本稿は、カナダ政府ならびにオンタリオ州政府の資金援助を受けて行った2つのプロジェクトにおいて得られた経験を基に記すものである。これらのプロジェクトは、ユダヤ人老人ホームの特別ケア・ユニットで5年にわたって実施された。このユニットは、回復不能の脳損傷による重度の認識障害をもつ入居者86名を介護していおり、入居者は、損傷が原因で、混乱し、もの忘れ、失見当識に陥り、会話や理解が著しく困難となり、言葉や機能の著しい喪失がみられる者である。平均年齢は84.7歳で、その大半はアルツハイマー型老年痴呆や関連障害、または多発梗塞性痴呆にかかっている。
このような精神障害をもつ入居者の機能を最大限に活かすためのケア環境づくりについては、拙著『Institutional Care of the Mentally Impaired Elderly』に述べており、本書の日本語版は長谷川和夫博士、浅野ひとし教授の訳で、川島書店から出版されている。
特別ケア・ユニットの入居者は精神障害とともにほとんどの場合疾患を伴い、多岐にわたる身体障害をかかえている。車椅子の利用者が多く、正常歩行者はほとんどいない状態であり、なかには食事や着替え、排便等ができず、日常生活の自己管理が不可能な人もいる。また先見当、夜間譫忘、幻覚・妄想、失行等の精神障害を伴っている人が多い。このようにほぼ全員が身体的、社会的、感情的な介護なしには生きていけず、各自のニーズに合わせた保護環境下での生活となっている。
たとえば、極度の攻撃性や不安を示す人、徘徊を繰り返す人、セーターのボタンを引っぱり、大声で数えている人、また、呼吸をするたびに「オイ、オイ」と無意識に繰り返す人、腹を立ててテーブルを拳でたたく人などさまざまである。ある男性は、小さなつまらない物を集めるのが好きで、他人の引き出しから取ってきて自分のポケットに入れてしまう。別の女性は、1日中うつむいていて、食事以外は動こうとはしない。
精神障害者が最も介護しにくい入居者であると施設が考えるのは不思議ではない。着替え、入浴、食事などといった日常の生活において個々の入居者の協力をどのように得るか、これを会得するのは挑戦であり、戦いともいえるのである。しかし、入居者一人ひとりに合ったケアを行う方法は存在し、またスタッフが提供するケアを入居者が受け入れる方法を見つけるように手助けもできる。鍵となるのは、感情的ニーズを見分けるにあたって、入居者の気持ちに注意を払うことである。
1.障害者の内部で働く能力
認識障害者はもの忘れがひどく、ほぼ完全に他人に依存しているにもかかわらず、社会的、感情的ニーズは残っている。障害者の内部で作用し得る能力は以下に示すとおりである。
?@完全な感情能力:恐れ、喜び、興奮、誇り、心配、悲しみ、恥、同情は身についているが、その発現は必ずしも理解されない。
?A環境を意識することと環境内の変化に対する反応はあるが、特定の出来事を必ずしも正確にまたは完全に理解しているわけではない。
?B社交的(他人に関心を示す能力)である。
?C社交技術は重度の認知障害を伴っていても保たれている。生涯を通じて反復学習しているため、行動に組み込まれており、こんにちは、さようなら、よろしく、おめでとう等の言葉を適切な状況で用いることができる。
?Dコミュニケーション方法は、言語能力が欠如している場合には、視線、姿勢、ジェスチャーを用いる、声の感情的性質を変える、言葉を発するときの感情を交える等のボディランゲージを通じて自分だけの独自のスタイルをもっている。
?E一貫した理論を使う能力は、個人の行動が不合理にみえる場合は、容易には表面化しない。環境を誤って理解する傾向を考えると、不合理や的外れにみえる行動も、障害者の認知とまったく論理的につながり得るのである。
2.行動の意味は理解できるのか
精神障害をもつ入居者の行動や感情を理解したり、彼らの経験した世界を知ろうとする努力により、ケアの場で彼らが欲することを理解し、能力の及ぶ限り機能させ得るようになった。彼らの目を通じて経験しようとしたことにより、プログラム、食事、日常のケアといった活動と活動との間には明確な時間の区分がなくなっていることが判明した。そしてそのなかにおいて唯一存在しているのは、理解し、対処しようと必死に努力している不安一杯の環境であった。このような経験から、私たちは彼らの恐怖に耳を傾け始めたのである。
言葉を使って質問したり話ができる者はほとんどいないことから、私たちは彼らの行動から、なにを必要とし、なにを欲しているのかを察しなければならなかった。その行動が示す信号や行動が身近な環境で起きた事件にいかに反応しているかが分かるようになると、私たちのこれまでの認識は誤っていたことに気がついた。泣いたり、叫んだり、ひっかいたり、そして脳神経損傷に起因するとされたうめき声の繰り返しでさえも、彼らが行動を通じて示す言語であり、意味であったということである。私たちはこの言語を新しい見方で理解し始めたのである。
このような行動は不快感や苦痛を表し、個人の快感ストレスの感情とともにその程度や頻度が変化した。いく度となくスタッフは苦痛の原因がどこにあるかを学び、それを和らげて入居者がもっとリラックスできるようにした。
「あらゆる行動は、われわれが理解しようとしまいと意味をもっている。それは、個人の目的にかなうものである。」
「浴室からは耳ざわりな絶叫調の歌が聞こえる。ショア夫人がお風呂に入れてもらっているのだ。彼女の声はどんどん大きくなり、叫んでいる歌詞は激しく怒りに満ちていた。私はその声が憤怒を表していると感じた。信心深い女性にしては、歌詞がおよそ似つかわしくなかった。私はなぜそのように叫ぶのか尋ねた。彼女は看護士たちを見つめた。彼女はとても太っていて、持ち上げないと浴槽の出入りができないので、2人の看護士が准看護婦を手伝う必要があった。不意に、私は彼女の意味するところを理解した。信心深い女性が男性の前で衣服を脱ぐことは、彼女自身の行動規範に反するものであり、たいへんな羞恥心と罪悪感を生んでいたのである。歌詞は彼女自身についての感情を表現したものであった。『恥ずかしいのですね?』と私は尋ねた。
『ええ』彼女は静かに答えた。私は看護士に立ち去るようにいった。『ショアさん、もう二度と裸で入浴させないし、出るときも裸にしません。あなたを運ぶ人が要るときは、必ずなにかまとっていただくようにします』。彼女は叫ぶのをやめた。准看護婦が手伝って体を洗い、浴槽から出る前にガウンを着せた。彼女はそれ以来、入浴時に叫ばなくなったのである」
(Edelson JS, Lyons WH:Institutional Care of the Mentally Impaired Elderly, New York:Van Nostrand and Reinhold Company,1985.)
3.元気づけ、適応させる必要
自分がどこにいるのかが分からず混乱している認知障害者の不安は、異常なまでの恐怖、また多くの場合パニックとして感じられる。脳損傷の入居者は、最近の事件についての出来事および時間の観念が失われており、自分のいる所のみならず、いままでどこにいたのかさえも分からないのである。いつもスタッフの激励と助力を必要とし、場所の移動に際しては(ホールから廊下へ、あるいは食堂からデイルームヘ)、文字どおり「橋渡し」をしてもらわなければならず、ときにはすべてが見慣れない場所にみえてしまう。
ホールにすわって通行人を呼び止め、「すみません看護婦さん、ここはどこですか?」というときの入居者の声や不安な様子から、先見当の感じがよく判断できる。
障害をもつ入居者が、自分がどこにいるのか、次になにをすればよいのかを、常にスタッフから指示をしてもらうかあるいは確認をしたいという要求がある。彼らの不安を和らげ、残存能力を活かすためには、自分の周りには常にスタッフがおり、そのスタッフは自分の分からないことはすべて教えてくれ、知るべきことを思い出させてくれるという認識をもたせることである。そして、「あなたがそういうなら」というまでに信頼されることが重要である。
4.感情の記億
精神障害を伴う入居者は、自分の記憶に自信がないために、感情に頼って経験を解釈しようとする。コミュニケーションを感情のレベルで受け止めてしまう。特定の事件は覚えていないかもしれないが、その経験に関する感情は保持されている。また、誇張的な比喩を使って自己表現をしようとする。
「スミスさんがドアの側に立ち、両手を振って『助けてくれ、あいつが床に投げ倒した』と叫んでいる。何事が起こったのかと駆けつける。もしだれかがスミスさんを床に投げ倒したのであれば、彼は倒れているはずであるが、ドアの側に立っている。だれも投げ倒してはいないことはすぐに分かったが、非常に興奮していることから察すれば、なにかが起こったはずである。
『誰のことですか』とたずねると、彼は新しい看護士を指さした。部屋へ入ると、スミスさんは身振り交え『ほら、彼が私を床に投げ倒した』という。ベッドの上には、スミスさんのガウンがあった。看護士が入浴の準備をしており、ガウンと洋服をクローゼットから取り出しているところだった。『大丈夫、この若者はあなたを手助けするためにここにいるのです』といって聞かしスミスさんを安心させた。
後で看護士と話し、どうしてスミスさんがあんなに怒ったのかと聞いたところ、彼は『よく分かりませんが、服をクローゼットから取り出した時にスミスさんが叫び始めたのです』といった。後で彼がブラウンさんの入浴の準備をしているのをみて、私はようやくなぜスミスさんが怒ったのが理解できた。彼はバスローブをハンガーから外すと、バスローブを放り投げてベットの上に落ちるようにしていた。狙いを定めてベットの上に落ちるようにするには手で振り払わなければならなかった。スミスさんは仕立て屋だったので、洋服を非常に大事に扱っていたのである。ところが、自分の洋服が乱暴に扱われたのである。この行為は、自分に対する冒涜に感じられ、そして、個人としての尊敬を無視した侮辱と映ったのである。
(Edelson JS, Lyons WH:Institutional Care of the Mentally Impaired Elderly, New York:Van Nostrand and Reinhold Company,1985.)
記憶障害を回復させることも、器質性疾患の進行を変えることも現時点では不可能であるが、環境のストレスの軽減や精神的な援助により最大限の機能を引き出すことは可能である。入居者の尊厳を尊び、生きていくことに耐えられるようなケアユニットの精神的環境をつくり出すことはできると考えている。
5.人間同士のつながり
障害の陰に隠れている本質との感情的なつながりを求めるスタッフの努力が、障害をもつ入居者が困惑した環境のなかで機能するために必要な安全、コントロールの観念、生きていく手段を提供し、支持することができるのである。
このような人間の感情的側面こそが、社会とのかかわりにおいて、ケアの最も重要な要素であると考える。
孤独や孤立は、精神に障害をもたらす危険に満ちている。もろい自尊心やたよりない自己アイデンティティーには、感情の育成が必要である。
精神障害をもつ人々の環境において、最も重要なのはケアに直接携わる看護スタッフである。その態度、支援によって、入居者はどれほどささいなことでも、日常生活において残っている生活能力が引き出され、感情面の安定、社会的反応や社交機能を高めることが可能となる。彼らこそ、人間的なつながりを求めて入居者が心から頼りにできる人々なのである。
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