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高齢者ケア国際シンポジウム
第2回(1991年) 痴呆性老人の介護と人間の尊厳


第2部 特別講演  高齢者ケアの展望

ロチェスター大学医学部教授、米国科学アカデミー医学研究所理事、前米国国立老人研究所所長
T. FranklinWilliams, M.D.



本国際シンポジウムのテーマである「痴呆性老人の介護と人間の尊厳」は、重要な問題である。最良のケアとサービスとは、高齢者各人の人間としての尊厳と自主性を認識し、尊重することであり、そして、その提供にあたっては、各人の自立、個性の保持・回役、さらに尊敬を主たる目的として行わなくてはならない。
私の高齢者ケアに対する考えは、アメリカをはじめ他国におけるケアの革新的なプログラムの知識だけではなく、米国国立老化研究所(NIA)所長としての8年間の経験を基としている。NIAは設立以来17年間、高齢者の加齢過程における共通の問題を生物医学的、行動学的、社会的側面において研究し訓練することを総合的な目的としてきた。この高齢者のための尊厳を伴うケアを実施するためには次の3つの主要点が掲げられる。?@健康と自立の維持、?A虚弱な人の機能と自主性の回復、?B精神的、身体的な虚弱さのいかんを問わずケアを必要としている人のための個人を重視したケア、である。

1.健康と自立の維持
近年の研究の進歩で、高齢者に対する考えが大きく変わった。それは、健康と自立を維持できることが明らかになったことである。従来高齢とは身体機能、精神機能、性的機能、社会的機能の低下が避けられない時期であると広く信じられてきたが、現在は、かなり晩年に至るまでほとんどの人間の機能は、維持可能であり、かつ実際に維持されていることが分かってきた。ここで最近の研究からいくつかの例を挙げてみることにする。

図1

メリーランド州ボルチモアのNIA老年学研究センター等の研究によって、若いころから明確な冠状動脈疾患が認められなかった場合、80歳代あるいはそれ以降においてもその者は非常によい心拍出量(心機能)を維持する可能性があるということが証明された。図1では、健常者を対象に、まず心電図とタリウムスキャンを用いて、安静時および運動負荷テストの両面において滞在的心疾患の徴候を測定した。実際には対象の約50%に冠状動脈疾患の発症がみられ、心疾患のない残りの50%について標準トレッドミル法テストを行った(図2)。調査は、70歳代、80歳代の高齢者とそれよりかなり若い人たちを対象として実施され、その結果、最大心拍出量は同程度であることが得られ、このことから、年齢による低下傾向の証拠はないことが明らかとなった。

図2

さらに、5年以上の追跡調査を行ったが、冠状動脈疾患が認められなかった者の心臓発作のリスクは非常に低かった。すなわち、次の5年間で得られた結果はほぼ3%で、60〜69歳までの人たちのリスクは、40〜59歳までの人たちと同程度に低いといえる。しかし、これとは対照的に、潜在的心疾患をもつ人たちは、どの年齢でも心臓発作のリスクは非常に高い、という結果が得られた。私はこのような事実から、定年退職の年齢を決定する際、アメリカの民間航空会社がパイロットの定年を60歳と決めるより、各人のリスクを見極めるためにこのようなテストを利用したほうが賢明だという意見に賛成するものである。

図3

図4


もう1つの例としては、脳と精神的能力の維持がある。NIAでグルコース代謝測定にポジトロントモグラフィ(PET)を用いた脳の代謝研究において、80歳代の健康な人の脳の代謝レベルは、非常に年齢の低い人たちとほぼ同じであることが判明した。図3はアルツハイマー型老年痴呆患者の脳を対象としてPETスキャンでみたものである。図4は60歳代の一卵性双生児2人の脳で、1人はアルツハイマー型老年痴呆が進んでいる。正常な人と比べて、脳の多くの領域でグルコース代謝の低下がみられる。
さらに、精神機能について広範囲な縦断研究を行ったペンシルベニア州立大学のWarner Schaie教授によると、知能テストの多くで老人の大多数が25歳の人たちと同様の成績を示すとしている(表1)。さらに図5からも明らかなように、対象の大部分が、60歳代、70歳代であるにもかかわらず、7年以上の追跡調査を行っても低下がみられなかった。
しかし、これまで挙げてきた全例について、90歳以上を対象とした情報は得られていない。

表1


図5

再び前記との比較になるが、年齢と関連付けた腎機能の横断研究では、機能の一般的低下はみられたが、加齢についてのボルチモアの縦断研究の結果は、多くの者(少なくとも3分の1以上)でその低下はみられなかった(図6)。こうした研究によって,同じ者についての経年測定が重要であり、健康だとされる人たちの間でさえ大きなばらつきのあることが判明した。私は、加齢に対する研究を行う際の重要な点は、すべての面で個人差があることを理解することである。


図6

人の一生を通じての安定性がみられるもう1つの例として、ボルチモアの経年研究における人格についての縦断調査がある。人格は非常に安定しており、加齢に伴って変化することはない。つまり、若いときの人柄は。晩年になっても同じであるということである。
また、高齢者はよい機能を保持するのみでなく、機能に低下傾向があればそれを改善する可能性もある。病気や障害があればこれについて調節を行ったうえで、年年齢層に身体を鍛えるためのフィジカル・フィットネスやエクササイズを奨励してもよいと考えられる。図7は、マスターズの選手になるために訓練をしていた60歳代,70歳代の者たちは、運動をしていない典型的な老人に比べて最大エアロビック能力がどれほど高いか、そして実質上、若い運動選手と比べても変わらないことを示している。

図7



ワシントン大学のJohn Holloszy教授らは、座ってばかりいた60歳代、70歳代の人々をフィットネスプログラムに参加させたところ、若年齢層と同じように最大アエロビック能力が平均して40%改善され、血中脂質と耐糖能にも顕著な改善がみられた。
閉経後の女性についても、運動する女性は、運動をしていない女性と比べて、骨の損失が少なく、骨の密度が濃くなった者さえいることが示されている。
これらから、決して遅すぎるということはないといえる。ボストンのMaria Fiatarone博士らは1990年に、ナーシングホームの居住者で平均90歳の非常に弱っている人たちに、単純な筋肉強化運動を8週間行ったところ、脚の筋力、筋肉、歩行能力が目立って改善されたという、印象深い研究を報告した。
その他、精神機能の改善の可能性についても証明がある。ドイツのPaul Baltes博士らおよび他のグループは、精神機能にいくらかの障害がある老人に単純な訓練をさせたところ、その精神行動に改善がみられたことを報告した。
以上のように、多くの人がかなり晩年になるまで自立と機能を高レベルに保持し、たとえ低下傾向にあった場合でも改善できることが証明されている。そのためには、身体と精神の運動維持、適切な栄養摂取、禁煙、少量飲酒、適切な検査・予防手段などを含む健全で、活動的なライフスタイルが不可欠となる。

2.障害者の機能回復と自主性
慢性病は、加齢に伴う遺伝的素因、ライフスタイル、環境等が原因で増加する。表2は、アメリカの全国調査における65歳以上の者に最も普通にみられる慢性症状の頻度を示したものである。約半数がなんらかの形で関節炎を訴えており、また、その他の一般的な症状として、高血圧、聴力・視力障害、心臓病等がみられる。なんらかの症状を訴える者がすべて機能障害をもつとは限らないが、85歳以上の超高齢者においては約40%にみられ、日常的に介助を必要とする。図8は、85歳以上の人における機能障害の一般的な原因を示したものである。この図から分かるように、最も一般的なものは精神機能の障害または痴呆症であり、これに続き関節炎・抹消血管障害・脳卒中・腰などの骨折である。主たる死因となっている心臓病や癌等は、ほとんど病的状態や機能障害の原因にはならないことが注目される。

表2


図8

いままで高齢者の障害の主な原因を探るための研究やサービスで、痴呆症、精神の虚弱、関節炎、骨粗鬆症、転倒、聴覚・視覚障害、卒中を含む状態の原因を特に注目してきた。機能を回復し、自立を図るためには、このような問題への対処が必要なのである。
痴呆症が、多くの高齢者の自立を大きく脅かしていることは確かである。アメリカの最新の研究では、65歳以上の高齢者の10%以上、85歳以上の40%以上に、有意な痴呆状態がみられ、そのうち大部分はアルツハイマー型老年痴呆であるといわれている。しかし、ヨーロッパや日本におけるアルツハイマー型老年痴呆の有病率は低く(図9)、日本では多発梗塞性痴呆症の頻度が高いとされている。この違いは、痴呆症の記録の方法にもよると思われるが、ほかの国における信用性の高い情報がほとんど得られていない。WHOの老化に関する研究プログラムによって大がかりな研究が着手されようとしているが、その目的は、先進国、発展途上国にかかわらずあらゆるタイプの痴呆症の罹患率ひいては発生率についての、より広範囲で共通性のある疫学データを入手することである。

図9

痴呆性老人の介護は家族や社会にとって大きな負担となり、費用も莫大である。アメリカのアルツハイマー型老年痴呆患者に対するケアの費用は、現在年間800億ドル以上と推定され、この病気を撲滅させない限り、超高齢者人口の増加とともにこの費用も増大することとなる。したがって、アルツハイマー病に対する研究支援が、米国国立老化研究所、他の政府機関や財団にとって最優先の課題である。われわれはなんとしても今世紀中にアルツハイマー病に対する明確な答を見つけなければならず、私はこの可能性を確信している。
幸い、さまざまな研究によって、この病気の滞在的原因や脳内の損傷変化が起こる過程、またこの病気の進行を停止あるいは回復させる可能性について、非常に有望な報告がなされている。少なくとも遺伝子的素因がみられることは明らかにされ、異常遺伝子の存在場所や行動が急速に解明されてきている。しかし、一卵性双生児の例で分かるように、遺伝子以外の因子も考慮する必要がある。遺伝子は同じであるにもかかわらず、片方にのみアルツハイマー病が現れる双生児の例は多い。したがって、食事または食物連鎖、その他の環境が及ぼす影響について、おそらくは伝染性因子を伴う外的因子についても探究を続けなければならない。病気の進行停止や、損傷による変化を回復させることができる介入手段について、非常に明るい見通しもある。たとえば、実験動物を用いて神経成長因子を確認し、これを利用することで、少なくとも部分的に脳内の障害を修正できることが分かったことから、アルツハイマー病やパーキンソン病のような退化性疾患の患者に、このような成長因子の慎重な臨床実験を近い将来行える可能性もある。
さまざまな研究や開発が進んでいる一方で、われわれは、すでにアルツハイマー病にかかっている者に対して尊厳あるケアを提供し、負担の大きい家族を支援するという重大な問題に直面している。前述したように、まずできる限りの自立と機能を保持し、低下してしまった機能に対してはそれを取り戻すことがその目的である。自主性を引き続きどのように支えるかということを考えながら、個人の生活背景と好みについて注意深く配慮することが大切である。こうした特徴のいくつかと新しい生活背景について述べたい。
基本的研究と機能回復治療にとって、大きな問題は身体的衰弱の対処法であると考えられる。転倒や骨粗鬆症の結果、最も障害の大きいものの1つに腰の骨折があり、アメリカでは年間20万件を超える。腰の骨折は、高齢者が恐怖を覚え、自立心をなくすことにもつながり、またそのリスクは、加齢とともに増加し、90歳の女性では3人に1人の割合で骨折の可能性が高くなっている。しかし、骨粗鬆症の発現と予防または停止要因についての知識も広まりつつある。さきに、骨の密度を維持するためには運動が重要であることは述べた。閉経後の女性で、少なくとも骨粗鬆症の危険があって、乳癌の危険因子をもたない女性に対するエストロゲンの使用効果の正当性が最新報告としてある。そのほかカルシウムとビタミンDの適量の摂取を含む予防法が重要である。
骨の損失を少なくしたり、骨の回復を補助する物質を用いる骨粗鬆症の新しい治療法は有望であり、今後数年間で、腰の骨折の発生を大きく遅らせたり、減少が可能となると考える。図10で示すように、発生を5年遅らせることができれば、骨折患者の数は半分に減り、何億万ドルという年間支出が半減するのである。
腰の骨折、卒中、関節炎など身体の機能を極限まで痛めつけるような場合は、リハビリ重視のアプローチを治療の不可欠な部分とすることが重要である。老年医学は、失われた機能の回復と自立をできる限り取り戻すことなど、回復を目的とするべきである。このリハビリ重視のアプローチは、非常に急性の病気の場合も、発生後できる限り早い時期に始め、かつ長く続けるべきである。

3.個人別ケア
個人別ケアの概念は決して新しいものではなく、すべての医学の根本にある哲学を別の言葉で言い表したものである。Francis Peabody博士は「患者のケア」の講演で、「患者のケアの秘訣は、患者のためのケアをするということである」と印象深く語っている。つまり、個人にかかわる問題に目を向けることにある。しかし多くの高齢患者が、直面する医学的・社会的な数多くの問題、必要とするケアの複雑さ、またケア提供のための環境が多岐あるいは長期にわたっているために、個人を見失う傾向が強い。また、システムを生かそうとするために、個人にシステムを合わせるよりも個人をシステムに合わせることになってしまっている。
これは、障害の進行や介護をしている家族の挫折など重大な局面で、十分な評価が行われなかったことが問題である。このような状況において、包括的または学際的な老年医学上の評価の価値が明らかとなった。ここでも、機能の回復と自立を中心としたケアの包括的なプランをチームとして進めるということである。老年医学の知識の豊富な医師、看護婦、ソーシャルワーカー、栄養士、薬剤師、精神科医、心理学者、歯科医、理学療法士、作業療法士、コンサルタントらによって行う綿密な評価が、高齢患者とその家族にとってよい結集を生むことになった。
これによって、ほとんど例外なく、いままで見過ごされていた個人の特徴が明らかになったのである。
もう1つの大きな問題は施設の環境であり、衰弱している高齢患者への長期ケアが重要で大きな割合を占めている。アメリカでは80歳代まで生きる女性の60%が老後の何年間かをナーシングホームで過ごす可能性が高い。


図10

前述したように、施設のサービスを個人に合わせるのではなく、個人が環境と施設の日課にあてはめられるのであり、ナーシングホームの入居者の人格がしばしばないがしろにされるという懸念が大きくなっている。理想とは逆の現実の世界は、ナーシングホームの虚弱な高齢入居者が、身体的・精神的な拘束を受けるときに最悪となる。椅子やベッドに縛りつけ向精神薬で機能を抑圧し、高齢者の残っている自立心が取り除かれる。残念ながら、アメリカでは、ナーシングホーム入居者の30〜40%は毎日なんらかの形で拘束を受けている。
しかし、スコットランド、スウェーデン、デンマーク、それにアメリカのいくつかのナーシングホームにおいては、個人を重視した拘束のないケアが行われている例がある。1980年代中ごろにアメリカ議会の要請により米国科学アカデミー医学研究所(Institute of Medicine of the National Academy of Sciences)は、ナーシングホームでのケアの質の問題にこたえて綿密な研究を行い、1986年の報告書と1987年の包括予算調停法の一部として連邦法に大きく組み入れた勧告を発表した。この法律では、まずナーシングホームは、入居者の医学的・精神的・社会的特徴やニーズの評価に限らず、日常の生活習慣や好みを重視してより徹底的な評価を行うべきだとしている。この徹底的な評価のガイドラインによって、各人のための「ミニマム・データ・セット」(コンピュータで管理)が作成され、学際的な専門家チームによるケアの包括的な計画に利用されることになった。1987年法は、向精神薬の使用と身体の拘束を厳しく規制し、あらゆるレベルの介護者に対する訓練の改善を強調している。
新しい要件の実施と同時に、ナーシングホームの改革または拘束を防止するために専門家とボランティアが熱心に努力をし、すでに大きな進歩がみられている。
また、高齢者の能力、好み、長期ケアのニーズは、多岐にわたるという認識が高まるにつれ、多くの生活環境の刷新が進行しつつある。これには、新設計のホームや、「同じ場所で年をとる」ための家具の可能性などが含まれている。
たとえば、自宅におけるケアで加齢になるにつれ多様に変化するニーズを受け入れること、必要なときにサービスを提供できる継続ケアつき引退者用コミュニティの開発、介護つきグループホームとアパート、ナーシングホーム内での重度痴呆患者のための特別ケアユニットなどがある。こうした特別ケアユニットのいろいろな様式の研究に対しても援助がなされ、痴呆性老人ができる限り自立して暮らしていけるように、どのような設計、職員の配置、ケアプランなどがなされるべきかの早期解明に期待したい。

4.保健衛生関連支出
加齢に伴う慢性症状の増加に付随して、ケアの費用が増加するのは当然のことである。アメリカにおける1987年の研究では、65〜69歳の高齢者1人当たりの保健衛生関連支出は、平均3,728ドルであるのに対し、85歳以上の超高齢者は9,178ドルとほぼ3倍である。超高齢者の数が急増した場合、主な障害の予防と治療に著しい進歩がみられない限り、これらの費用は引き続き増加することが予想される。さきに、腰の骨折を5年間遅らせると節約できる費用について述べたが、図11は、アルツハイマー病の発病や進行を5年間遅らせるだけで削減できる費用を示すものである。GNPに占める保健ケアの総支出は、他のどの国よりもアメリカが多く、重大な問題になっている。ケアの質を低下することなく、費用を抑えるためにさまざまな提案が行われている。他の国々では費用に対する制限がよりスムーズに行われている可能性はあるが、どの国でも高齢者、超高齢者の増加という問題に直面しているのは同じであろう。
われわれの共通の課題は、負担と費用を軽減する方法で、よりいっそう優れたケアを提供することである。特にわれわれの先輩である高齢者を含むすべての人のための尊厳あるケアを第1の目的とし、研究、教育、姿勢、尊敬に重点をおくことで成功により近付けるものと信じている。


図11





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