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キン・フー(胡金銓)は1932年、北京に生れた。3人の姉のうち、3番目の、「すぐ上の姉」(といっても10歳ほど年が離れていたが)、胡京芝はおとなしくて、きれいで、聡明で、読書好きで、父親にすごく可愛がられていたが、16歳のときに突然、家出をして行方不明になった。日中戦争の引き金になった1937年の盧溝橋事件発生の直後のことであった。

その後わかったのは、その姉は呂正操(りょせいそう)の野戦舞台に入ってゲリラ戦に参加し、共産党員になったということだった。抗日戦の時期に地下工作に参加して、迷惑がかからないように、彼女は谷平と改名した。そのために消息がわからくなったということもあるのだろう。ゲリラ戦のさなかに、何光という兵士と結婚したが、解放後、何光は共産党の大幹部になり、北京で閣僚クラスの労働人事部長にまで出世した。

キン・フー監督はこの家出をして「遊撃隊(ゲリラ)として戦っていた」姉のことをとてもうれしそうに語った。文化大革命のあと、やっと、久しぶりにこの姉に再会した。「おかしかったのは、それからずっとあとのことですが、あるとき、わたしが、何の映画だったが、ロケハンに行ったとき、彼女はたくさんの場所を紹介してくれてね。彼女はそこでむかしゲリラ活動をしていたわけですから、地形をよく知っているんですね……」

この姉こそ、キン・フーにとっては、ヒーローであったにちがいないと思うのだ。

キン・フー監督の第1作『大地児女』(65)はこの姉がかつて参加した抗日戦ゲリラ部隊とその周辺の人々の物語である(「第2次大戦中に中国が日本に征服されて統治されていたときの中国人ゲリラ活動を描いたものです」)。

 

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