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高齢者ケア国際シンポジウム
第2回(1991年) 痴呆性老人の介護と人間の尊厳


第3部 発表  
バルツァーガーデン:
スウェーデンの痴呆症のためのグループリビングモデル

スウェーデン・モタラ総合病院老人部長
Barbro Beck-Friis, M. D.



1.器質性痴呆症:増大する介護問題

背景
スウェーデンの人口は現在850万人であり、そのうち65歳以上の高齢者は18%となっている。そしてその数は、2025年には21%になると予想されている。また80歳以上の超高齢者人口は1959年と比較した場合3.5倍となり、2000年までに毎年10,000〜12,000人ずつ増加すると予想されている。1990年のスウェーデンにおける超高齢者人口は全人口の約0.8%であり、2010年には2.5%にまでなると統計のうえでは予想されている。しかし、社会のなかで高齢者が増加すれば、それに従って痴呆症にかかる人数も増えることになる。スウェーデンの研究では、65歳以上の5%以上が器質性痴呆症である。また、加齢とともにその患者数も増え、80歳以上では5人に1人、95歳以上では2人に1人が痴呆症にかかっていると考えられる。
痴呆症は世界的な問題であり、日本では器質性痴呆の疫学調査を長谷川和夫先生が行っている。東京の人口25万の住宅地を対象にインタビュー結果から、2.4%がなんらかの形の痴呆症にかかっていることが分かった。この調査によれば、日本での痴呆症の総数は他の国とほとんど変わらないことがうかがわれる。これは、痴呆という病気についての継続的な研究が必要であるということを意味している。この病気の治療法を捜し求めている間にも、ケアについての局面はますます重要になってくる。このような患者について研究し、理解を深めることで、できる限り自宅において刺激のある環境を患者に提供するようなケアを開発しなければならないという理想がある。これを満たすケアがスウェーデン、モタラのバルツァーガーデンで行われているものであり、グループリビングで痴呆症のためのケアを行う1つの方法を示している。

2.器質性痴呆症の定義
今日、老人性痴呆症という言葉は広く使われている。通例その定義は、知的能力の低下や記憶機能に障害をもたらす後天的症状とされ、その結果、社会生活に影響が現れる。病気あるいは脳の障害で起こる状態のため、器質性痴呆症と呼ばれている。器質性痴呆は、悪性疾患とみなすべき長期の症状である。多くの原因が考えられるが、最も一般的なものが、アルツハイマー型で、脳の退化性疾患が病変を起こし、その結果、脳細胞の破壊と脳組織の萎縮が起こるものである。その他の原因として、脳の血管と血液の供給に影響を及ぼす病気がある。血餅や出血によって、多発梗塞性痴呆症と呼ばれる病気を引き起こす脳組織の損傷が起こる。スウェーデンでは痴呆症のほぼ50%がアルツハイマー型、約20%が多発梗塞性痴呆といわれている。さらにアルツハイマー型と多発梗塞性痴呆の混合型も考えられる。こうした数字から、アルツハイマー型と多発梗塞性が、痴呆症に関係のある脳障害の大半を占めていると結論付けることができる。重要なのは、痴呆症の根底にある原因の診断である。まったく脳に障害がないのに痴呆のように振る舞う仮性痴呆と呼ばれる患者もいる。このような人たちにとって、その原因はうつ病であったり、甲状腺機能低下症であったりする。したがって、病状を十分に調べたうえで正しい診断をすることが重要である。これには既往歴(身体と精神上)、臨床検査、心理テストを行い、脳波検査で補足することが多い。多発梗塞性痴呆の診断には、CTが多分に役立つ。
痴呆症の疑いがある患者に対しては、徹底的な診察を行うことがたいせつである。これにはまず診断を下し、それによって予後の見通しをたてるため、チームワークの仕事としてとらえるべきである。特別なテストを用いることによって、痴呆関連の障害を初期に診断できる。しかし、まだアルツハイマー型老年痴呆の原因は分かっておらず、判明しているのはこれが脳の退化障害であること、つまり脳組織の細胞死と萎縮を引き起こす病気だということである。
アルツハイマー型老年痴呆は10〜15年以上かかって進行することが多い。最初患者は、もの忘れや疲労、不安を訴える。言語障害があり、言葉が出てこなくなり、相手のいうことも理解しにくくなる。自分の家という住み慣れた環境でさえも分からなくなり、実際に日常作業も困難となる。病状が進むと、もの忘れ、見当識障害はますますひどくなり、人も物も識別できなくなる。簡単な形でさえなぞることができず、書体もばらばらで読みづらくなるのである。
しかし、このように重い障害があってもこれまでに培われた人格と社会行動は維持することができる。なぜならば、側頭葉、頭頂葉、後頂葉が冒されているだけで前頭葉はまだ影響を受けていない、というのが痴呆症の特徴だからである。末期になると患者の消極的な態度、筋肉の硬直はさらに悪化し、介護の必要性も増す。症状の進んだ段階では、感染症、骨折、失禁の形で合併症も起こり得る。
脳のなかの神経細胞は、「信号物質」あるいは神経伝達物質によって伝達される。このような伝達物質は非常にたくさん存在している。アルツハイマー型老年痴呆ではアセチルコリンの欠乏が典型的な特徴として現れるため、治療には脳内のアセチルコリン濃度を高める薬物が有用とされ、この点で、テトラヒドロアミノアクレジン(THA)製剤が効果があるのではないかと考えられている。また、その他の治療法についても、熱心な研究が進行しつつある。
そのほかに、身体の訓練と刺激によって痴呆の程度を顕著に改善することができるということが判明している。これは言い換えれば、刺激がなければ状態が悪化するということにつながることであり、この点でバルツァーガーデンでみられるようなグループリビングは、痴呆症の人たちに残っている健全な脳細胞を24時間べースで刺激し、活性化する1つのアプローチといえる。
前述したように、診断は厳密に行い、仮性痴呆を区別する必要がある。脳は正常で健全であるのに、重いうつ病か身体的な病気が原因で、あるいは聴力障害・視力減退・孤立感・単調な環境によって、痴呆症とよく似た症状になることがある。これを仮性痴呆と呼び、原因を見つけ正しい治療を行えば患者はほぼ100%治癒する。
痴呆症の症状を理解するためには、脳のどの部分に損傷があるかを知ることがたいせつとなるが、現在では研究が進み脳の断面をみることが可能となった。また、病気によって異なる損傷のパターンを知ることもたいせつであり、痴呆症では、脳下部の記憶中枢の部分に大きい損傷がよくみられる。その他の損傷としては、たとえばアルツハイマー型老年痴呆患者の場合、側頭葉、頭頂葉、後頂葉にみられ、これらはすべて言語と見当識に関連している。人格と行動は前頭葉で司っているが、アルツハイマー型老年痴呆後期にはこれが損傷されることが多い。また、自動性と感受性は脳の中央部分、視覚は後頂葉の神経細胞が司っている。
脳の損傷部分がどこに起こったかによって症状は異なるが、同時にどの部分が健全で、リハビリによって刺激することが可能かを知る鍵ともなる。前述したようにアルツハイマー型老年痴呆の初期には、前頭葉は健全状態を保っており、それが患者の人格が比較的長く維持できるゆえんであることに注目すべきである。
多発梗塞性痴呆の場合は、損傷部分によって、いつどこの場所が発作を起こすかが分からない。たとえば運動を司る領域に損傷が起こると、そこで麻痺の症状がみられ、言語をコントロールする部分ならば、言語障害が起こる。
この意味でバルツァーガーデンにおける治療は、一部は記憶に関する最近の研究に基づき、その他は現実を基礎に、脳の健全で機能し続けている部分を愛情に包まれた優れた環境の下で24時間刺激する方法をとっている。すべての患者を精神科の検査、レントゲン検査を行って診断している。

認識能力に関する問題点
次に、認識能力に関する問題点について述べることにする。たとえば、スプーン、フォーク、ナイフの区別がつかず、何に使うのか分からなかったら、テーブルをセットすることは容易ではない。
患者は不安感が頂点に達したとき、自分のもっている衣服を全部着て、家に帰りたいという。その人にとってその家は50年前から住んでいた所である。こういうとき、経験豊かなスタッフは患者の心を鎮め、助けなければならない。
意味のない繰り返しの動作は、症状の1つであると認識することである。
買い物をして紙幣で払うことは、一生を通して行ってきたことではあるが、もし紙幣が分からなくなり、ぺーパーナフキンとの区別がつかなければ、財布の中身は紙くず同様となる。
角砂糖はテーブルの上ではなくコーヒーのなかに入れるものだと分からなかったとしても、周囲の真似をして食べ始めることができる。食品が認識できなくなった痴呆症の人にとって、周りの人のまねをして食事をしないことには飢えにつながってしまう。ほかの人といっしょに食事をすることが、ケアを特徴付ける治療ともなるのである。
痴呆患者の精神状態を検査する方法の1つとして、Mini-Mental State(MMS)がある。患者が与えられた指示や話している内容が分からない場合、いわれたことを実行することは不可能なことである。MMSは患者の状態を把握する意味で、貴重な情報を提供する検査方法といえる(表1)。

表1Mini-Mental State(MMS)

スクリーニング・テストには限界があるが迅速で使いやすいため、患者にも検査する人にも受けがよい。20点以下の得点は痴呆症、譫妄、精神分裂症などの特別な患者にのみにみられ、正常の高齢者にはみられない。MMSのみでは痴呆症の診断を行うのには十分とはいえないが、それ以外の医学的評価の基礎とすることができる。
記憶についての最近の研究によると、われわれには「関連性の薄い記憶」と「意味のある進行性の記憶」の2通りがある。痴呆症では時間、空間、人に関しての見当識が急速に失われる。これによって重要な出来事や、不規則に意味のある記憶を思い出す能力が取り去られる。一方、たとえば水泳、歩行、ダンスという進行性の記憶は長時間残っていることが多い。近い身内と静かなワルツを踊ることによって、幸せの感情や脳細胞の機能の活性化を図ることもできる。音楽を使って忘れた言葉を蘇らせ、「口のきけなかった」人がときに歌い出すこともあるが、数分後には言語能力が再び失われてしまう。
痴呆患者のケアで最も重要なことは、患者にはできることとできないことがあることをスタッフが認識することである。たとえば、衣服と靴の区別がつかない場合、着替えをすることは不可能なのである。
患者が他人のまねをできる食事をともにすること、外出したときに楽しく安全に帰ってくることができるように散歩にいっしょに出かけること、音楽をともに聴くこと、テレビをいっしょにみること等が患者とともに過ごせるよい機会である。
動物も多くの場合、たいせつな役割を果たす。犬とかかわりをもつことで昔の優しさや温かい感情が呼び起こされ、同時に昔の記憶が呼び戻される道ともなる。
また、衛生の問題も難しい。たとえば、清潔にしようとして入歯をはずそうとすると、怒ったり攻撃的になる場合があり、スタッフや身内のみならず患者自身も非常に辛いことであろう。
痴呆患者のケアについての主な規則を以下に述べる。
?@ストレスやストレスの生じやすい状況を避ける。患者自身の毎日のリズムに従うようにする。
?A患者が認識できない、あるいは理解できない状況になったとき初めて補助をする。
?B刺激の多すぎるのは少なすぎるのと同様に危険である。たとえば外出は、好天候のときに短時間にするべきである。疲労すると症状が急激に悪化することになる。
?C患者の周りにあまり多くの人が集まってはならない。また、同じスタッフがいることで患者が安心し、逆にスタッフが患者のニーズを学べる状態にしておくことが重要である。
グループリビングにおいて痴呆患者を扱う場合、前述したように患者のできることとできないことを知る必要がある。脳の損傷が、運動領域にあれば麻痺が起こることから、この患者には歩行は期待できない。損傷が、言語伝達を司る部分であれば、こちらがいうことを理解することは不可能である。損傷部分が認識能力、見当識を司る部分であれば、これらの能力は失われおそらく自分の家ですら認識できなくなる。
記憶障害、言語障害、時間、空間、人に関する見当識障害などの記憶障害は脳の病気の広がりを表している。痴呆患者が個人的に知っている身内やスタッフといっしょにいると、周囲の人たちの支えと理解のなかで患者の機能が相応に働くこともあり得る。バルツァーガーデンにみられるようなグループリビングでは病気を直すことはできないが、痴呆の症状を軽減することは十分にできる。痴呆症を扱う場合、ケアの困難な状態が生じたときに正しい対処ができるように、スタッフは共感と知識の両面を持ち合わせなければならない。つまり、正しい診断、知識を広めること、痴呆患者のニーズに合わせた個人別のケアが、将来のための重要な要素である。

3.バルツァーガーデンにおける痴呆患者のケア
すべてのケアの目的は、優れた治療環境である。痴呆性老人の訓練と治療を正しく系統立てるには、ケアをまず個人に合わせなければならない。訓練は、患者の残存能力を分析することから始め、これらの能力を利用して、患者が自分でできる日常動作のすべてを遂行するように優しく愛情をもって接すれば、スタッフも患者もともに楽しいときをもつことができるのである。
バルツァーガーデンにおけるグループリビングのプロジェクトは1985年に始まり、少人数で家庭的な環境のほうがよりよいケアができるという仮説に基づいて実施された。多くても6〜8人のグループで構成され、可能な限り家庭的で安全な環境のなかでのケアを心がけた結果、痴呆患者の生活の質を高めることができたと考えている。
次に、バルツァーガーデンのプロジェクトの3つの理論を述べることにする。
?@一部修正を加えたリアリティ・オリエンテーションによる資質の刺激:患者に残っている機能を刺激し、活性化させるために現実を用いる方法。
?A環境を精神面のみでなく身体面の治療にも用いる:「優しいいたわりのケア」と組み合わせて、患者が身の回りのものを認識することができるような家庭的で快適な環境。
?B記憶機能と脳の損傷部分が行動にどのような意味をもつか、ということに対する最新知識:たとえばアルツハイマー型老年痴呆の初期には記憶や経験が比較的損なわれずに残っていることが分かっているが、これを治療のあらゆる段階で利用することが重要である。

(1)施設
バルツァーガーデンはオスターゴットランドの郡議会が所有し、モタラの老人・長期ケア省の管轄下にある。居室10室(うち7室は個室)、共有の居間、食堂および台所から成る。果樹のある大きな庭があり、さらに快適な環境を生み出すうえで調度品が大きな役割を果たしており、堅苦しい雰囲気はまったくない。

(2)職員
職員は14人で、フルタイム10人分の勤務をこなしている。最低限の条件として、准看護婦あるいは精神科の看護人が必要である。婦長(正看護婦)と准看護婦2人はフルタイムで勤務するが、その他はパートタイムである。

(3)患者
入居者の7人は、24時間中なんらかの訓練を受ける。目的は、友好的なよい精神環境下で患者の自尊心を高めることであり、ここでは親切、激励、賞賛が重要な要素である。患者が興味をもつことを行ったり、まだ記憶に残っていること、あるいは思い出せることを話し合ったりする。
器質性痴呆患者の介護とコミュニケーションにおいて、まだ損なわれていない機能を高め、患者が自分で対処できる状況に全力を注ぐことが重要となる。

(4)家族
バルツァーガーデンでは患者の家族が重要な役割を果たしている。痴呆症患者を身内にもつことは非常に困難なことであり、配偶者であっても、子どもでもそれは同じである。この経験を通してだれもが絶望、恥辱、罪の意識、敵意、憎しみと優しさの間で揺れ動いている。バルツァーガーデンでは家族を助け、彼らの愛する人たちにかかわるすべての困難な問題にいかに対処するかを教えるのが職員の重要な仕事である。

バルツァーガーデンが活動を始めて6か月たった1985年秋、厚生省から「モタラ・バルツァーガーデンからの報告」が出版され、このプロジェクトの予備評価になった。また、1988年には「AT HOME AT BALTZARGARDEN」が出版された。この本では、痴呆症と診断された数多くの高齢者がグループリビングでどのようなケアを受けているかについて語られている。重症の痴呆症に関する困難な問題をいかに扱うかを知らせることが、本書の目標の1つであった。
バルツァーガーデンのグループリビングは、集合生活をどのように送ればよいかという1つの手本である。現在は法律で、バルツァーガーデンで行われてきた方法を参考にして痴呆症のケアを行うグループリビングの建設が地域社会に対して義務づけられているが、これは特に重要なことである。スウェーデンでは、1992年1月1日から高齢者と痴呆症のケアに関する責任を郡議会から市町村へと移行することとしている。284の市町村は、約30,000〜40,000人のためのグループリビングの建設をしなければならない。痴呆症のケアは、今後の大きな課題である。
これらは一見簡単なことのように思えるが、理論と実際の知識が必要である。痴呆症は死に至る病であるため、診断は慎重に行い、特にうつ病というような仮性痴呆については注意を要する。痴呆症とうつ病は症状がよく似ているばかりでなく、併発することがある。痴呆性老人にとって、確固たるアプローチ、刺激のある環境、精神的な活性化が重要であり、刺激が少なければ、痴呆患者の知能や、感情を低下させるという事実を認識することが重要である。西洋社会の彼らに対する態度は、差別し、拒否し、否定することであった。今日、われわれは精神的な刺激により病気の経過を変えることはできないが、痴呆患者が意欲をもって治療に協力するように仕向けることはできるし、またスタッフが更なる関心と興味をもつことによってケアの方法を家族に教えることができると考えている。





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