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高齢者ケア国際シンポジウム
第1回(1990年) 不安なき高齢化社会をめざして


第4部 分科会グループ報告  II.痴呆性高齢者のケア

聖マリアンナ医科大学精神神経科・教授
長谷川和夫



分科会第2セッションは、「痴呆性高齢者のケア」というテーマでセッションを行った。アメリカからのゲスト・スピーカーであり、ペンシルベニア大学の看護学部の教授をしておられるメジイ先生。そして伊東先生、キルク先生、リー先生、エーエ先生の4人のディスカスタンドが加わりスタートした。
伊東先生は、1970年からデンマークのコペンハーゲンで研究生活を続けておられる社会学者であり、キルク先生は、デンマーク高齢者研究所長である。アメリカからのゲスト・スピーカーであるリー先生は、カリフォルニア大学医療政策研究所の教授である。そして、デンマークのエーエ先生は、ゲントフテ市のリューゴ高齢者総合センターの所長であり、看護婦さんで、実際に痴呆性老人のケアをされている方である。
最初に伊東先生から、デンマークで20数年にわたって研究されたことを中心にして、高齢者のケア・システム、ことに老年痴呆の患者さんのケア・システムについて述べていただいた。
伊東先生はまず、痴呆性老人のケアを行うための5つの条件を挙げられた。
第1はマン・パワー。マン・パワーの量と質が重要になり、痴呆のことをどの程度理解しているか、そういうことが問題になる。
第2がスペース。老人が安心して住める住居。徘徊するお年寄りが十分歩き回ることができるような住環境をつくっていることである。また、自分のアイデンティティというか、デンマークではほとんどの施設が自分のなじみの家具を部屋のなかに入れるのを許すと聞いている。いすでも、タンスでも、とにかく自分が使い古したものを持ち運べる。そこへおいておくことが許される。こういうことが、新しい環境に移ったとしても、なじみのものがあるとそれを中心にして安定した生活、心をもつことができるという意味だと思われる。
第3は、医療福祉のシステムがしっかりと整備されていること。ことに、生活を支援する福祉サービスが充実していることである。
第4は財政的なサポート。こうした医療福祉のシステムを支える経済的な裏づけがなければいけないということである。
第5に行政である。公共あるいは政府の施策というか、行政的な役割がしっかりしていて、こういう医療福祉の設備がどの地域でもスムースに運営されることができる。
まずこういう5つの条件を挙げられ、そしてたくさんのスライドを示し、伊東先生が勉強されたコペンハーゲンの北にある人口6万5,000人ぐらいの町で、どのような在宅ケアがなされ、どのような施設ケアがなされ、さらに新しい方向が生まれつつあるのはどういうものかということをお話になった。
この町は、65歳以上の老人人口が24.1%であるから、日本の2020年を少し越えたぐらいのところにあるのではないかと思われるが、そういう地域での実際の在宅のいろいろな事柄をお話いただいた。
その前に、デンマークにおける老人福祉の3つの原則を挙げられた。これは実に大切なことだと思われる。
第1は継続性の尊重。つまり、老人がいままでの生活を延長して続けていくことができるということを尊重する。
第2に高齢者の自己決定。高齢者が自分の生活において何がしたいかということを自分で決めることを尊重する。
第3に残存能力の活用。残されていた機能をあくまで生かしていく。
この3つの理念に基づいて政策がなされていることを述べられた。これは非常に重要なことであり、学ぶべき点ではないかと思われる。
いろいろな外国の福祉制度や医療制度をそのまま私たちは日本に輸入することはとても難しいが、その国に適応した理念が打ち立てられて、それに向かって政策が実際に施行されていくことが非常に大切であると思われる。
次にもう1人、私のコーチェアウーマンをされたメジイ先生のお話であるが、メジイ先生はケアの臨床的なことについてかなり広い範囲にわたって話をされた。
まず疫学的な調査によると、アメリカでは65歳以上で重度の痴呆が、5〜10%、80歳以上になると、これが非常に増えて、45〜50%になるということに触れられた、これは非常に驚くべき数値であるが、おそらくメジイ先生は、最近アメリカのボストン地域で行われた疫学的な調査を引用されたのかと思う。
ちなみに日本ではそれほど多くなく、在宅の痴呆老人はおよそ5%ぐらいであり、85歳以上になると20%を超えてくるが、これはアルツハイマー病も脳血管障害による痴呆も含めた数値である。しかし、アメリカはアルツハイマー型痴呆が非常に多く10%である。80歳以上になると、半分ぐらいがアルツハイマー型の老年痴呆になるということである。
また、ナーシング・ホームの実情も述べられ、いわゆる認知機能や心理障害があるものが40〜69%、また、先生の勤められている病院では、60%が65歳以上の高齢者である、ということであった。
2番目がアセスメントの問題。痴呆の患者さんを評価するいろいろなスケールがあるが、日本では私どもが開発しました長谷川式スケールがかなりポピュラーで、ほかにも優れたスケールがある。阪大式の西村教授の開発されたスケール、厚生省がつくられたスケール、大塚先生がイニシアティブをとってつくられたスケールなどがあり、よりよいスケールが用いられつつある。
メジイ先生はアメリカにおける何種類ものアセスメントを紹介された。さらにADL、認知機能だけではなく、日常生活動作、日常生活の行動を評価するものも非常に使われ(これは日本でも同じと思われるが)、このような検査法が、画像診断など、いろいろな身体的所見の検査と並行して行われている。
そして、痴呆の患者のケアについて、いろいろなプログラムを紹介された。日本でも痴呆老人を抱える家族会が10年ほど前に設立されたが、同じころアメリカでもADRDAという、アルツハイマー病およびその関連疾患協会ができており、ボランティア活動やデイ・ケア、地域のメンタルヘルス・プログラムなどが行われている。
また、スペシャル・ケア・ディメンシア・ユニットがナーシング・ホームにつくられている。つまり、ナーシング・ホームのなかに痴呆老人を特別に収容してケアするというスペシャル・ケア・ユニットがあるということである。そのなかでアクティビティ・プログラム、ファミリー・プログラムなどいろいろなプログラムがかなりエネルギッシュに行われているようである。
またこのなかで、ナーシング・ホームが主になると思われるが、痴呆のお年寄りが理由もなく徘徊して倒れたり転んだり、あるいは急性の疾患の場合には点滴や注射をすることがあるが、事情が分からないで、抜去してしまうということを防ぐために、身体拘束をしなければいけない。そういう拘束着のようなものもご紹介いただいた。
実際、ナーシング・ホームでは、身体拘束をしている人が41%に及んでいるとか、あるいは、向精神薬を投与して動けないようにしてしまう、ということがかなり多いと思われる。
しかし、こういう状態は非常に悪影響を起こし、先ほど折茂先生も話されていたが、こうした向精神薬、あるいは身体拘束というものがかえって痴呆の促進化をもたらし、縛られてしまって、捨て去られてしまうのではないかという恐怖など、かえって過剰な障害を起こす基になるということを述べられた。そういう非常にフランクな話をしていただき、非常に感銘を受けたしだいである。
また、マン・パワーの問題に話が移り、ロバートウッド・ジョンソン・ファウンデーションという財団が、ある1つの試みというか、研究をサポートしている。それによると、11の看護学校が11〜12のナーシング・ホームとタイアップして、アメリカ全土でペアになり、ナースの教育あるいは実際のケアなどに当たっているということである。
そういう施設がアクティブなナースの教育を絡めてケアを行った場合、従来長期間、眠剤としてあるいは抗不安薬として最も使われていたベンゾジアゼピン系剤の使用が79%から61%に少なくなったということがあり、たいへん感銘を受けた。
続いてキルク先生がお話しになり、ごく短い時間でしたが、アセスメントとか、引き続いて薬物使用の問題について説明をされた。
さらに、リー先生はホストの問題を話された。先生はおそらくポリシー・メーカーでいらしたわけで、アメリカの高齢者対策に対して多大な貢献をされた方だと推察申し上げるが、アメリカでは、1985年、8,800万ドルのお金をアルツハイマー型の痴呆のケアのために、直接・間接的に使用した。8,800万ドルというのは、およそ100億円を超える額になる。この研究費もまた、数年前、500万ドルであったものが、いまは4,000万ドルということになり、おそらく日本円で50億円を超えるだろうと思われる。
厚生省、その他、文部省のいろいろな研究団体の研究費と比べると、かなり多いといえる。もっと基礎的な研究を進行して、骨粗しょう症、転倒の抑制、あるいは痴呆の問題に対しても、やはり医学的な研究、あるいは介護に関する研究についての援助費が非常に望まれるのではないかと思われる。
エーエ先生は、先ほども述べたように長い間、痴呆老人のケアについて経験のある方で、10年前からナーシング・ホームの痴呆老人のケアを行い始めた。そのときは、精神科の病棟へ送ると、痴呆は精神科の問題ではないからあなたのところでやりなさいといわれ、非常に困った。どちらへ送ってよいか、どのようにケアを行えばよいのか、よく分からなかったそうである。
私は、痴呆のお年寄りといっても、私たちと同じ人間であって、私たちが感じるようなニーズ、欲求をもっている、そのようなニーズを重んじて介護をしていくことが大切である、といわれたのに感銘を受けた。
よく問題行動といわれるが、痴呆老人の問題行動というのは、スタッフ、あるいは私たち看護をする側にとっての問題行動であって、痴呆の老人からすれば、介護職のスタッフ自体の行動が問題であるかもしれない。そういうお話で、視点を変えてケアをするということも非常に大切ではないかと思うのである。
環境を変えることによって、いかに痴呆の老人のビヘイビアが変わるかということ。これは決して痴呆が治るという意味ではないが、痴呆の行動を収縮していくことができる。十分に介護のいろいろな工夫ができる余地があるという話であったと思われる。
続いて、ディスカッションに移り、この4人の先生方のほか、フロアからも参加いただき、かなり活発なディスカッションが続けられた。
話題になったのは、やはり薬物の問題である。ある精神科医の方は、薬物を投与するのはどうしてもしかたがない場合があるので、そういうときは投与せざるを得ないのではないか、という話があった。
ただ、アメリカと日本では非常に差がある。私は、全国の特別養護老人ホームや養護老人ホーム、軽費老人ホーム、全ホームにわたって、全社協の協力、厚生省の委託でナーシング・ホームの調査をしたことがある。そのときはナーシング・ホームでも向精神薬を使っているのは、平均たかだか5%ぐらいだった。しかし、アメリカは非常にそれが多い。これは確か、精神病院からお年寄りの患者を出して地域におくという運動があったためではないかと思う。そのために、精神障害のお年寄りもどんどん地域に出され、その結果、ナーシング・ホームにもそういう向精神薬を投与せざるを得ないような患者さんが増えてきたという事情もあるのではないかと思われる。
しかし、いずれにしても、向精神薬の投与は慎重でなければならないことは確かである。これはこのセッションを通じて、また第1セッションでもあったように記憶しているが、非常に重要な点であると思われる。
また、やはり非常に重要なことであるが、痴呆のお年寄りをケアする際、混合収容がよいのか、あるいは分離収容のほうがよいのかという質問があった。エーエ先生がお答えになり、お年寄り自体にもよく話をして、弱い能力をもったお年寄りも受け入れ、介護していくという姿勢が大切ではないか。したがって、混合収容も決して悪くはない。むしろ個別的なことではないか、というお答えをされていた。
もっとも、重度の人を非常に行動が混乱している人といっしょにするのは難しいと思われるが、これもなかなか一言では答えにくい質問であったかと思う。
最後に私がたいへんな質問をした。例えば、どうしてもケアとか施設の問題が提起されたことから、在宅ケアと施設ケアの両方が必要であるが、施設をつくるにはどうしても資金が必要になる。このことから在宅ケアという傾向がある。しかし、在宅ケアを行うためには施設ケアが充実していないと困るということから、在宅ケアのほうがお金がかからないというデータがあるのかと思い、質問したのである。
これはお叱りを受けて、そういうものではない。在宅ケアと施設ケアは総合的に行って、その場合にどういう方策が効果的な経費削減になるかということを考えなければいけないといわれたのである。
しかし、いずれにしても、痴呆老人のこのセッションは非常に切実な問題が出て、たくさんの質問があった。そして、スピーカーの方、コーチェアウーマンをしていただいたメジイ先生、キルク先生、伊東先生、リー先生、エーエ先生方が、フロアからの質問に非常にアクティブに返答してくださった。司会者としてたいへんご協力いただいて、感銘を受けたセッションであった。





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