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高齢者ケア国際シンポジウム
第2回(1991年) 痴呆性老人の介護と人間の尊厳


第1部 基調講演  尊厳あるケア 家庭介護−その実際と問題−

ハイデルベルグ大学老年研究所長
前ドイツ連邦共和国大臣(青少年家庭婦人保健担当)
Ursula M.Lehr,Ph.D.



1.人口動態の統計学的傾向

(1)平均余命の延長
100年前のヨーロッパにおける新生児の平均余命は35〜40年であったが、1970年には70年、1980年には75年と長くなった。もちろんヨーロッパでも国によって、また男女によって差がある。
東西統合ドイツでも約3年の差がある。1989/90年に生まれた男性の平均余命は、西ドイツで72.1年、東ドイツで69.7年、女性は、西ドイツで78.8年、東ドイツで75.7年である。
他のヨーロッパ諸国の男性の平均余命については、短い国では、旧ソビエト64.2年、ハンガリー65.7年、ポーランド66.8年、ルーマニア67.1年、チェコスロバキア67.7年、長い国では最長のアイスランドが74.9年、続いてギリシアの74.1年、スウェーデンとスペインが74.0年、スイス73.8年、オランダ73.7年となっている。女性についての平均余命の最長はスイスの80.7年で、続いてフランスの80.3年、オランダ80.2年、スウェーデンとスペインの80.0年である。また短い国としてはルーマニアの72.2年が最短で、旧ソビエトの73.3年、ハンガリーとユーゴスラビアの73.9年、またブルガリアの74.7年と続いている(表1参照)。


表1誕生時の平均余命

東ヨーロッパでは、60歳の平均的男性は余命が後16.9年というわけであるが、北・南・西ヨーロッパの男性の余命は19.8年で3年もの開きがある。60歳の女性は、東ヨーロッパでは22.5年、南ヨーロッパ諸国では25.9年、北・西ヨーロッパでは28.5年となる(表2参照)。




表2 1990年の平均余命の世界的予測(5年間平均)

一方、日本における平均余命は、1947年で男性は50.6年、女性は53.96年であったのが、1988年には男性75.54年、女性81.30年と長くなっている。

(2)人口の老齢化
私たちは「灰色化しつつある世界」に生きている。100年前、ドイツの人口における60歳以上の高齢者の占める割合は5%であった。現在は22%であり、2000年には26〜27%となる。いまから40年後の2030年には、現在10代の人たちが退職することになるため、ドイツ総人口の35〜42%が60歳以上になる見込みである。ちなみにドイツでは、現在全女性の25.5%が60歳以上である(男性は15%)。
しかし70〜100歳代の超高齢者人口も増加している。1970年におけるドイツの100歳代の超高齢者は、わずか385人であった。しかし、1990年においてその数は3,014人(男性482人、女性2,532人)に増加している。そして2000年には100歳代の人が1,300人以上増加すると予想されている。
ドイツ全体の男女人口比をみてみると100:111で、60歳以上は100:200、85歳以上は100:300、100歳以上は100:500以上である。この差は、一部には2度にわたる世界大戦の結果によるものもあるが、女性の平均余命が長いためでもある。
高齢者の家族状況は、男性と女性では非常に異なっている。60歳以上の全男性の86%に配偶者があるのに対し、女性は半分の50%のみである。75歳以上では、全男性が63.4%であるのに対し、女性は16.1%のみに配偶者があるという結果である。つまり、男性の30%、女性の70.4%が配偶者を失っているのである。独身者(結婚歴がない)の割合は、比較的低く(男性4.5%、女性10.9%)、離婚経験者は男性1.5%、女性2.6%となっている。しかし、将来の離婚割合は、高齢者の間でも高くなると予想され、1975年以降に結婚した3組のうち1組は、その後の15年間(1975〜1990年)で離婚を経験している。2度目の結婚の件数は減ってはいるが、いわゆる「内縁」の数は増加し続けている。これは、将来の高齢者ケアに対する暗示をいくつか含むものと思われる。
2度の世界大戦の影響から女性が結婚できなかったことにより、現在60歳以上の男女の25〜30%には子どもがいない。2度にわたる歴史的出来事は夫と子どもをもつ機会を女性から奪ったのである。

(3)年齢群別比率
100年前には、75歳以上と75歳以下の人口割合は1:79であった。これが1925年は1:67、1936年には1:25、1959年には1:35.1970年には1:25、1982年には1:14.8,1990年に1:12.4となり、2020年には1:8.7になると予想されている。
100年前、75歳以上の人と20〜60歳の人(いわゆる「活動年齢群」)の比率は1:38であった。今日ではこれが1:7である。われわれが高齢者ケアの問題を考えるに際し、注目しなければならない比率といえるのである。

(4)世帯構成
世帯構成は、三世代世帯から、二世代世帯、一世代世帯と大きく変遷している。
1972年には、ドイツ全体の世帯数2,300万のうち、3.5%が三世代世帯だった。1982年にはこの数値が1.9%に、さらに1990年には1.1%にまで下がった。二世代世帯も同様に減少しており、これに反して、一世代やひとり暮らしの世帯が増加している。今世紀の初めには、少なくとも娘は結婚するまでは親と同居していた。結婚後間もなく子どもが生まれて二世代世帯となり、たいていは末子が成長するまでこの状態が続く。今日では、二世代世帯で生涯生活する人は50%のみである。平均的には、20年間を親と同居して二世代世帯で暮らし、その人が結婚し、または子ども(通常は1人、時に2人、ごくまれに3人)が生まれると、その後の20年を子どもといっしょに二世代世帯で暮らす、つまりこの人は、その人生の約40年間を一世代世帯で暮らしていることになる。
65歳以上のほぼ40%はひとり暮らし、40%は一世代世帯、10%は二世代世帯で暮らしている。この年齢群では4%が三世代世帯に住み、ナーシングホームまたは高齢者用ホームに住んでいるのは4%である。
しかし、ヨーロッパ諸国で行われた種々の研究によって、家族構成とは無関係に世代間の頻繁な交流が報告されていることから、必ずしも家族構成の変化が高齢者の孤独と結びつくものではないということを念頭におく必要がある。
そして、超高齢者の多くが活動的かつ有能であったにせよ、家族構成のこうした変化については、高齢者ケアを討議する際、いつも留意しなければならないと考える。

(5)三世代〜四、五世代家族
赤ん坊が生まれてその祖父母が4人ともそろっていることは昔は珍しいことであったが、今日ではよく見受けられ、曾祖父母の2、3人が存命のこともまれではなくなった。60歳代の人で曾孫のいる人は一般的となり、そればかりか60歳以上で自分の親の世話をしている人も数多く存在する。四世代、五世代世帯が著しく増加しているという事実を鑑みて、数年前から老年医学者たちは三世代世帯についての論議はもはや最近の人口学的状況とは無関係だと強調している。
この意味は、高齢の家族の世話を祖父母の代が行っている例が非常に多いことを物語っている。1983年にドイツの417世帯について五世代世帯の研究を行った結果、高祖母(平均年齢92歳;87〜103歳)で老人ホームや養護ホームに住んでいる人は10%にすぎず、残りの90%は自宅に住んでいた。そして、そのうちの30%はひとり暮らしであり、家事も身の周りのことも自分で処理していた。高祖母の50%は娘(曾祖母)と同居し、息子(曾祖父)の家族との同居はわずか4%にすぎない。そして6%が孫(祖父母)との同居である。
1985年に実施した、高齢者の両親の世話をしている娘に関する調査によると、娘の年齢(その人自身、時には祖母でもある)は、なんと55〜70歳との結果を得た。
私たちの住む地域(Nordrhein-Westfalen)での統計では、介護家族の50%は65歳以上の女性で、25%は75歳以上の女性(夫を介護している)である。
こうした傾向を基にした場合、生命を異なった方向からとらえる必要があると考える。寿命が延長しても、死に至る過程の延長であってはならない。生命に年月を加えるだけでなく、年月に生命を加えることこそたいせつなのである。「われわれの平均余命はわれわれのライフスタイルに依存している。平均余命は生命の長さを意味するだけでなく、生命の質をも意味するのである。これから何年命があるのだろうかというだけでなく、これから何年生きようかという意味である」(Schaeffer,1975)
高齢になったとき、質の高い生活を確保するためになにができるのか。保健衛生、予防的なケア、優れた一般ヘルスケアシステムが必要なのは明らかである。しかし、真に質の高い生活を維持するためには、学際的な協力が必要とされる。老年医学は、多くの分野の科学者にとって1つの挑戦といえるものである。
この観点から、個人の発達を促し、イニシアティブと活動力を刺激して、ケアのサービスや看護を必要としない状態を維持できる方法を求めることが決定的な問題となる。高齢になってなおかっ質の高い幸福度を維持することは、自身の活動力にも依存する。加齢の問題は早い時期に身近に考えねばならない課題であり、加齢とともに関連が深まるものである。高齢になってなお幸福感を維持することは、個人だけでなく、社会に対する1つの課題である。
高齢期において心身の幸福を維持するためには、幼児期、青年期からの刺激や訓練による個人の身体的、社会的、精神的活動を適切にすることが重要である。特に、成人初期・中期には生物学的、心理学的、社会的領域で、予防措置に重点をおく必要がある。刺激と活性化によって、あるいは訓練によって身体的、精神的能力の低下を防ぐことができる。さらに、なんらかの故障や危機的状態が起こった場合でも、直後からこのような活動や能力の再活性化を始めると、能力の低下は避けられるのである。

2.高齢者対策
高齢者対策は、下記の3つの主要な点に基づいて行うべきである。
?@依存性を防ぐため、高齢者の能力を維持し向上させること。
?A高齢者が再び自立できるように、高齢者のリハビリテーションを広め、改善すること。高齢者のためのリハビリテーションプログラムの促進が必要である。
?B虚弱な高齢者の問題(介護など)の解決。
高齢者対策の主要な点を論ずるなかで、高齢者の依存性の問題が急速に社会の注意を引くようになった。介護を必要とする高齢者に対するケアの問題を重視するあまり、成人後期のイメージは否定的な方向に傾きがちである。老年に近づきつつある中年の人たちは、高齢者問題の対応には効果的なものはないと考え(行動化学における多くの洞察による)、老年期の問題への対応が否定的となっている。高齢者の社会生活は、ますます難しくなっており、上述した議論で結論づけたように、老いることは、人に依存するようになることだと考えてしまうのである。
ドイツにおける過去30年間の60歳以上の人の施設収容の割合は3%で、横ばい状態であった。この割合は、事実60〜70歳0.6%、70〜80歳2.4%以上、80〜90歳10%、90歳以上21%と高くなっている。しかしこれらの施設入居者のうち、24時間の終日ケアが必要とされる者はごく少数である。一方、家庭で配偶者、娘、嫁らの世話を受けている虚弱で自立不可能な状態の高齢者の割合は、60〜70歳で1.4%、70〜80歳で10%以上、80〜90歳で19%、90歳以上は20%と加齢に伴いやはり高くなっている。
観点を替えてみた場合、60〜70歳では98%が自立して助けを借りずに日常生活を送れる機能があるということになる。また70〜80歳では88%、80〜90歳では70%、90歳以上では59%となる。
国際老年学協会(International Association of Gerontology)所属の専門家が、1982年にウィーンで開かれた「国連総会での加齢についてのメッセージ」で次のように述べた。
「ケアを論ずるとき、われわれは高齢者のほとんどがそこそこ健康状態がよく、限度内ではあるが生産的な活動を行っていると認識している。しかし政府の多くは、その政策において高齢者の身体的、知的、感情的可能性とニーズを認めていないことが多い。この否定的考え方が身体的健康や知的能力に影響を及ぼし、依存性を生むことになる。老人は社会と老人自身に役立つ資質であることを社会は認識すべきである」(Gerontology, 28:271-280, 1981)。

高齢者政策は、単にケア対策のみではない。また、ケア政策には財政以外の面も含まれていなければならない。しかし、現在のところドイツでは財政面の論議が優先していることは確かである。老人ホームでの生活費と食費は、月額約2,000ドイツマルクに上り、この経費は年金で賄われている。しかしこの程度の経費で生活が可能とされる者は、高齢女性のうちのひとにぎりの存在でしかない。このような人たちとナーシングホームや高齢者用ホームの介護棟に生活している人たちとでは、状況はおおいに異なる。彼らの場合、月額4,000〜5,000ドイツマルクが必要とされ、ほぼ2,000マルクの平均的年金では絶対的に賄えない。したがって、ナーシングホーム入居者の70%は社会福祉による援助を必要としており、その子どもたちの財政状態が十分な場合は、社会福祉からの援助を受けずに自己負担をしなければならないなど、子どもの収入に大きく影響されるのである。ドイツの社会福祉法では、両親の介護費用は、その息子や娘ができる限り負担すると考えられている。
ドイツで介護保険の導入が論じられてから20年になる。老年学者たちは、そのころからドイツの社会制度の改革を提唱し、施設に入居している老人をもつ家族の経済的危機に対するなんらかの保障を説いてきた。しかしそれを実行することによって、高齢者を抱えた家族がつぎつぎと老人を施設に送り込むのではないかと懸念して、当時の政治家たちはこの改革に反対したのである。このときの警告として、オランダの例が挙げられた。オランダでは60歳以上の5〜6%の人が施設に入居しており、経費は中央政府が負担している。一方、オランダの施設にいる要介護者は集中リハビリテーションを受ける道が開かれているため、オランダで老人ホームに入ることは決して一方通行を意味するものではない。この国の人々は、何週間あるいは何か月間かナーシングホームで過ごした後、家族の元へ帰って行く。ドイツの場合とは違っている。
ドイツの政治家は、要介護者をできる限り長く家族の元におくことを目指している。この目的を果たすためさまざまな改善が行われた。基本介護のみならず、注射などの基本的医療サービス、入浴、配膳、部屋の掃除、洗濯などを提供するパートタイムの社会・保健サービス(Sozialstationen)が上げられる。
1991年1月より、高齢者を介護している家族に対して経済的な援助を行う法律が施行された。家族が専門家の援助を受けている場合は、25時間分に相当する費用(725ドイツマルク)が健康保険から返還される。また、家族だけですべての介護を行っている場合は、400ドイツマルク(無税)が支給される。家族の大半は、有料の専門介護を活発に利用するだろうと予想されたが、実際は、90%の家族が要介護老人のケアを自分たちで行っていることが分かった。これは、この法律が要介護者にとって必ずしも好都合とはいえないことを示しており、ここに至って、介護保険の導入が再び政策論争の主眼点となってきた。この制度の財政面については、いろいろな提案が行われた。キリスト教民主社会同盟のメンバー多数と社会民主党全員が、一般健康保険の月額保険料の1.5%の値上げを従業員、雇用主の両方について行うことに賛成している。この値上げによって、家庭内介護またはナーシングホーム費用に月額2,000〜2,300ドイツマルクの支払いが保証されることとなる。また、介護の程度が軽い場合は、支給額は低くなる。その他の案としては、特に1993年のEC経済統合後の経済競争強化の面から、雇用主の追加費用負担はないとしている。また、これまで従業員が支払っている高額の社会保険料のさらなる負担増も好ましくないと考えている。いままでのところ、ほぼ全国民に対して経済的保障を行ううえでは効果的であった。しかし、一般保険制度の基礎である年代別契約方法のリスクが増えることも危惧されるところである。
介護保険制度におけるさまざまな問題点を解決する方策を見つけ出すことは、将来に持ち越されることとなった。また、1991年の財政援助は、家庭介護に対しては非常に優遇される結果となるが、一方、高齢者のリハビリテーションの機会を少なくしているという事実に注目すべきである。脳卒中のリハビリテーションが、困難で時間がかかることは知られている。月額2,000ドイツマルクの助成金が打ち切られたり、50%も減額されたとすれば、介護者は経済的負担のために患者への介護努力をするかどうかが疑わしくなってくる。この観点からいえば、高額の援助資金は高齢者に対する効果的なリハビリを行ううえでの障害と成り得る。
要介護者対策の全般的な目的は、介護を必要としている人の心理的幸福をできる限り高める努力によって定義されるものである。これには、介護者のためのケアとカウンセリングによる家庭介護の改善や救急サービスなどが援助される。しかし、家庭介護には限度がある。したがって、有能な人たちがホームで携わる仕事を魅力的なものにし、施設のスタッフの訓練を行うためにナーシングホーム内の体勢を改善する必要がある。私がドイツの青少年家庭婦人保健大臣だったころ、ナーシングスタッフの訓練期間を少なくとも3年間とする法案
を提出したが、近いうちに国会を通過してほしいと願っている。
尊厳あるケアは、現代の大きな挑戦の1つである。要介護者にとっても最善の生活の質を保持するために、あらゆることを行わなければならない。一方、加齢の生物学、老年病学、行動科学や社会科学が寄与すべき学際的協力の課題である介入、予防、リハビリテーションの機会の拡大によって、依存性をなくする努力をしなければならない。

3.家庭介護:その機会と問題点
「家庭介護とは娘によるケアのことである」。家族の責任(子どものケアのみならず、老親または祖父母のケア)は、女性だけの任務であってはならない。多くの国での家族形態の傾向(ウィーン行動計画,1982)をみると、要介護と虚弱老人の介護は「家庭による介護」が適切で最も経済的な道だと示唆している。これは、超高齢者人口の増加、すなわち「灰色化しつつある世界」の経済的危機において、家庭介護が、長期にわたる問題解決の方法としては、最も安上がりとする考え方として容易にみられる傾向にある。
介護を要する両親の責任は結局女性に任されるため、「家庭介護」とは「娘による介護」とほとんどまったく同じ意味である。このことは、女性の人格形成に副作用として働き、老化予防に消極的につながり、加齢に向けての心の準備や、自立がいっそうできにくくなる。また、年齢的に再就職や社会的・政治的機関、教会、地域社会へのボランティア活動などの最後の機会が、両親の面倒をみなければならないために失ってしまうという例が非常に多い。
家庭外での役割は、その女性の老年期における心理的、物理的な幸福を生み出すための生活空間を広げ、刺激を与えるものである。われわれが行った調査によれば、「家庭中心」の女性は老化が早く、老後の生活の質も低いことが分かった。(Lehr&Thomae, 1987;Fooken, 1980;Thomae, 1983;Lehr, 1978, 1987;Maas&Kuypers, 1974)

(1)主題と方法
1984〜1985年にかけて、55〜70歳の中流階級で自分の両親(78〜98歳、88%)または義理の両親(12%)の面倒をみなければならない娘100人について調査した。両親の53%は90歳以上であった。詳しい面接を行い、このような娘たちと母親(86%)、父親(14%)のこれまでの生活、現在の生活状態のデータを人手した。これら娘たちのうち46%は、老親と同居し接触があった。
27%は、自分の世帯で生活できるがなんらかの助けを必要とする老親の世話をしていた。また残りの27%は自宅で長い間ケアをした後で、老人ホームに収容されている老親のケアをしていた(病院でカテーテル挿入を行った後にしばしば失禁がみられることから施設に入れる場合がある)。
超高齢の両親の32%には健康上の重大な問題はみられず、32%はなんらかの健康上の問題を抱え、36%は症状が重く介護が必要だった。これら超高齢の親についての知力の減退は、軽度が14%、重度が11%、非常に重度/見当識障害、老人性痴呆症が15%にみられた。
一方、高年齢の娘のうち7%は深刻な健康上の問題を抱えていた。56%は問題なく、元気だった。
高年齢の娘の58%は既婚者で、42%は独身(13%は結婚したことがなく、18%は末亡人、11%は離婚)であった。子どもをもったことのない人は、18%にすぎなかった。これら娘たちの45%が祖母であり、以前は四世代世帯で生活していたが、現在、四世代世帯は1例もないが、三世代世帯は14%であった。

(2)高年齢の娘とその老親との関係
質と量の両面から、高年齢の娘と老親との関係を分析した。全般的に非常に強い相互作用があり、62%は両親と毎日いっしょに生活し、23%は週に1〜2度、高年齢の娘(自分も健康上の問題を抱えていることが多い)の15%は、毎月両親の面倒をみていた。
以下にわれわれの研究における主たる調査結果のいくつかを報告する(Wand-Niehaus, 1986)。
(a)既婚の娘より独身の娘のほうが両親の面倒をみている場合が多い
調査例のうち、結婚したことのない娘はすべて老親と同一世帯で生活しているが、未亡人または離婚した娘の場合は異なっている。特に、自分の子どもがいる場合は違っている。
しかしこれは、コーホート特有の現象のようである。ドイツの人口学的状況がはっきり示すように、今日結婚しない人はますます多くなっており、この状態から察して、彼らが30年、40年後、超高齢の両親の世話をし同居するとは結論づけられない。
(b)兄弟姉妹のある娘よりも、ひとり娘のほうが両親の付話をしている場合が多い
調査例のうち、51%には生存している兄弟姉妹がいなかった。この場合は、自分の両親を老人ホームには入れず、負担が非常に大きくても自分で世話をしている。残りの49%は兄弟姉妹があるが、両親の老人ホームの入居数が多かった。つまり、親に対して複数の子どもが責任をもつ場合は、親を施設へ収容する決心が容易につくようである、また一方、子どもの多い超高齢の両親の場合、老人ホームに住むのを好む例もみられた。
ドイツは出生率低下の傾向にあり、将来、高齢者には子どもが1人というケースがしばしばみられるだろう。この一人っ子が両親の面倒をみるという期待は難しいように思われる。
(c)住居の質は、同居、ホームケア、あるいは施設のケアかの決定に影響を与えない
調査例の大部分(86%)は、自分の住居環境を非常によいと考えており、部屋、設備、近隣に関して高い満足度を示した。住居環境についての重要な障害として、階段をいくつか上らなければいけない、アパートには2箇所のトイレがない、またバスルームの設備がよくない等が挙げられる。
高年齢の娘の70%は、両親を自宅に引き取るのは可能だと受け止めているが、個人的理由(自分の生活空間が窮屈になったり、夫や家族のだれかとのもめ事や、長年の緊張した関係)を挙げて同居を好まなかったのも事実である。
住居の質という生態学的環境は、「家庭介護」の決定とほとんど関係がないことが分かった。
(d)老親の経済的理由から同居する一方で、収入にゆとりのある老親は独立して自分のアパートや、必要ならば老人ホームに住むことを好む
このような背景においては、老親から娘への経済的援助が目立ち、調査対象者の42%は経済的援助を受けていた。老親の48%は娘に残せる貯蓄、財産、家屋をもっている。これが、家庭介護や老人ホーム入居の1つの理由になっている場合もある。
(e)相互援助は、世話を受ける両親のみでなく、世話をする娘にとっても生活の充実の点で大切な条件である
資料を質的に分析した結果、経済面の援助(42%)と家事管理(16%)における相互援助の複雑な形態が指摘された。さらにお互いに気持ちのうえで助け合う手がかりも多くみられた(60%)。ほとんどの家庭で、相互援助が行われていた。生活を充実させるためには、援助する側とされる側とのバランスが1つの重要な条件だったといえる。このバランスが崩壊した場合、娘と両親の対立が生まれる。機能が十分である場合、老世代はさまざまな領域で高度な援助を提供してきた。このようなことから老人年代は「受け身」の立場のみでなく、「与える」立場にもあるといえる。非常に高齢で機能が低い老人の場合には、子どもがたくさんいても、ほとんどはそのなかの1人が責任を引き受けている。
親のニーズを満たすためのこの子どもと他の兄弟姉妹との協力関係は、希薄であることが調査で判明した。つまり、超高齢の両親の世話は、自分も高齢である1人の娘に任されており、この形の援助では対立が高まったという結果になった。両親は子どもの世話を受けたがらない一方で、娘は、家族のほかの人が自分の負担に無関心であると非難した(Kruse, 1985)。ほとんどの娘(85%)が自分の立場は、「援助されている」よりも「援助している」と感じている。
(f)娘と両親の間の確執と重圧は、過去現在を通して多くの理由がある
高年齢の娘の48%が老親との交流でなんら対立を感じないのに対し、27%はいくらか感じる、25%は非常に対立が大きいと感じている。「自分の機動性が制約される」「休みのときにプライベートな活動ができない」などの理由で憂鬱だと感じている報告が最も多く、続いて「肉体労働がたいへん」というものがある。家にばかりいる老親は怒りっぽく、気難しく、愚痴っぽくて、満足せず、娘を批判することが多いとみられた。ここでも老親の自尊心のためには、介護と援助の「均整のとれた」交換が重要であることが分かる。老親と娘の間の確執には、2つの主要な問題がある。
自主性:娘も老親も自分の自由について危機感をもっている者が多い。これは、「均整のとれていない」介護と援助の交換と関連している。世話をされているだけの立場の高齢の親は、この世話を真の助力ではなく自分の生活への侵入と感じているのである。この人は、与える立場で優位にいる自分の娘に対して、「負い目をもつ」立場にある。助力とは、お返しの可能性がある場合にのみ真に助力とみなすという仮説が立ったのは、このような理由からである。
換言すると、娘は老親に対して、自分で責任をもって機能を行使し、任務を果たせるように親を激励するが、多くの場合、超高齢の親は「子ども」になることを恐れる。この恐れは「均整のとれていない」歪められた形の取り交わしや、娘の優勢的立場が原因である。「交換の形態」が老親の「受け身の立場」で示すように、彼らの「自立」と「責任」は脅かされてきたのである。
一方、高年齢の娘は、老親が娘の所帯に同居するようになった場合にケアが必要になるのではないかと心配した。高年齢の娘が、まったく自立していなかったケースもあった。親からの援助を、自分だちの生活への侵入だけでなく自立の妨げとも感じるのである。
自分自身の老化問題の解決:高年齢の娘と超高齢の親は、時に自分たちの老化問題の解決が重大化していると感じている。しかし多くの場合、高年齢の娘は、親戚の人などが彼女たちの「泣き言」には耳を貸さず、彼女たちの親の「立派な老い方」を取り上げるため、自分たちの加齢についての恐怖や疑問を適切に表現できなかった、という問題がある。
超高齢の親、特に母親に対する自分の責任を認識するにあたって、さらに決定的なことは、人生の前半である青少年期、成人初期、中期における母−娘の対立が介護の現状に影響を及ぼすということである。特にその娘が、ほかに特別な交友をもっていない場合、大きなストレスとなる。しかし、以前の親子関係が明るいもので、高年齢の娘がいまでも家族以外と接触が多い家族では、超高齢者に対する責任の取り方はもっと積極的である。家族以外の活動に従事している娘(44%は少なくともパートタイマーとして働いており、33%は祉会的・政治的組織でボランティア活動をしている)は、家族以外の世界をもたない人に比べ自分の生活に満足しており、超高齢の親に対する責任に対処している。
(g)介護を行っている高年齢の娘の立場に対するいくつかの肯定的影響因子
前述のとおり、相互援助と家族以外の社会的介人は、老親を介護する立場には喜ばしいことと考えられる(Bruder,1984)。
そのうえ、超高齢の親の世話を喜んですることは、いままでの生涯における決定要素の影響を同じように受けることがはっきりした。つまり親が、青少年期や成人期に自分自身の成長を促し、速めてくれたと考えている娘たちは、老親の世話を積極的にみる態度がある。昔ともにすごした幸せな日々を覚えているため、自分の生活空間が拘束されることも気にならないのである。
しかし人格要素も重要である。「現状をそのとおりに享受するだけでなく、それを最善のものとする」「達成志向の行動」「自己主張行動」と組み合わせた「社会との接触を身につけようと努力すること」など、高度な自立、自主性、自信につながる活動は、高齢の娘がケアを行う際に生活の満足度が高くなることに関係する。
自分自身のニーズを満たし、自分自身の興味を追求し、両親との関係において興味を進んで主張しようとすることのできる娘たち(Blenkner のいう「子としての成熟」,1965)は、両親に対して自分の「自主性」を主張できない娘よりも家族の状況にうまく対処できる。また介護者である子どもたちは、老親に対する責任の限度を認識すべきである。「限度」を受け入れなければ、効果的な対処は不可能である。高年齢の子どもたちだけが限度を受け入れるというのではなく、老親もまた子どもたちが自分の生活を営む「権利」と「義務」があることを受け入れ、ある程度彼らから受ける援助を減らさなければならない。繰り返しになるが、娘たちは踏み込んではならない「臨界土台」を認識し、自分自身の力の限界を知る必要がある。そうしなければ、ストレスが非常に高まって家族関係の対立を生み出すことになる。「限度を受け入れる」という意味の「子としての成熟」は、高年齢の子どもたちとその年老いた両親双方にとっての課題である。
(h)これまでの支援制度を再考し、区別し、拡大する必要がある
社会サービスの情報が少なかったり、超高齢の両親側が「周りに知らない人がたくさんいる」ことを拒否するため、外部のこのようなサービスに救援を依頼することがほとんどないのは興味深いことである。このようなことから高齢者ケアについて、まず第1に短期入院より介護者である娘のための支援システムをもつ組織ということが必要になってくる。週2回あるいは3回、1回2、3時間の訪問サービスによって、その間娘が外出できたり、友達に会ったりできるのである。
もう1つの点は、専門家の指導による家族といっしょに行うグループワークの組織である。虚弱な老人を抱える家族は、なんらかのカウンセリングを必要としているのである。「付き添っている家族の負担を減らすために、たとえば専門家の助けを利用して救済するというようなことが適切に対処するための戦術として必須条件である」(Bruder, 1984;Schultze-Jena, 1987)
(i)いままでの研究から、高年齢の女性の介護者のほとんどが、自分の子どもたちにはこのような世話をしてもらおうと期待もしていないし、世話を受けないだろう、という興味深い調査結果が得られた。

4.考察
以上の研究結果の大部分は、二世代もしくは三世代の家族に関するものであるが、四世代、五世代家族の女性介護者の役割を研究することが非常にたいせつだと思われる(Kruse, 1983)。家族による介護とは、娘が介護することであり、しかもその娘自身が祖母であり曾祖母なのである。
四世代(または五世代)家族の数が増えることを考慮しなければならない。
この場合、曾祖母が高祖母の世話をしていることがあり得るのだろうか。多世代家族の世代間のなかにいる自分が祖母であり、曾祖母である女性の役割は、非常に難しいものに思われる。それは生活空間の限定を意味し、家族のなかでの女性の果たす役割を過大評価したり、賛美したりして伝統的な役割に対して期待を強めることがよくある。
高齢者をナーシングホームに入れることなく介護している家族を社会が支援するのは当然のことであるが、家庭介護を唯一最善の解決法として称賛するのには問題がある。介護を必要とする虚弱な両親または祖父母のために、価値があり役に立つケアは家族全員のためのものであり、世代間の理解を深め、若い世代を心豊かにするうえで貢献するものであるのは確かであるが、この状況が家族内、特に女性にとって多くの問題につながることは疑いの余地がない。





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