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高齢者ケア国際シンポジウム
第2回(1991年) 痴呆性老人の介護と人間の尊厳


分科会I 発表  アルツハイマー型老年痴呆のケア

総合ケアセンター「泰生の里」(宇佐ナーシングホーム泰生園・デイサービスセンターふれあい館・宇佐在宅介護支援センター・精神保健通所授産施設のぞみ園)総長・精神科医師
雨宮克彦



はじめに

日本には「ぼけ」という定義のあいまいな言葉がある。この「ぼけ」を広く解釈する場合、正常の精神老化からうつ病、単なる幻覚・妄想状態までも含まれる。
ここでは、このようなぼけ一般ではなく、アメリカ精神医学会の「精神疾患の診断と統計のための手引き」で定義される痴呆、さらにそのなかでもアルツハイマー型老年痴呆を中心に、宇佐ナーシングホーム泰生園でのケアの実践を述べることとする。

1.ケアの基本方針

(1)関連科学に裏打ちされた専門ケア
一般にいわれる「ぼけ」のなかには上述のようにさまざまな状態、疾病が含まれているが、これを1つに丸めて議論することは、非科学的、非専門的なことである。科学的専門ケアのためには、まず、痴呆と痴呆に似て非なるものとを区別し、次いで、痴呆の原因疾患を確定する必要がある。
たとえば、発熱という症状はさまざまな病気で出現し、その原因疾患によって治療もケアの方法も異なる。このことは、痴呆においても同様で基礎疾患の違いにより、その様態や心理機制に差があり、その差に応じた治療やケアが専門性の第一歩であり、そのためには医学や心理学等の関連科学の裏打ちが必要である。最低限アルツハイマー型老年痴呆であるか、あるいは脳血管性痴呆であるかを区別しケアする必要がある。
私は痴呆性老人の施設ケアにおいては、脳血管性痴呆は痴呆のある老人とない老人とを一緒にした混合ケアが、アルツハイマー型老年痴呆は痴呆の方のみの分類ケアがよいと考えている。したがって当施設は、アルツハイマー型老年痴呆の専門施設であると考えている。

(2)日常生活障害ととらえたケア
第2の基本は、痴呆性老人の示すさまざまな行動を病的問題行動ととらえるのではなく、日常生活の障害として理解し、ケアをすることである。
一例として尿失禁を考えてみることにする。正常者の排尿行動では、膀胱内に一定量の尿が溜まると、その信号は脊髄を上行し脳に至り尿意が生じる。尿意を感じると脳は、いま排尿してよい状態か否かを判断する。会議中であれば終わるまで我慢しようと排尿を抑制するわけである。排尿してよいと判断されるとトイレの位置を考え、歩いて行き、ドアを開けて入り、内側からロックし、バンドやひもを緩め、ボタンやファスナーをはずし、正しい排尿姿勢をとり、脳の排尿抑制を解除し、尿道の括約筋を緩め、膀胱壁の筋収縮が起こり、排尿が開始される。排尿が終わるとぺーパーを使い、衣類を整え、水洗の水を流し、手を洗い、ロックを解き、外に出て、排尿行動が終了したことになる。
痴呆性老人では、これらの一連の行動のさまざまな段階で失敗が生じる。尿意が正常にあっても見当識障害のためにトイレを見つけることができず排尿を失敗した場合、これを失禁ととらえるとその対応としてはオムツをするという結果になる。しかし、トイレを見つけることができないという生活上の障害であると考えた場合、さまざまな対応が浮かび上がってくる。例えば、トイレを目立たせ見つけやすくする工夫をする。スタッフは、老人の表情や動作等から尿意を鋭く感じとったり、排尿時間を記録することで排尿間隔を知り、それに合わせてトイレに誘導するのである。将来は、膀胱に一定量の尿が溜まったときに作動するセンサーの開発も期待したい。
排尿時の衣服の着脱に支障がある場合、バンドや紐の代わりにゴム紐を用いたり、ボタンやファスナーの代わりにマジックテープを応用することによってその障害の軽減を図るのである。また、排尿後、水洗の水を流す操作ができない生活障害に対してはセンサーをつけ自動的に水が流れるようにする。尿意がない、あるいは尿意があっても言語崩壊のためにそれを伝えることができずオムツに頼らざるを得ない場合は、オムツ濡れ感知センサーを使用しているが、次にオムツ濡れ感知センサーを使用したケースを紹介する。

【事例:81歳、女性、アルツハイマー型老年痴呆】
不眠、多動、大声、徘徊、過食、異物食、大小便を手でいじる等があり、家庭でのケアが困難となり入所。入所当初はトイレの位置が分からず探し回る程度で、その際スタッフがトイレに誘導すれば失敗なく排尿便ができていた。入所して2か月目の1989年11月27日、転倒して右大腿骨頸部骨折で、手術を受けた。約2か月間入院し1990年1月23日に退院。退院時には留置カテーテルが入っていたが、数日後、自分で引き抜いてしまったため、その後はオムツを使用している。同年2月6日よりオムツ濡れ感知センサーを使用した。図1は2月の排尿状況で、図2はその回数を30分間隔で棒グラフにしたものである。
これから10時、14時、16時、20時、午前4時前後に排尿回数のピークがあることが分かる。そこで3月に入ってからオムツおよびセンサーをつけたまま6時、9時、13時、15時、18時、夜中の2時前後にトイレに座らせてみた結果が図3である。オムツを濡らす回数が激減し、3月17日以降はセンサーの使用を中止し、誘導で排尿便に成功している。また、図1、3の丸で囲んだ部分は排尿が短い間隔で2、3回連続しているが、これはオムツヘの排尿が不快であるため、排尿を途中で意識的に中断してしまった結果である。このような場合、オムツを交換する前にトイレで排尿を再度試み、膀胱中の残尿を全部排泄させるならば、次回までの排尿間隔が延長する。
上述のように痴呆性老人の行動を、日常生活障害ととらえ、その障害をカバーする方法を見つけていくという意味で介護補助用品、特に、日本のハイテクノロジーを応用した用品の開発をおおいに期待している。
逆に、この生活障害をケアに利用する場合もある。当施設では、危険予防の


図1 1か月の排尿状況(1990年2月)


図2 30分間隔の排尿回数(1990年2月)


図3 1か月の排尿状況(1990年3月)

ため、老人に出入りしてほしくない部屋のドアノブはレバー式にしてある。このノブはレバーを上に持ち上げ、90度回転させ、そのままの位置でドアを前方に引っ張るという3つの操作を順序よく行わなければドアが開かないことになっている。これは、痴呆性老人は1つの目的のために、2つ以上の操作を同時に、あるいは順序よく行うことができないという生活障害をケアに利用した例である。
現在、痴呆に関し長谷川式をはじめ各種のアセスメント法が用いられている。これらは痴呆の有無や程度の判断はできるが、生活障害の内容までは評価できない。今後、それらを明らかにできるアセスメント法の開発を期待したいものである。

(3)老人の示す行動を無意味と考えず、その裏に隠された目的を見つけ出すケア
専門家、特に医師は、痴呆性老人の状態・行動を観察し、先見当、徘徊、弄便、不眠、興奮等々の医学用語で表現、記載するが、これだけではケアに直接役立たない。同じ徘徊でも、自宅を探して歩いている場合、トイレを探している場合、子供を探している場合などもあり、その理由や目的は実にさまざまである。つまり、一見無意味にみえる痴呆性老人の行動の裏にある真の目的やニーズを知るため、行動を抑制するのではなく、冷静かつ科学的に観察することがたいせつである。

(4)身体拘束や行動抑制を行わないケア
弄便、オムツいじりも、排尿便後の不快感を自分で除去しようとする合目的行動である。したがって、それを物理的に阻止する上下つなぎ服の使用は一種の身体拘束、人権侵害と考え、当施設では使用していない。また徘徊等の行動に対し、個室に収容、施錠することもいっさい禁止している。ある調査で、日本の特別養護老人ホームの半数以上が個室への施錠を常時、あるいは必要に応じ行っているという報告がある。精神保健法では、福祉施設での個室への施錠、隔離あるいは身体拘束は違法行為、犯罪行為になることを十分認識してほしいのである。この点で、痴呆性老人対策として特別養護老人ホームの防音壁、防音ドアのついた個室整備を補助対象とすることに疑問を感じる。
私は精神科医師であるが不眠、多動、大声、徘徊等に対し、行動を抑え、静かにさせ、寝かしつけるという目的で向精神薬や睡眠薬を使用することはない。しかし、その行動の裏に幻覚、妄想等の病的体験があったり、強い不安を伴うとき、興奮のため疲労が激しく衰弱が目立つ場合には、これを放置しておくことも反福祉的と考え、少量の向精神薬を十分な観察の下に慎重に使うことはある。さらに、このような物理的あるいは薬物による拘束や抑制のみではなく、社会的、精神的、心理的拘束についても配慮することが必要である。

2.アルツハイマー型老年痴呆の心理特性

(1)虚構の世界に生きている
熊本県にある国立療養所菊池病院の室伏君士博士が指摘しているようにアルツハイマー型老年痴呆、特にコルサコフ型といわれるタイプの老人は虚構の世界に生きているように思われる。この虚構の世界は論理的因果関係、時空間、損得等を超越した世界であり、感性が行動の決定因となっている。したがって、ケアにおいてはこの虚構の世界を認め、そのなかで感性豊かな生活を保証していくことがたいせつである。
前述したように、私がアルツハイマー型老年痴呆は専用施設での分類ケアがよいと考えている理由の1つは、専用施設ではこの虚構の世界がつくりやすいからである。

(2)強い不安感をもって生きている
アルツハイマー型老年痴呆の老人は、寸前のことも忘れてしまう結果、現在と過去のつながりが切れ、強い不安感をもっている。この不安感は1人でいるとさらに増強するため、アルツハイマー型の老人は常に仲間を求め、他者に過同調し、大勢でにぎやかに生活することを好む傾向にある。この特性をケアに応用し、トイレや入浴への誘導時は、1人ずつより数人いっしょのほうがうまくいくのである。レクリエーション等においても同様で、これらの老人は個別活動よりグループ活動を喜ぶ。

3.アルツハイマー型老年痴呆のケアはお芝居の要領で

前述した虚構の世界は、お芝居やままごと、××ごっこ遊びの世界に似ている。したがってアルツハイマー型老年痴呆のケアにおいては演劇やお芝居あるいは、子供のままごと遊びやごっこ遊びの要領で接するとうまくいく。その際必要なことを、以下に述べる。

(1)舞台を整える
お芝居にはまず舞台が必要である。さらに大道具、小道具、衣装、照明や背景の美術等もたいせつである。舞台は施設でいうと建物であり、小道具、大道具などは備品、設備、器具什器である。つまり、痴呆性老人が安全、快適に生活できる環境を整えることがまず必要なのである。
さて、当施設の舞台を紹介する。図4は施設の平面配置図であるが、廊下はループ式になっており老人たちはここを自由に好きなだけ歩くことができる。
この廊下には各所にベンチを置き、途中でいつでも休むこともできる。廊下に面した中庭には季節の草花を植え、壁には生け花、写真、絵画や作業療法の一環としてつくった貼り絵や書道等の作品を飾っている。入所直後はただ徘徊していた老人も、数日経つと、草花や作品をながめ、気の合った者同士で手をつなぎ、おしゃべりをしながら、ゆったりと歩くようになる。ループの中央部にはスタッフ室があり、老人の様子を常に観察し、歩きすぎる場合には声をかけるなどして休息がとれるよう注意している。また、床下に温水を流し床を暖めているのは、冬ハダシで歩いても冷たくないためである。




図4

居室の外にはベランダをつけ、心理的空間を広げ、同時に火災等の緊急時の避難路を確保している。ベランダには部屋から自由に出られ、また誘導手すりに沿って歩いてくると再び屋内に入ってくる構造になっている。また、誘導手すりの上面に赤外線センサーをつけてあり、老人がこの手すりを乗り越えて外庭に出ようとするとスタッフ室のブザーが鳴り、赤ランプでその場所が表示される。建物の外周にはテレビカメラを設置してありベランダ、外庭の様子がスタッフ室でモニターでき、入所者が屋外へ迷い出ても早く見つけ出すことができる。
トイレについては先に触れたように、位置を分かりやすくする工夫をしたほか、水洗式の便器にもセンサーをつけ自動的に水が流れるようにしてある。それは、痴呆性老人がレバーを操作して水を流すことが難しく汚物を手で始末しようとするからである。また、トイレ内にはシャワーを設け体が汚れたときにはいつでも洗えるようにした。洋式トイレでは、冬に便座が冷たくないように、便座ヒーターをつけることもたいせつである。トイレで最大の悩みはトイレットペーパーである。ぺーパーは補充してもすぐに老人たちがもって行き、懐や衣服のなかに隠したり、おしゃれをしているつもりで体に巻きつけたりして、ほとんどが娯楽用となってしまうのである。そのためスタッフは、常にぺーパーを持ち歩いて補充するようにしているのである。
次は色彩である。全体としては、明るく落ち着いた雰囲気を醸し出す工夫をしたのだが、これが正しかったか疑問である。老人は加齢とともに眼の角膜が黄染してくる。たとえると黄色のサングラスをかけて物をみていることになる。カメラに黄色のフィルターをつけカラー写真撮影をした最近の研究では、色によって非常に見え難くなるものがあるという報告がある。黄色は黄色のフィルターを通すと白色と区別し難くなるのである。したがって、私どもの施設でトイレを目だたせる目的で入口に濃い黄色を使ったが、これは失敗であったかもしれない。老人には赤や濃いピンク系、青系がはっきりと美しくみえるようである。当施設では、入所者、職員ともユニホームではなく、私服である。若いスタッフが赤や青の色模様の派手な服装でくると、老人たちは近づいて、服をなでたり、引っ張ったり、褒めたりして興味を示す。食物でもイチゴやスイカが出ると、たいていの老人が最初にそれに手を出すのである。
私はこの色彩感覚を利用し見当識障害の軽減を考えた。デザイン上の問題から、居室の壁の色を部屋ごとに変えることは、実現できなかったが、入口のドアの色を部屋ごとに変えた。ループ式の廊下も北側と南側で縁の色を変え、また非常口の部分の床は赤に、スタッフ室の外周はピンクにしたのである。
建物全体では、南向きの平屋にして段差をなくし、できる限り広い空間をもたせ、開放感が得られるよう配慮した。たいせつな共用部分である多目的ホールや食堂等も同様であり、ホールは広がりをもたせ、同時に採光や換気を考え、吹き抜けにした。
居室は4人部屋が主で、ほかにいくつかの2人部屋、1人部屋がある。居室の個室化の問題があり、私も基本的には賛成であるが、アルツハイマー型老年痴呆では、軽症の時期と終末期は別とし、中間の混乱期では前述したように強い不安があり1人部屋では不安感がさらに強まり、むしろ数人の相部屋のほうが精神的に落ち着くように感じられるのである。部屋は洋室と畳の和室とほぼ半々であるが、老人には畳部屋のほうが好まれるようである。また、洋室のベッドも転倒、転落事故予防のために低めの畳ベッドを使用している。
このほか、電気のコンセントやスイッチの位置・形、水道の蛇口、ドアのノブ等にさまざまな配慮をしているが、いずれも痴呆性老人の生活障害を補っていくという視点から出発しているのである。

(2)個性に合わせたシナリオづくり
お芝居にはシナリオも必要である。アルツハイマー型老年痴呆では、痴呆の進行とともに子供に帰り二度童子と呼ばれることがある。しかし、いかに高度の痴呆がある場合でも、老人は長い豊かな人生経験を積んでおり、決して子供ではない。これを子供扱いすることは、老人の自尊心を傷つけ、精神不安定をもたらす結果になる。排尿の失敗で衣服が濡れたとき、「失敗したから着替えましょう」というと怒って拒否するが、「私のミスで水をかけてしまったので着替えさせてください」というと素直に応じてくれた、という事例がある。つまり、汚れた衣服を着替えさせる場面でも、その人、その場によって話しかけ方が異なり、それぞれのシナリオが必要になってくるということである。
シナリオづくりではその人の生活歴、学歴、職歴、性格等を十分知っておくことがたいせっである。現在の老人たちが育ち活躍した明治、大正、そして昭和初期から第2次世界大戦前後の世情や生活ぶりを十分知っておくなどの時代考証がたいせつで、歴史や風俗、世相等についても勉強しておく必要がある。
セリフでは、その人の生まれた場所による考慮も必要である。東北生まれの老人に九州弁で話してもうまく通じないからである。そのほかに、職業や土地のスラングも知っておく必要があるが、最近、頻用される外来語は避けなければならない。
また、先に述べたように、痴呆が進むと年齢がだんだん若返ってくるため、その年齢に合わせたシナリオを書く必要がある。
以上のように個々人の特徴を十分知り、それに合ったシナリオをつくり、スタッフ全員がそのシナリオを頭に入れておくことがたいせつである。

(3)感性とユーモアに富んだ俳優(ヒューマンパワー)の養成
どの老人もスタッフより長い人生経験をもつベテラン俳優といえる。強いもの忘れがあっても感性は豊かで鋭いものをもっているので、いかに工夫したシナリオでも、それのみで対応するのは難しい。スタッフは脇役に徹し、主演俳優である老人がのびのびと気分よく演技できるように努め、老人の予想外の演技やセリフにもユーモアのあるアドリブで応ずる演技力を身につける必要がある。そのためには専門知識に加え、常に知性や教養、感性を磨くことが重要であり、ヒューマンパワーの質の向上ということがたいせつになってくるのである。また、量的問題であるスタッフの数は当施設の場合、国の基準より7人多く、そのなかの1人は作業療法士である。現在、国の基準には作業療法士は入っていないが、痴呆性老人のケアには必須であり、その定数化を含め定数増員が強く望まれるところである。

4.アルツハイマー型老年痴呆のケア実際例

次にアルツハイマー型老年痴呆のケアの実際例として、TさんとYさんの2人を紹介することとする。
Tさんは、82歳の女性である。夫は30年前に死亡、子供は4人いるが、それぞれ独立、単身で生活していた。入所5年前ごろから痴呆症状が現れ、徐々に進行し、ついには火の不始末、自宅付近での迷子、排尿の失敗等が起こり単身生活が困難となった。そこで子供たちが相談の結果、同じ市内に住む3人の子供が1か月交代でそれぞれの家庭でケアすることになった。しかし、環境が毎月変わることやケアの不手際もあり、Tさんの精神状態は著しく不安定になってしまったのである。長女の家では、娘婿を他人と思い込み帰宅すると泥棒がきたとか、しまいには棒を持ち出し家から出ていけと殴りかかる始末である。
娘婿も最初はしかたがないとがまんしていたが、長くなるにつれ夫婦間もぎくしゃくするようになり、ついには、離婚騒動となり家庭崩壊寸前となったのである。また、親のケアをめぐる意見の対立から子供たちの間も絶交状態になった。
長女が親子心中でもする以外に解決法がないような気持ちに追い込まれていたとき、偶然、当施設の前を通りかかり「老人介護相談所」の看板をみて、わらをもつかむ思いで相談を申し込んできた。相談時、娘さんは泣いて困難な状況を訴えるだけで、放置すればほんとうに親を殺しかねない状況であった。ただちに居住地の市役所に連絡、緊急に短期保護し、その間に入所手続きをとり、約1か月後に正式入所となった。
Tさんのケアでまず困ったのは、食事を拒否することである。施設の食事にまったく手をつけない。しかし、娘さんが1日1回もってきてくれた、おむすびやお弁当は食べるのである。施設側も、本人の嗜好に合わせ特別な献立をつくるのだがやはり食べない。そのうち「わたしゃ、お金がないから食べられん」というようになり、職員が、「ここの食事はお金はいらない」、あるいは「食事代は国が出してくれるから」などと説明してもむだである。
ところで、Tさんはいつもなかにちり紙やガラクタが入ったハンドバックを肌身離さず大事そうに抱えていた。施設の入所者は金銭管理を自分でできないため、金銭は事務所で預っているのであるが、Tさんも同様でハンドバックにはお金は入っていない。あるスタッフの思いつきで百円硬貨をハンドバックに忍ばせておき、「Tさん、ハンドバックをみせて。あっ、お金があるからごはん食べに行こう」と誘ったところ、食堂に入って食事を始めたのである。食べ終わると百円硬貨を出し「今日のごはんはいくらか?」と聞くので、「500円ですよ」と答えると百円硬貨を差し出し、「お釣りをおくれ」という。困ったスタッフは、とっさに自分の小銭を出し、その場を切り抜けたのである。
この経験をヒントに、1万円札や千円札をコピーしTさんのハンドバックのなかに入れてみた。コピーのお金でも、本人はお金持ちになったつもりである。
Tさんはタダで他人の食事は食べられないと思い込んでいたようである。以来、食事のとき、入浴したとき、なにかお世話をしたとき、Tさんはニコニコ顔でお金を支払ってくれる。お釣りを要求することもありスタッフもお釣り用の偽札をもっているのである。Tさんは気前がよく、ほかの入所者にもお金をあげてしまうため1日に100万円くらいはすぐに使ってしまう。もらったほうも大事に懐や靴下のなかに入れる人、トイレに流してしまう人、実にさまざまである。スタッフはこれらを回収するが、すぐに足りなくなってしまうため、せっせと偽札づくりに励んでいるというわけである。入所して1年くらい経つと、施設にすっかり慣れ、今度は施設が自分の家であると思い込むようになり、「他人が大勢勝手に入って来て自分の家を使う」というようになった。今度は、スタッフが「すみませんが1日だけ家を貸してください」と偽札を支払うはめになったのである。しかし、これもあまり長く続かず、しだいにお金のことも忘れていった。
ほかに家に帰りたいという要求も頻回にあり、これには家に帰るバスの切符を買ったり、お釣りを払ったりするやりとり、また次のバス時間まで時間があるからとお茶を飲ませるなどして対応した。
次に困ったことは、施設に見学者がくるとTさんは落ち着きがなくなり、大声を上げ、ウロウロと徘徊を始め、押し入れのなかの物を出したりすることであった。私たちは最初、他人からみられるのがいやなのだろうと考えていたのであるが、あるとき、押し入れからまくらを見つけ出し、「これでごはんを炊いておくれ」というのである。結局、Tさんは見学者にごちそうをしたいのだということが分かり、次に見学者があった日、お茶の接待をしていただいた。するとニコニコと笑顔でお茶を配り、見学者となにやらお話をしている。以来、見学者のある日のTさんは大忙しである。また、夕方になると、まくらを探し出し、「ごはんを炊いておくれ」というのである。それに対し、職員は「きょうは何人分つくろうか?」「ごはんが炊けるまでお茶配りを手伝ってね」などと対応する。
Yさんは、75歳の男性である。師範学校を卒業、長く中学校の教員を務め、校長から教育長にまでなった方である。Yさんは施設に見学者があり私が説明していると、私を制止しそんな下手な話ではだめだと自分が演説を始めるのである。また、施設の行事があり人所者がホールに集まった場合も必ずあいさつを始めなかなかやめようとせず、止めに入ると怒り出す始末である。しかし、「先生、きょうは時間の都合で1分でごあいさつを!」と先にお願いしておくと、「きょうは、時間の都合でこれであいさつは終わりです」と数秒ですむのである。また、Yさんは夜勤のスタッフを、生徒が悪いことをして居残りさせられたと考えており、「なにをして残されたのか」と心配する。スタッフが夜勤の説明をしても無駄で、「実は宿題を忘れたんです」、あるいは「掃除をさぼりました」というと、「そうか、もう外は暗くなってしまったから、校長のわしが受持ちに話して許してもらうから安心して早く家に帰りなさい」などといって部屋にもどって寝てしまうという具合である。
このようにアルツハイマー型老年痴呆に対しては、その人の望みや要求に応ずる方向でお芝居をする要領で対応すると満足し、安定していくのである。ところが、同じ痴呆でも脳血管性痴呆にはこの方法は通用しない。脳血管性痴呆の老人は虚構の世界ではなく、現実の世界に生きており、理論だった説明が必要である。このことが、最初に述べた1つの言葉で痴呆全体を丸めてはいけないという意味の1つである。

5.総合的想い出療法

次に、お芝居の効用をより積極的に応用したレクリエーションないし作業療法を述べる。
施設オープン以来、老人たちに短い時間でも楽しいひとときを過ごしていただきたいと、さまざまなレクリエーションを取り入れてきた。スタッフが大学で幼児教育を専攻し保母資格を有していたり、保育園や幼稚園に勤めていた経験を生かし、童謡や小学唱歌等を全員で合唱したり、同時に太鼓やカスタネット等の打楽器で合奏したりして楽しんだ。また、日本古来の童話や地元の民話をいっしょに読んだり、それらの紙芝居や人形劇、寸劇等を試み好評を博した。
身体的運動としてはボール遊び、輪投げ、玉入れなどが行われた。そのうち書道や生け花、料理、園芸、手芸等の各種クラブ活動も行われるようになったのである。1990年には、美術大学を卒業したスタッフが加わり、はり絵や絵画、粘土工芸、陶芸等の創作活動も加わった。さらに、1991年になり常勤の作業療法士が加わることで、プログラムが多彩となった。また、フルートやギターの演奏家が定期的に来園、クラシック音楽を中心に演奏し、高度の痴呆性老人も美しい生演奏にじっと聴く入っている。
こうした内容の多様化に伴い、現在は月ごとにテーマを決め、テーマに沿って、毎日の活動を行い、月末に行われる誕生会にその成果を発表する仕組みになっている。現在の活動状況を1991年7月を例に紹介する。
7月のテーマは、「夏」と「ねずみの嫁入り」であった。このテーマに合わせ今月の歌として「海」と「静かな湖畔」が決まり、これらは起床時、食事やオヤツ時間の前等に全館に放送される。全員参加の毎日のレクリエーション時間にも合唱される。歌によってはカスタネット、タンバリン等の打楽器を合奏したり、手拍子を合わせることで、指運動やリズム運動にもなるのである。
これに並行し、痴呆度や残存機能のレベルに合わせ小グループをつくり、その月のテーマに関するさまざまな活動を行う。残存機能が高い方のグループでは、「ねずみの嫁入り」の寸劇に使う舞台飾り、美術、小道具、お面や衣装等を作製し、配役を決め寸劇の練習もする。別のグループでは「ねずみの嫁入り」の絵本をみながら、自分の嫁入りや結婚の想い出を語り合ったりした。また、劇中で歌う歌の練習や腕ずもうをレクリエーションに取り入れた。
こうして1か月かけて準備、練習し、月末の誕生会で披露されるわけである。
当日は、施設長のお祝いのことばで始まり、誕生者の紹介、プレゼントの贈呈が行われる。次に「今月の歌」が全員で合唱され、テーマに合わせた出し物、7月の場合は「ねずみの嫁入り」の寸劇を演じた(図5)。入所者とスタッフ全員が1か月かけてつくったネズミのお面をつけ、主役にも棔てつくった嫁入り衣装を着付けた。必要に応じスタッフが介添えすることで、入所者全員になんらかの形で劇に参加していただいている。アルツハイマー型老年痴呆の人はお芝居が大好きで、楽しく上手に演技しているようである。

図5

昔の記憶や想い出を回想することが痴呆性老人の状態、特に情緒面に対し効果があることは、多くの研究者により報告されているところである。当施設のプログラムは、1つのテーマに音楽、演劇、絵画、料理、手芸、書道、紙芝居、人形劇などさまざまなものを総合し、回想の効果をより強くすることを期待するもので、総合的想い出療法と名づけている。

6.reality orientation と remotivation

いままで述べたことから、老人をますます虚構の世界に誘い込んでしまうのではないかと危惧を感じられる方もあると思われる。しかし、当施設では、残存機能の再強化と現実を知らせるreality orientationにも配慮している。
たとえば、毎日の起床時、食事の前、行事やレクリエーションの前には、必ずその日の日付や、曜日、天候の状態等を話すようにしている。ホールには日めくりカレンダーがあり、ひと目で今日の日付が分かるようにしてある。時計はデジタルよりアナログ型がよく分かるようである。毎月のテーマはその季節や地域の伝統行事に合わせて決めている。ほかにも季節の行事であるひな祭り、花見、七夕などを行い季節感を高めるようにしている。誕生会では誕生者の生年月日のほかに、そのころの世情、生地や職業等がエピソードを加えて紹介される。寸劇のなかでもスタッフのアドリブによって、現実認識を深める会話がある。また、ビデオで生まれた家や家族の様子、郷里の名所旧跡、神社、仏閣等をみせることもある。新聞、雑誌テレビ等ももちろん用意してある。
クラブ活動の1つに料理教室があるが、痴呆性老人、特に女性の場合想像し得なかった残存機能をみることがある。若いスタッフは、逆に老人から叱られたり、教えてもらいながら行っている。包丁等の使用も危険を感ずることはなく、火については電磁調理器を用い安全を図っている。日常生活のなかでも、おしぼり・エプロン・おむつ等をたたむ、掃除、犬猫・にわとりに餌を与えること、草花の手入れ等老人ができる作業は手伝っていただくこともある。こうした工夫で、少しでも現実の世界ともつながりがもてるようにと考えている。

7.地域ケアヘの取り組み

最後に地域ケアにおける当施設の取組み方を簡単に述べることにする。
私は当施設を始める前、精神保健センターに勤務していた関係上、地域に強い関心をもっているが、福祉施設も在宅ケア支援の核になるよう入所部門のみでなく外来部門ももつべきだと考えている。当施設オープン以来の2年間の地域サービスは、以下のとおりである。
?@老人介護ならびに心の健康相談
?A老人介護教室
?B介護の手引の作成、配布
?C短期保護事業(ショート・ステイ)
?Dナイトケア事業
?E適所リハビリテーション事業
?F痴呆性老人処遇困難事例研究会の定期的開催と事例集の発刊、配布
?G啓蒙用パンフレット、広報紙の作成、配布
?H地域住民への講演や啓蒙活動
?Iボランティアの受け入れやボランティア養成講座、その他
これらの活動を基礎に、1989年には「痴呆老人地域ケア推進事業」を実施した。この事業の目的は、痴呆性老人の在宅ケアを支援する諸資源を開発、組織化し、多段階のケアネットワークシステムを構築することである。事業の具体的内容は、以下のとおりである。
?@地域ケア推進協議会の設置
?A単身ならびに心身虚弱老人の生活実態ニーズ調査
?B宇佐ナーシングホーム泰生園長期ならびに短期入所者に関する調査
?C人的資源を育成するための介護教室、ボランティア育成講座、介護福祉士国家試験受験講座、処遇困難事例研究会等の開催
?D介護の手引きの作成、配布
?E在宅ケア支援の具体的サービスとしてデイホーム事業の実施
?F講演会等の地域住民への啓蒙活動
?G報告書の作成、配布
ここでは6番目のデイホーム事業について紹介する。現行制度のデイサービス事業は、原則として1人、1週間に1日の利用となっている。利用時間も1日当たり、5、6時間が一般的である。これでは、共働き夫婦が仕事を続けながら老親のケアをするのは役立たず、施設ケアに代わる力とは成り得ないのである。そこで当施設では、日曜日を除く毎日、午前7時頃から午後7時ころまで、痴呆性老人を預かりお世話している。これにより共働き夫婦も仕事を辞めずに、また農家の方も家族全員で働きながら在宅ケアが可能になり、老親のケアと職業生活が両立できると評価されている。

8.サテライト方式について

このデイホーム事業は、通所事業であるため利用区域は限定される。また、施設のハード、ソフト面からも一定の限界があり、10人以上の受入れは不可能である。そこで施設のサテライト、言わば出張所を小地域ごとにおき、そこに施設職員が出向きデイホーム事業を行うという方式を考えた。この場合、サテライトは新たに施設をつくるのではなく地区の公民館、老人センター、子供が減り空き教室のある保育園や幼稚園、小学校、あるいは地区のお寺や教会、一般の民家等を借りるのである。サテライトはデイホーム事業に加え給食や入浴サービスの基地となり、介護相談や介護教室の場にもなる。また、オムツバンクや紙おむつの共同購入・共同処理・廃棄も行われ、介護用品のリサイクルや、ボランティアの基地ともなるのである。
サテライト方式の利点としては、次のようなことがある。
?@自宅近くの住み慣れた地域でサービスが受けられる
?A送迎が容易で毎日でも参加できる
?B家族も随時参加しケアの実技指導、研修を受けられ、家族間の連携も期待できる
?Cニーズが身近かで発見しやすい
?D必要なとき、必要な時間だけ利用でき、柔軟に対処できる
?E地域の人も参加しやすく、啓蒙や互助精神の高揚につながる
?F健康老人や子供もボランティアとして参加できる
?Gボランティアの組織化が進み、住民の福祉参加が促進される
?Hヘルパーやボランティアが家庭内に入ることに抵抗があっても、サテライトでのサービスが受けられる
?I地域の医師、保健婦、看護婦、民生委員、福祉ケースワーカー等の参加により福祉・保健・医療あるいは民間と公的行政の相互乗り入れ、連携、包括化が図りやすくなる
一方、サテライト方式の弱点としては、ケアの統一性や専門性に欠ける、重度で手厚いケアが必要な場合の対処が難しい等が考えられる。そこで親施設である当施設がサテライトのスタッフを技術面でバックアップ、管理し、研修や相談にのり、その弱点をカバーしていく方向で考えている。そのため当施設では1991年3月デイサービスセンターならびに在宅介護支援センターを併設し、7月よりサテライト事業も実験的に始めたところである。

9.地域の地域による地域のための保健福祉文化創生事業

当施設の立地する大分県宇佐市およびその周辺地域の老齢化率は全国ならびに大分県平均を大きく上回り、地域によってはすでに30%を越えている。しかも、多くの若者は仕事を求め部会に流出しているため、老親たちは夫婦2人で、あるいは単身で生活しており、心身が虚弱になると日常生活が困難になってしまうという現状である。また仮に子供と同居していても核家族化や女性の社会進出等により、家庭のケア機能は著しく低下しており、家庭のみで老親のケアを行うことはきわめて難しくなっている。そこで当施設では、家庭のケア機能が低下しても、地域のあらゆる事象をケアの社会資源ととらえ直し、これを結集し、自助・互助精神を高め、地域全体としてのケア機能を向上させ、地域の地域による地域のためのケアシステムをつくっていこうとしている。
幸い、日本には、古来からの家族共同体、地域共同体、簡単にいえば親類縁者、向こう三軒両隣という考え方がある。これをよい意味で再強化し、施設を核に老いたり心身に障害をもっても安心して暮らせる町づくり、村づくり、人づくり、福祉保健文化創生運動に発展させていきたいと考えている。サテライト事業は、その運動の基地となるものである。

おわりに

痴呆性老人というと、善悪の判断もつかないほどなにも分からず、性的問題を起こすなど、まるで凶悪な非道徳的人間で人としての尊厳も失った存在のように思われがちである。しかし、痴呆性老人は記憶力が低下しもの忘れはしても、感情、情緒は健康な人間と変わることなく、人としての尊厳が失われることもない。特にアルツハイマー型老年痴呆のお年寄りは、感性に頼って生きており、感情は健康人よりいっそう純粋な形で表現される。したがって、そのケアでは、老人の感性をたいせつにすることが最も重要なことである。
また、地域との関係においては、福祉を単なる弱者救済、ケアという技術の面からのみとらえるのではなく、人と人との関係、人と地域の関係、さらに文化のあり方と考え、新しい文化創生運動、町づくり、村づくり、人づくり運動ととらえ活動することがたいせつである。





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