れた小地域としてまとまっていて、中原に覇を称えるというような発想は成り立ち難い場所においては、天下に志を述べるというような姿勢よりもむしろ、家族や隣近所で助け合って、いつも政治の被害者となる者同士としての人情的連帯をこそ見つめるという姿勢が強くなるのではないかと思われる。天下国家の動向より、まず一対一の人間を見つめ合い、そのことによって個人としての人間への信頼をはぐくむこと。それが台湾映画において、健康写実路線を超えるかたちで現れたのが、1980年代における、いわゆるニューウェーヴだったように思われる。
たとえばニューウェーヴの輝かしい出発点のひとつとなった1983年のオムニバス映画『坊やの人形』の中の萬仁の小品『リンゴの味』。これはアメリカの将校の車で事故にあった台湾人がアメリカ軍の病院で至れりつくせりの看護を受けるという話で、かけつけた子どもは当時の台湾では珍味とされたリンゴを貰って喜んでさえもいる。そこに描かれているのは、大国アメリカに対して恨むべきなのか感謝すべきなのか分からなくて困ってしまう台湾人の率直な心情の観察である。日本も占領時代以来、アメリカに対して同じような愛憎の二律背反を経験してきたわけであるが、日本映画はそれをこれほど正直に描きはしなかった。ここにはもはや、健康写実のきれいごとではなく、辛い厳しい状況を直視する真の写実があるが、それは台湾対アメリカという政治的社会的な関係を訴えるものというよりも、むしろ、どんなに弱い立場にあっても保たれなければならない人間としての自尊心や家族の連帯や、そんな場合に親は子に何を教えられるかということを自問自答するものである。そしてこの自分自身を正確に見つめようとする内省の姿勢こそがニューウェーヴの最も重要な基調となったように私には思われる。
いつも外側からやって来た勢力によって支配されてきたこの島の人々が、本省人、外省人、少数民族などの矛盾も抱えながらどうやって自分自身のプライドを維持し、同朋意識を打ち立て、はぐくんできたか。それはニューウェーヴの諸作品に広く見られる主題である。そこで共通して見られるのは、他者に対して攻撃的になることをなるべく避けて不運に耐えようとする姿勢であり、しかもそれが感傷として現れるのではなく、毅然とした人間の高貴さとしてすがすがしく見えてくることである。王童の一連の作品などは特にそうだ。
娼婦であることを止めた貧しい女の高貴な魂のあり方を見つめた『海をみつめる日』。
植民地時代の下層の労働者たちの心の卑屈な部分を沈痛なタッチでえぐり出し、そこに深い嘆きを表明した『無言の丘』。
同じく植民地時代の民衆の心のイノセントな部分で大いに笑わせてくれる『村と爆弾』。そのイノセントさは支配者に隷属しているものであるかのように見えて支配不可能なものであろう。下級兵士の外省人として台湾にやってきた無学な男女が、いかになりふりかまわず生きぬいてきたかを描いた喜劇版台湾現代史の『バナナ・パラダイス』。ただドタバタ滑稽に頑張ってきただけであるような彼らが、いつのまにか、遠慮と思いやりと人情の豊かさで敬服できる人々になっている。
そして『赤い柿』。本土で国民党軍の将軍だった男の一家が、台湾では次第に特権を失って、ゆっくりと庶民の仲間入りをしてゆく。その没落過程が美しい恥じらいを含んだ静かなユーモアで表現されているところがなんとも素晴らしい。
私は遠慮や恥じらいとしてのユーモアを日本的美徳の最良の部分と思い、小津安二郎をそうしたスピリットの最も見事な表現者だと考えているのだが、『赤い柿』を見るに及んで、いまやそういう精神の最良の表現は台湾にあると思わないわけにはゆかなくなったのである。