査を行ってきたが、1995年12月には石油掘削リグ勘探3号が、沖縄近海の日中中間線から日本側に入った海域で、日本の警告を無視して試掘を続け、1996年2月には試掘に成功した。しかし、この無許可調査に対して日本政府や新聞は日中友好を阻害することを恐れてか、強く抗議することもなく一部の新聞を除いて報道することもなかった(25)。現在の中国は経済建設が国家の中心課題であり、諸外国から円滑な資金や技術を導入するためにも、日本の借款を得るためにも極端な行動を当分は差し控えるであろう。しかし、中国は過去に朝鮮やベトナムを支配下に置き、日本に冊封を拒否されて海路2回も来襲し、現在も武力でチベットを支配し、西沙群島や南沙群島を武力を用いて回復したのである。尖閣問題をこのまま放置するならば、時間と空間を利用した『孫子の兵法』を適用し、中国古来の「神聖なる領土」であるととして、「反撃自衛作戦」「領土回復作戦」などの名称で占領されてしまうのではないであろうか。本論を終えるに際し、「領域(国土)に関する概念が低下すると、その政治体は衰退する(26)」との、ドイツ地理学者ラッツェル(Friedrich Ratzel)言葉を記して結びの言葉としたい。
註
1寺田隆信『鄭和』(清水書院、1981年)を参照。
2近代の中国海軍史については平松茂雄『甦る中国海軍』(勁草書房、1991年)および深堀道義「中国近代海軍史」(『水交』1991年3月-92年11月)、「中国海軍覚」(『水交』1993年4月-11月)、なお、両氏はいずれも「当代中国」叢書編輯部編『当代中国海軍』(北京中国社会科学出版社、1987年)を利用している。
3深堀道義『中国の対日政戦略』(原書房、1997年)33頁。
4同上、89-92頁。
5艦艇の隻数などについてはJane’Fighting Ships(1995-96)と『防衛白書』の平成9年度版を参考とした。
6川野収『地政学入門』(原書房、1981年)24-26頁。
7平松茂雄「中国海軍と中華世界の再興」(『新防衛論集』第20巻第3号、1992年12月)26―27頁。
8劉華清「強大な海軍を建設してわが国海洋事業を発展させよう(『人民日報』1984年11月24日)」(平松茂雄『蘇る中国海軍』(勁草書房、1991年、148頁)。
9葵小洪「戦略競争はすでに大気圏・海洋に向かっている」「解放軍報(1987年1月2日)」