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?気候

和歌山県は沿岸部を黒潮が洗うために温暖な気候に恵まれており、特に紀南地方では冬期でも平均気温が10℃に近い。

雨量は比較的多めであり、また夏〜秋季にかけて台風にみまわれることが多い。

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(2) 歴史

川辺町の松瀬遺跡、御坊市の野島・天田遺跡などから、和歌山県に人々が住み着いたのは、無土器時代までさかのぼることができる。この時代は、かなり長く続いたと思われ、次の縄文から古墳時代にかけては、70カ所以上の遺跡が発見されているが、中でも特に紀ノ川流域に多く、紀北における発展がめざましかったと思われる。大陸との密接な交渉のあったことを裏付けられるものも出土している。

中世にいたると、高野山と熊野三山が強大な勢威を示し、我が国の政治・文化史上も特異な役割を果たした。高野山は寺領を多く持ち、寺社参詣が流行した中、熊野詣は、皇室貴族ばかりでなく武人の間でも盛んになり熊野と武門との関係も熊野勢力をめぐって深いつながりがもたれた。この宗教勢力と対抗したのは織田信長と豊臣秀吉で、天正13年(1585)秀吉は、根来・雑賀の一揆をくだし、高野山を従わせ、紀州を平定した。

藩政時代は、徳川家康の10男頼宣の入封で紀州藩は、尾張・水戸藩に続き、徳川三親藩の一つとして重きをなした。御付家老の安藤・水野の両家にそれぞれ城を支配させて藩体制の確立をはかり、以後14代250年間にわたって紀州藩を治める。明治維新を迎えて、紀州藩は和歌山・田辺・新宮の三藩に分かれ、廃藩置県にともない3県が設置されたが、これを統合して和歌山県になったのは明治4年である。

 

 

 

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