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一方、都市のこととなると大変な問題です。平成6(1994)年に建設省の建設研究所国際地震工学部応用地震学室長の石橋克彦というドクターがお書きになった『大地動乱の時代』という、いってみれば震災についての極めつけの本が出ました。これを読むと私などは絶望的な気持ちになるのですが、簡単に要点だけ読んでみます。「一次災害から派生的に生ずる二次災害の筆頭は火災である。木造建築が密集している中に発火物や爆発物(車を含む)が充満し、一次災害で初期消火と延焼阻止が困難になるから大火災の発生は将来の震災でますます懸念される。モルタル塗りなどの耐火構造が増えたといっても、強振動で屋根や外壁の防火材が損傷すれば、木造建物は容易に着火する。また、現代の火災では有毒ガスや大量の煙が発生する。デパート、地下街、超高層ビル、コンビナートなどの火災も恐ろしい」というのです。

しかももっと嫌なことが書いてありまして、「東京国の人口は3200万人である。国土のわずか3.6%の面積に、総人口の26%にあたる人々がひしめいているのだ。この超過密、ハイテク、巨大都市群が巨大地震に襲われるのは、いわれるごとく人類にとって初めての経験である。したがってその惨禍は人類がいまだ見たことのないような様相を呈するに違いない」と。私は熱海に住んでいて、事務所は東京にありますが、どちらに行っても「だめだな」というあきらめの気持ちでいます。

都市工学の立場ではアメニティというものを目指して議論がなされています。しかし、石橋先生がご指摘になるように、都市というのは一度どこかで火がつくと、ものすごい延焼スピードで都市自体が燃え出すわけです。これは小松左京氏が30年ほど前に書いた『日本沈没』の中でその様相を書いておりますが、まさに路面を走っている自動車そのものが発火装置になっていくのです。

ですから現在の都市工学で決定的に欠落しているのは、そういう発火装置をたくさん並べた中での暮らしにおいて、どういう防護措置があるのか、どういうプログラムがあって、そのためにどういうシミュレーションをすべきかということです。つまり完全に不燃化することは難しいとしても、少なくとも発火装置の並列ということを許さない、それを幾分かずつ低減していく何らかの方法はないだろうかを考えるべきです。それをしないで、それぞれの家庭やコミュニティ、あるいは行政における責任だけを問うてみても、都市災害に関してはあまり意味はないのです。同時にそれが研究されていかなければならないだろうと、つくづく考えました。

しかし、そういう大きな災害論とは別にして、これから21世紀の日本人の価値観を考えると、一方にクラスター、つまり自分さえよければいいという人々の塊、そしてその塊が醸し出す価値観のつながりによって成り立つ社会というものが一つ想定されます。その反面、経済環境には非常に大きな変化があります。各国とももう工業生産ではあまり量を生まなくなる。工業生産に頼っていては、増えていく社会的負担をカバーしきれない。工業生産は安い労働力が得られて、簡単に原材料が揃い、短期間で売ることができても、工業生産そのものが安くなることで、利益は生まれなくなる。つまり蓄積される社会の富のスピードが、工業生産に頼っていたのでは落ちる一方なのです。

こういうことから世界的な共通認識として、次の経済社会や福祉社会の担い手は情報通信とバイオテクノロジー、そして環境素材という二つが考えられています。その中で一番大切なのは、何といっても環境素材です。

私たち自身、自分の健康をまず第一に考えます。それから家族の健康、親戚の健康を考えます。その次に、飼っているイヌやネコの健康を考えて終わりです。しかし、私たち自身の健康というのは個人さえよければいいのではなく、この地球上にある水と空気と大地と植物と他の生物、この五つが健康でなければ保てないわけです。

今度の京都会議では、そういう認識の中で環境産業や環境素材というものが大きく浮かび上がってくるでしょう。気をつけなければお互いが知らないうちに加害者になってしまうのです。つまり限定された環境に対するそれぞれの人々の責任が人々を結びつける新しい絆になってきます。

従来の「モノ」を中心とした経済社会では、「not in my backyard」という反社会的な価値グループが生まれることを許しましたが、経済社会の性質が変わってきて、「モノ」以上の価値観で結ばれるということになって初めて、もう一度私たちは連帯というものを取り戻すのかもしれません。

その意味で、私は須恵村が高々と掲げている「把持合う」思想やかけ声が、これからは防災の中に大きく花を咲かせていくのではないだろうかと思うわけです。それは同時に、何か砂粒のような大衆の社会になってしまった日本社会をもう一度民族社会として回復させる手だてになりはしないだろうかと思うのです。

21世紀にかけて、「人間の絆回復」という図面のうえで防災を考えてみると、先ほど示したような、行政と住民と企業ないし地方組織がそれぞれ正三角形の頂点に立って、それが中心点に向かってお互いに等距離の価値観で結ばれている。命令も情報伝達も全部等距離で、それぞれの頂点の持っている特性を生かして、防災コミュニティや発展した形の防災まちづくりを考え出すべきだと思います。

本日は、日本列島の中に動いている古い価値観と新しい価値観の狭間の中に「防災」というテーマを位置づけてご報告させていただきました。どうもご清聴ありがとうございました。

 

 

 

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