的にはカメラワークによる画面構成が重要視されてきた。とくに後者の場合、王童が画家の母親の影響を受け、映画界にも美術関係で入って美術監督になったことも大きく関係している。つまり、王童のリアリズム志向とは何よりも眼に訴えるものなのである。その意味では映画に見合っているといえるが、またそのため、たとえば『苦戀』のラスト・シーンのように、視覚的なリアリズムはしばしば象徴主義にいたる傾向もあった。
ところで、その後の『村と爆弾』(87)『バナナ・パラダイス』(89)『無言の丘』(92)のいわゆる“台湾三部作”は、そうしたリアリズムを基調にしながらも微妙に変化している。日本占領時代の農民たちの悲喜劇を不条理なタッチでアイロニーを帯びて描いた『村と爆弾』、光復後に国民党軍に従って台湾に渡ってきた農民の悲喜劇を描いた『バナナ・パラダイス』、日本占領時代の金鉱で働く坑夫と娼婦たちを描いた『無言の丘』。それぞれ台湾の激動の時代に生きた庶民を主人公にしながら、王童は哀惜のこもった慈しむような視線でドラマを描いている。
こうした変化はおそらく台湾の政治・社会状況の変化と無縁ではないはずだ。1980年代後半における経済成長と1987年の戒厳令の廃止など、台湾社会は大きく変動を始めた。そうした変化のなかで、外省人としての王童の社会意識も大きく揺れ動いたにちがいない。“台湾三部作”はそうした彼の意識変化の現われと見ることができるだろう。しかも映画人としての王童は、ニューウェーヴに伴走しながら、みずからの作家意識をより鮮明に自覚したのではないだろうか。この“台湾三部作”では、それまでのリアリズム志向とニューウェーヴ的な志向を止揚したかのようなスタイルの変化を見せているからだ。
時代とともに変貌を見せる王童の最新作『赤い柿』は、“台湾三部作”からさらに変化している。これは中国大陸から台湾に移り住んだ国民党軍の将軍一家の生活を祖母を中心に描いた自伝的な作品である。そのためか、王童のリアリズムに透明感が漂い、まるで心地よいエッセイを読むような優しく軽快な心情が見るものを包みこむ。この作品は王童にとって大きな転換を画すにちがいない。これまでの王童の作品スタイルは時代とともに変化してきたが、ここで変化をもたらしたのは彼の深い心情のように思われるからだ。