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高齢者ケア国際シンポジウム
第2回(1991年) 痴呆性老人の介護と人間の尊厳


第3部 発表  痴呆症患者のケアの要因

サンフランシスコ・アルツハイマー協会主任コンサルタント
Nancy L. Mace, M. A.



痴呆患者に対するケアのあり方は、先進諸国にとって重要な問題の1つである。またケアに伴って患者が陥る日常的な挫折も問題となっている。これらの人たちができる限り快適に日常生活をすごすためにはどのような介助を行い、どのようにすれば安全が確保できるか、そしてどのような家族援助ができるのかをわれわれは考えていかなければならない。
残存する機能を助け、患者の安全を守り、そして病気であったとしても可能な限り生活を楽しむために私たちが介在できるケアの基本領域として以下の6つが挙げられる。
?@徹底的な診断と評価をする
?A障害が過度ではないかを確認して、治療する
?B脳の損傷が与える影響と、その性質を理解する
?C前向きの感情を支え、回復させる方法を見いだす
?D残存する機能を支え、喪失機能を使うことが少なくてすむ人間的な物理環境を作り出す
?E積極的な刺激を適当に与え、ストレスを減らす
病気の初期、中期の人たちにもこうしたケアの基本を応用するが、用い方は認識欠損の程度によって異なるのはもちろんである。一方、痴呆患者に対するケアの本質は、他の病人と共通する点がいくつかあるが、基本的には主たる症状である知的機能の障害を中心に行われている。

1.診断と評価
健康問題の診断、欠損または障害のある機能領域、環境、および家族状況の評価は、次の3つを目的としている。
?@精神的な混乱をもたらす原因の究明および治療
?A認識困難を悪化させる可能性のある併発症状の把握
?Bケアの提供者が個人を重視したプラン作成
ここに1つの例を掲げてみることにする。
エドナは84歳で、もと学校教師である。症状としては、アルツハイマー型老年痴呆初期にしばしばみられる言語、手書きの文字、数字その他の知的機能についての障害はみられないが、短期間の記憶喪失、注意力・集中力の欠落が有意にみられ、全体的に混乱が生じている。たとえば、夜中に目を覚まし、姉が自分のお金を盗むのではないかと心配したり、自分はこれまでたくさん悪いことをしてきたため、外出等で人にみられるのを嫌う、また、「役立たずで年寄りだから」死んでしまいたい、などである。2歳年上の姉によると、体重が減ってきており、ホームシック(最近、姉の住居近くにある新しいコミュニティーへ越してきたばかり)にかかっているという。生活歴としては、1年ほど前に夫を亡くしており、悲しみが深い。そして、ドレッサーの上に7本の薬瓶をたいせつそうに置いている。
私たちが介護している人たちは複雑な問題を抱え、他人をも巻き込んでいる特徴がある。混乱やうつ病は、年齢によるためだけではない。
この問題を解決するためには、順を追って行動しなければならない。まずエドナの健康診断のために医者にかかる必要があり、ドレッサーの上の薬も持参した。
医師はエドナが飲んでいる心臓薬3種類のうち、2種類はやめてもよいと判断し、残る1つのベンゾジアゼピン(トランキライザー)の投与量も徐々に減らしていくようにした。さらに利尿剤を減らし、関節炎の薬として服用していたアスピリンの薬量のみ変えなかった。そして薬の誤飲、自殺危機の防止のため、姉が薬の管理をすることになった。
血液検査の結果、ビタミンB12の欠乏がみられ、これを補給するために注射を始めた。
医師は痴呆症との診断を下した。その理由は、起きていて意識がはっきりしている人における複数の認識領域(彼女の場合、記憶と集中力)での精神機能の低下である。
しかし、痴呆症と診断はしてもアルツハイマー型老年痴呆特有の症状のゆるやかな進行がみられないことからアルツハイマー型老年痴呆との診断はされなかった。エドナには痴呆症の原因となるビタミンB12欠乏があり、しばしば意識障害を引き起こす薬を服用しており、痴呆症の原因ともなるうつ病があった。また、多発梗塞性痴呆症の可能性を示唆する心臓病がみられた。
医師は多発梗塞性痴呆症と診断するのには証拠が十分でないと考え、本症の特徴である段階的な衰弱の有無を観察することにした。
エドナのうつ病は、評価のうえで最も難しいものであった。人はうつ状態になると、集中力が欠け思考力も乏しくなる。これは若年性のうつ病によくみられる症状であるが、これにアルツハイマー型老年痴呆や多発梗塞性痴呆症が組み合わさると、認識障害はさらにひどくなる。このように、意識障害のある人にはうつ病だけがみられ、これが痴呆症の原因となっている場合がある。エドナは、自分が痴呆症であることを認識していることから、反応性うつ病、もしくは回復不能の痴呆症とうつ病の両方がある可能性もある。
臨床医にとってさらに問題になるのは、抗うつ薬の服用がうつ病を緩和することもあるが、痴呆症の悪化を招く可能性もあるということである。
うつ病を見逃したり、この治療を行わないことは危険である。自分が「老化しつつある」と信じている人は、痴呆がひどくなり家族の負担になるならば自殺を選ぶ可能性がある。
エドナの姉が盗みをしていないことを確認した。実際、このような混乱はよく起こることであり、明確に評価しなければならない。次に医師と私は、エドナのうつ病が最近の引っ越しや、自分のもの忘れに気付いたことが引き金になった「分かりやすい」ものか、あるいは抗うつ薬がよく効くタイプのうつ病かを判断するために症状を調べてみた。
後者は、うつの気分、睡眠パターンの変化、体重の増減、興味の減退、自責心、疲労、集中力欠如、精神運動性遅滞または興奮、自殺思考または死思考などの特徴がある。
エドナはうつ気分があり、睡眠時間が短くなり、体重が減少、自責心があり、死についていつも考え、集中力の欠如を訴えている。何度も同じことを考えることや猜疑心が、エドナのうつ病の原因と考えられた。

2.障害が過度でないかを確認して治療する
「過度の障害」とは、認識障害を不必要に悪化させるような状態を指している。松葉杖で歩いている人の足に、ボールと鎖をつなぐようなものである。この付加的障害はよくみられるが、見逃されがちである。痴呆老人は、痴呆症でない人に比べてほかの状態に反応しやすいようであるが、機能が悪化した場合でも痴呆症の進行によるものと考え、他の原因を探そうとはしない傾向がある。

(1)過度の障害の原因
(a)併発する病気
アメリカのある研究によると、痴呆症200例のうち、31%に痴呆症の原因となる複数の症状がみられたという。エドナの場合、代謝疾患が最もよくみられた。癌、心臓病という大きな病気も障害を過度にする一因である。しかし、尿路感染症、あるいは気管支炎や便秘という一見軽い小さな症状が認識機能の悪化につながることもある。最初の精密検査で、過度の障害の原因をいくつか見つけることはできるが、その後でも続々と出てくる。最終的な決定はできないまでも、関係者が入居者を観察し、併発している他の疾患の信号となる精神機能のわずかな変化やいらだちなどを見つけて、医師に警告しなければならないと考える。
患者の精神機能や行動が突然悪化したり、長期にわたる不安定な状態、あるいは集中力散漫や過剰不眠に陥ったときは、疾患の併発か薬物毒性の現れと考えられる。

(b)薬物毒性
痴呆患者の混乱を増す原因は、多量に投与される薬物であることが分かっている。この種の患者への投薬は、種類や投薬量を少なくし、混乱を起こしにくい薬に変えることが最良と考えられる。痴呆症が悪化するにつれて、薬に対する感受性が変わってくるため、投薬の規則正しい管理がたいせつである。

(c)痛み
痴呆症の人は、それが初期であっても、激しい痛みに対して訴えたり、正しく反応することができないことがある。足首を捻挫したままで歩いたり、肘に滑液包炎があるにもかかわらず肩を酷使したり、横にならなかったりする。したがって、関節炎、便秘、頭痛、同じ姿勢で座っているために起こる軽い痛みでも混乱を増したり、問題行動を増長することがある。

(d)感覚欠損
耳や目の不自由な老人は多いが、痴呆症の場合は、不自由であることの認識がなかったり、それを補うことをしない。また、補聴器や眼鏡をつけるのを嫌うことがよくある。聞こえないときには怒りを表し、部屋が明るい場合は部屋を出たがらない。周りが暗くてみえないため、ときどき場所が分からなくなることがあるが、痴呆症であるために明かりをつけることすら思いつかないのである。
だれでも老眼になると、明るさを余計に必要とするが、光に対する反応が鈍くなる。しかし、ピカピカの床、テーブルの表面、あかあかと明かりがともった風呂場のまぶしさは逆に困る。意識障害のある人は、光度が分からないため、それを修正しようとはしない。その代わり、怒ったり自分のなかに閉じこもったりする。
コントラストの程度も重要である。たとえば、アメリカのナーシングホームでは白い皿に白いチキンをのせて供したりする。老眼には皿とチキンの区別が容易につかないし、痴呆老人はこれを補う術を知らない。
騒音は、かなりのストレスとなり、過度の障害を引き起こすことがある。痴呆症のみでなく聴力障害のある人は、雑音があると声が聞こえない。聞き違いをしたうえで、「大きい声でしゃべらない」と怒ったりする。
痴呆老人は、便利であるにもかかわらず補聴器や、眼鏡の使用を拒むことが多い。この種の過度の障害を治療するためには、まぶしさを減らし、明かりを強くし、雑音をなくし、広い空間では対照をはっきりさせるほうがよい。これらは一戸建ての環境では可能であるが、ナーシングホームでは難しい。
うつ病・幻覚・妄想は、治療効果がよく現れるものである。
結局、エドナのビタミンB12の欠乏症、うつ病、薬の影響、姉に盗まれるという妄想は、介入の結果よくなった。相変わらずすぐに泣いたり、長い間独りぼっちにされると気落ちするが、明るさが増し、猜疑心が消え、わずかだが精神状態が改善された。その後数か月以上にわたり徐々に認識の低下がみられるようになり、アルツハイマー型老年痴呆と思われる症状の進行を示した。彼女は、頻繁に軽い尿路感染症にかかりその都度機能レベルが低下したが、治療するとよい結果が得られた。
根本にある痴呆症は治らないまでも、うつ病の治療を通して機能に改善がみられ、独立状態に近い住宅環境で住めるようになり、生活の質は有意に改善された。

3.脳に対する損傷の理解
痴呆症では記憶喪失、言語障害、運動機能が損傷を受けることが分かっているが、他の数多い損失は見逃されやすい。脳障害、人格、生活様式、手際よく処理する、もしくは注意をひくというような行動の関係をはっきりと理解することが効果的で、かつ患者に尊厳と敬意をもって付き合っていく介入の仕方を選ぶことがたいせつである。
私の友人ベラは病気の初期である。かなりの援助を必要とするがひとり暮らしをしており、訪ねてみると、まだ社交性もあった。彼女の姉から聞いていなければ、ベラの異常には気付かなかっただろう。ベラはTVディナーの置き場所や、電子レンジの使い方も覚えており、食事の作り方には何の障害もなかった。しかし、簡単な食事であっても電話をしていちいち教えないことには、食べないのである。
ベラは食事の作り方の1つひとつは分かっているのだが、それを正しい順番に並べる能力を失ってしまっているため、食事の準備が全くできなくなっている。
エスターは衣類のしまい場所を知っているし、夫がたんすに張りつけたラベルも読めるのであるが、自分で衣類を取り出すことができない。夫が取り出したものは、自分で着られる。エスターには障害はないが、みえないものを心に描く能力をなくしてしまったため、目分の持ち物の所在は分かっていても、自分で取り出すことができないのである。
ジョンは、窓から放尿し始めた。息子が叱責すると、「いいじゃないか。ここは私の家なんだから」といった。ジョンは変態になったのだろうか?ただ困らせているのだろうか?尿意があることやトイレの場所も分かっていて、近所の人が迷惑がることも知っているのだが、判断という複雑な過程の1つの小さな接点が、病気で破壊されているのである。
マイクのいっていることは理解しにくいが、妻と手伝いに来た女性に対して悪態をつくときは全く違っている。この怒りは自分の病気に向かってのものだろうか、マイクの長年の行動スタイルなのだろうか?神経心理学者によると、もっと耳に快く響く言葉をいうつもりが、病気のために全く正反対の言葉が発せられることがあり得るという。マイクはこれについてよく分かっているのかもしれない。つまり、事態が判断でき、とても恥じている可能性がある。しかし、自分の話していることが愉快なことをいっているのだと信じ、妻の「根拠のない」非難に立腹している可能性もある。
病気の初期には、洞察力を残している人もいるが、大多数の人は早い時期に失ってしまう。人の行動についてのフィードバックは似ている。自分が痴呆症であることを分かってすっかり落ち込む人もいる。自分の態度について、人や家族に話したいと思ったりすることで反応しているのである。それ以外の人は、自分は大丈夫で、自動車事故を起こしたり、ストーブをつけっぱなしにしたり、迷子になったりはしないと言い張るのである。ある娘は、母親に冷蔵庫のなかをのぞかせた。母親は2人の目に実際にみえている腐った食物がそこにはないと言い張った。これは否定ではなく、脳がまちがったフィードバックを与えているのである。すなわち、感知装置の情報は反対であるが、脳は彼女のしていることが正しいと指令しているのである。そのことで言い争うと、彼女は訳もなく敵対されていると感じ、混乱し、挫折してしまうのである。
痴呆症は、次のような多くの能力が失われる。
?@開始する能力:メアリーは行きたいと思っても、起き上がっていっしょに歌を歌えない。
?A停止する能力:アンは同じテーブルを拭き続け、次のテーブルに移ろうとしない。
?B計画する能力:ジェーンは寝室から台所に行くためには、バスルームを通り、ホールヘ下りて行かなければならないという道順を計画する能力がない。
?C学習する能力:アリスは食べ物の皿を床にひっくり返し、嫁をひどく叱る。嫁はそれにこたえて、食べ物や、癇癪まぎれの罵声を無視し、姑に食べ物をもう与えなかった。これが小さい子どもであれば、何度も食事抜きにされたらこんなことをしても無駄だということを学習するだろう。しかし、アリスは学習ができないため、この戦術は役に立たないのである。アリスにとって部屋のなかはうるさく複雑すぎる。皿の上の食物は、種類が多くてどれを選んでよいのか分からない。つまり、刺激が多すぎることへの反応が皿を投げることだった。もっと静かな時間に、食物の数を減らして食べさせたら解決したのである。
?D一度にすべてを感知する能力:ジョンの5人の娘が全員で訪れると、彼は2人を無視する。それは嫌いだからではなく、脳が一度に5人を感知できなくなっているのである。
このような人たちは、泣いていたと思うとすぐに笑い出したり、怒りの激しさを自制できないようである。気分を規制し、調整する能力が衰えている可能性がある。
失われる可能性のある領域は何百とあり、その程度も異なる。アルツハイマー型老年痴呆の初期に現れる言語障害のパターンはさまざまである。名詞を忘れる人、人に認知させる能力をなくす人、ベラのように有意な障害がほかにあるにもかかわらず十分に表現力のある人もいる。
記憶と同じように、技能とはいくつかのものがいっしょになったものである。また、長期の記憶は短期の記憶に比べ長い間保持されるという特徴があり、感動の記憶は事実の記憶よりも長く残っている。ジェーンはある職員を怒ったことは覚えているが、その理由は覚えていない。
類似しているようにみえる技能と明らかに自明とみえる技能があるため、家族やスタッフは、患者ができないことをできると考えて錯覚に陥ってしまう。
特定の患者に対してどの程度の能力があるかを知ることは、非常に難しいことである。
しかし、神経生理学検査を含む徹底的な評価によって、患者のどの機能が消失し、どれが残存しているかが分かる。アメリカではほとんどの患者の詳細な情報が入手できないため、臨床医は自分が入手できる情報で最善をつくさねばならない。痴呆症は、特に初期の人にとって荒廃状態はひどくまた痛々しいものであるが、それに加えて理解してもらえない、という苦しみを与えないようにしなければならない。そのために、観察される特殊な出来事のほとんどは、脳の病気の過程の結果であり、意図したものではなく怠惰さ・頑固さ・変態によるものではないと考えなければならない。それによって怒りや、挫折感、絶望感が和らぎ、病気があってもその生活をわずかでも楽にすることができる。
痴呆老人は、ほとんどいつも最善をつくしているのである。
機能障害を認めることによって、患者が不可能なことを要求しないようになる。また、個人の残存機能を認めることによって、自立を援助し、満足させることができる。

4.積極的な感情を支えあるいは取り戻す
たとえば、ある朝起きて手の洗い方を忘れてしまっていたと想像してみよう。朝食のテーブルが見つからない。だれかが朝食を運んできてくれるが、欲しいものとは違う。朝食後テレビの前に座るが、意味が分からない。起き上がって家事をしようと思うが、思うようにできない。そこへ知らない人が来て、あなたを風呂に入れようとする。自分で風呂に入れるし、手伝ってもらわなくても大丈夫なのだが、その人はあなたを風呂に入れるのである。
このようなことが続いた場合、うつ状態になってしまい、怒りやすく、挫折感をもち、事態を切り抜けようとする努力だけで疲れてしまう。
痴呆老人は、手を洗う、食事を運ぶ、次にすることを決めるといった生活面の簡単なことがコントロールできなくなっている。したがって、痴呆症になると、スタッフや家族が十分なケアをしていても、患者は怒りやうつ状態を感じるようになる。また、病気によって尊厳、自負心、日常生活のコントロール、独立心、自尊心が取り去られ、怒り、引っ込み思案、無気力、抵抗、恐怖心、挫折などが現れるのが普通である。
病気によってほかの人との通常の関係も消えてしまう。自分のいいたいことを分からせることができず、訪ねてもらったことも思い出せない。また、家族の人がいったことを忘れる。疲れて憂鬱そうにみえる配偶者といっしょに暮らしているとしよう。痴呆老人は、ほとんど外出しない。出かけても会う人はそのたびに知らない人にみえるのである。古い友達は居心地が悪くて訪問できないことがある。通常は、自分も配偶者も外出するため、毎日朝から晩まで配偶者とだけ暮らすことはない。しかし、痴呆症になった場合、四六時中配偶者と暮らさなければならない。まるでわなにでもかかったようだ。そして愛する相棒はきげんが悪く、疲れていて、いっもあれこれ命令するのである。
痴呆老人は、自分にみえるとおりの世の中に対処しようと努力している。よく知っていた場所へ戻らなければならないと考えるが、自分がまちがっているかあるいは徐々に気が狂ってきたかのように思う。また、うまくいっていると確信する一方で、ほかの人たちが自分のことをばかで、不器用だと非難していると思っている。このような感情が徘徊を促したり、怒りを爆発させたり、無気力、頑固な協力拒否につながるのである。
痴呆老人に対するケアの第1の目的は、尊厳や自尊心を取り戻し、生活をコントロールし、家族との絆と友情を保つことである。このように積極的な感情を取り戻す努力をすると、問題行動は減少するが、病気が早期であっても、脳障害は複雑でかつ壊滅的であるため、思うようにならないことも多い。
しかし、介護者が問題行動を脳障害の結果と見なし、受け入れることでそのような行動がなくなることもある。何度も同じテーブルをふくこと、正しく着替えができないこと、5人の娘全員の訪問が認識できないことなどは介護者にとってのみ問題行動としてみえるのである。
人の1日をたどってみると、変えることのできないことがたくさんある。知らない人と過ごさなくてはならない、配偶者はいつも疲れて憂鬱な態度であり、入浴は省けない。しかし、(いささか混乱した規則だが)隣人にチェスをしにきてもらって、入浴という作業を威厳のあるものとすることができなくとも、その人に自分でコントロールができると感じさせることができる。
また、脳障害の特徴をよく理解することによってケアを成功させることができる。テーブルをセットしたり食事の用意ができなくても、ほとんどの人がフォークを並べたり、野菜の皮はむける。訪問客からの1通の手紙によって、意識障害のある人は以前にだれかが訪ねてきたこと、そのときどんなことがあったかを思い出すことができる。訪問という出来事を再構築するには、客の数が少なければ少ないほどよいし、また訪問者といっしょに行う仕事(手洗いの洗濯、ウインドーショッピング)があれば、訪問者自身もリラックスし言葉に頼るコミュニケーションを減らすことができるため、みんなが愉快になれる。
可能な限り失敗や衝突を避ける方向にもっていくことである。痴呆老人は、一般に事実よりも感情のほうをよく覚えていることがある。したがって、失敗や努力が否定的な感情を高めることになる。
ジャネットはいつも入浴を非常に嫌った。しかし、介護者がスポンジを使って体を洗ってみたら、彼女の緊張はほぐれ、その日以来協力的になった。
いつもわずかな選択、たとえば軽い仕事、ほんの5分間友達といることなど、些細なことで手助けができる。患者とともに苦しんだり、行動を阻止しなければならない場合、逆に明るい時間を設けてバランスを取るのである。病気の初期には、またほとんどの人がユーモアのセンスを持ち合わせている。ユーモアは、患者と介護者の両方の生活の質を改善するものである。
病気自体は壊滅的で、われわれの行えることといえばその損傷の一部を埋め合わせられるにすぎない。しかし、患者の失ったり傷ついたりした認識領域について理解し、積極的な感情を取り戻すための個人を重視するささやかな介入を行うことで、生活の質に重要な違いをもたらし、問題行動を減らすことができる。

5.残存している機能を使い、失われた機能を使わずに人間的な物理環境をつくる
上述したように、感覚的な能力を助けるために物理的環境を利用する。つまり、残存している認識機能を使い、尊厳、自尊心、人間関係、成功、自立を取り戻すための手段として、物理的・社会的環境も利用する、ということである。
これには新式の器具類を導入してもむだである。たとえば、痴呆老人には使いやすいが馴染みがないシャワーを用いても、その人の不能は増し、不安が募るばかりである。簡単で分かりやすいことでも、新しいことは学習できないためである。つまり、身の回りは馴染みのあるものでなくてはならない。
物理的環境は、残っている機能を助け、失われた機能に対しては要求の少ないものにしなくてはならないが、これは混乱した人にとって正常と思えるようなやり方で行わなければならない。たとえば、広い部屋いっぱいにさまざまな物が散らかり、そしていろいろなことが起こっている環境は、われわれには平気であっても、痴呆老人には圧迫感がある。小さ目で、散らかっていない静かな部屋が治療に向いており、痴呆症の脳には正常と知覚されやすい。
病気の初期には、環境を利用することがよくある。引き出しや、部屋の戸棚につけた印しを手がかりとする人は多いが、なかには印しのとおりに行動する能力を失った者もいる。このような場合、印しは助けになるどころかかえって「あなたはばかね」といっているようなものである。私の友人ベラは、台所とドアのサインを触りながら、「こうしなさいといっているんだろうけど、まるで子ども扱いされてるみたい」といっていた。したがって、個人個人の対応がたいせつになってくる。
痴呆症初期の人は、町へ出かけて買い物をしたり、美容院へ行ったり、店員とのおしゃべりが可能である。同伴者は買い物の支払いをし、店員に、この人が病気であることやどのように接すればよいかを説明する必要があるだろう。
また、患者に自分の名前と介護者の電話番号を書いたブレスレットを是非身につけさせるとよい。
患者も環境によって、掃除をする、野菜を切る、皿を洗う、家具を磨く、庭をくま手でならすというようなことができる。
しかし、痴呆老人の自立を助け自負心を喪失させずにおくためには、かなりの危険が伴うことがある。たとえば、料理のできる人は、火事を起こすことが多々ある。外出する人は迷ったり、けがをしたり、盗難に会う可能性がある。
運転をする人は、本人や他人に危害を及ぼす危険が高くなるため、運転をやめさせるべきである。その他の危険は、個人に応じて評価すべきである。真の危険がなにかを理解することがたいせつになってくる。その人が道に迷った際、近隣の人の間で手助けの方法が整っているかどうか、このような要素が整備されて初めて、自尊心と自立心がなくなった老人の真の危険を予測することができるのである。また、症状の進行に伴う危険の評価の見直しが必要となってくる。

6.ストレスを減らす一方で適当な積極的な刺激を与える
痴呆老人はストレスに非常に弱く、重圧をかけられたり、取り乱したりすると、平常より状態が悪化する。騒音、人混み、周りの混乱が共通したストレス源となる。脳が送る誤ったメッセージもストレスを生む。消失した作業能力を復活させようとして苦しむこと、家や遠い記憶にある場所へ帰ろうとして苦しむこと、失敗を隠そうとして苦しむことなど、すべてがストレスの原因となる。
ストレスが非常に小さい場合は、突然怒ったり、泣いたり、頑固になったり、人を攻撃したりする。このような爆発は、破滅的な反応と呼ばれるものである。
破滅的な反応は、家族やスタッフが報告している多くの問題行動からなる。また痴呆老人の極限の苦痛をも反映しており、これらを管理することが質の高いケアにとって必須事項である。
熟練したスタッフは、破滅的な反応が出る前に介入によって多くの問題を防止することができる。患者を急がせないようにする、恩きせがましくしたりへり下った声や態度を避けるように訓練する、たとえ重度の障害をもっていたとしても尊敬と尊厳をもって接する。これらは、訓練を受けた献身的なスタッフにとっても、非常に難しいことである。怒りやすかったり、うつ状態の家族には不可能なことかもしれない。スタッフと家族に対する適切な支援(家族にとっては介護からの解放という形での支援)は、前向きで支えとなる環境をつくるのと同レベルの重要性をもっている。
選択肢を減らし、騒音、混乱をなくし、患者が十分時間をかけて反応できるようにするなど、わずかなストレス源をも減らすようにする。また、患者が失敗するような状態におかない。つまり作業をやり遂げて、成功できるように気を遣うことであると考える。
アンは洋服ダンスから服を選ぶことがうまくできないため、スタッフが2着だけを出した。次にスタッフの1人が、アンに十分時間をかけて次になにを着るかを優しく思い出させた。最後にスタッフ2人で、鏡に写るアンがきれいだとほめ、口紅をさすのを手伝った。
障害者をストレスから守ると同時に、適当な刺激を与えることも必要である。脳への損傷があるため、さまざまな安全手段をとる結果、多くの人々にとっては刺激が十分でないという結果になっている。問題行動の多くは自己に対して刺激を与えようとする努力の表れであり、痴呆老人は分からないのにテレビの前に座り、なにをするでもなく歩き、仲間入りするでもなく家族の訪問に顔を出す。行動を起こすことができないため、看護婦に仕返しをしようと企むことさえできない。ただ座っているだけなのである。
刺激を与える際、最も重要で効果的な方法は、人との付き合いである。その人が好むならば、ペットや子どもも重要な役割を果たす。痴呆老人は、音楽、戸外に出ること、自分が役に立つと感じること、これまで自分が行ってきた仕事、を好む。また、これまで行ってきた宗教儀式はたいせつである。この世代の人々は、だいたいにおいて純然たるレクリエーションには興味を示さず、テレビをみても分からない(これには通常失われた認識技能が必要とされるからである)。概して、壁の模様やその他の飾りは刺激がほとんどなく、見当識として自分の部屋を自覚するためのものである。以下に、痴呆症のケアにおける主要な要素をまとめる。
?@徹底的な診断をして評価する
?A過度の障害を確認し、治療する
?B脳の損傷の影響と性質を理解する
?C尊厳や自尊心、自立、抑制、熟達、成功、友情、家族のきずななどについての建設的な感情を支え、回復するための方法を見いだす
?D残存する機能を支え、喪失した機能をほとんど使わなくてもよい人間的な物理環境を作り出す
?E適当に積極的な刺激を与え、ストレスを減らす
以上のことが実行できれば、痴呆老人の生活の質を改善し、スタッフや家族介護者を困らせる問題行動を減らすことになる。





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