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高齢者ケア国際シンポジウム
第1回(1990年) 不安なき高齢化社会をめざして


第1部 基調講演  高齢者ケアと世界の健康

世界保健機関事務総長
中嶋 宏



はじめに
本日、高齢者ケアの国際シンポジウムに参加することをたいへん光栄と思っています。

20世紀の最後の10年、1990年代を迎えるに当たり、世界各国のほとんどすべての国において、平均寿命は顕著な延びを示している。世界の平均寿命は、1960〜65年の5か年で51.5歳であったが、これが1985〜90年の5か年で61.5歳と、わずか25年間で10年の延命ということを示した。
このような数字の向上は、人口動態の変化によるところもあるが、この平均寿命が延びたことは、世界的な動向といえ、これは技術の進歩ならびに社会、経済の進歩に負うところが大きいといえる。
そして、WHO(世界保健機関)の政策である「すべての人々に健康を」という方針を徹底して実施した各国の政策の成功にほかならない。
しかし一方、この寿命の延びに伴う生活の質が改めて問われている。確かに、一般的な予防医学の進歩が高齢者の健康状況を改善し、重篤な疾病の罹患率を減少させ、これが寿命の延びにつながったということは積極的に評価できる。
そして、以前と比較できないほど、高齢者の方々は元気になったという実績も出ている。しかし他方、医学の進歩のいわゆる「成功の失敗」を指摘し、慢性病に悩み苦しむ高齢者の「全世界的蔓延」を警告する人々もいる。これは、すべてのものには両面があるという真理を言い表している。
高齢者を、単に元気かどうか、または退行性疾患(degenerative desease)に悩んでいるかではなく、その人たちの生活の質が保障されているかという観点からとらえる必要があると思われる。
WHOは、健康とは肉体的、精神的、そして社会的に健全である状態をいうと定義しており、疾病がないということだけで健康とはいわない。この意味からは高齢者の健康とは、人類の目標でもある最後まで活発で、積極的に、満足のいく生活をしたかで評価されるべきで、いたずらに年を重ねていくことであってはならない。
生活の質を問うことは、人間の課題、科学の課題ばかりではなく、ひいては社会の課題でもあり、これが、医療または社会サービスの計画・実施に影響するところが重要である。
老人人口は決して均一ではなく、一国のみならず小さな地域においてさえ、「典型的」な老人は存在しない。それゆえに、個々人の高齢者のニーズを十分に考慮していかなければならない。

1.高齢者を特徴づけるものは何か
高齢者は若い成人と違い、身体的にも心理的にも脆弱さが大きい。高齢化とは、時間とともに、個体の適応性が失われることが特徴といえる。この適応性がなくなることは、機能的な余裕がなくなるために起こり、これが高齢化の最も大きな特徴だといえるかもしれない。この脆弱性は、環境や社会的差別が加わることによってますます複雑なものになる。
高齢化の実績と原因に関する理論的な解明はまだ完全には成されていない。高齢化とは複雑な現象であることだけは判明している。長寿と高齢化に伴う疾病の最重要の決定要素は遺伝と環境の相互作用の結果である一次的高齢化にあるが、一次的な高齢化現象とは、遺伝性ないし環境が相互に絡み合って起因する長寿ならびに高齢化にともなう病的状態をいい、二次的な高齢化とは、適応性の強化によって一次的な高齢化の影響を克服することである、しかしこれは、種のレベル、または個々人のレベルに存在する。
このことから、健康な高齢化、高齢者の保健と社会的なニーズは一生の間で、生物的、心理的、文化的、環境的、そして経済的な要素と密接に関係して決定されている。加齢と関係する疾病、例えば冠動脈心疾患などは、遺伝的要素、喫煙、食生活、運動習慣などのライフ・スタイルを変えることにより克服できるということを明確に示す例である。

2.国際的な人口動向
出生率の持続的な低下、死亡率の年々の減少により、高齢人口の人口比率が増加するという国際的な人口動態傾向は、中国における経験が如実にそれを示している。非常に大きな人口をもち、人口が増加している中国において、70年代の後半から出生率を低下させるために、1家族1子という政策を採用した、この政策が有効的に実施された場合、21世紀の中ごろには人口65歳以上の高齢者人口がかなりの数になることが予想される。スウェーデンは現在、世界で最も高齢化が高いが2025年に65歳以上の人口は23.4%になるといわれている。また、スウェーデン以外のヨーロッパの国々、日本、アメリカなどは、2025年までに、ヨーロッパで20.1%、日本で23.7%、アメリカで19.6%になるといわれている。
すでに65歳以上の人口が200万人に達した国が29か国あり、さらに2000年に至るまでに、中国においては8,000万人、2015年ごろにはインドでも8,000万人を突破するといわれている。


図1 世界の主要地域別60歳以上の人口総数(2000年、2020年は推定値)

図1は1960年と1980年の60歳以上の人口を、世界の主要地域別に比較しさらに、2000年以降の推定値である。いまのところは、高齢人口のバランスは保たれているといえるが、途上国における高齢者人口、とりわけ、アジアとオセアニアにおける高齢者人口が大きく、2020年までには膨大な数字となることが予測できる。
その他の途上国においても、60歳以上の人口が、人口増加率よりも急速に伸びている。これからも推測できるとおり、1980年から2020年の40年間に、途上国の人口はほぼ倍増し、しかも高齢者人口は3倍以上になるといわれている。
ヨーロッパ諸国においては、高齢化の過程が相当早く起こったことから、高齢化の度合いは鈍化傾向にあり、場合によっては横ばいになっているが、他の地球上の諸国では歴史的な予測値を超えて上昇している。


図2 1980〜2020年における主要20か国の高齢者人口増加予測(1980年時点)

図2は、1980年の時点における人口の多い主要20か国の1980年から2020年までの高齢者人口の増加率を示している。増加率が低いのがイギリス、スペイン、イタリア、フランス、増加率の高い国が中国、インド、アメリカ、ソ連、インドネシア、ブラジルとなっている。たとえば日本では、高齢者人口の年間の増加率がいちばん高く、65歳以上の人口が、1996年には人口の14%になるといわれる。これは1970年からのわずか26年間で2倍になるという計算になる。ヨーロッパ、北アメリカにおける増加率はずっと緩やかである。


図3 総人口における65歳以上の人口占有率(7%から14%へ)の変動所要年数

図3の示すとおりフランスでは、実に115年をかけて、65歳以上の人口がの7%から14%になっている。スウェーデンは80年、アメリカは60年、イギリスは40年以上でそれに達しており、日本の26年との差が大きい。
現在の状況から察するに、アフリカを除く世界の発展途上地域において、紀元2000年までに平均寿命を60年以上とするWHOの目標は達成できると思われる。発展途上国間ではほぼ同一ではあるが、平均寿命は先進国に比べて14歳近く、ちなみに1985年における日本の平均寿命は77歳で、世界最長である。
ほとんどの国において、高齢者の女性のほうが高齢者の男性より数にして多く、とりわけ、先進工業国において特に超高齢でこの動向は顕著である。



図4 1985年における80歳人口に占める女性の割合

図4は、各国における80歳の女性の人口比である。ドイツ、アメリカ、中国、日本などは、60%を占め、一方インドは、80歳以上の人口の50%を占めるにすぎない。
また、65歳時の余命をみると、その増加率は、出生時における余命の伸び率よりも大きく、1960〜1980年の間で日本の出生時余命は12%増であり、65歳での余命は1960年では13年が1980年には17年程度に増えている。



図5 主要先進国における65歳時余命の推移(1955〜1984年、5年間の平均値による算定)

図5は65歳での余命が男女間ではどのように推移しているかを示したもので、男性と比較すると、女性のほうが常に伸びていることがわかる。特に発展途上国において著しい。男性の余命の伸びは、日本で最高で、女性はフランスが最高でいずれも高い。



図6 発展途上国における65歳時余命の推移(1955〜19脳年。5年間の平均値による算定)

図6は発展途上国で、65歳以上での余命は男女ともに増加し、女性はパナマにみられるように高い。
以上から、経済の発展につれ男性より女性のほうを長生きさせる傾向があるといえる。これは男性が自分より若い女性と結婚する伝統が多くの国に存在し、それが変わらないかぎり、主人が数年も前に亡くなり、未亡人となった高齢女性が急に増える国が増えると思われる。先進諸国においてさえも、この現象に対する社会的、経済的サポートの制度が作られていない。寿命は、社会、経済の発展に大きく関与している。地域や国によっても大きな違いのあることは、グローバルなレベルで「すべての人々に健康を」の観点から、平等の有無に関わる重大な問題になる、さらに平均余命の伸長の成功は、ヘルス・ケア・サービスのコストが増える結果となり、特に負担しきれない国においてコストを引き上げることになる点を理解しなければならない。
高齢化は、より高価な医療、社会、経済サービスの要求が増えるということにつながる。先進諸国では、国民1人当たり1,000ドルといわれる医療費のうち、60%が65歳以上の人たちによって使われている。一方、途上国では、まだまだ若年者の問題が山積しており、保健サービスに対する費用は1人当たり75ドル程度である。



表1 OECD諸国における高齢者と非高齢者1人当たりの医療費の割合

表1は、主要先進国における国民1人当たりの医療費は、65歳以上の高齢者医療費のほうが、65歳末満の医療費に比べて5倍、75歳以上の人たちの医療費は6倍となっている。これは途上国でも予想しなければならないことだろうか。私たちはそうではないと考える。この現実は、持続した経済成長があって初めて、将来の保健システムが確保できるということを示唆している。そのためにWHOは、保健経済学を強調し、社会保健や健康保健を含む財政手段について考えているのである。

3.健康と疾病
高齢者の健康と疾病についての理解が深まるにつれ、従来の医学的モデルでは限界があることが明らかになってきた。WHOでは、病気に関連する現象をより広範な枠組みから検討し、impairment(機能障害)、disability(能力低下)、handicap(社会的不利)、という分類を設けた。この「機能障害」とは、解剖学的または生理学的な病的状態をいい、「能力低下」は、日々の生活においてセルフ・ケアが低下している状態、「社会的不利」は、社会的な機能や義務を果たすことができない状態をいう。このような幅広い見方でとらえると、高齢者において増加する慢性的な、または進行性で不可逆的な障害に対応するうえで、重要であると思われる。また、高齢になっての疾病と障害の予防は重要である、疫学的に明らかになっていることは、成人の癌の70%以上が環境に原因があるといわれ、また血中のコレステロールを減らせば心疾患の危険も減少する、さらに適度な運動は、機能と骨の密度によい効果を与えることが知られている。
高齢化に伴う疾病の決定要素として、民族性と環境が関係することが日本における自然的観察でみられる。日本の場合、痴呆の多くの原因が脳血管性のものであるのに対して、ハワイ在住の日系人は、西欧型のアルツハイマー型痴呆が多いということがある。
いくつかの国では、血圧のコントロールが脳卒中の減少に寄与しており、また、喫煙が疾病に及ぼす影響、加齢の加速化との関係がしばしば報告され、禁煙の有効性が立証されている。
このように環境的な対策、ライフ・スタイルの変化というものに対して焦点を合わせ、対策を講じていかなければならない。しかし、予防についての知識から得られる利点が多いならば、政府はこれらの知識を広めることに力を尽くすべきである。酒税の引き上げ、あるいはたばこの値上げが、死亡率の低下につながると知られてはいるが、政府は関連業界との関係から無視している場合がある。これは、人気汚染、水質汚濁の観点でも同様である。
高齢者の健康と疾病を考える場合に、2つの問題がある。第1は、個人的な成長の機会であり、現実として人生の終わりに近づいたときの第3の人生、あるいは新しい生活の問題であり、第2は、「適切ではない状態での生存」というおそれ。これは、依存した状態で長い問生き延びていかなければならないということ。これは、広範なサービスを必要としている。
現在のところ、死亡率のみが因際的な観点から高齢者の健康状態を評価できる唯一入手可能な包括的データである。しかしこのデータは、死亡原因となっている病気を正確に反映しているわけではなく、特に死亡原因には多くの病理的状況が含まれていることを認識しなくてはならない。
先進国における、65〜74歳の死亡者のほぼ50%が循環器疾患、25%が癌によるものである。65歳時点での余命の伸長の原因は、薬品、特に抗生物質の普及であり、生活様式の向上による虚血性心疾患および脳卒中による死亡率の低下である。



図7 65〜74歳男性1,000人に対する心疾患死亡率

図7は、オーストラリアとアメリカにおける65〜74歳男性の心疾患による死亡率である。1965〜69年と1980〜83年までの死亡率をみても明らかな減少がある。



図8 65〜74歳男女1,000人に対する脳血管疾患死亡率

また日本における脳血管性疾患による死亡については、図8からも明らかなように、さらに顕著な減少がみられ、1980〜84年の65〜74歳の男女の脳血管性疾患による死亡率の数値は、20年前のほぼ3分の1となっている。
しかし、癌については、死亡率が下することはほとんどなかった。



図9 65〜74歳の主な死亡原因別死亡率の推移(1950〜1984年。5年間の平均値による算定)

図9に示すごとく、悪性新生物(癌)は、心臓、脳血管、呼吸器疾患の大幅な減少にも関わらず、増加を続けている。20世紀の最後の年に当たっての大きな挑戦は、癌の死亡率を同様に減少させることである。
疾病の社会的影響と人間の苦痛という観点から考えるとき、痴呆は無視できない最重要課題といえる。痴呆の発生率は、65〜74歳では5%、85歳以上では25%と、年齢とともに急激に増加していく。また、過去30年の間で平均罹病期間が4年から12年へと延びている。痴呆疾患は、先進国の重要な保健と社会問題であるが、この問題は、途上国においてもさほど遠くない将来、直面するであろう。

4.知識の発達
高齢化に対する研究の進展により、すでに多くのことが解明されてはいるが、今後集中的に研究を進めなければならない4つの主要分野について以下に記す。
?@ 第1次および第2次高齢化の基礎となる生物学上の過程の理解。
?A 身体・心理・社会・文化および環境等のさまざまな要素が複雑に作用していることを考慮に入れたうえで、機能障害、能力低下、社会的不利を含む、疾病の本質および介入方法の究明。
?B より快適な生活の質を確保するためどのような保健・社会サービスを高齢者、家族、地域社会が必要とするのか、そのコストを決定するためのヘルス・ケア・サービス研究の向上が必要である。この研究は、その多くが女性である家庭内の介護人のニーズは何かに焦点を合わせ行う。この介護人の背負う重荷は、有吉佐和子の小説「恍惚の人」によく表現されている。
?C 高齢者の地位と生活の改善のための社会意識の改革。社会に浸透している高齢者に対する「老人主義」をなくすべく、また高齢者を1つの集団として個々の権利を認める積極的な手段を講じること。高齢者の人間としての尊厳をもった生および死の権利を維持する社会の積極的な態度と行動を意味する。

5.教育
世界中で、老人を尊敬するという伝統的思想は宗教的教義によって強められ、十分に生きてはいるが、一方において、老化や高齢者に対する否定的な固定観念的態度も一般的にみられる、この考えは、近代の成果志向社会にのみみられることではない、多くの文化圏において、尊敬と拒否の態度は隣合わせに存在している。近代化への要求と急速な変化は、高齢者は社会への貢献になんら役に立たないため早く若者に座を譲るべきであるという考えを強くする。その解決法は社会教育であり、特に、?@より広範囲の一般市民、社会全体、?A高齢者自身、そして、?B保健医療に携わる人たち、の3つのグループに対して実施されるべきである。
こうした教育は、家庭や学校で小さいときから始められ、婦人会、労働組合、宗教グループのような組織を通じて広めていかなければならない。人々はどこにあっても、人口統計の推移の意味を把握し、地域社会が高齢者のニーズにこたえる必要性のあることを理解しなくてはならない。
高齢者自身は、一般・社会の固定観念から生まれる態度にしばしば影響されやすく、また、疾病と他人の世話になるのではないかという被害妄想的な考えに陥りやすいものである。このことから、高齢者白身に対する教育としては、高齢者のセルフ・ケアの責任を認めさせる、医療的措置が役立つ場合と害にもなる場合(例えば薬の多用)があることを認識させる、活動的な生活を続けさせる、人に頼ることが避けられない場合には、自尊心を失わせずにそれを受け入れさせる、等が教育目標として挙げられる。高齢化に関する適切な知識がヘルス・ケアに携わる人たちの基礎教育および生涯教育に組み込まれなければならない。それによって高齢者にふさわしいケアを提供する態度や技能が身につくと考えられる。世界の一部では、高齢者特有のニーズに対応するよう看護カリキュラムが改訂されているが、実際業務を改善し、生活の質の向上のための介入手法を発展させるためには、多くのことがなされなければならない。

6.政策
これまで述べてきた難問題のなかでも、最も難しく、論点と考えられるものは、保健および社会政策である、高齢者人口の増加は、必然的に高価なケアの医療費の増大につながるという懸念があるのは無理もない。この不安は根拠がないわけではないが、それが現実に起こるのを防ぐ施策は多々あると思われる。
第1に、健康な高齢者が増加すれば、労働力の一部であり続けるとともに、重要な消費者グループとして、経済発展の資源となり得る。
第2に、高齢者への基本的収人の確保がある。社会保障は高齢期の収入確保に重要な役割を果たしているが、多くの国々において、これらの社会保障制度が増加するニーズに対し、経済的に責任を取り続けるためには、更なる展開と変化が必要である。
第3に、将来の都市計画、公的住宅計画、公共交通機関その他の設備計画に高齢者のニーズを考慮しなければならない。こうした観点は、必要以上の能力低下を防ぐために重要であり、高価なケアをむやみに増やさなくてすむ。
長期ケアが必要なときは、いつも広範なサービスが計画されなければならない。広範なサービスとは、デイ・ケア、在宅ケア、ソーシャル・サービス等を含むコミュニティ・ケアから、病院、施設ケアまでをいう。保健医療サービスがだれでも利用できる国であっても、経費負担の軽いサービスが容易に利用できなければ、より高価なケア、例えば病院が代替として利用されるのが通例である。ましてsheltered housing(保護施設)、家庭訪問および修理サービスが整備されていなければ、軽症であっても施設に収容しなければならなくなり、不適当なコミュニティ・ケアは高価な病院病床を生むことになる。
たとえいかに富める国であっても、高齢者のケアを公的なものだけで全面的にフォローできるゆとりはなく、家庭を支援することを考えねばならない。
先進工業国でも、障害をもつ老人のケアの80%は家族に頼らざるを得ないのである、この重要な支払いを受けない労働力は、必要なとき、支援を受けることにより。保持されなくてはならない。
社会と家庭のサービスに対する増大するニーズの例として、と日本における寝たきりと、痴呆老人の急速な増加予測がある。


図10 1986〜2025年までに予想される日本での寝たきり老人と痴呆老人の総数

図10は、1986〜2025年までに予想される日本での寝たきり老人と痴呆老人の総数を示しており、どちらの数値も急速に増えているのがわかる。
保健専門家の養成計画を立てるに当たって、優れた老人ケアを目指すには、多方面の専門家の協力を必要とすることを考慮に入れなければならない。医師は診察し、介入に効果のある診断と治療を行い、一方、看護婦と看護補助者はセルフ・ケア、コミュニティ、病院や施設においてケアと教育を行う。また、ソーシャル・ワーカーによるリハビリテーションなどの訓練も必要である。
すべての保健専門家は、高齢者の特殊な状態やニーズについて訓練され、疾病や障害の効果的な予防、方法について学ぶべきである。また、医師、看護婦その他から構成される小規模な医療グループが、一般開業医に対し助言を与えられるよう準備されなければならない。教育と研究のため、多角的な分野の教師と研究者が必要である。

7.まとめ
以上、世界の人口の推移、都市化、貧困、高齢女性の特殊状況等、一連の社会問題、疾病の傾向、それに高齢者の健康とヘルス・ケアを広く総合的な枠組みのなかでみる必要性など、広い範囲の問題に触れてきた。
高齢者に公平で適切なヘルス・ケアを提供することは、WHOの紀元2000年までにすべての人に健康をという目標をはるかに超えた、われわれが直面する最大の課題の1つである。それは、高齢者向けの医療および社会サービスが利用できるように保障し、高齢者が社会的にも経済的にも生産的な生活を引き続き楽しめるようにする各種の政策や計画を要求するという課題である。
われわれは、各国政府がこうした問題の先駆者にその経験を学んでほしいと希望するが、これは極めて難しい課題であり、経済先進国においても高齢者のためにあらかじめ計画を立案したところはない。その理由の1つとしては、起こりつつあった問題の大きさを理解しなかったこと。第2としては、政治的な意志を欠いたこと。第3は、決定的な時期に他の事柄、例えば戦争と復興などで手一杯であったこと。第4は、参考にすべき過去の経験を持ち合わせなかったこと、が理由である、彼らは、暗中模索の状態で不適当なケア・モデルを適用せざるを得なかったのである。そのような理由から、サービスの多くが高価なものであり、また、高齢者の多様なニーズにこたえられてはいない。人口統計の変化は、発展途上国においては、いくつかの工業国の例に比べるとかなり早い速度で起こるとみられる。彼らが工業国の過ちを繰り返すべきではないとすれば、途上国は革新的で創造的なリーダーを必要とするであろう。彼らは現実に迫りつつある人口構造の変化の真意を理解し、政治的意志を結集させ、高齢者のためのケアと援助についての世論を創出さなければならない。経済的困難と社会的動乱の時代において、これは不可能に近い課題とも思われる。この課題を社会と政府が一体となって取り上げて初めて、家族の責任と社会的な結合を徳とする伝統が生き続けられる。前例のない高齢者人口の増加は、一方において脅威であるとともに、他方においては個人と政府が同様にケアの新しいあり方を見いだし、真に相互依存し合える望ましい関係を構築できる1つの機会でもある。このようにして、古くからの文化的な価値は維持され、科学の進歩が人々に真に役立つ一歩と成り得るのである。





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