この20世紀で最も成功したことに、世界中の人々が過去の平均寿命を超えて生きることが可能になってきたことが挙げられます。19世紀には、疾病、急性疾患、知識のなさ、経済的困窮のために、現在では容易に治療可能な疾病により早く命を落とすことがありました。ここに大きな差がみられます。
しかし、高齢者の増加に伴って、医療と福祉の提供によるコストの上昇を考える必要も出てきました。今年この「痴呆性老人の介護と人間の尊厳」と題するシンポジウムが日本で行われることは、特別な意味があります。日本の平均寿命は80歳に近く、2025年には高齢者と呼ばれる人々が、実にいまの倍に増加すると考えられています、しかし、この傾向は、全世界においてみられるものであり、この意味で、われわれすべてが将来を見つめていかなければなりません。
たいせつなことは、老化のプロセスは単なる疾病の集積ではないということです。以前は、複数の疾病が存在するということは、年をとった証拠であると考えられていた。
しかし現在、これらの人々は高齢であり、同時に疾病をもっていると理解されています。つまり、老化というプロセスと慢性疾患のプロセスを科学的に考えることは、高齢になっても人々の権利を尊重するという考え方の基礎になるものです。世界的に高齢者は、差別されるものではなく、地域祉会のなかで尊敬され、重要な仕事を達成した人として考えるようになったのです。
高齢者にとって特に重要なことは、アルツハイマー型老年痴呆であれ、脳血管性痴呆であれ、痴呆になるということです。知的能力の減少に伴うこれらの疾患は、個人、家族、あるいは社会にとっても、重要な意味をもつものです。
痴呆の出現は、加齢に伴い増加するものです。この点に関してWHOは、アルツハイマー型老年痴呆に関して国際的な研究を、科学的、社会的背景の下で行っており、疫学的な面で、65歳以上の方々の5%がこの疾病の影響を受けているという報告があります。
加えてこの疾病は、他の慢性疾患とともに、高齢者に対する医療資源を大きく消費しています。より高度の、またたいへん高価な医療技術が使用され、その結果、医療コストの上昇をもたらしています。日本では、65歳以上の人々の医療費は、それ以下の人々の5倍にもなっており、デンマークでは4倍、フィンランドでは5.5倍にもなっている。
コスト面のみでなく、特別な計画、法律をつくることによって、高齢者を含めたわれわれすべての人権の尊重がなされなくてはなりません。高齢者、特に痴呆で悩む人々は、適切な保護がないとたいへん大きな危険にさらされる可能性をもっているからです。
また、高齢者の立場を明確に主張する人が必要です。人々の可能性を十分に生かすためには、いかなる病気でも、基本的な権利である尊厳、自立性、個人性が否定されることがあってはならないのです。高齢者のすべてが、市民として政治的・経済的・社会的・文化的権利を行使できることを保障されなければならず、この点に関してすでに国際的宣言が出されています。
WHOは、高齢化に伴う疾患の基礎的・臨床的研究を支持しています。アルツハイマー病の国際的な研究に加えて、脳血管性痴呆の予防、特に生活習慣に関連する問題を研究をしており、また高齢化に伴う免疫学的研究、骨粗鬆症などの研究を行っています。
また、人権ということについての教育的プログラムもサポートしています。
さらに、高齢者がなにを必要としているか、あるいは、これらのニードに対してどのような資源を準備すべきかを考えています。高齢者のニードを考えるにあたり、これは自分自身の問題であるということを認識しなければなりません。なぜならば、だれしも自分が高齢になったとき、疾病あるいは障害にかからず、よりよい豊かな生活を送り、地域社会の一員としてより幸福な生活を送りたいと希望するためです。
この意味で高齢者のケアは地域のなかで、WHOのいうプライマリヘルスケアという考え方のなかで統合化されることが望ましく、われわれの共通の目的であり、WHOが主張している、21世紀までにすべての人々へ健康を、という大目標は、まずすべての高齢者に健康をもたらしてから達成されるものと考えています。
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