りそこに付加価値がある。
だからそう考えていくと、場の付加価値というのはそういうもんだろうと思うんです。もちろんそれは本当に歌舞伎をそこでやってなければ話にならないんですよ。やってなかったら、歌舞伎を見たいのを我慢して見合いをしているという口実にならないわけですから。それはだめなんですが。だから本物というか、何か文化的なイベントなり施設なり、そういうものはいるわけですけれども、それだけが目的で人が来ているわけじゃないということですね。
これは実際に自分でイベントをやってみたらよくわかることで、イベントはできるだけいいものをやった方がいいわけですが、それに付随してどれほどのインフラが整備され、どれほどの界隈性が生まれてくるかという、そこで人が金を落とすんだということだと思うんです。
我々が例えばパリヘ行きまして、レビューを見にムーラン・ルージュに行っても、恐らくそこからすぐ引き返してということはない。ついでにモンマルトルをブラブラするとか、いろんな買い物をしたりとか、小刻みに金を落とすわけなのです。恐らく場の魅力というのはそういうふうにして生まれてくるだろうと思うんです。
ですから、これからのイベントというものは、別にその場所になくても優れた内容、出し物であれば、他の場所でやっても人は入るわけですね。だからそういうものではなくて、そこに行かない限りは成立しないという、そういう名所をどれだけつくるかということだと思うんです。
大阪の海遊館は大変成功しました。私も高く評価しておりますが、アジアにどんどん経済大国が生まれてきて、海遊館以上に豪華な水族館というのがあるいは北京にできるかもしれない、いろんなところにできる可能性があるわけです。そういうときにより大きなもの、さらに大きなものとねらっていくと切りがないということになります。そうしますとこの大阪港、天保山でなければあり得ない水族館の魅力というものをこれからもう一度つくっていく必要もあるだろう。まず中身のソフトで成功したわけですけど、次は海遊館の周りとの連動、そういう意味ではまだまだだと思います。海遊館だけ行って引き返して来ている客が多いわけですから。その辺の知恵の見せどころだと思うんですね。
ですからこれは産業構造の転換とも実はつながっている問題です。私はそろそろゼロからモノをつくる、箱をつくる時代ではなくて、また、そういう予算もなくなってまいりましたから、既存のものをいかにリニューアルして肉付けしていくかという時代にきているだろうと思います。これの方が大変知恵がいるわけですが、リニューアルの時代だと思うんですね。
ニュータウンの造成というものがある意味で限界にきていると思うので、オールドタウンズの高付加価値化、これは欧米ではもう進んでおります、これが観光材としても見直されてくるんじゃないかなと思っています。
一例を挙げますと、神戸のチャイナタウンでありまして、これは戦前大変有名なチャイナタウンでありましたが、戦後衰えまして、私が知っているある時期はもう3軒ぐらいしか中華料理の看板を掛けておりませんでした。しかし十何年前ぐらいから、もう一度中華街に門を、リャンテイと言いますけれども、あずまやのようなものを付けた。そういうふうにしてだんだんと雰囲気を盛り上げてきているうちに、いつの間にか何十軒とまた盛り返してきまして、それまで全然関係なかった路地まで中華街に見えてくるという、そういう例があるわけです。
大阪では生野の方にコリアタウン、在日朝鮮人・韓国人の方が多い町に門を付けまして、実際コリアタウンという演出をして、これは名所になってきております。
こういうふうな観光材を考えていきますと、今アジアが大変経済的に強くなってきておりますので、いわゆるテーマパークとかをたくさんつくりたい気持ちはよくわかるし、反対ではないんですが、一方ではダウンタウンの界隈性というものをアジアはたくさん持っていますので、これに高付加価値を付けていくという観光ゾーンづくりの研究をもっとなさった方がいいんじゃないか。これは日本も含めてそう思うわけです。それは今の尼崎の例にしましても、まだまだ「点」の文化施設に留まっておりまして、今ようやくそれが「線」に見えかけてきておりますが、最終的には「面」に見せていきたいわけです。
阪神電車尼崎の南側に古い寺町がわずかに残っています。これは高速道路と高架鉄道に挟まれたところに、よくこんなもの方残ったなというところですが、やはり近松の作品に出てくるような町並みだということで、この寺町を見直そうという動きが市民の間からも起こってきています。つまりいろんなことで付加価値が、波状効果がでてくるわけです。こういうふうにして市民の力を取り込まない限り、本当の意味での観光都市というのは生まれてこないんじゃないかなと思うんです。
最後に、「文化」と「文明」の話をちょっとしたいと思うんですが、「文化」というのは「カルチャー」と訳されていますね。「文明」は「シビライゼーション」と訳していて、この「文化」と「文明」の厳密な違いというのは説明が難しくて、諸説がありますけれども、割合今一般的な解釈になっておりますのは、文明というものはポータブルなものである。つまりこういう機械とか、「文明の利器」とよく言いますが、鉄道とかガスとか水道、こういうものは日本で通用する電気がアメリカで通用しないということはないわけで、要するに近代文明というものはポータブルなものなんですね。ですからヨーロッパで興った近代文明がアジアに浸透してきているわけです。
一方では文化、カルチャーというのはもともと「耕す」という意味ですので、その土地を離れてあり得ないものだ。食べ物とか言葉とか風土。食べ物でも最近日本食が割と世界で通用するようになっていますし、言語でも英語のような言葉はむしろ文明に近くて、世界中で通用するようになってき