆知のことですが、人間個人としての環境とはなにか。どのような友をもち、どのような師をもち、どのような小説を読み、どのように成長するかによって、その個人環境はつくられると思います。そのような内と外をどのように調整するかを来年のテーマとすれば、私はこのシンポジウムがさらに前進するのではないかと思います。
本日、米国アルツハイマー協会トウラシュケ会長から、アメリカにおけるボランティア運動の素晴らしいシステムづくりをうかがいました。なぜ日本ではシステム構築の重要性が実感をもって感じられないのでしょうか。日本の企業がこれほど伸びたのは個人の努力はありましたが、大部分はシステムが素晴らしかったからです。人間に最も必要なものはシステムだといったのは、プラトンの言葉です。システムがなければ、いくら努力してもむだであると。私たちはそのシステムを分け合いながらそれを考えたいと思います。
多くの違った環境にある施設の人々が集まって、おのおのの知恵を分かち合い、励まし合い、特に日本においてはボランティア運動をさらに活発にしなければなりません。日本では老人施設に働く職員は、外国に比べても、2分の1ないし4分の1しかいません。日本の病院は、アメリカの病院に比べると、ナースの数は3分の1から4分の1です。どうしてこの経済的に豊かである日本が、命を支える専門職の数を増やすためにもっと資金を使わないのでしょうか。どうして住民が、そのようなために税金を出そうとしないのかといったことを、私たちは考えなくてはなりません。
私たち人間は、お金をもうけるために生まれてきたのではありません。私たちは最も善きことのために、努力して蓄えた資産を活かすために生まれてきたのだということを、老人ケアの問題についても考えたいのです。
基調講演で中村元先生は東洋の心を説かれました。そして老い方についてのさまざまな示唆が与えられました。洋の東西を問わず、老い、そのなかに入ってくる痴呆、これに対しては、医学だけではどうにもできないものです。人間の命の最後のステージでは、医学はそのケアの一部分であり、医学以外の人間の生んだ文化が、宗教も含めてそこに入ってこなければなりません。
そして、フライ先生が話されたように、痴呆というのは、われわれが最も高い頻度でかかる病気、最も普通の病気(common disease)の1つであると考えれば、たとえいまは若い人でも、自分の問題として考えなければならない問題であります。
そして中村元先生がいわれたように、人は命を与えられている間はそれをよく保って生き、そして静かに安らぎを得るように努力すべきです。どうか痴呆の人々の最期が、ポンコツの自動車のような最期ではなく、静かな安らぎがその人に与えられるような環境と、思いやりのある、心の通った気持ちで彼らを包むという努力を私たちはしたいと思います。
聴衆の皆さま方、私たちがよき老人のケアを目指してさらに前進することができますように、さらに情報を分かち合うことができますように。討議に参与された先生方、参会の皆さま方に対して、心いっぱいの感謝をささげ、私の閉会の言葉とします。





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