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高齢者ケア国際シンポジウム
第2回(1991年) 痴呆性老人の介護と人間の尊厳


合同討議  痴呆性老人の介護と人間の尊厳


●司会
日野原重明 聖路加看護大学学長
紀伊國献三 筑波大学社会医学系教授
Robert N. Butler, M. D. マウントサイナイ医科大学老年病学教授

●パネリスト
Barbro Beck-Friis, M. D. モタラ総合病院老人部長
John Fry, M. D. 英国医学協議会理事
Nancy L. Mace, M. A. アルツハイマー協会主任コンサルタント
長谷川和夫 聖マリアンナ医科大学神経精神科教授
大塚俊男 国立精神・神経センター精神保健研究所老人精神保健部長
林玉子 財団法人東京都老人総合研究所生活環境部門
笹森貞子 東京都ぼけ老人を支える家族の会代表

【日野原】いよいよ最後のセッションになりました。外国から講師として来日された専門家の先生方は、日本の痴呆性老人に対するケアの実態等を、数多くの討議あるいは講演のなかから、おそらくくみ取られたと思います。
本セッションは、世界の第一線で活躍されている専門家が一堂に会した貴重な機会であることから、まず諸先生方にいろいろな意見を話していただき、これを最後のまとめとしたいと考えています。
本日は、私たち3名が合同討議の司会を分担しますが、バトラー先生は初の登場であるため、まず最初に先生の簡単な経歴からご紹介させていただきます。
先生は、ニューヨークでお生まれになり、今日まで精神医学および老年医学を専門とされ、国立老化研究所(National Institute on Aging:NIA)の所長を務められたのち、現在はニューヨークにあるマウントサイナイ医科大学Department of Geriatric and Adult-development(老年医学と成人発達学部)の学部長兼教授職を務められている、老年医学に関する世界的に有名な専門家でございます。
「ホワイ・サバイブ(なぜ生き延びるか)」、これは非常に衝撃的なタイトルの著書(日本語版「老後はなぜ悲劇なのか」)ですが、アメリカにおいて、老いることはどのようなことを意味するかを著した先生の傑作の1つで、本書はアメリカの有名なピューリッツア賞を得られました。このような衝撃的なタイトルを付されたことについて、まずバトラー先生からお話をいただきたいと思います。

【バトラー】本書は、16年前に書かれたもので、その意図は、まさに世の中にショックを与えることでした。つまり、この問題について考えさせる、関心を喚起するということでした。
当時、アメリカでも高齢化社会の来訪はもう現実的な問題となっていたのですが、一方で、高齢化に対してなにができるかが大きな課題となっていました。
例えば、高齢化に対する研究所の設立といった対応策も取られ始めていた時代でした。本書を翻訳して日本で出版していただけるということに対して、たいへん光栄に思っています。
その際、「まえがき」を書いてくださいといわれたのですが、その「まえがき」のなかで、その本が書かれた16年前からいままでの間になにがもうすでに達成されているか、また残された課題はなにかということを書いています。この前文を読んでいただければ、たいへんポジティブな、前向きな姿勢を取っているわけです。なぜ生き延びるか。それは私どもの社会的な政策、そして個人の考え方をこれから変えることができれば、十分生き延びていく意義はあるのだということを、その「まえがき」のなかで強調したつもりです。

【日野原】では、ただいまからパネルディスカッションを始めたいと思います。
最初に、フライ先生とメイス先生のお二人に、本シンポジウムに出席されて、どのように日本からの発言をとらえて、なにか疑問をもたれたのか。あるいは、それに対するコメントがあるのか。まず日本に最初にプライマリー・ケアを導入するテキストブックを書かれたフライ先生に、痴呆性老人のケアの問題について、私たちに対する提言なり批判なりをまずうかがい、その後、メイス先生にも同様のことについて、ご意見をお願いしたいと思います。
進行は紀伊國先生にお願いいたします。

【紀伊國】それではフライ先生、セッションに出られて、日本が試みていることを理解されたうえで、どのような印象をもたれたのか、あるいは提言があるのかについてお願いします。

【フライ】私は、今回は学ぶために日本にきました。すでにこのシンポジウムを通し、痴呆についてたいへん意識の高い、示唆に富んだ方々が、施設でどのような介護をされているかということについて学んだつもりです。
また、日本でのプライマリー・ケアのあり方についても学ばせていただきました。私はいま、イギリス以外の国のプライマリー・ケアについて研究を行い、そして他国から学べる点について報告書を書くという使命を帯びています。
来日は今回で2度目となりますが、1回目はかなり昔のことになります。私はその間、日本の医療、ヘルスケアについて興味をもっていました。それは、日本が世界で最も長寿な国であるということからです。最も健康な国民をもった国であり、女性80歳以上、男性75歳以上という平均余命は、他の国を圧倒しています。イギリスの平均余命ははるかにその下です。
ここで量と質の問題という、非常に重要な問題が出てくると思います。平均余命が延びて長生きできても、その長生きしている年数が意義の深いものであるか、生きがいのある人生であるか、という点だと思います。
私、先ほどプライマリーケアにたいへん興味をもっているといいましたが、現在、私は自分が痴呆症になったのではないかという気分になっています。日本で、ある家族の一員が病気になった場合、いったいどこにまず連れていくのか。いろいろな人に聞いてみました。すると、病院に連れていくという人とそれ以外の所に連れていくという人がいます。それ以外の所というのがどこであるのかを、私は何とか探り出そうとしているのですが、かなり混乱しています。
私どもは別に痴呆にかかっているわけではないのですが、使える資源として、最も有効な資源はどこにあるのかということがだれも分かっていないという点が問題ではないかと思います。もちろん、需要のほうが利用できる資源よりも多いのは常ですが、世界の専門家の方々が話されたとおり、痴呆性老人に対するコストはたいへん高く、その提供にあたっては難しい点があります。だからこそ、痴呆性老人に対してなにがいちばんベストなケアなのかという点をもう少し討議する必要性があるかと思います。
プライマリーケアについては、何らかのモデル、原則をつくっていく必要性があると思います。原則として私は、あまり医者にかかりません。というのは、まだ自分が健康であると思っているのですが、ただ、歯医者にはよく行きます。
歯医者に行く際には、できる限り同じ人に継続してかかるようにします。それも、何年にもわたってかかってきた、同じ歯医者さんに行くようにしています。
逆に、私の所に来る患者さんも、私について同じような気持ちをもっているようです。
プライマリーケアを提供する単位としては、まず家族があります。家族がどこかサービスを提供してくれる組織に行き、継続的な一貫性のあるサービスを受けられるシステムにしなければいけない。
WHOのプライマリーヘルスケアに関するアルマ・アルタ宣言という約10年ほど前の宣言があります。この宣言は、一般的な原則が確立されています。
プライマリーケアのモデルと先ほどいいましたが、地域社会における痴呆性老人の介護をする際に、ある一種のモデルを確立することが必要だと思います。ただその際、1つだけしか窓口がないということではなく、家族の方々に幅広い選択、サービスのオプションを与えることが必要だと思います。そして地域社会で、例えば5〜6人の医者がいて、1万人程度の人口を対象として医療を行っていく。1万人に対して医者が5〜6人です。そして看護婦の協力を得て医療を行っていく。
また、ヘルス・ビジター、これは公的の看護婦、保健婦のことですが、このような方々が1軒ずつ訪問をし、痴呆性老人の介護を家でも行う。それ以外にも、臨床家などを含んだ6人ぐらいの専門家グループで、つねに1万人程度の人口を対象とした医療関係サービスを提供する体制ができればと思います。
いずれにしても、プライマリーケアを提供する際に、なにがベストのやり方かという一種のモデルが必要です。医者だけではなく、看護婦なども含めたプライマリーケア、家族ケアのチームができれば、例えば痴呆の症状が出始めた場合に、まずそのようなチームに家族はコンタクトを取り、そしてどのような症状が出ているのかを説明する。
そのチームは、同じ地域に設けられたさらに高度な専門家の集団とも連絡を取りながら、この痴呆性老人が家でいろいろな在宅ケアを受けながら住み続けることができるか否かを決定することが望ましいと思います。
北欧各国、イギリス、アメリカなどでは在宅ケアがかなり高度なレベルに達していると思います。ホームケアを行うためにはどのようなものが必要なのかを決定し、いつ、どのようなときに、もっと高度な専門知識をもった各分野の専門家、例えば精神科医、ソーシャルワーカー、およびそれ以外のさまざまな専門家を必要に応じてこのプライマリーケアのチームに加えてサービスを提供していくということが、将来とはいわず、現在最も必要なことだと思います。
日本のシステムは、いま医者が中心になっていると思います。

【紀伊國】厚生省では、いまの話でも問題になった総合的なサービスが行える相談センターを各地に設置したいと考えているようです。フライ先生が話された基本的なプライマリーケア・ユニットが、継続的な人々の健康について考えることは、これからの高齢者ケアの基本になると思っています。
それでは次に、メイス先生お願いいたします。

【メイス】とてもすばらしいシンポジウムであったと、まず申し上げたいと思います。しかし、日本がなにをしているかについて、まだ十分認識していません。確かに日本は現在、大きな問題を抱えていると聞いています。すなわち、高齢化社会に向けて、しかも痴呆老人が増えてきているということはよく分かりました。しかし、それは先進国共通の問題です。それだけの予算があるか。それだけのスタッフがいるか。介護者がいるか。どのようにして家族を助けていくか。これらは日本にとっては非常に大きな問題だと思います。しかしこれもほかの国でも共通の問題なのです。
しかし、この会議に2日間出席し、多くの発表を聴かせていただきましたが、日本はこれらの問題を克服していくであろうと思います。
私、多くの方たちとお話をしましたが、プログラム担当のディレクター、看護婦さん、医師、そして専門職の人というケアに直接関係のある人たちとあまり話しをしていません。このような人たちと話をしたいと思います。
直接ケアをしている人たちは、非常にたくさんの問題を抱えていると思います。痴呆の人たちの面倒をみるということはたいへんなことです。フライ先生も話されたように、ベストを尽くしても、すべてを満足させることはできません。一生懸命介護をしたとしても、「あなたはだれですか」などという人のケアをするのはたいへんです。スタッフがよい仕事をするために、また、多くの人にこの仕事に入ってもらうためには、やはり生活の質を考えなければならない。また、尊厳を考えなければなりません。
これは痴呆老人だけでなく、スタッフの生活の質、スタッフのケアを考えなければいけない。スタッフが、専門職としての自信とプライドをもたなければいけないと思います。どのレベルにある人でもよいのです。動機づけを与えなければならないのです。
そして、ケアをしている人が安全であるという安心感を患者にもたせなければいけない。この人はどうだろうか、徘徊するだろうか、転倒するだろうか、けがをするだろうかなどと心配していては、よい仕事はできません。だから、安全であるという確信をもって働けるようにしなければいけないのです。
スタッフにはよりよい教育・訓練が必要です。ときどき海外に派遣し、短い訓練を受けるだけではなく、やはり長期間、継続的な訓練が必要だと思います。
例えば、医者、ソーシャルワー力ー、作業療法士、看護婦は、継続的に多くの訓練・教育を受けなければならないと思います。すなわち、直接介護をする人たちの訓練が必要だと思います。
また、職業の安定性と継続性が必要です。同じ人が定期的に働くことが望ましいことは衆目の一致するところです。いつも担当が替わっていては困るわけです。
また、スタッフに対する支援が必要です。オーストラリアではいろいろなプログラムがあり、スタッフに対していろいろなサポートを与えています。例えば、仕事で燃え尽きてしまった、疲れたというときには、2〜3日休暇を与え、そして、リフレッシュして戻ってこられるようにしています。
また、アメリカで用いられているプログラムでは、別のユニットで働いて、また元の所に戻るという方法で、気持ちを変えることができるようになっています。例えば、家族がスタッフに対して批判をすることがあります。家族が批判したときには、上司がかばってやらなければなりません。あらゆる意味でスタッフに対してサポートすべきだと思います。
結論として、日本は必ずやこのチャレンジを乗り越えていくであろうということ。第2として、スタッフへの支援とケアを忘れないということです。

【紀伊國】そのとおりだと思います。それでは、ベック・フリース先生、おそらくグループ・レジデンスという言葉は経験から生まれたと思いますが、その経験を通した、日本の痴呆性老人に対しての印象をお聞かせいただければと思います。

【ベック・フリース】私も、本シンポジウムではたくさんのことを学びました。そして、本日の講演でも大きな感銘を受けています。これが印象ですが、アドバイスとして、スウェーデンのシステムについて話したいと思います。
60年代のスウェーデンの医療政策は、大病院を建てることに終始しました。
次から次へと大病院を建てたのです。70年代には、大きな病院を建てるだけでは不十分であることが認識され、今度は長期ケアの老人ホームを建てたのです。80年代に入ると、すべての資源がプライマリーケアに対して与えられるようになりました。それはそれなりの結果が生まれてきています。そしていま、90年代、私どもは全体的な物の見方が必要だということが分かりました。スウェーデンにおいては、それを見つけたと思っています。
スウェーデンでは、ただ病院を建てるだけでは不十分だということが理解され、人口は増え、高齢化社会を迎えているにもかかわらず、ベッド数を少なくしました。これは経済的な理由も関係していますが、その代わりとして、デイケア、ナーシングホームを建てたのです。
私どもは、例えば集団リビングのようなプロジェクトも始めました。経費は1か月当たり1人3,000クローネ(日本円で約60,000円)です。残りはすべて税金で賄っています。だから税金が非常に高いのです。
このような経過から、バケーション・ベッドというものをつくることができるようになりました。私たちとしては、痴呆のためのホテルをつくりたいと思っています。例えば、親戚が訪ねてくる、家族が訪ねてくるときに、たとえ1日であったとしても、いっしょに休むことができる。そしてそのホテルに泊まることができればと思っています。
また、コミュニティ・べースの在宅ケアだけでも十分ではない。病院べースのケアを含めた両方が必要なのです。そして、病院の資源を患者の家庭に振り分けることを現在行っています。ホーム・べースの病院ケアということも考えられると思います。
さらに痴呆の場合、彼らを家からデイホスピタルなどに動かすことが難しいケースもあるかとも考えられます。その場合、コミュニティ・べース、あるいは病院に、スタッフが出向くということが考えられます。また、スタッフが訪問をする形でサービスを提供する。例えば、1日に夜2時間程度。病人が移動するのではなく、スタッフが移動するということも1つの方法かもしれません。
われわれの犯した過ちを繰り返さないでください。もっと包括的な形で物事をとらえてください。日本は非常に適合性に優れていますから、われわれの過ちを繰り返さないですむと思います。

【紀伊國】次に、バトラー先生にコメントをいただきたいと思います。先生は日本のリーダーシップセンターなどで日本の高齢者に対するアプローチを熟知しておられます。

【バトラー】私、日本に来るたびにうかがう問題があります。それは、寝たきり老人が増えているか、ということです。現在いる60万人の寝たきり老人が、今世紀末には100万人になるであろうといわれています。大塚、長谷川両先生からうかがいたいのですが、本当にそうなのですか。これほどたくさんの寝たきり老人がいて、寝たきり老人が増えているのですか。増えているとすれば、なぜなのですか。文化的な理由、あるいは医学的な理由があるのでしょうか。

【紀伊國】大塚先生、お願いします。

【大塚】私も精神科医ですから、寝たきりの老人のことまでは分からないのですが、やはり日本のデータでは、いま約60万人といわれています。ただ、原因のなかでいちばん多いのは脳卒中で、次が確か骨折が原因といわれ、必ずしも痴呆が1位を占めているわけではありません。しかし痴呆性老人のなかでも、寝たきりの人が約20%ぐらいはいるのではないか。それが日本の現状です。

【紀伊國】林先生、コメントをお願いします。林先生は、東京都老人総合研究所に勤務され、この問題の専門家でございます。

【林】バトラー先生にひと言申し上げます。寝たきり老人という言葉を、日本では非常にあいまいに使っています。これは行政用語で、実際に調査をすると大半は動いている。だから、寝たきり老人という言葉をもっと正確に振り分けたとしたならば、多分もっと少なくなると思います。
そして、物をつくる、いわゆる物的、技術的な側面でサポートをするという立場からいえば、日本の居住様式の基本である畳は、その上にいると、寝たいという気持ちにさせるのです。日本人は「ごろ寝大好き民族」ではないかという気がします。よって、ごろ寝大好き民族を座らせるためには、かなり人間工学的な、よいいすがなければならない。
私、自分の分身になるようないすをもちなさいという論文を書いたことがあります。すると、全国からいろいろな電話がかかり、「そういういすはどこにありますか、買いたい」といわれる。私が、「いくらぐらいの予算を考えていますか」と聞くと。「1万円ぐらい」という。私は、「1万円ではだめです。20万円ぐらい出さなくては」といいますと、ほとんどの人が、「ああ、これでは買えない」と。日本はいすの文化がないということ。
もう1つ、笑い話ですが、いま国はゴールドプランを実施しており、すべての施設は車いすを買い、ベッドか車いすに座らせる。そうすると、施設のなかがラッシュ並み。どこにも動けず、動かせず、結局ベッドから車いすに移しただけでである。だから、今度は住宅の問題、建物の問題を解決しなければならない。日本はウサギ小屋だとか、いろいろ悪口をいわれていますが、やはり住宅問題、建物問題を解決しなければなにもできないという状況です。物的な側面からみても、これだけ大きな問題があるということですが、これも徐々に解決していくと思います。

【紀伊國】昨年のこのシンポジウムで、「不安なき高齢者ケア」ということで、この問題が、特に寝たきりというのは寝かせきりではないかということでたいへんな議論となりました。そのせいもあって、わが国では、寝たきりの問題については非常に注目を浴びていることは事実です。そういった意味では、これは広範囲な対策が必要だと思いますし、バトラー先生もご存知のとおり、ゴールドプランは寝たきりゼロ作戦ということをうたっていることから、これは方向としては解決の方向がみられつつあると思うわけです。
しかし、どうも痴呆問題については、出口なしというイメージがあります。そういった意味では、今年われわれがこのテーマを選んだということは、すべての人々にこの問題の重要さを理解してもらおうという1つの狙いがあったことは事実です。
笹森さん、わが国においてこの問題は、たいへん難しいことだったのですが、なにかご意見はございませんか。

【笹森】私は分科会は地域ケアのほうだったのですが、そちらからの宿題のような感じで、少し持ち越したことがあります。というのは、昨日厚生省の中村課長さんの講演から、老人医療と福祉計画で、1993年までにはまだ新しいステップを踏み出すということは分かっているのですが、現実の問題として、非常にたくさんのことを海外の方から学びましたし、すばらしいと思いました。
いまご参加の皆さんはほとんど専門職の方だと患いますので、そういう地域でいかに在宅(在宅といっても、日本の場合は、お一人の在宅というよりは、むしろ家庭介護です)で介護する場合に支援するいろいろなサービスが、案外使われていないという現実。これは家族の会のデータですが、ホームヘルパーが12%、デイホームが33%、ショートステイが37%の利用です。
もちろんこれは家族の会以外の人が全部利用しているので、すべて100%利用しているという考えに立てば別ですが、現実の問題として、ぼけ老人テレホン相談という電話相談を9年半ぐらいしています。そこに寄せられる相談のなかで、この病気は非常に家族にとってつらい病気なのです。だから、なるべく人には知られたくない。できれば家族だけで介護したいという方がいるのです。私たちも、家族の会が発足して11年ですから、そういうお考えの方がいまでもいるのか、という気がしないでもないですが、現実はそうなのです。
そうすると、はっきりいって「いいえ、ぼけの方を家庭でお世話するのは、そんなに抱え込んでは絶対不可能です。地域にオープンにして、かき根を取り払えば、介護する人の肩の力も抜ければ、介護の実は上がるんですよ」というのは実に簡単なのです。しかし、私たちはそれはいえないのです。なぜかといえば、自分も家族だからです。この気持ちはやはり無視できない部分があります。
一方、非常にたくさんの情報を求めて、非常に積極的にそういう支援サービスを利用されるグループもあります。だから、一概にはいえないのですが、ただ、どうしていろいろな支援サービスを利用することに躊躇されるのか。それは、ホームヘルパーの場合は絶対なのですが、特にぼけ症状があり、高齢で、配偶者がいる場合、国民性でしょうか、他人を家に入れたくないようです。
お嫁さんや娘さんといった、お世話をしている人が、各種のサービスを利用し、リフレッシュしたいと思っても、「おじいちゃんが反対なものですから、それはどうしても不可能なのです」といわれるケースが案外多いのです。何で家のなかのことを他人に頼まなければいけないのか、嫁がやればいいのではないか、という感覚もあるわけです。家のなかに他人を入れることに抵抗感があるということです。
はっきりいって、私たち介護家族も、支援サービスを権利として利用していくためには、そのような発想の転換をする努力、われわれ家族もそのような努力をしなければ、いかに周囲がいろいろなところで工夫され、整ってきても活かされてはこないのです。家族が抱え込むという気持ち、これはほんとうに分からないことはないのです。本当につらい病気ですから。
先ほども少し述べましたが、元気だったお年寄りの衰えた姿を目の当たりにしなければならないことは、家族にとって非常につらいことなのです。できれば知られたくないのです。電話相談などでも、われわれのように顔を合わせない相談員にはいくらでも話します。しかし、近所の人にだけは絶対知られたくないと話される人が結構いるのです。これは無視できない事実です。そのような人が、地域の支援サービスを利用するためには少し時間がかかる。そのように私たちは考えています。
しかし、われわれも発想の転換をするという努力をしていかなければいけないと思うのです。権利として利用できる。こういう状態になれば、それは権利なのだと。いろいろ問題はあります。手続きが面倒だとか、距離が遠いとか、日程が合わなかったとか、送迎がないとか、いろいろ理由はあるのですが、そのような状態になった場合、権利として利用できるというようになるためには、先ほどから、スタッフの教育とか、いろいろな形で出ていますが、家族としてぜひお願いしたいのは、一般社会の人々に、この病気に対する理解をもってほしいと思うのです。
私たち家族の会では、繰り返し繰り返し啓蒙活動ということで、講演会形式で勉強会を45回も行っています。しかしそうはいっても、延べ人数でせいぜい1万人ぐらいなものだと思います。微々たる人にしかご参加いただいていないと思います。
なぜ教育が必要かといえば、家族とすれば、地域の方に好奇の目でみられたとか、笑われたとか、そのようなことがあると非常に気持ちがなえてしまうのです。だから、ぜひ理解をもっていただくための教育を非常に望むわけです。
なかには電話などで、会員の方もそうですが、うちは何とか家族で頑張りますので、そういう支援サービスはうちには少しなじまないのです、といわれる人が案外おられるのです。これは1つの例ですが、ショートステイの利用にあたって、「うちのおじいちゃんなんか絶対だめです」と話されていた人が、どうしても必要に迫られて利用された。そうしたら、うちでは本当にワンマンであった人が、非常にこまめに周囲の人のお世話を生き生きとしている。うちでは知らなかった父の一面をみました、と話された。この例からも分かるように、「うちではなじまない」といった理由で利用しないことが多いのです。ここでお願いしたいのは、情報がなかなか家族には適切に届いていないのです。
私の場合、東京都ですが、都ではいろいろなパンフレットを出しています。
こういうものもある、ああいうものもある。電話相談を利用される方に、こういうものをご存知でしょうかと聞くと、最近はかなり知っている人も増えてはいますが、総体的に知らない人のほうが多い。忙しいと、文字になっているものは確かにみるが、全部抜けてしまうのです。ところが、われわれのような電話相談の場合は、1対1のため、「ちょっと待ってください。メモを取りますから」という形で、利用に結びつくということもあります。情報が正確に入るような配慮も大事になってくるのではないかと思います。
家族で頑張りますから、支援サービスはいらないというのではなく、家族で頑張るからこそ、支援サービスを利用することで、世話をされる方がゆとりをもって、よい世話をする。ゆとりがなければ、家族というのは、いま1時間、今日1日、何事もなく無事に過ごせればよいというような気持ちになってしまうのです。
例えば、よいケアということに対しては家族の会員も非常に勉強しています。しかし、そのような対応をしようという気持ちのゆとりがないのです。よいケア、その対応をしようと思うならば、どうしてもある程度そういう支援サービスを利用して、体と気持ちのゆとりをつくらなければなりません。
そのためには、できる限りだくさんの支援サービスが必要とされ、またそれを積極的に利用するという家族側の発想の転換努力も必要ではないかと思うわけです。

【紀伊國】ありがとうございました。実態はいまお話にあったようなものと思っていますが、長谷川先生、おそらくそのような患者さんおよび家族の方からの相談をたくさん受けておられると患いますが、お考えをお聞かせいただけますか。

【長谷川】私、この機会に3つの点を申し上げたい。いま、笹森さんがお話しになりましたが、痴呆患者対策は、介護者の介護である。メイス先生も話されましたが、介護職の人をいかにサポートするか。私たちの大学では、アルツハイマー型の痴呆を対象としたデイケアを行っていますが、家族もきていただいて、ワンサイド・ミラーからみていただく。初めて家族は、自分の親たちを客観的にみることができるわけです。
彼らはゆとりのある介護ができないような状態になっているわけですが、いろいろな相談を受けますが、外来診療では時間がなくて非常に難しい。しかし、デイケアの場合は、ほとんど1日、患者さんも家族もきていることから、そこで十分なカウンセリングをすることができる。痴呆患者対策として、デイケアは非常に大きな武器であろうと思います。
2番目ですが、今回のシンポジウムは痴呆性老人のケアです。しかし、1つ忘れてはならないのは、痴呆の原因を解明して、ことにアルツハイマー型老年痴呆の病気原因を解明して、有効な治療法を開発するということだと思います。私は日常、アルツハイマー病を伴う患者の家族を診療していますが、なに1つとして有効薬がない。非常にフラストレイトです。
諸外国、ことにアメリカは深刻な経済不況にもかかわらず、アルツハイマー型老年痴呆に対して315億円を投じています。日本の政府はその1割にも及ばない。しかし、アメリカは近い将来、その研究の成果を発表するに違いない。画期的な成果が上がるだろうと私は予言できる。
ウイリアムズ先生もいわれましたように、基礎研究の成果が上がり、病気の進行を5年間遅らせることができたら、ケアをする家族にとってもたいへんな福音になります。日本船舶振興会は7月末に北米福祉事情調査団を構成し、アルツハイマー協会等を訪ねました。アルツハイマー協会は家族会が本質なのですが、リサーチ、研究に資金を投入しています。これは先ほど大塚先生も発表になりましたが、この研究費投入、そして有効な治療薬を開発するという努力はどうしても続けなければならないと思います。
3番目は、痴呆性老人のケアは、単に外から評価するだけでなく、お年寄りの内面、心を理解しようとするアプローチがたいせっだと思います。生きることと老いることとは同一のものです。老いることとぼけていくことの明確な境界はないといっていい。しかも、痴呆問題は他人に起こる不幸なイベントではなく、自分の将来にも可能性としてあるといえます。なによりも、老いるとはなにかという理念を一人ひとりがもつこと。これが痴呆性老人のケアとその尊厳性を考えるうえでたいせつなことだと思います。
要するに痴呆問題は、高齢化社会にあっては、私たち一人ひとりの問題である。こうした共通の考えをもってこのようなシンポジウムが開かれたわけで、これに関しては、主催された日本船舶振興会、笹川医学医療研究財団、並びに讀賣新聞社の関係各位にたいへん感謝申し上げます。こうした国際間の共通の話題として意見を交換しながら、これからも勉強していかなければならないと考えるしだいです。

【紀伊國】長谷川先生にこのシンポジウムが狙いとしていることを総括していただいた形です。ありがとうございました。笹森さんのお話のなかに、痴呆というのは恥ではないかという話がありました。メイス先生の『サーティシックス・アワー・デイ』の翻訳のなかにも、セナイル・デメンチアという「セナイル」という言葉はやめようではないか、デメンチアとだけ呼ぼうではないか、というようなことがありました。いまのその点に関して、アメリカにおける経験を含め、我々の心を打つ笹森さんの発表に対してのリアクションをお受けしたいと思います。

【メイス】笹森さんのご発言を受けてということですが、家族が痴呆性老人を抱えていることを恥と思う。そして、恥ずかしさから地域社会の介護を受けないということは、なにも日本の文化に限られたことではなく、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、そしてヨーロッパ諸国でも同様です。
これは文化の差異ではないといえると思います。どの国でも多くの家族が、このようなことが家族に降りかかってしまったことを恥と思う。だれにも知られたくないと思っている。そしてその恥ずかしさから、在宅ケア、ショートステイのプログラムというサービスを受けたがらないという傾向があると思います。
私は、アメリカの東海岸から日本にくるときに、実は西海岸のある町で家族向けの講演をしてくれといわれました。そのとき家族の方々に訴えたのは、レスパイトケア、家族のための一時休息のケアをぜひ使ってくださいということです。
アメリカのアルツハイマー協会は、世界的な模範となっています。家族の方々に情報を提供して、そしてその恥ずかしさを取り除くうえでもたいへんよい広報活動をしていると思います。アメリカのアルツハイマー協会がそのために行ってきた活動は、日本では、文化の差異がありますが、日本でも十分活用できるものではないかと思います。
もう1つ、メディアもたいへん重要な役割を果たしています。どの国でもメディア、放送媒体、活字媒体がアルツハイマー病について取り上げています。そしてその結果、人々の関心を喚起して、そういった恥ずかしさを取り除くことができたという経緯があったと思います。それゆえ、メディアの方々も多くの国で家族の恥を取り除く役割を果たしてくれていると思います。
この5年間、私どもはデイケアのプログラムについて、そしてなぜ家族がそれを利用することを躊躇するのかを研究してきました。その結果、いろいろな報告書、調査結果が出版されています。どのようにしたら家族がそういったサービスを快く受け入れてくれるようになるのか、そういうことが書かれています。
アメリカでは、サポート・グループというのがあります。つまり、家族のいくつかがグループを形成し、お互いにサポートを与え合う。心理的なサポートをし合うというものです。こういった会合に出ることを最初は躊躇されるのですが、いったん出席して、ほかにもそのような家族がいるということが分かると、サービスを容易に受け入れるようになります。
どの国でも家族は、制度に対して、政府に対して、いちばん批判的です。家族がいろいろな地域社会のサービス、リソースを利用しない1つの理由は、やはり介護している側の家族は、疲れていて、たいへん気落ちしているときには、新しいサービスを探しに行こうなどという気力はないものです。だから、いったん外に出てもらい、外の世界をみてもらい、落ち込んでいる状態から引きずり出すことができれば、立ち直らせることができる。いろいろなサービスを利用してもらうことができると思います。
よく私がアメリカの家族にいうことは、痴呆性老人は、その後ずっと家のなかで過ごさなければならない。しかし、例えばあなたの例を取ってみましょう。あなたは自分のお嫁さんといっしょに、一生家のなかで過ごしたいですか、外に出たくありませんか、と問いかけてみることがあります。

【紀伊國】外山先生が、日本とスウェーデンの老人の生活パターン、特に日本では家族といっしょに過ごしていると話されました。しかし、この問題はベック・フリース先生のスウェーデンでも同じような問題があるのではないかと思うわけです。それに対してどのような対処策があるのか。あるいは、そのほかのことでもコメントがあればお願いいたします。

【ベック・フリース】スウェーデンの女性の86%が仕事をもち、社会進出をしています。これは、痴呆性老人の介護という意味では非常に問題となります。つまり、家のなかに娘がいないということです。
スウェーデンの国民は、かなり高額の税金を払っていますので、当然の権利として、地域社会、各郡の議会などのサービスを受け取れるものと考えているわけです。それを当然の権利として期待しているわけです。
30年ほど前でしょうか、ある家族と出会いましたが、娘が仕事を家でしていたのですが、いまでは家で仕事をする女性は少なくなり、一方で夫のほうが両親の世話をするということが増えてきていると思います。いまは配偶者が面倒をみるということが増えてきていると思います。スウェーデンの男性配偶者は、ほかのアルツハイマー協会の会員の家族と話をすることで、かなり心が和むといいます。
スウェーデンの65〜75歳ぐらいの老人はまだまだしっかりしています。65〜75歳になって、初めて自主的にボランティアで活動したいと考える人も多いのです。
世界のどこでも同じだと思いますが、スウェーデンの多くは、家族に痴呆性老人が出ると、それを恥と考える、恥ずかしいと考える人が多い。心臓発作やインフルエンザは、当然だれでもかかるものということで、だれもあまり恥ずかしいと思いませんが、痴呆症の場合には介護にかなり時間がかかるということも、その問題の1つになっていると思います。
1950年代、リタ・ヘイワーズというたいへん有名な女優がいました。スウェーデンでもとても有名な女優で、人気がありました。1980年代の初期に彼女がアルツハイマー型の痴呆症にかかったということが発覚した。そして、大統領自身がヘイワーズさんが痴呆症にかかったということを発表し、その結果、アルツハイマー型の痴呆症に関する意識が高揚されたということがありました。
私は、まさにこのシンポジウムでも同じことがいえるのではないかと思います。日本船舶振興会ならびに笹川医学医療研究財団から、このアルツハイマー型の痴呆症という病気について、そのプロフィールなどを広く一般に認識させるような広報活動を行い、家族の恥ずかしいという気持ちを取り除くことが重要だろうと思います。

【紀伊國】イギリスではどうですか。

【フライ】メイス先生がお話しになったことを補足することになりますが、やはり一般の方々だけではなく、医学界にも教育・啓蒙が必要だと思います。というのは、これは比較的最近知られるようになった病気です。この2日間で私は痴呆性老人についていろいろなことを学びましたが、イギリスに帰れば、イギリスの私の同僚は私よりもさらに知識が少ない、まだまだ勉強が足りない人が多いと思います。メイス先生も話されたとおり、日本では日本船舶振興会ならびに笹川医学医療研究財団がいろいろな分野で率先して、さまざまな広報活動を行っているとうかがいましたが、一般の方々に教育・啓蒙活動を行う前に、医者とか、あるいは医学界の人々にもう少し教育・啓蒙活動を行ったほうがよいかもしれないと思います。

【紀伊國】私は医学部で教えていますから、たいへん責任を感じています。
トゥラシュケ会長、メイス先生が笹森さんの問題提起に対してコメントされたわけですが、日本の家族の立場ということをお聞きになり、なにかコメントがありますか。

【トゥラシュケ】私、先ほどからこのパネリストのコメントを聞いており、アルツハイマー協会が非常にすばらしい活動をしたということにたいへん誇りをもっているということを申し上げたいと思います。
私、日本の人たちにアドバイスをしたり、また政府に対してアドバイスをするようなことはしませんが、このテーマ、すなわち「痴呆性老人の介護と人間の尊厳」ということはたいへん大事だと思います。人間の尊厳、これはその原因と治療が見つかったときに、明確な結論を得ることができると、長谷川先生がお話しになりました。アメリカでは相当巨額の投資が行われていますので、この複雑な病気の原因もいまに解明されるであろうと思います。
しかし、それはさておき、この2日間、いろいろな討議が行われてきましたが、その原因、治療対策が確立されるまでは、どのように介護をするかということを考えていかなければならないと思います。
これまでいわれたことの繰り返しになりますが、2つのことを申し上げたいと思います。
アメリカではやはり教育・啓蒙活動に対して相当額の資金を使っています。
アルツハイマー協会においてもそうです。やはり教育・啓蒙活動がたいへん重要だということです。すなわち、アルツハイマー病の原因について、いろいろなことが考えられています。
2週間前ですか、バスケットボールのマジック・ジョンソンが、スターであるにもかかわらず、エイズになったということで、このエイズはだれでもかかるのだということを発表いたしました。エイズに関する恥ずかしさというものを払拭するのに、彼の発表が役に立ったと思います。同じことがアルツハイマー病にいえるのではないか。
また、家族や病人に対するサービスですが、すばらしい事例を今回のシンポジウムで聞かせていただきました。私としては、どのようなベストの形で資源を有効利用して、よいサービスを提供できるかということを討議しましたが、すべて大事なことがいわれたと思います。
しかし、すべての国で共通の問題は、一般の人たちが自分たちでボランティアサービスをするということだと思います。これはアメリカの現象ではない。
すべての国において、全世界の人たちが、何らかの形でほかの人たちの助けになりたい、ボランティアになりたいと考えていると思います。すなわち、時間を割く、エネルギーを割く、努力を割くという形で、ボランティアとしてほかの人たちに対して手伝いをしようと思っています。これが最終的には政治的な行動にまでなり、現状が改善されることを期待したいと思います。一人ひとりがどのように貢献すればよいのかを考えていただきたいと思います。
最後になりますが、10年前、私どもがこのアルツハイマー協会をつくったときには、これだけの会議をしても、これに対応する人はいまの10分の1ぐらいしかいなかったと思います。これだけの人たちがアルツハイマー病に対して出席して興味を示すということは、すばらしいことです。主催者各位に対して心からお祝いを申し上げたいと思います。

【紀伊國】励ましをありがとうございました。バトラー先生コメントをお願いいたします。

【バトラー】物の見方についてお話をしたいと思いますが、これは第2回のシンポジウムであり、「痴呆性老人の介護と人間の尊厳」ということで、先ほどたいへんすばらしい発言がトゥラシュケ先生からあったと思います。
また、いま現在、このアルツハイマー病について、多くの経験が分かち得られたと思います。いろいろな違いがあったとしても、共通点が非常に多いということで、多くのことを学ぶことができたと思います。
この2日間、トゥラシュケ会長からすばらしい発表がありましたが、やはりこの病気に対し結論を得るというか、研究開発によりましてその原因を探ることがたいへん大事だと思います。
また、人間としての直接のサービス提供ということも考えていかなければなりません。尊厳といったときには、自分に対して自分で意思決定をする権限をもたせることだと思います。次に、少し将来について、21世紀について話をしてみたいと思います。
21世紀は、これまで前例のないほど、多くの高齢者人口が増えるといわれています。これまで、痴呆という非常に大きな問題について扱ってきましたが、将来を考えるときに、過半数の人たち、95%までの人たちは、非常に建設的な人生を歩んでいるのだということを忘れないでいただきたい。健康な老人のほうが多いのだということも忘れないでいただきたいと思います。
私、多くの国を訪問していますが、3つの問題があることが分かりました。
第1が、介護の負担、コストの負担。第2は、もしかしたら高齢化によって生産性が落ち込むのではないかというおそれ。第3として、世代間の紛争があるのではないかという考え。この3つの問題について、すべてが対応していかなければいけないと思います。これは世界共通だと思います。
これまでのような福祉国家をつくるということは、これからは変わっていくだろうと思います。というのは、経済も劇的に変化してきています。そのような観点から、私はスウェーデン、デンマークの人たちからご意見をうかがいたいと思います。福祉国家が変遷していくということです。
現在のところ、私どもは社会的な保護ということを考えています。すなわち、政府だけではない、5段階による保護が必要だと思います。個人としてそれぞれ責任をもたなければいけない。家族として責任をもたなければいけない。地域社会として、先ほどボランティアが必要だということをいわれましたが、そして経済的な企業としての責任、労働組合の責任もあります。そして最終的に政府と、5段階の保護が必要だということがいわれています。
数年前でしたか、紀伊國先生と、笹川医学医療研究財団のおかげで、ニューヨークで大きな会議をもち、その結果を本として近々発行することになりました。『私の老年期にだれが責任を持つか』という本が出されることになっています。これは社会的な保護をだれが与えるかということを調べたものです。
歴史的な変遷が社会福祉国家にもあります。それだけではありません。歴史的な変遷がヘルスケア・システムにも起こっています。すべての国でヘルスケア・システムが変わろうとしています。プライマリーケアについては、フライ先生がたいへん重要であるということを話されましたが、プライマリーヘルスケア、そのほかにも大きな変化がみられます。
しかし、この2日間でほとんどいわれなかったことがあると思います。少しはいわれましたが。それは、ケアの継続的な展望です。家庭でのサービスだけではない、施設でのサービスだけではない、その中間にあるもの。すなわち、社会のケア。また、社会から家族に対するケアです。
例えば、家族が非常に歴史的な変遷をきたしているということです。スウェーデンの女性の80%以上が社会進出をしている。日本では40%です。しかも、日本の女性の社会進出はさらに高くなるとされている。そうすると、要介護老人を抱えた家族はどのようにして休息を取るのか。施設に入れるのか。
それとも、家庭サービスを与えるべきなのか。また、経済の規模を利用することができるのか。新しい形でのコミュニティファミリー・サービスセンターというものをつくればどうか。
子供たちが、高齢者の面倒をみるということで、既存の建物を使う。なにも新しいものをつくらなくてもいい。アメリカでは、大きな記念碑的なものを建てることがはやりましたが、そんなものはいらないと思います。病気の予防とか、リハビリテーションとか、プライマリーケアも全部含めて与えるようなものをつくってはどうか。そのときも、家族のボランティアを使ってもらいたいと思います。
やはり経済的な状態も変わってきています。いま、不況にある国もたくさんある。不況になると、このような福祉が後退することから、21世紀を踏まえて、私の提言を考えていただきたいと思います。
そして、より大きな環境を概念化していくことが必要だと思います。社会的、個人的、そしてまた物理的な環境も考えていただきたいと思います。そのためには原則が必要だと思います。原則を導入しなければいけない。自立の原則、これは患者の自立もあります。そして家族の保護。
また、知識が必要だと思います。例えば、フライ先生も話されたように、医師に対する教育、プライバシーの保護の問題、新しい発明を使う。例えば、センサーとかロボットを使うということで、介護をよりよくする。このような機器を使うことによって、人間が介護の場から少し解放されることもあるかもしれません。
さらに、アメリカの現象といえるかもしれないが、アドバンスト・ディレクティブを導入してはどうか。すなわち、自分の将来に対して自分で意思決定をするということ。自分の死に方などについて、自分で明確に指示をすることができるような環境。アメリカは少し早い形で討議されていますが、近い将来そのようなことが導入されるようになるだろうと思います。もしかしたら、これに対するシンポジウムが開催されてもよいかもしれません。自分の死に方について討議をするということです。
また、ベック・フリース先生が話されましたが、スウェーデンで政府が政権交代しました。最もよい社会的な保護を取っておきながら、マルチソースということで、なにも政府だけではなく、民間にもこの福祉の問題が導入されるようになるかもしれないということをいわれました。これも考えていただきたいと思います。

【ベック・フリース】少しコメントさせていただきたいのですが、スウェーデンにおいて、近い将来、混合システムに入っていくのではないかと思われます。
例えば、現在、州がヘルスケアに対しては責任をもっているわけですが、州の議会だけが責任をもつというのではなく、民間の人たちにもヘルスケアに参入してもらうようになります。したがって、民営のナーシングホームが導入されるという形の混合経済形態が取られることになるだろうと思います。
もう1つ、倫理の問題を討議しています。どこに優先順位を与えるかということです。超高齢者に対して、なにを優先に考えるかということで、どのような形で末期にある、しかも重篤な形にある病人に対して、どれだけのケアを与えるか。すなわち、これまでは延命だけを考えてきたわけですが、しかし、この人は末期にある、どうしても助けられない、しかも超高齢者であるという事実をどのように受け止めてこれに対応していくかということも、現在討議されていることです。

【紀伊國】バトラー先生が大きな意味で高齢者についての環境を考えるべきであるということでしたが、私もたいへん必要だと思います。それは物理的環境ばかりではなく、もちろん物理的環境も重要だと思います。

【林】高齢化社会というのは、福祉・医療・保健、三者一体という言葉を至る所でいいますが、日本ではそのなかに住宅というものが欠けている。住宅というのは生活の原型です。住宅がよければ、施設もよくなります。いままでの話のなかで、デンマークでも、スウェーデンでも、施設は住宅であると話されています。いかにしてその人のいままでの生活の環境を再現するか。それが痴呆性老人にとって重要なことなのですが、日本については、特に特別養護老人ホームのなかで個室化を叫ばれても、いろいろな障害があります。
私がここで1つこの場を借りて大きな声でいいたいのは、もっと職員を増していただきたいと思うのです。実際にいま、日本はいろいろな意味でよい方向に動いています。いわゆる物的環境条件をよくするというのは、ただ物をよくするのではなく、そこに合う質の高い生活があってこそ、その物は生かされることであることを、心のなかにとめていただきたい。
いまなにをすべきかというと、われわれは行動しなければいけないのではないか。
そして、価値観を変えていく。価値観を変えていくには、もっと発言する。
さらに、ゆとりのある介護というのは、世話をする人がゆとりをもたなければならない。家族やボランティアも巻き込んでいかなければいけない。
だとすれば、物的環境条件というのはどうすればよいか。そのためには、やはり規模を小さくする。勇気をもって、スウェーデンのベック・フリース先生も話されたような、グループ住宅を試していただきたいと思います。体験をしないと、そのよさが分からないと思います。どこかにモデルをつくり、理想的な実態をつくっていく。そういうことをぜひ進めていければと思っています。

【大塚】私もこのシンポジウムでいろいろなご意見を聞き、たいへん参考になりました。ただ、日本でもサービスをするメニューが相当そろってきたのではないかと思っています。ただ、システムが明確にできていないということ、うまく動かす人がいないということ、それぞれの職種の人が自分の領域のことは分かるが、周りのことが分からない。例えば、医師は診断・治療技術は分かるが、いま、痴呆性老人のためにどのようなサービスがあるかということは知らない。各職種が自分の務めをすると同時に、もう1つは広い視野で全体をながめられる余裕がないとうまくいかないのではないか。
そういった意味で、保健も医療も福祉も、これからは市町村単位で動くと思いますが、そのときに、先ほどもご意見がありましたが、包括的なケアができるような仕組みを早く日本でも学び取り、実現できればと思っています。

【紀伊國】残念ながらこのパネルディスカッションを閉じなければならない時間になりました。皆さま方の熱心な参加によって、この2日間の会議が無事に、そして実り多く終えることができますことを感謝申し上げ、このパネルディスカッションを終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。





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