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高齢者ケア国際シンポジウム
第2回(1991年) 痴呆性老人の介護と人間の尊厳


分科会I 分科会報告  「痴呆性老人ケアの実際」

聖マリアンナ医科大学神経精神科教授
長谷川和夫



第1分科会は、「痴呆性老人ケアの実際」というテーマで、最初に大分県宇佐ナーシングホームの雨宮克彦先生に発表願った。先生は、非常に短い期間にナーシングホームで痴呆性老人のケアを体験され、現在は、いろいろな施設をつくり、総長として活躍しておられる。先生は、痴呆性老人のケアに対する1つの基本的な理念を立てられている。
第1に、痴呆の診断を明確にする。第2に、痴呆の行動の障害として、いろいろなことが起こってくるが、それを病的な異常というより日常生活の障害ととらえる。第3に、さまざまな問題行動が起こった場合、行動のなかに潜んでいる目的を探し出し、その対応に努める。第4に、身体拘束や行動の抑制をしない。これは人間の尊厳性を守る意味もある。
ケアの具体的なことでもう1つ非常に感銘を受けたことに、痴呆のお年寄りがつくる虚構の世界に対する考え方がある。例えば、過去の生活がまだ現実に続いているように思い、自分はまだ校長先生をしていると考えたりする。そういう虚構の世界を認め、そのなかで、感性豊かな生活がどの程度できるかということを開発していくことがケアである、と述べられた。
痴呆のお年寄りはもの忘れが非常にひどいために、身近な人と暮らしていても、その人が認知できないことがあり、たいへん強い不安感をもっている。そのために1人にすることを避け、だれかといっしょに、あるいは介護者と長時間いっしょに過ごすことが大切であると述べられた。
また、自分の部屋の色を変えたり、廊下の色を変えたりして、いろいろな工夫がなされているのが分かった。お年寄りは、おとなしい色よりピンクや赤といったはっきりした色のほうが認知できやすい。スタッフの方々も私服であるが、カラフルな服のほうが非常に喜ばれるということである。
食器なども陶器を使うようにする。陶器を使って、壊すのは職員であり、痴呆のお年寄りは壊さない。どんぶりを使うと1杯しか食べないという感じであるが、普通のお茶わんを使い、何回もおかわりすることによって、満腹した、たくさん食べたという感じが得られるような工夫をしている。
前述のとおり、痴呆のお年寄りは、虚構の世界のなかに安住している。それを壊さずに、むしろドラマとみなし、ケアの1つの方法にする。それには3つの条件がある。1つは舞台をつくるということ。2つ目にシナリオをつくる。患者さんの生まれた場所がどこで、どういう時代背景があったか、どのような生活歴をもっていま現在に至っているか、など時代考証までを研究してケアをする。3つ目として、スタッフはわき役に徹し、主役である患者さんがのびのびと演技できるように努め、患者さんの予想外の演技やセリフにアドリブで応じる演技力を身につける必要がある、ということである。
また、1つの非常に興味のある例を挙げられた。食事をしない痴呆性老人が出てきた。施設で出した食事には手をつけない。よくみていると、どうもただで食べるのが申しわけないと考えているのではないかと感じ、あるときその老人の財布のなかに職員が百円玉を入れておき、お金をみせてから食事に誘うと食堂へ行き食事を食べ、値段を聞きお釣りのやりとりがあった。結局、ごはんを食べたり、お風呂に入るのも、すべてお金を払うということになると問題がないと分かった。次に、1万円札や千円札をコピーし、にせ札のようなものをつくって財布に入れたのである。老人は、1万円札をほかのお年寄りにも配って歩くためすぐなくなってしまう。そのため職員は、にせ札づくりに精励しているということである。痴呆性老人のケアに「にせ札づくり」をするというのは初めて聞く話であるが、ドラマ性というか、1つのユニークなケアの試みではないか、と思われる。
また、痴呆のお年寄りに対して一般的に生活療法的な取組み方をされており、そのために作業療法士が必要であるため、今後、厚生省などにも検討願いたいということであった。
しかし、なによりも大切なことは、脳血管性痴呆の場合はこのようなケアができないということである。アルツハイマー型老年痴呆は、虚構性の世界を築き上げるが、脳血管性痴呆はいわゆるまだら痴呆であって、退行的なことはせず、むしろ理屈をいい個別的である。例えばお手洗いに行く場合も、アルツハイマー型老年痴呆の老人は何人かいっしょに行動することができるが、脳血管性痴呆の場合は1人ひとり連れて行かなければならない。ドラマなどのアプローチも、脳血管性痴呆には無効である。したがって、痴呆の診断とともに、脳血管性痴呆かアルツハイマー型老年痴呆かの鑑別診断が非常に重要である。
これに関しては、ベック・フリース先生も仮性痴呆やうつ病といったケースもあるため、はっきりした診断をすることが大切だということを述べられた。
さらに雨宮先生は、在宅ケア事業を1989年から始められた。これは、ナーシングホームを中心として始められ、例えば小学校、託児所、保健所、あるいは個人の家等を利用してサテライトをつくり、そこで老人のいろいろな相談、あるいはデイケア的なことを実施されている。先生はご自身の保健所勤務経験を生かし、その当時のシステムを導入されたのである。それによってデイケアを遠い施設に通わずとも、自宅近くの公民館等という非常に近接した場所で受けられることになった。
しかし、ケアの専門性が欠けやすいという弱点がある。これを非常に明確に指摘され、それを補うために、サテライトの介護者の方々に、親施設のほうでいろいろなことを指導しトレーニングしている、ということを述べられた。
このように、在宅ケアまで手を伸ばす形をとっているということで非常に感心したわけである。やはり老人施設というのは、ほかの方々に比べて、ケアに関してのプロフェッショナルであるため、そういう点で在宅ケアにまで手を伸ばす形というのは、職員の数の問題もあるが、非常に大切なことだと思われる。
さらに先生は、これら痴呆老人のケアということを踏まえて、その地域における文化づくりということまで考えられており、非常に多くの人が感銘を受けたしだいである。
次に、エーゲルソン先生がカナダのベイクレストセンターにおける体験を述べられた。アルツハイマー型老年痴呆の老人の場合、かなり高度に認知機能が障害されても、感情の機能、あるいは社交性というか社会的なものが残っており、それらを非常に尊重してケアを続けていくということであった。
またフライ先生は、イギリスのジェネラル・プラクティショナーの方であるが、その経験から述べられた。
ベック・フリース先生、ハウェルスレウ先生は、スウェーデン、デンマークにおける会合、ことにグループ・リビングについて述べられた。
またメイス先生は、安全な環境をつくっていくということが非常に大切であると強調され、行動の背景にどのようなことがあるかということをしっかりと見つけてケアをしていく、ということを述べられた。
鎌田先生は、老人研の看護室の主任研究員であるが、痴呆のお年寄りが残存能力を開発して、人間らしい生活をするためにはどうすればよいかを話された。ことに、ふさわしい環境づくりということを強調された。その環境としては、物理的な環境、心理的な環境、社会的な環境があるが、鎌田先生も、「愛染かつら」を例にとり、痴呆性老人を含めた方々が、サイコドラマとまではいえないが、そのようなドラマを演じることによって、感性を刺激すると述べられた。
午後のディスカッションでは、実に多数の質問があった。例えば個室がよいか複数個室がよいかという問題に関して、原則としては個室がよいということであった。また特別養護老人ホームでいつも問題になる、身体拘束や鍵のついた部屋の問題が議論された。これも、介護者の人数が限られている点ではやむを得ない点もあると思われる。しかし、現在の日本では精神保健法があり、拘束することは特別養護老人ホームではできないことになっている点が非常に問題であり、工夫が必要となる。メイス先生もこれは非常に困難な問題であると話された。
また、デンマークの例であるが、デンマークでは施設と在宅は、ほとんど同じであるということであった。違いは、施設には24時間のケアがついているという点で、それ以外はまったく自分の家にいる状態と同じである。つまり、いつ、だれがきてもかまわない、場合によっては泊まってもよい、そこで食事をしてもよい、というように解放されているという話をうかがった。要するに、安心して生活ができるのである。
また、ターミナルに近い場合、ある時期、医学的な治療などをすべてストップしケアだけになるが、だれがどのようにしてその時期を決めるのかという質問があった。その場合、北欧では、非常に患者さんとスタッフが親密な関係にあり、患者さんからの決定権や親族からの了解等に対して非常に緊密な連絡が取られているということである。
また、雨宮先生のドラマづくりという方法は非常によいと思うが、認知機能に重い障害を受けたお年寄りにドラマを要求するのは非常に難しい点があるのではないかという質問もあった。これはドラマといっても、サイコドラマのような厳密なものではなく、桃太郎の話など昔からある「おとぎ話」のようなものが題材であるということである。
最終的に、先生方に痴呆性老人のケアにおいて最も重要なことはなにかということを述べてください、とたいへん失礼なことを申し上げた。いま反省しきりであるが、二、三、ご紹介させていただく。
夕ーミナルに近い痴呆性老人の生活行動は、認知機能の障害があるために周りからみるとまちがっていることのように思われるが、実際は健康な行動をしようとしているのであり、それを理解しなければいけない、という話があった。
また、グループ・リビングが重要であり、デイケアのみをつくる、あるいはある単一な施設だけを固執してつくるのではなく、いろいろな施設をつくっていくことが非常に大切であり、あれかこれかではなくあれもこれも必要であるとの意見があった。しかし、逆に個別性を尊重すべきだという意見もあった。
たくさんのご質問があったが、一部しか答えることができず非常に残念であった。しかし、活発な議論が行われ、短い時間ではあったがたいへん有意義な時間であった。





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